2012年6月30日土曜日

TPPのISD条項を拒否するオーストラリア政府



TPP (環太平洋経済連携協) への日本の早期参加は実現しなかった。結構なことだと思う。

しかし、何故そうなったのかと言うと、素人の私には想像もできない背景があった。それはアメリカ側のオバマ大統領の選挙がらみの事情だったという。

日本の参加については米国の自動車メーカーや全米自動車労連が反対しているのだそうだ[1]。アメリカは大統領選挙を控えている。オバマ大統領にとっては、自動車メーカーと自動車労連は選挙資金の出所でもあり、大きな票田でもある。日本に参加して欲しくないのは何はともあれオバマ大統領自身だということになる。

今年の初めにはTPPへの参加・不参加について日本では喧々諤々であったが、日本政府が進めていた早期参加のもくろみは見事に崩れ、今ではすっかり鳴りを潜めてしまった。

その後のTPP交渉はどうなっているのだろうか。

メキシコとカナダとが最新のパートナーとして加わり、TPP交渉の参加国は米国、オーストラリア、ブルネオ、チリ、マレーシア、シンガポール、ニュージーランド、ペルー、ベトナムの11カ国となった。13回目の交渉ラウンドが72日から10日までカリフォルニア州のサンデイエゴ市で開催される。

今日のブログでは例のISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)について、周辺の状況を再度おさらいしておきたい。

このISD条項に関しては、「TPPISD条項はどんな悪さをもたらすか?」と題して112日のブログで負の側面を検討している。最近になっての話であるが、興味深い状況が出てきた。

それはオーストラリア政府がTPPの一部であるISD条項には応じられないと明言していることだ[2]。「国民の利益を保護するためにも、外国の投資家に「より大きな権利」を与えることはできない。外国企業と国内企業に対して差別をしない立法体系を維持したい」としている。

ここで指摘されている「国民の利益」とは、例えば、PTT参加国の医療制度とか環境保護規制などにかかわる国内政策や法規を指している。ISD条項を許すということは、外国からの投資企業(ありていに言えば、米国企業)の利益のために自国民の健康や自然環境を犠牲にするという構図を意味する。政治的には不健全極まりない。

また、TPP参加国の元裁判官や元検事、国会議員、弁護士あるいは大学教授とかさまざまな人たちが、自分たちの専門分野の立場から、この悪名高いISD条項が持つ負の側面を明らかにし、オーストラリア政府が表明した拒否にならって他のTPP参加国もISD条項を拒否するよう訴えた公開書簡[3]を政府に送りつけている。100人の法律専門家が名を連ねており、米国も含めて殆どのTPP参加国から専門家が参画している。

このオーストラリア政府の「ISD条項には応じられない」というポリシーはオーストラリアと米国との間の二国間自由貿易協定(2004年に制定)においてオーストラリアが経験した事実に基づいたものであるそうだ。つまり、最近急増している米国企業の訴訟活動によるぼろ儲けを指している。国民はたまったものではない。

私はこれらの状況を知って驚きの感を禁じえなかった。

日本では今年の初めにTPPへの参加・不参加の議論が沸騰していた。その頃上記のオーストラリア政府の方針のような、国民の利益に目を向けた言葉を日本政府の要人から聞いただろうか。何も無かった。オーストラリア政府の方針には日本で見られるような米国追従の態度はない。このことが今日のブログで指摘しておきたい最も重要な点だ。

事の発端は秘密交渉の内容がリークしたことだ。オーストラリアはISD条項に反対していること、しかし、ニュージーランドはISD条項を受け入れたことが知れ渡った[4]。その結果、ニュージーランドでは大手の新聞やテレビ局がTPP問題を真剣に取り上げ始めた。そもそも何故秘密交渉なのか、秘密にしておきたいことがあるのではないか、と大手メデアは厳しい。

TPPに批判的なケルシー教授は「ざっと内容を検討したみた。各国の弁護士らが最近ISD条項の除外を求めていたが、懸念していた事が現実のものとなってしまった。タバコの巨大企業、フィリップモーリス社はニュージーランドの禁煙法にチャレンジすると言っている。今までは裏口からこっそりとチャレンジするしかなかったものだが、あらたにTPPが締結されると、これからはこの新条約に基づいて開け放たれた正面玄関から攻め込んでくるだろう。そればかりではない。わが国の国内法には彼らが嫌うような法律もある。これらについても大手米国企業に対してわが国の門戸を開放することになる」と、解説している。

