2011年7月22日金曜日

「なでしこジャパン」に敗れた米国チーム選手たちの感想

 
Jul/17/2011

「わたしたちは偉大なチームに敗れた。」
また、「何か大きな力が日本に味方していたと感じた」とし、「勝ちたかったけれど、他のチームが優勝するなら日本が良かった、」と米国チームのゴールキーパー、ホープ・ソロが述べた。

上記は産経新聞の佐々木記者がワシントンから送ってきた報告の一節だ。この記事によると、このホープ・ソロ選手の発言が日本ではたくさんのサッカーファンの心を捉えたという。

「何か大きな力」とはなでしこジャパンが単にサッカーの試合に勝つためだけにワールドカップ・ドイツ大会へやって来たのではない。言うまでもなく、これは今年3月の東関東大震災の被災者の皆さんに少しでも元気をあげたいという気持ちを指したものだ。この特別の気持ちは他の国からやってきたチームにはまったくなく、なでしこジャパン特有のものだった。

女子ワールドカップ米国チームのホームページを覗くと、なでしこジャパンと戦った選手たちの感想を読むことができる。

拙訳ではあるが、米国チームのホームページに掲載されている717日付けの記事全文を引用してみよう。対日本チームの決勝戦で選手たちが感じたさまざまな事柄が述べられている。なでしこジャパンと戦った米国チームのコーチや選手たちがどんな気持ちで決勝戦に臨み、戦いに敗れた後どんな思いを抱いたのかを知る上で貴重な資料だと思われる。


<引用開始>

ヘッドコーチのピア・スンダーゲへの質問

この試合から積極的に学びたい点は?
「今日は観衆の皆さんには立派な試合を見せることができたと思う。記憶にとどめておきたい決勝戦だった。米国チームを称賛したいし、日本のチームも心から称賛したい。最初のハーフでの我々の戦いぶりは実に良かったと思うし、準決勝での試合と比べるとその違いがはっきりしている。銀メダルをとることはできたが、まだその実感はまったくない。2-3週間もすれば実感が湧いてくると思う。誰もが知っていることだろうが、最高レベルの選手たちが繰り広げるペナルテー・キック戦というものは成功と不成功の違いは正に紙一重。」

相手に2失点もあげてしまったことについては?
「全ては私たちの攻撃から始まった。私たちはいとも簡単に相手にボールをとられてしまった。決勝戦では最高のプレーをし、チャンスを生かさなければならないことを肝に銘じておくべきだと思う。あの2失点についてはもっと厳しく対処すべきだったが、そうしなかったので決勝戦をものにすることができなかった。」

ペナルテー・キック戦がうまく行かなかったことについては?
「あのナルテイー・キック戦を見ましたね。時には勝ち、時には負けてしまう。ブラジル・チームとのナルテイー・キック戦を思いだしてみると、皆がいい感じだった。今言ったように、上手く行ったナルテー・キック戦とそれほどでもなかったナルテー・キック戦との間の違いは実にわずかだ。」

女子サッカーにとって今大会は?
「起伏の激しい大会ではあったけれど、実に素晴らしい大会だった。選手たちを称賛したいと思う。今大会の最初のゲームでは北朝鮮との戦いだったが、何度も好プレーがあった。ベンチから加わった選手たちを導入して、先発の選手をちょっと変更してみた。たくさんの素晴らしい観客に囲まれて、すごくいい雰囲気だった。選手やコーチには時間を少し与えてやって欲しいと思う。私たちは皆この銀メダルの素晴らしさを十分に味わうことができると思う。どうしてかと言うと、試合以外の面でもたくさんの素晴らしい収穫があったし、選手たちもいちだんと成長したと思う。この機会を借りて、今大会を準備し盛り上げてくれたドイツを称賛したい。女子サッカーについて言えば、従来とは違った価値観が今表に出てきつつあると思う。私たちは優勝を逸したけれども、この大会は実にすばらしかった。」

