2016年9月12日月曜日

チェルノブイリ原発事故の影響 - ロシア側でもっとも放射線量が高い地域(原発から200キロ)における住民の苦闘



旧ソ連邦時代のチェルノブイリ原発の事故からすでに30年が経った。

そして、日本では東電福島第一原発での事故から5年が経っている。しかしながら、溶解した炉心がどのような状態でどの辺に残っているのかに関しては詳しい調査ができないままである。遠隔操作による放射能測定が可能なロボットが存在するとは言え、放射能汚染が強すぎて思うような調査が進まないのが現状だ。廃炉という作業は気が遠くなるほど長い年月を要することは確実だ。

しかし、ここで議論したいのはハード面における事故の収束ではない。それよりも遥かに大事な、切羽詰まった課題がある。それは地域住民の健康を維持するために必要な取り組みだ。

福島県内ではさまざまな策が施されてはいるが、今、もっとも大きな懸念は放射能の影響が単に福島県内だけに限られるものではないという点だ。政府は周辺の複数の県にも、あるいは、東京首都圏にも影響を与えているのではないかという懸念に対して公に答えなければならない。事故の当時は具体的な声にはならなかった、もしくは、政府の情報コントロールによってかき消されたしまったのかも知れないけれども、小児甲状腺癌を始めとして皆が懸念していた健康被害が今や実際に現れ始め、しかもかなり広域的に確認されつつあるという最近の現実がある。

原発事故に起因する放射能汚染は高強度の放射能レベルに暴露される場合と低レベル放射能に長期間にわたって暴露される場合とがある。一般市民が受ける放射能の影響は通常後者の場合である。

日本政府は事故発生の当時、何よりも先に住民に対する情報コントロールを行った。政府は洗脳作業に専念したのである。たとえば、放出された放射能のレベルに関して政府は「健康に直ちに影響を与えるようなレベルではありません」と何度も繰り返した。

さらには、政府は下部機関に調査を行う事は控えるようにと指示していたという。たとえば、労働安全衛生総合研究所では木村真三さんという研究者は東海村での臨界事故やチェルノブイリ原発事故について自分が今まで研究してきた成果や知識をたくさん持っていながらも、福島原発での未曾有の危機に直面しながら事故現場の人たちに対してまったくフィードバックができないという「やり切れない思い」を感じていた。木村さんは辞表を出した。そして、原発事故の5日後には放射線測定器を携えて福島へ向かっていた・・・

[注:さらなる詳細については20111217日に「芳ちゃんのブログ」に掲載した「木村真三さんという放射線衛生学の研究者」と題した投稿をご一覧下さい。]

ここで想像を逞しくしてみよう。官庁の仕事の性格を考えると、労働安全衛生総合研究所で起こったような情報統制は同研究所だけで起こったのではなく、日本全国の大学や研究所でもまったく同じことが起こったと捉えるのが自然で、かつ、常識的だ。

事実、専門家の間ではそういった経験を公表した事例がある。たとえば、当時京都大学原子炉実験所で助教を務めていた小出裕章さんの例だ(2011523日に「原発事故と行政監視システムの在り方」と題して開催された参議院・行政監視委員会)。小出さんは測定したデータの公表を上司から止められたと国会で証言した。

行政による透明性や情報公開の必要性が多くの機会に論じられていながら、まったくその効果が出てはいない現状を見ることは実にやり切れない。

福島県では、今、当時20歳以下であった住民の間で甲状腺癌が多発している。さらには、福島県内ばかりではなく、南側の茨城県でも甲状腺癌が報告されている。事故当時の政府の説明や対応について反芻してみると、政府が繰り返して言っていた「健康に直ちに影響を与えるようなレベルではありません」という文言が妥当であったと考える人は皆無であろう。

そして、さらに厳しい現実は、最近報告されている小児甲状腺癌は恐らく巨大な氷山の一角に過ぎないのではないかという点だ。今後10年、20年、30年と時間が経過するにつれて厳しい現実の姿が鮮明に見えて来るのではないだろうか。

セシウム137による健康被害、つまり、小児甲状腺癌ばかりではなく、ストロンチウムやプルトニウムによる内部被爆に由来するさまざまな健康被害もこれから表面化してくるに違いない。


    