「先週、政府は23箇所の陸上や海上での原油や天然ガスの開発に関して公開入札を開始した。目下、これらの開発に関してはわが国の規制は緩い方だ。もし今後わが国が環境保護のために規制を強化し、結果として石油会社の株価が下がったり利益が得られなかったとしら、彼らは間違いなくわが国に対して訴訟を起こすだろう。彼らはいとも簡単に何年間にもわたってにニュージーランド政府を莫大な費用がかかる状況に陥れることができる。そういった懸念の存在が我が国の立法府をすっかり機能不全にしてしまうだろう」とも付け加えた。



参照情報:

1Japan’s Bid to Join Asian Trade Pact Faces a Leery U.S. (201227)  online.wsj.com/.../SB100014240529702033158045772064

2Australia to reject investor-state dispute resolution in TPPA (2012413) www.iisd.org/itn/2012/04/13/news-in-brief-7/Cached

3AN OPEN LETTER FROM LAWYERS TO THE NEGOTIATORS OF THE TRANS-PACIFIC PARTNERSHIP URGING THE REJECTION OF INVESTOR-STATE DISPUTE SETTLEMENT201258日)tpplegal.wordpress.com/open-letter/Cached

4National Says ‘Yes’ to Investor Rights to Sue2012614日)www.scoop.co.nz › Politics


 





2012年6月27日水曜日

核のゴミ 地層処分は無理 日本学術会議でも解決見えず


皆さんはこの表題を冠した新聞記事を読んでいますか?
殆どの人は見てはいないのではないかと推測されますので、今日のブログに取り上げる次第です。
これは618日に東京新聞と中日新聞だけに掲載されたもので、他の大手の新聞は取り扱ってはいないと言われています。
早速、インターネットで検索してみることにしました。この表題から東京新聞のホームページに到達するのですが、肝心の内容を確認することが出来ないのです。これは間違った推測であって欲しいのですが、多分、どこかからの圧力がかかって、新聞社側はこの記事を削除したのだろうとしか考えられません。
しかしながら、有難いことに、今日のインターネット世界ではこの新聞記事が掲載された当日(618)にその内容を詳細にブログに書き込んでくれた方々がいます。結果として、今となっては、これらのブログは貴重な情報源の役目を果たしています。あるブロガー*1は東京新聞の切抜きを掲載しています。また、他のブロガー*2は日本学術会議総会の議事録の在処さえも記述してくれています。
この日本学術会議総会というのは今年の49日から10日の二日間に開催された第162回総会のことです。その速記録*3pdf文書で公開されているのです。
先ず、今や幻の記事となってしまった東京新聞の記事を全文下記に紹介したいと思います。
(筆者注:今インターネットではこの幻の記事が急速に広がっている感じです。昨日と今日の違いだけでも検索数が大きく違うのです。)



<引用開始>

核のごみ 地層処分ムリ 日本学術会議でも解決見えず
2012
618 0704

 原発から出る核廃棄物の処分場はいまだに受け入れ先が白紙だ。原子力委員会の依頼で、日本学術会議(会長・大西隆東大大学院教授)が解決の糸口を探るため二年前に議論を開始。だが今月上旬に出した結論は、地下深くに埋める現行の処分方針では安全性の確保も受け入れ先を見つけるのも難しく、方針転換が必要との内容で、一から考え直すことを提起した。近く報告書をまとめるが、将来に負の遺産をつけ回す原発の最大の問題点があらためて浮かんだ。 (榊原智康)

 毎時一五〇〇シーベルト(一五〇万ミリシーベルト)と人がわずか二十秒で死に至る放射線を放つ高レベル放射性廃棄物は、処分がやっかいだ。国は二〇〇〇年に関連法を制定し、廃棄物をガラスで固め、地下三百メートル以上の地層に埋める「地層処分」方式を採用した。しかし、処分場の受け入れ先はまったくめどが立っていない。

 何とか打開策を見いだそうとした原子力委は一〇年、学術会議に知恵を出してもらうよう頼んだ。

 「研究者の国会」とも呼ばれる日本学術会議は、人文、社会、自然科学などの研究団体から選ばれた会員でつくる。今回の「核のごみ」問題では、原子力工学や地質学、歴史、社会、経済などさまざまな分野の研究者で検討委を組織し、議論を続けてきた。