アレックス・モーガンについては?
「今後さらに先へ進むにあたって今回の経験は非常に良かったのではないかと思う。ベンチから立ち上がって競技に加わり、彼女は立派な仕事をしてくれた。先発の出場選手に名を連ねることは控えの選手たちに立派な仕事をしようという意欲を起こさせる絶好の機会となるので、その点を強調しておきたいと思う。アレックス・モーガン一人だけの話ではなくて、これは21人全員のことだ。後半になってからベンチを離れ競技に加わった彼女の活躍やその前の試合での彼女はとても良かった。彼女のキャリアーが今花を開こうとしている。今日は皆がそれを眼にしたのだ。彼女は、たくさんのゴールをしたいという気持ちやたくさんの試合に出たいという気持でいっぱいだ。」

日本チームについては?
「前にも言ったことですが、ポジションを意識したチームを相手にして戦った前半戦では、彼女たちよりも私たちの方がずっと攻撃的だったと思う。チャンスは何回も作った。日本チームの動きについては一言述べておきたい点がある。彼女たちはボールを扱うことが得意で、この点は今後の女子サッカーをさらに発展させる上では非常にいい方向だと思っている。最初の45分は圧倒されてはいたものの、彼女たちは自信を持ち続けていたし、自分たちのスタイルを維持していた。自分たちの技を信じていた。将来の女子サッカーを考えた場合、この方向性は大事だと思う。」

たくさんのチャンスに恵まれながら無得点でハーフタイムになった時のお気持ちは?
「いささか不思議に聞こえるかも知れないが、対ブラジル戦や対フランス戦と比較すると、私たちは本当に素晴らしい試合を展開していたので、私自身、気持ちはずっと良かった。単に戦いに挑むだけではなくて、立派な内容のあるサッカーをすることができるようにたくさんのきっかけを作りたいと思っていた。ハーフタイムの時点では私の気分は申し分なく、我々の戦い方でたくさんのきっかけを作り出せると思っていた。事実、その通りだった。しかし、十分なスコアにはつながらなかった。」
 
ペナルテー・キック戦で負けたことについては?
「私たちの側にふたつみっつの間違いがあったけれども、ピッチ上ではすごくいい試合ができたと思う。最初のハーフではボールのキープができていたし、立派な試合だったと思っている。観客の皆さんにとっては胸が躍るような試合だったのではないかと思う。ペナルテー・キック戦で負けるなんて、思いもよらなかった。」
 
試合そのものについては?
「何よりも、立派な試合をしてくれた選手たちを称賛したい。私たちの他の試合に比べてもずっと上手くボールをキープしていた。でも、チャンスをものにすることはできなかった。最初のハーフでは絶好のチャンスを何回も作った。この試合は決勝戦。決勝戦では勝ち負けの間の違いは実に僅かなものでしかない。」

米国チームのフォワード、アビー・ウオンバック選手
 
不満足な結果については?
「明らかに辛い気持ちでいっぱい。日本チームは良く戦った。決してあきらめなかった。勝てなくって非常に残念だ。ペナルテー・キック戦を二度もやるなんて酷だと思う。だって、キーパーは我々のボールが何処へ来るかを予測できたのだから。彼女はいくつも立派にセーブした。試合中は絶好のチャンスがたくさんあったけれども、私たちはものにすることができずに終わってしまった。」
 
この負けた試合をどう受け止めていますか?
「明らかに、こんな結果は誰が予想することができただろうか。皆良く戦った。どの場面でもお互いを信じ切っていた。オリンピックが近づいているので、それに何とか参加したいと皆の気分が高揚している。予選を突破してロンドンへ行きたい。今回の惨敗はしばらくの間辛いだろうと思う。でも、私は自分たちのチームを誇りに思っている。日本チームに『おめでとう!』と言いたい。彼女たちの国では彼女たちのことを本当に、本当に誇りに思っているだろうと思う。」
 
今晩米国チームが冒した小さなミスについては?
「さあ、どうかしら。ワールドカップは非常に偉大な存在で、いいところをたくさん引き出してくれる。日本チームはずっと攻撃をしかけてきて、決して諦めようとはしなかった。そして、ついに世界チャンピオンの座を手にした。」