福島原発事故の影響を考える時、「10年先、20年先にはいったいどのような状況が日本を待ち受けているのか」とあれこれ考えずにはいられない。

チェルノブイリ原発事故は1986426日に起こった。今から30年も前のことだ。強制的な移住を強いられた地域の住民とは違って、チェルノブイリ原発から100キロも200キロも離れた地域では数多くの住民が先祖伝来の地に残った。低放射線量の中で30年を過ごして来た地域を訪ね、地域住民が今どのような健康状態にあるかを詳しく知ることは福島県やその周辺地域の将来を見つめる上で非常に参考になると考える。

英国の高級紙のひとつである「テレグラフ」紙の記事 [1] がここにある。今年の414日に発行されたもので、「チェルノブイリの死の雨の後で」と題されている。原発事故から30年経った今日の姿を伝えようとするものだ。地域住民の間では30年前のチェルノブイリ原発事故による影響が今の生活に暗い影を落としている。その影響は三世代にもまたがっている。

この記事を仮訳して、少しでも多くの人たちと共有しようと思う。

福島県内だけではなく関東圏の25年後の姿がこの記事によって多かれ少なかれ描写されているのではないかという気がする。


<引用開始>

表題: チェルノブイリの死の雨の後で
著: ロランド・オリファント / テレグラフ紙
写真: ペートル・シェロモウスキー / テレグラフ紙



Photo-1:

チェルノブイリ原発事故から30年。最初の死の雨がこの静かな町に降ったあの時以来もう何十年も経っているのだが、原発からは160キロ以上も離れているノヴォジブコフの住民は今でさえもその影響を感じている。[注:日本では福島原発から100キロというと、北側では仙台、南側では那須塩原の辺りになる。200キロというと、西側では新潟、南側ではつくば市と東京の中間点の辺りに相当する。]

19864月の最後の月曜日、午後3時頃、ロシアの西部に位置するこの静かな町、ノヴォジブコフの町に黒い雨雲がやって来て、突然の雨となった。メーデーの祭日に行うパレードの予行演習に参加していた市民たちは雨に濡れるのを避けるために方々へ走った。

風は強く、雨が叩きつけるように降り、40分程も続いた。地域教員訓練大学のセルゲイ・シゾフ教授はこの雨については何も特別に考えてはいなかった。ソ連邦では教育者としてもっとも奇妙な責任を担う教科のために、少なくとも、翌日彼が授業を行うまでは・・・ つまり、核戦争や化学兵器による攻撃を探知し、それに対応するという訓練を実際に行うまでは。



Photo-2: セルゲイ・シゾフ教授

『あの授業は「核・化学兵器の偵察」と称されており、基本的には学生たちに軍用ガイガーカウンターの使い方を教えるためのものだった』と彼は言った。「まあ、カラシニコフの分解・組立てをするのと同じように、誰でも熟知しておかなければならないことなんだ。」

しかし、シゾフ教授は、通常の環境で検出される微量なレベルの放射能に代わって、教科書にしか記述されていないような核戦争時の高い放射能レベルを検出した。これに驚き、複雑な気分に襲われながらも、同教授は直ちにその地域の市民防護本部に連絡をとった。



Photo-3: ノヴォジブコフで放射能を検出するためにシゾフ教授が使った測定器

『皆が「そんなことはあり得ない!」と言った。誰も原発事故については何も知らなかったからだ。』

やがてすべてが判明した。事態はひどいものだった。三日前の土曜日、1986426日、現在はウクライナ領となっているが、約160キロ程離れているチェルノブイリ原子力発電所が爆発を起こした。史上最悪の事故となった。月曜日の激しい雨はシゾフ教授が放射能を検出する訓練を実施するにはまさに打ってつけのものとなった。

強風と雨がチェルノブイリから160キロも離れているノヴォジブコフへ経験をしたこともないような高レベルの放射能を運んできた:

ロシアとベラルーシおよびウクライナとの間の国境地帯にあって、ブリャンスク州のノヴォジブコフスキー地区の湿地が多く、白樺の森が延々と続く平坦な地帯はまさに古き良き時代のロシアの心臓部に近い風情だ。