 核のごみの放射線レベルが十分に下がるまでには約十万年という想像もできないような時間がかかる。

 日本はもともと地震や火山活動が活発なことに加え、議論を始めた後、東日本大震災が発生し地殻変動も活発化している。

 検討委は、そんな現実の中で、十万年間安全だと説明しても住民の理解は得られないとみて、地層処分からの方針転換を議論。五十~数百年にわたって暫定的に貯蔵し、その間に抜本的な解決策を探る、と先送りの案も浮上した。

 「将来世代にごみを送り続けるのは現代人のエゴだ」「未来の人類の知恵にすがらなければ、最終的な決定ができないとわれわれの限界を認めなければならない」

 今月七日の検討委でもさまざまな意見が出た。結局、一致したのは、地層処分では住民理解は進まず、行き詰まりは解消されない-ということだった。

 検討委は八月下旬にも報告書をまとめ、原子力委に提出する予定。検討委員長の今田高俊東京工業大教授(社会システム論)は「脱原発を進めても核のごみ問題の議論は避けられない。われわれの検討結果が、国民的な議論を呼び起こすことを期待している」と話している。

<引用終了>



また、もうひとつの重要な情報である日本学術会議総会(201249-10日)の議事録では、二日目午後の自由討議の場で今田高俊委員が下記のような発言をしています。


<引用開始>

○今田高俊: 一部(筆者注:「人文・社会科学系」。二部は「生命科学系」、三部は「理学・工学系」を指す)の、社会学をやってます今田です。

今お話が出たエネルギー選択肢の話を実際まとめる時に参加していました。

理系、文系も混ざっていて随分と喧々諤々で、原子力エネルギーを無視するというのは大変な事になるという人もいれば、脱原発的な意見を言う人もいて、なかなかコンセンサスというのは言い難い中で出てきた案はエビデンスベースでやるという事で。

だから色々な代替エネルギー、再生可能エネルギーと原子力、それから火力等のミックスをどういうベストミックスで考えるか、ベストというのは変ですが国民の選択に叶う様なエネルギーミックスを一世紀くらい30 年、50 年くらいのペースで考えて6 つの選択肢を出して、それでその時に、どれくらいのコスト負担が起きますかという事で、そういう話だったのですが、コストの面に関して資源エネルギーのものだけでやっていたので、中で揉めて、最後は色々なタイプの原子力のコスト負担、それから再生エネルギーの可能エネルギーのコスト等を全部入れて、全部入れるというのはコストも4 種類くらい出して、それからエネルギー選択も6 タイプくらいにして、30 年、50 年でやって、どれくらいの生活のコスト負担になるかというのを出して、それで国民の皆さんに議論してもらうというスタンスだったんですね。

ところが報道ではあまりそういうふうにメディアでは取られなかった面もあって、報道の仕方がよほど気を付けて発表しないとダメだなっていうのもありました。

だから先程会長もおっしゃいましたけど、その選択肢は国民に出して議論をして頂くという精神が学術会議の役目であって、これがこの一つが良いというのはちょっと無理だというふうに思います。

それからもう一つ、いま現在委員長でやっているのですが、高レベル放射線廃棄物の処理、これ、地層処分がある程度出ているのですが、色々もう一年半くらいやりましたが、どうも七百から千メートルくらいの所の地層処分というのは安全が保障出来ない、信頼も無いから安心が出来ない、安心というのは安全性にプラス信頼性が加わってという事なんですけれども、だったら以外の選択肢も考えなければいけないという、そういう方向になっています。

これはもう原発を止める止めないに関わらず何万本とある。

どうするんですかというのは避けて通れないから、ここでたぶん国民が本気に選択しなければいけない状態になる。

お金の問題でも無くて、地層学的にも一万年は保障できないという事をおっしゃっておられましたから、この中で地層処分の合意形成はかなり難しいという事で、例えば全体の総量をどうやってコントロールするか、これから増え続ける、減らす等々も含めて色んなケースを考えていく必要がある。そういう問題をトータルに考えていかないと今回の東日本大震災は普通の津波のカタストロフィックな災害と原発事故とが二つ同時に重なって相乗作用を起こしてるから大変なんです。