米国チームのゴールキーパー、ホープ・ソロ選手

不満足な結果については?
「私たちは偉大なチームに敗れた。日本チームは私がかねてから敬意の念を抱いていたチームだ。何か偉大な力がこのチームを引っ張っているような感じを受けた。本当にそんな感じだった。私自身今大会で金メダルを手にしたいと思っていただけに、もし他の国に奪われることがあるとしたら、それはもう日本であって欲しいと思っていた。日本チームの皆さんのために私は今とっても嬉しい。彼女たちは金メダルに相応しいと思う。」

ワールド杯を手にできなかったことについては?
「これは誰でも一生の内で一度は手にしたいと思っている代物だ。私は現実派。思い通りに行くことなんてめったにない。でも、今大会はずっと思い通りに進んできていたので、この試合はいただきだと思っていた。観客は大満足だったと思う。私たちは攻撃をしかけたり、ゴールのチャンスを作ったりした。観ていても楽しかっただろうと思う。本当に楽しい試合だった。どう言ったらいいかしら・・・。金メダルに挑戦すべくさらに4年間頑張ってみたいと思う。」

今晩の感想は?
「今晩は異様な感じだった。この試合は私たちのものだと確信していた。最後の最後までそう思っていた。でも、どこか不思議な感じがしていた。具体的にどうって説明はできないが・・・。膝にちょっとした故障をして膝をついたあの時、不思議な感じがした。でも、私は立ち上がった。ちょうどコーナーからだった。得点をあげられてしまった。心のどこかで、私たちのチームが自信をもって戦い続けるためにも決して膝をつくようなことがあってはならないと願っていた。自衛のためにもチームを呼び集めて、ここからのプレーは引き締めてかかるようにとお互いに確認するべきだったかも知れない。膝をついてしまったのは本当に嫌な感じだった。我々はあの時、一瞬の間、焦点を見失っていたのだろう。あれが全てを決定づけたのかも。」

試合後の式典については?
「式典にでかけました。紙吹雪がキラキラと舞っていた。今大会は私たちのものだと信じていたし、ずっとその思いは続いていた。本当に残念だ。それと同時に、何か大きなものが日本を引っ張っていたようにも思う。彼女らは今大会最高のチームだった。もし私たちが負ける番だとすれば、私は潔く彼女らに脱帽したい。と言うのは、彼女らはすごく礼儀正しくって優雅だったし、情熱を持ってプレーをしていた。手を緩めることなく戦い抜いた。彼女らには本当に敬意を表したい。」

二度もリードして、勝つところだったが、チームはこれで自分たちが勝つぞと思っていたのか?
「私たちのチームにはこれで自分たちが勝つぞというような思いはまったくなかったと思う。個人的にもそんな思いはなかった。そういう思いは私たちの考え方とは噛み合わない。私たちの精神でもない。あくまでも私たちはファイターだ。私が言った言葉を誰かに証明する必要もないと思う。私たちの選手を見て欲しい。ファイターたちの集まりだ。勝利を手にしたと余りにも性急に捉え、試合が終わる前にそれを祝うようなことはしなかった。日本チームはりっぱに戦い抜いた。我々を上回ったのだ。」

ペナルテー・キック戦が心理的に如何に大変なものであるか、そのあたりは?
「この偉大な大会中に二回もペナルテー・キック戦に遭遇して、実に厳しいものがあった。前の試合では私たちはカッコよかった。皆最高の出来栄えだった。あのような状態を再現し、もう一度繰り返すのは至難の技だったと思う。日本チームのゴールキーパーはここぞという時に立派にセーブをした。結局彼女らが一枚上だった。」

米国チームのミッドフィールダー、カーリー・ロイド

二回もリードをとったことについては?
「レギュラータイム中にゴールをし、今でも覚えているが時計を見るとまだ10分残っていた。その後彼女らがゴールをして、同点となった。オーバータイムでは我々がゴールをして、その時時計を見たら5分残っていた。あの時、『これで行ける』と思った。でも、またもや彼女らが同点に追いついた。非常に厳しい失点だった。私たちは素晴らしい動きをしていたし、誰についてさえも私は誇りに思っている。私たちは皆で一緒に勝ち、一緒に負ける。今となっては、来年のオリンピックに備えて頑張りたい。予選を勝ち進んで、この終わりのない旅を続けて行きたい。」