この地域は「古い信者」たちの伝統的な拠点でもあって、礼拝の解釈においては常に古い解釈に固執するとしてこの正教派の信者は度々迫害されてきた。電柱のてっぺんに掛けられたコウノトリの巣が散見され、住民の大部分はこれら三つの国の言語が入り混じった言葉を喋り、今も手作りの木材製の家屋が多い集落に住む。彼らの生存はもっぱら自給自足農業や地域の森に依存している。

春になると、のどかそのものだ。しかし、住民たちは少なくとも三世代がセシウム137からのガンマ線やストロンチウム90からのベータ線に長期間にわたって曝されており、深刻な健康被害に直面している。ブリャンスク州の中でももっとも汚染がひどい地域に、今日、12万人から20万人が居住している、とグリーンピース・ロシアの放射能安全アドバイザーを務めるアレクセイ・キセレフは言う。

「もちろん、放射能はかってのレベルではない。原発事故の直後にはスヴィアツク集落の周辺では5マイクロシーベルト/時を記録し、それよりももっと高かったかも知れない。でも、今は約2マイクロシーベルト/時にまで下がっている」と、彼は言った。

「ベラルーシの推算によると、この地域は2176年までは人が住むには適さない。その時が来るまでは居住不可のままだ。」

ロシア政府の非常事態省は周囲の放射線量が0.8マイクロシーベルト/時以上では職場における作業環境には適さないとし、0.6マイクロシーベルト/時以上では居住環境には適さないとしている。

「正常な」レベルは0.15マイクロシーベルト/時辺りであるとしている。スヴィアツク集落の外部では放射線量はかなり低下したが、依然として危険だ。


推算によると、この地域では2176年まで人は住めない:

グリーンピース・ロシアの人たちと一緒に出かけ、サンデーテレグラフ紙はスヴィアツク集落の周辺の誰も住んではいない地域において複数の地点で今でも1.5マイクロシーベルト/時を記録し、住民たちが白樺の樹液を集める森林地帯では1.8マイクロシーベルト/時を示すことを知った。

こういった住環境から受ける影響としては、特に甲状腺癌や胃癌、肺癌を含むさまざまな癌の多発が見られ、新生児の間では脳性麻痺やダウン症候群ならびにそれ以外の先天異常が見られる。

ノヴォジブコフであの不吉な雨が降ってきた時ガリーナ・スヴィリデンコは11歳だった。彼女は当日のことは思い出せないが、メーデーのパレードを見物していた事はよく覚えている。原発事故の数日後のことであったが、パレードは何事もなかったかのように挙行された。

彼女自身は何らの影響も受けてはいないようだ。しかし、2000年に彼女の二番目の息子、デニスが生まれた時、息子の背骨は湾曲し、耳が発達してはいなかった。他にも先天異常があって、彼女はあの時の放射能への暴露やその後この地域で収穫された食品を消費し続けて来たことが息子に影響を与えたのだと思っている。彼女の義理の父は肺癌で亡くなったが、あれもチェルノブイリ原発事故と関連していると思っている。


放射能の影響には癌や脳性麻痺、ダウン症候群の急増が含まれる:

デニスはチェルノブイリからの降下物による犠牲者として無料の手術を8回も受けた。その結果、彼の聴力は改善され、耳の整形が施された。国からは比較的寛大な支援を受けた。しかし、専門教育やリハビリ教室、黒海の療養施設への旅行、等の登録ではそれらの恩典を入手するためにはあれこれと奔走しなければならなかった。補聴器を含めて、どうしても必要な機器の購入には寄付金が充当された。



Photo-4: 正常な放射能レベルは0.15マイクロシーベルト/



Photo-5: 息子の湾曲した背骨を示しているX線写真を見せるガリーナ・スヴィリデンコ




Photo-6: デニス・スヴィリデンコ、15歳。彼は耳がないまま生まれて来た。



Photo-7: リタ、2歳。ノヴォジブコフで脳性麻痺の治療を受ける。



Photo-8: カーチャ、2歳も同様だ

チェルノブイリ事故後、この地域で最悪の影響を被った地区においてはソ連当局は住民を移住させた。ベラルーシとの国境沿いにあって、特に汚染が激しかった地区の住民は移住し、「古い信者」の中心地であり、1986年には1000人を超す人たちの住居があったスヴィアツク集落では住民が舞い戻ることが出来ないようにと家屋が撤去された。