阪神淡路大震災は原発事故が無かったから、皆がんばって一年くらいしたらかなり回復したけれど、今は心まで被爆してるから体の被爆だけでは無くて、心の被爆もあるからみんな素直にさっさと片付ければ良いという訳にはいかないという状況の中で、どういうふうに復興を考え、またエネルギー問題も考えるかという事を考える事の道筋をいくつか学術会議が提案して見せる、というそういう方向でないと、これが良いんですとかこれは良くないんですという言い方は出来るだけ避けた方がよろしいのではないかなという印象、今まで考えてきた結果思っております。


<引用終了>


今田高俊委員は東京工業大学の教授で日本学術会議では人文・社会科学を扱う第一部に属しています。日本学術会議のホームページを覗くと、日本学術会議の活動内容を確認することができます。
例えば、今田教授は日本学術学会の東日本大震災対策委員会では「エネルギー政策の選択肢分科会」で活動をされています。この分科会のことが引用文の冒頭にも出てきます。「七百から千メートルくらいの所の地層処分というのは安全が保障出来ない、信頼も無いから安心が出来ない」とこの分科会が現状を分析しているのです。これが真理を探究する大学の先生方や研究者の方々の率直な判断であり、現時点での理解であるのです。
つまり、幻となった618日の東京新聞の記事の内容そのものとなるのです。
私は「高レベル放射性廃棄物の処分場は設けることができるの」と題してブログを掲載していました(2011114日)。この表題の問いかけに、今回の幻となった東京新聞の記事が答えてくれた恰好です。「地層処分は日本では安心して使えるものではない」と。面白いことに、素人考えではありましたが私の考えが的中していました。
この日本学術会議の見解は安全神話の下で営々と原子力産業を育成して来た日本政府にとっても、原子力産業界にとっても非常に重い内容であると思います。「地層処分が出来ない」、「六ヶ所村の再処理施設が動かない」、「六ヶ所村では使用済み燃料をさらに受け入れる余裕は殆どない」といった現状では、核燃料サイクル全体を抜本的に見直すしかないからです。
また、大飯原発以外の原発も再稼動させるには使用済み燃料の一時貯蔵をどうするのかという基本的な難題に行く手を阻まれることになるのではないでしょうか。現時点でさえも、各原発では大量の核燃料廃棄物がたまっているからです。
「日本国内で駄目なら地層が安定している外国で、たとえお金を積んででも....」という考えもあったようですが、モンゴルでの核廃棄物処分場の話は国民の反対にあって昨年頓挫しました。他人様に頼ろうとしても所詮無理な話だっただろうと思います。これはもう、日本人が自分たちの責任で方策を考え出すしかないということです。
決断する時が来たということではないでしょうか。日本は「廃炉時代」に既に突入しています。もう、待ったなしという状況だと思います。私たち一人ひとりは日本の国にどんな将来を実現したいのでしょうか。官僚や政治家の判断だけでは済まされない時がいよいよ来たのかな、と思っています。



参照文書・情報:


*2【徹底拡散】日本学術会議が「核ゴミの地層処分は無理」と報告(Jun/20/2012
sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-1180.htmlCached

*3:日本学術会議トップページ>委員会一覧>総会>第162回速記録





 








2012年6月3日日曜日

チェルノブイリ原発事故での犠牲者数の推定

福島第一原発事故から既に13ヶ月が過ぎようとしている。

福島原発事故で避難を余儀なくされた人たちや避難区域周辺の汚染が比較的低レベルにある地域で生活を続けざるを得ない人たちの健康は将来どうなるのだろうか。事故現場で放射線にさらされながら様々な事故処理作業に従事している人たちの将来の健康はどうなるのだろうか。事故直後の政府や地元自治体の対応に混乱があったことから、成長盛りの子供たちの健康は今後どうなるのだろうか。福島原発事故による将来の健康被害についての懸念は止まることがない。