ペナルテー・キック戦で負けたことについては?
ペナルテー・キック戦を見ましたよね。ペナルテー・キック戦の結果だけを見て、試合のすべてを評価するのは酷だと思う。相手に勝つチャンスは確かにあった。アビーとアレックスがふたつの素晴らしいゴールを決めている。不運だったと言うしかない。残念だ。しかし、4年経つとまたワールドカップはやってくる。私たちは勝ち進み、願わくばワールドカップを手にして優勝台に立ちたいと思う。

ワンバック選手のヘッデングが米国チームに勝利をもたらしたと思いましたか?
「もちろん、そう思った。今大会での展開、つまり、対ブラジル戦や対フランス戦を見ても、この大会をものにできるという思いはもう疑う余地もなかった。実に残念な一日となった。」

米国チームのバック、クリステン・ランポーン

 
「私たちが完全に負けたという感じはまったくない。ほんのちょっと運が悪かっただけに過ぎない。日本チームの攻撃はすごかった。強いて言えば、今抱いている感じを十分に消化して、良く記憶して、オリンピックに向けて取り組んで行きたい。」

ペナルテー・キック戦で負けたことについては?
「負けたのは結構しんどい。しかし、これがサーカーというものだ。両チームが得点をしたオーバータイムでのあの試合ぶりを皆さん堪能してくれたと思う。そして、ペナルテー・キック戦にもつれ込んだ。あの時点で、チームの同僚の顔を見てこう言ったものだ。『何が起ころうとも皆が大好き。何としてでも目標を勝ち取ろうね。ここだと思うところへ蹴って、ここへ戻って来て欲しい。皆がお互いを支えてくれていることは分かっているよね』って。

このチームのペナルテー・キック戦への取り組みについては?
「私たちは間違いなくこの課題に取り組んできたし、練習もしている。しかし、依然として強烈なプレッシャーを感じながらのプレー。雌雄を決する瞬間だった。その時、タイミングやその他の諸々の事をどのように感じるか次第だ。ブラジル戦ではペナルテー・キック戦となり、それに挑戦した。そして、この決勝戦でも再度ペナルテー・キック戦となった。二回も続けて勝つのはなかなか厳しい。

米国チームのミッドフィールダー、ローレン・チェニー

ゴールデンボール賞の候補者リストに載ったご感想は?
「これは私にとっては始めてのワールドカップ。それにもかかわらず、候補者に選ばれたことは誇りに思う。また、驚きでもある。でも、これは私たちのチーム全体についてのこと。それは何時でもチーム全体のことなんだということが皆さん(報道陣)には分かってはいないみたい・・・。」

この試合については?
「最高の試合だった。私たちは善戦したし、攻撃もした。私たちは全てを捧げた。このことが大事なんだと思う。日本のチームには脱帽。彼女らは自分たちの国を熱狂させたことだろうと思う。皆がそれを待っていたし、必要としていたのだから。これが試合そのものよりも、もっともっと大きくて一番大事なことかも。」


<引用終了>


出典:U.S. Women Speak after Penalty Shootout Loss to Japan in Women's World Cup Final (July 17, 2011) www.ussoccer.com/News/Womens-National-Team/2011/07/US-Women-Speak-after-Penalty-Shootout-Loss-to-Japan-in-Womens-World-Cup-Final.aspx


      


察するに、ゴールキーパーの位置でプレーをしていると、他のポジションにいる選手たちとは違って、試合全体の流れとか雰囲気、チーム全体の気持ちみたいなものをより客観的につかむことができるのかも知れない。ホープ・ソロ選手の日本チームに関する観察は鋭く、彼女が感じた内容には他の選手にはない何かがあるように思えた。

日頃サッカーの試合には深入りしたことがない小生にとっては、この記事は結構興味深い内容だった。試合の展開の面白さだけではなくて、選手たちの思いの奥深くを垣間見ることができたような気がする。

また、サッカーに関する英文記事には接することはなかったので、専門的な語彙の和訳では間違いがあるかも知れない。忌憚のないご意見を拝聴したいと思う。




 