当初の計画ではノヴォジブコフの4万人の住民全員を移住させるものとしていたが、一部の住民が移住を渋ったためにこの計画は頓挫した。しかし、ボリス・イェルツィンの命令の下で実施された土壌の入れ替えが多いに効を奏した。当初はもっともひどく汚染されていた地域のひとつではあったが、町の大部分で背景放射能のレベルは今や正常値を示している。

しかしながら、周辺地域でもこの種の浄化作業が十分には実施されたわけではない。スヴィアツク地区の外側にあって、汚染がひどい地域に住む人たちの多くは移住を嫌い、移住したとしてもホームシックや失業のためにUターンをしたり、移住先においては「チェルノブイリ病」を警戒する周囲の人たちから受ける冷たい視線に遭遇して、故郷へ舞い戻って来るような始末だった。

スヴィアツク地区のすぐ外側に位置するスタリー・ボボヴィチの集落で相談員や図書館員を務めているナタリア・クンディクは幻想を抱いてはいない。彼女は自分の母やその集落の図書館の同僚を癌で亡くした。1986年の4月に例の雨が降った際、同僚の家は未完成で、屋根が出来てはいなかったという事実を後で知った。家の中の方が放射能レベルが高かった。多くの住民は経済的な理由から「今飢えた方がいいのか」、それとも、「将来癌になる確率が高くなってもいいのか」のどちらかを選択することになったと彼女は言う。

 Photo-9: 「多分、放射能で汚染されているかも。でも、美味しいんだ!」



Photo-10: スタリー・ボボヴィチにて、地下の食糧貯蔵庫を調べるヴァレンティーナ・ロモノソヴァ

年金生活者は1ヶ月当たり11,000ルーブル [訳注:直近の為替レートで換算すると、約17,300] を僅かに超す年金で生活をやりくりしている。未熟練労働者でさえも多くはそれよりも高い賃金を稼ぐことができる。「何が出来るって言うの?これで何とか生きて行かなければならないのよ!」とヴァレンティーナ・ロモノソヴァは言う。彼女は今52歳で、最近7歳の孫が癌だと診断されたばかりだ。

自分の給料の他に、彼女は猫の額ほどしかない小さな農地を持っていて、8匹のウサギや10羽前後の鶏、ならびに、ワーシャと呼ぶ1頭の豚を飼っている。この辺りの多くの住民と同様、彼女も森に入ってキノコや野イチゴを採り、白樺の樹液を採集する。「多分、放射能で汚染されているのかも。でも、美味しいのよ!」と、彼女は冗談めかして言う。

彼女の言ったことは間違いではなかった。ジャーに入ったキノコの漬物をノヴォジブコフの衛生試験所で測定したところ、1キロ当たり867ベクレルを示したのだ。公式の安全基準である500ベクレル/㎏を大きく越していた。他の集落から入手した乾燥キノコは109,000ベクレル/㎏を示した(乾燥キノコの安全限界は2,500ベクレル/㎏)。

 Photo-11: ヴァレンティーナ・ロモノソヴァの野菜の漬物について放射能を測定した結果、安全レベルの2倍近くもあった 。

 Photo-12: 乾燥キノコについて放射能を測定。安全レベルの40倍を記録した。

しかしながら、この地においてさえも根の深い無頓着さがあからさまに横行していた。「これらのキノコは消費しないように勧めている」と試験所の所長は言う。「あなたご自身はこれらのキノコは食べませんか」と聞かれ、彼女は「まあ、公式の忠告は無視するかもね・・・」と言った。「もちろん、この種のキノコは本当に美味しいのよね!」と、彼女は言う。


チェルノブイリに関しては今でも知らないことだらけ:

 Photo-13: ノヴォジブコフにて癌の専門医の診察を受けようと列になっている住民たち

 Photo-14: 住民が退去してしまったスヴャツク集落の墓地

多くの住民は放射能は無抵抗のまま受容せざるを得ない。しかし、貧しさが故に住民たちの多くは被爆者に対して政府が支払う補償金については神経質である。

昨年の10月、ロシアのドミトリー・メドベージェフ首相がノヴォジブコフやスタリー・ボボヴィチを含む幾つかの地域を再評価し、リスクがより低い地域として再定義した。非常事態省によって実施された土壌サンプルの分析結果に基づいて、この動きは過去30年の経過によって汚染が軽減されて来たことを公的に示しているわけではあるが、毎月支給されている補助金が遅かれ早かれカットされることを示唆している。