これらの懸念や疑問についてある程度答えてくれる情報がある。それはチェルノブイリ事故で汚染地域から避難せざる得なかった人たちや過去26年間周辺地域に住み続けざるを得なかった人たちが経験した状況だ。そして、今も進行中だ。健康被害を受けた人たちの様子は様々な形で記録されている。特に公衆衛生学や疫学ならびに腫瘍学や小児科の専門家が記録した健康被害に関するデータは我々日本人にとっては貴重な資料となるに違いない。福島第一原発事故によって将来どのような健康被害がどのような規模で起こるのかを考える時、これらのデータはかけがえのない価値を持っている筈だ。
「チェルノブイリ原発事故における推定死亡数は4千人か、それとも百万人か(1)」という興味深い記事がある。この記事は今から2年前の記事であるから、福島原発事故以前のものだ。両極端なふたつの報告書の間には推定死亡数で250倍もの開きがあることから、この記事の著者はどちらの説を採用しても信頼性の観点からは大問題だと指摘している。その指摘から出発して、オバマ大統領が後押しする米国の「原発新時代」なるものに関して危惧の念を示した。原発テクノロジーに関して楽観的な推進派はIAEA(国際原子力機関)の外部に医師や公衆衛生の専門家で構成されたパネルを設置し、原発推進派も原発反対派も納得できるような客観的な評価を実施するべきだと提案している。

この率直な意見、大賛成だ。

 IAEA2005年に発表した推定死亡数は4,000(2)。これには急性放射線障害で事故の直後に亡くなった50人の事故処理作業員や甲状腺癌で無くなった9人の子供たち(合計で4,000人の子供たちが甲状腺癌を発症したといわれている)が含まれている。さらには、三つの典型的なグループの事故後90年間の推定死亡数、3,940人が含まれる。ここで言及されている三つの典型的なグループとは1986年から1987年にかけて事故処理に従事した20万人超の作業員(この集団の推定死亡数は2,200人、その原因は放射線被爆による癌や白血病など)116千人の避難を余儀なくされた人たち、ならびに、最も汚染がひどかった地域の住民27万人である。合計で60万人が対象だ。これらの人たちは原発事故で影響を受けた人たちの中でも最も高レベルの放射線被爆を受けた人たちである。
このIAEAのレポートとは対照的に、新たに出版された本によると推定死亡数は約百万になる。詳しく言うと、996千人と推定されている。ここに参照した新刊書とはChernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment(3)を指している(これ以降「新刊書」と称する)。新刊書には膨大な数の報告書が収録されている。これが出版されるまでは、西側や日本では殆どの場合原文が英語で書かれた文献しかアクセスすることができなかった。新刊書にはロシア語から英語に抄録·翻訳された文献が多数収録されている。つまり、ウクライナやベラルーシおよびロシアの地元からの報告が多数収録されているということだ。

このような背景から、新刊書に収められている情報の質と量とは他の文献に比べて抜きん出ていると言えるのではないだろうか。
 
このブログではこの新刊書について理解を深めてみたいと思う。

新刊書の第2章、7.3項では事故処理作業員(通常、若い男性で平均年齢は33歳)の死亡数を推定している。さらに、7.7項ではチェルノブイリ原発事故の全犠牲者数を論じている。
何故996千人という数値に至ったのか、その内容を少しでも吟味してみたいと思う次第だ。内容を抄録して下記に示す。
 

(1)     事故処理作業員の健康状態はどんな経過をたどったか:

2章の7.3(Mortality among Liquidators)は事故処理作業員の死亡率を論じている。様々な報告がある。事故処理に当たった若者たちの多くはその後健康を害し、悲惨な生活を送ったことがうかがえる。個々の報告は下記のような内容だ。

(a) ウクライナでは、事故処理作業者の死亡率が1989年から2004年の間に5倍にまで上昇した(2005年の報告)

(b) ロシア国内登録によると、1991年から1998年までに52,714人のうち4,136人が死亡。しかし、24人の急性放射線障害による死亡者を除き、放射線被爆に起因すると公けに認められたのはたった216人だけとのこと(2004)

ここには、ロシア政府の公式記録と医療関係者の調査結果との間には大きなギャップが存在していることが明白だ。このギャップはロシア政府の意図によるものだったのか、それとも情報が不十分でそういう結果となったものか、あるいは緊急時特有の混乱からそうなったのかについては定かではない。

(c) ロシアのヴォロネッツ州では3,208人の事故処理作業員のうち1,113人が死亡。34.7%に相当する。カレリア共和国では、1,204人の事故処理作業員のうち644人が死亡。53%に相当(2008)。イルクーツク州アンガルスク市では、2007年までに1,300人の事故処理作業員のうち300人が死亡(2007)。カルガ州では事故後12年間に事故処理作業員のうち87%が死亡、年齢は30-39才。非政府組織であるチェルノブイリ·ユニオンによると、244,700人の事故処理作業員のうち31,700人が死亡した。これは13%に相当する。