2011年7月6日水曜日

掛け算の「九九」、娘の場合

 
父親の海外勤務にともなって娘は海外で過ごすことが多かったのですが、小学校低学年ではブカレストで日本人学校へ通っていました。

大人になってからの彼女の言語生活は英語とルーマニア語が中心で、日本語はすっかり片隅に追いやられているのが現状です。日本語を聞く分にはかなりできるものの、しゃべる方はやはり苦手です。日本から取り寄せたDVDで映画を見ても筋書きは問題なく把握できていますし、私自身がハリウッド映画を見るときの英語の理解よりはずっとその程度が上ではないかと思えてなりません。

買い物とか毎日の生活の中で彼女の日本語が圧倒的な威力を発揮する場面がひとつあります。それは掛け算です。小学校の二年生で習った「九九」が今でも彼女の口からこぼれて来るのです。既に説明しましたように彼女の主たる言語は日本語ではないのです。しかし、掛け算になると、とたんに日本語の「九九」に早変わりします。そばでその様子を見ていると、いささか滑稽でもあり微笑ましくもあります。


今私たちは21世紀の初頭にあるわけですが、この「九九」の歴史は一体何処まで遡るのでしょうか。

日本

2010124日付けの 読売新聞の記事によりますと、

奈良市の平城宮(707784)跡で「九九」を記した木簡が出土しました。この木簡には中国の数学書と同じ「如」の文字が書かれていたことがわかったと、奈良文化財研究所が発表しています。つまり、これは「九九」が中国から伝来したことを証拠付けるものです。

こういった「九九」を記した木簡は平城宮跡ばかりではなく、藤原宮跡、長野県の屋代遺跡や新潟県の草野遺跡からも出土しているそうです。

日本へ伝わってきた時期は何時ごろかと言うと、専門家の間では万葉集(759年頃に編纂)に「九九」を使った表現があることから、少なくとも奈良時代(710年~)よりも前に伝わってきたものと推測されています。一つの説としては、唐から輸入された律令制度(681年に編纂を開始)において税金を徴収する基礎となる土地の測量や面積の計算、税の計算のために算術としての「九九」が必要になってきたのではないかと言われています。

中国

お隣の中国では「九九」の使用は何時頃から始まったのでしょうか。

「九九」の使用は春秋時代にまで遡ると言いますから、紀元前770~前403年の頃となります。お馴染みの「三国志」の世界は23世紀の頃の話ですので、その頃よりもさらに600年以上も遡ることになります。日本最古の水田の跡は今から2500年前とのことですから、日本では水田を利用した稲作が始まった頃、つまり弥生時代が始まった頃に相当します。

城地茂氏のウェブサイト「和算の源流」には古代中国における算術に関して興味深い記述があります。それを下記に引用してみます。

ある時、斉の桓公(紀元前685年~643)が人材を求めた時に、「九九」を暗記しているという特技で採用された者がいたという記事が残っている。しかも、この男が言うには、「九九」のような一般的な教養があるだけで召し抱えられる事が天下に知られれば、有能な浪人が広く応募してくるだろうから、宣伝効果として有効だというものであった。事実、そのように桓公の下には多くの人材が集まったのだが、これからも分かるように、「九九」はこの時代にすでに広く流布していたのである。

また、「桓公の下には多くの人材が集まった」という記述との関連で見ると、目下読み進めている「三国志」(陳舜臣著、文春文庫、1982年)では「一国の王にとっては広く人材を集めることが最も大事だ・・・」といった記述が見られます。上記に引用した桓公の逸話も納得できるような気がします。

古代バビロニア(メソポタミア地域)

ヨーロッパ世界ではどうだったのでしょうか。これはヨーロッパがまだ深い眠りから覚める以前のことです。古代ローマから古代ギリシャへ、さらに古代バビロニアにまで遡ります。つまり、現在のイラクの地域です。

古代バビロニアに関してはかなり多くの証拠が見つかっているようです。例えば、楔形文字を刻んだ粘土板が多数見つかっています(400枚以上も!)。そのほとんどは紀元前18001600年頃のものであると言われ、そこには当時の数学のレベルを示す貴重な情報がたくさん含まれています。バビロニアでは数字は60進法で表現されていましたが、その名残が今も円が360度であったり、1ダースが12個で構成されていたり、1時間が60分であったりする点にその名残が見られます。