「ノヴォジブコフの母親たち」と名付けられた市民運動グループはこの分析は放射能値のバラツキを考慮に入れてはいないとして問題提起をしている。ひとつの集落から1個のデータを取るだけでは、その場所からたった数メートル離れた位置にホットスポットがあったとしても、それらをいとも簡単に見逃してしまう可能性があるからだ。

クンディク夫人を含めて50人以上が原告団に加わって、この政府の動きに対して訴訟を起こした。しかし、ロシア最高裁判所はこれを却下した。2回目の訴訟を起こす前に、目下、このグループは却下の理由を説明する裁判所からの文書が届くのを待っているところだ、と彼女は言う。
長期的な健康影響に関して理解するために十分な調査が行われて来たわけではないことから、当面はスヴィアツク地区周辺には正当な居住禁止区域を設けて欲しいものだ、とグリーンピースのキセレフ氏は言う。「あの事故から30年が経ったけれども、まだまだ、チェルノブイリ事故については知らないことが余りにも多い。」

写真:ペートル・シェロモフスキー
制作:レイチェル・ジョーンズ
グラフィック:トム・シール、デイビッド・スティーブンソン

<引用終了>


これで仮訳は終了した。

これを読んでみて愕然とさせられる点がひとつある。それは住民の健康にとって安全な放射能レベルを何処に設定すべきかという問題だ。

ロシアの非常事態省は周囲の放射線量が0.8マイクロシーベルト/時以上では職場における作業環境には適さないとし、0.6マイクロシーベルト/時以上では居住環境には適さないとしている。

日本の避難基準では、年間20ミリシーベルトを超す場合は非難するとしている。これは空間線量率では3.8マイクロシーベルト/時に相当すると計算されている。1日の内で8時間は外気に曝され、残りの16時間は木造家屋の中にいるものと想定し、その間は暴露が屋外の40パーセントにまで低減されるという考え方に根ざしている。

しかし、0.6マイクロシーベルト/時と(ロシア)3.8マイクロシーベルト/時(日本)との間には6.3倍もの違いがある。人間の放射能に対する耐性はロシアでも日本でもそれ程大きな違いはない筈だ。それぞれの政府が設定した安全限界における6.3倍もの違いはいったい何処から来たのだろうか?それは科学ではなく、政治のせいだ!

放射能で汚染された食品を消費し、汚染された空気を体内に取り込み、その結果として内部被ばくが起こる。ここに引用した記事によると、ロシアでは多くの場合野生のキノコや野イチゴを経由してセシウムやストロンチウムが取り込まれ、内部被ばくが起こっている。胎児が母親の胎内で内部被ばくを受け、先天異常を起こした例が多数報告されている。かなり深刻である。日本では、このような野生のキノコや野イチゴによって内部被爆を起こす可能性はそれ程高くはないだろうと思う。それに代わって、日本でもっとも懸念されるのは野菜や魚介類・海藻類を経由した内部被ばくではないだろうか。さらには、安全基準が6.3倍も高い空気中に含まれている放射性核種の存在だ。

そして、チェルノブイリでは事故から30年が経過したとは言え、健康影響の実態は明確に判明しているわけではない。今でさえも知らないことが余りにも多い。経済的な公的支援は常に不十分だ。

もうひとつ、素通りが出来ない重要な情報がある。

一部の専門家の報告によれば、チェルノブイリ事故から20年が経過した時点で、高線量地域、低線量地域、超低線量地域に分類すると、甲状腺癌の割合は324となったという。大小関係が逆転して、超低線量地域での発症がもっとも多くなったのだ。これはベラルーシのブレスト州立内分泌診療所のアルツール・グリゴロビッチ所長の知見である(中国新聞が20111029日に報道)。因みに、超低線量地域とはセシウム137の蓄積量が1平方メートル当たり37,000ベクレル未満の場所、つまり、年間被爆線量では0.5ミリシーベルト未満というレベルだ。

事故現場から遠く離れた場所にある超低線量地域であっても、油断することはできないことを示している。


    

「チェルノブイリ・ハート」と題されたビデオ:https://youtu.be/Vhb5pCXMkxU

読者の皆さんは超多忙な生活を毎日のように送っているとは言え、時間を何とか捻り出して、このビデオを是非ともご覧願いたい。英語による報告ではあるが、日本語の字幕も入っている。