「九九」に相当する掛け算が多数見つかっています。数表だけを記載した粘土板が見つかるのではなく、多くは文章の中に「九九」の一部が見られるとのことです。これらの粘土板は学校で使われた教科書だったのではないかと推測されています。

当時の数学のレベルはどうだったかと言いますと、例えば、2の平方根は1 + 24/60 + 51/602 + 10/603 と表現され、これは1.41421296...に相当します。小数点以下5桁まで正確な数値です。これは、結構驚きです!
でも、2の平方根をどのように使っていたのでしょうね?
また、その頃には「位取り」が確立されており、現在のように一番大きな桁が左から始まっているそうです。

シュメール文明

古代バビロニアをさらに遡ると、同じメソポタミアの地でシュメール文明が栄えていました。紀元前2600年以降、掛け算の表が使用されていたそうです。これが現時点で分かっている範囲では最も古い「九九」のようです。

このメソポタミアの地での文明の歴史を大雑把に見たいと思います。狩猟や採集の時代から牧畜や農業へ移行した時期は紀元前8000年頃といわれています。農業の生産性を大きく伸ばすことになった灌漑農法は紀元前4800年頃に遡ります。記録された文字体系としては最古と言われている楔形文字が使われ始めたのは紀元前3500年頃。さらに時代がくだると、掛け算の使用が始まった上述の紀元前2600年の頃へと続きます。

ただ、シュメール文明について気になる点があります。シュメール語は孤立した言語であって、周辺のセム語系の言語との関連性はまったく見られないと言われている点です。通常、自然発生的な言語の場合、ふたつの異なる言語であっても陸続きの場合はお互いに関連性があるのが普通です。シュメール語はエーリアンの手によってセム語系の言語の真っただ中へほうり込まれたとでも言うのでしょうか?

エジプト

ピラミッドを建設したエジプトも天文学が発達していた事実から推測すると数学がかなり発展していたと思われますが、その発展ぶりを示す証拠は残念ながら限られていると言われています。
多分、数学はかなり進んでいたことでしょうね。

23x13といった掛け算では
23 x 1 = 23     ✓
23 x 2 = 46
23 x 4 = 92     ✓
23 x 8 = 184    ✓
23 x 16 = 368
上記の✓マークがついた掛け算だけを寄せ集めると、23 x (1 + 4 + 8) = 23 x 13 = 299となります。つまり、乗数は2倍、2倍としていって、乗数を構成する要素と被乗数との積を足しているのです。こういった二進法は現代を象徴するコンピュータの計算法と同じですよね。古代エジプトの数学ではここが一番興味深い点です。

インド

インドでは紀元前9世紀頃には円周率を小数点第2位まで概算しており、幾何学のテキスト(「シュルバ・スートラ」、紀元前8世紀~6世紀)では2の平方根を小数点第5位まで計算していたと言われています。またピタゴラスの定理を記述していたとのことです。何よりも、理論的な展開に抜きんでていたようです。

マヤ

中米のマヤ文明では暦と天文観測が非常に進んでいたと言われています。天体観測に基づいて計算された1年の長さは365.242日とされています。これに対して、現代の値は365.242198日です。非常に良く一致しています。しかしながら、驚いたことには、非常に大きな数字を巧みに表現しながらも、掛け算や割り算の手法はあまり進んではいなかったと言われています。

本当に存在していなかったのでしょうか。それとも単に存在していたという証拠が現時点ではみつかってはいないというだけのことでしょうか・・・。


こうして各国、各地域の数学的な発展を見ますと、共通する点は円や正方形あるいは長方形を幾何学的に解明していたことです。農業の発展と共に、宗教的リーダーあるいは部族社会の政治的リーダーが地域社会あるいは同族社会を統治するために徴税を行い、租税システムの基礎として土地面積を計算し、納税の対象としての穀物や織物の数量を正確に把握する必要があったと説明されています。また、天体観測に長じていたエジプトやマヤ文明では暦の計算が主たる動機だったかと思われます。正確な暦によって農業の年次サイクルを維持することが可能となり、部族社会を統治していく上で非常に強力な道具となっていたに違いありません。


掛け算の「九九」から始まって、古代文明における数学の発展についてその一端を覗いてみました。