これはチェルノブイリ原発事故から16年後の時点におけるビデオ記録だ。ベラルーシの病院に収容されている子供たちのさまざまな症状を視覚的に理解することによって、チェルノブイリ原発事故の影響が如何に深刻なものであるのかを実感いただけるだろう。

個人的な印象を付け加えると、活字で「先天異常」という文字を読んだ場合に比べて、ビデオで報告されている「先天異常」を見た時の衝撃はただものではない。こうして書き言葉でお伝えしようとすること自体がひどくもどかしく感じられる。

日本の福島原発事故に置き換えれば、このビデオに収められた状況は時間的には今から10年後の福島に相当する。

もちろん、厳密に言うと、ここに報告されているすべての先天性障害や知的障害あるいは心臓疾患が放射能と直結するものだとは言い切れない。母親のアルコール中毒やその他の化学物質による影響があったかも知れない。ロシアでは東西冷戦の終了後の10年間余りは経済生活が窮乏を極めた。その頃は妊娠中の母親が十分な栄養を摂れなかったという状況が方々にあっただろうと思う。

そうは言っても、直接・間接に放射能の影響を受けた事例は少数だとは決して言えそうもない。これは容易に想像ができる。真相が何処にあるのかに関しては、疫学の専門家に解析して貰わなければならない。疫学の専門家の解析結果さえも受け入れられないとしたら、その議論はもはや科学的な議論ではない。

 ベラルーシのゴメリ地区(人口が70万人、チェルノブイリからは80キロ)では甲状腺癌の発症は事故以前に比べて10,000倍となった。[訳注:この「10,000倍」という数字はそれが正しいのかどうかを検証するべきではないかと思う。他の文献、たとえば、Alexey V. Yablokov他が著した「Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment」によると、べラルーシでは事故後20年間の甲状腺癌の発症は事故前に比して「200倍超」に増加した(165ページの6.2.1.1.項を参照)と報告している。]
 事故後、障害児の出生は250パーセントも増えた。
 身体障害児だけではなく、知的障害児も増えた。
 乳幼児の捨て子が増えた。遺棄された子供たちを収容するための専門施設が設けられた。
 遺棄された子供たちの間では水頭症の子供が多い。
 心臓欠陥が増えている。心房や心室間の壁に穴があいており、正常な血液循環ができない。この種の心臓欠陥は「チェルノブイリ・ハート」と呼ばれている。
 未熟児が増えた。
 新生児の死亡率はヨーロッパ諸国に比べて3倍も多くなった。年々悪化している。免疫性が低下しているからだという。
 遺伝子の損傷が増えているようだ。
 ある産院での健常児の割合は、多分、15~20%程度に過ぎない。

このビデオで学んだことの中で、改めて声を張り上げて言っておきたいことがある。

年配者は放射能の影響を受けにくいが、新生児や未成年者は影響を受け易い。たとえば、我々自身のような年配者が低線量地域で元気に暮らしており、長生きをしているからと言っても、子育て中の若い夫婦たちに低線量地域に留まってくれとか、低線量地域へ帰還してくれと言ってはならない。次世代の健康を考えると、愚の骨頂だ!政府による対策が満足できるものではなく、近い将来抜本的に改善される見込みはまったくないことからも、むしろ、全力を挙げて移住を推奨し、移住が実現するように支援するべきであろう。そうする以外に次世代の健康を守る手段は見当たらないのだ。これこそが放射能の恐ろしさの本質である。

政治のあるべき姿を考えると、福島原発事故に関わる施策は人間中心の政治であって欲しい。潜在的な被爆者も含めて、被爆者の健康を第一に考える国政や県政であって欲しい。一般庶民の健康に関わる問題を整理し、支援を強化するために可能な限りの資源を投入し、救済策を制度化するべきだ。それこそが政治に求められる。そして、チェルノブイリの様子を参考にして考えると、その必要性は今後5年、10年、20年と時間が経過するにしたがって増加する一方となりそうだ。


参照:

1After Chernobyl’s radioactive rains: By Roland Oliphant, Telegraph, Apr/14/2016, s.telegraph.co.uk/graphics/projects/Chernobyl-30.../index.html