(d) 1991年から1998年にかけて66,000人の事故処理作業員(放射線被爆量は約100ミリシーベルト)が癌により死亡。癌による死亡数が著しく増加した(2002)

ここに被爆線量の数値が出てきた。貴重な情報だと思う。

(e) 原子力産業(研究所も含む)の従業員で事故処理に従事した人たちの集団の平均余命が低下した。悪性新生物による余命低下が16.3%を占め、血液の疾病が25.9%、心的外傷や中毒が39.6%を占めた(2001)


他にも様々な報告がある。

上記に示す事例は、1990年以降、事故処理作業員の死亡率は同年齢の一般対照区の死亡率を上まわったことを示している。2005年までに112,000人から125,000人が死亡した。これは総数830,000人の15%に相当する。
これらの引用内容を見ると、心的外傷(トラウマ)や中毒が大きな割合を占めているとする報告がある。しかもその割合が想像以上に大きい。ここで報告されている中毒とは、多分、アルコール中毒とか麻薬中毒ではないかと想像する。これらの死亡理由を原発からの放射線被爆による死亡に含めても良いのかという疑問が出て来るかも知れない。放射能による健康被害の症状が現れ、その被害がさらに進行し、生まれ育った故郷から他の場所へ避難させられ、家畜や耕作地を失い、職を失い、日常の生活に支障が現れて来ると、将来の不安は際限なく大きくなって行くだろうと思う。うつ状態に陥る人も増えるだろう。不安やうつ状態から逃れようとして、多くの人たちが飲酒や麻薬に走ったのではないだろうか。
この心的外傷による犠牲者の問題は福島原発事故でもこれから大きく表面化して来るかも知れない。人々の反応は洋の東西を問わずそれ程大きな違いはないからだ。
社会経済的に同等で同年齢の一般対照区と比較して被爆地域での死亡率が有意に高い場合、その差異は統計的には放射線被爆のせいだと言えるのではないか。癌の発生だけに着目すると除外されてしまうかも知れないが、癌以外の病気や心的外傷や中毒に起因する死亡であっても、これらは公衆衛生学や疫学的には放射線被爆が一次的な要因であったと言えよう。原発事故が地域住民の生活に甚大な影響を与えたことは確かだ。
さらなる議論については専門家の解説やご意見をお待ちしたい。

(2)     総死亡率:

次に続く7.4(Overall Mortality)は総死亡率を論じている。放射能汚染地区では明らかに総死亡率が上昇した。 

(3)     癌発症のリスクに基づいた一般死亡率:

7.5(Calculations of General Mortality Based on the Carcinogenic Risks)では癌のリスクに基づいた一般死亡率の算出を論じている。チェルノブイリ事故による癌の発生によってどれだけ死亡数が増えたか、あるいは、増えるかを算出した報告書は数多くある。そして、結論もさまざまだ。新刊書の表を見ると11件が掲載されている。算出の対象とした期間は50年から90年、あるいは「For all time」という記述もある。「For all time」の場合は個別の報告書を読んでみない限り具体的な期間は分からない。しかし、それは50年とか90年とかの期間と同程度の、人の一生を網羅できるような長い期間ではないかと想像する。11件の報告書の中で最小の推定死亡数は4,000(ウクライナ、ベラルーシ、ロシアのヨーロッパ地域を対象)で、最大死亡数は899,310人から1,786,657(全世界を対象)である。 

ここには興味深い注釈が付されている。「この表に収録された様々なデータの間には二桁もの違いがある。このような非常に広いバラツキ範囲というのは科学の分野で通常見られる不確実性に起因するバラツキの範囲を大きく上まわっているので、取扱いには注意して欲しい」と。確かに、最小値を示す報告書はベラルーシ、ウクライナ、ロシアのヨーロッパ地域だけを対象としており、最大値を示す報告書は全世界を対象にしたもの。したがって、これらふたつの報告書を直接比較すると、オレンジとリンゴを比較するようなことになりかねない。


(4)     一般死亡率:

7.6(Calculations of General Mortality)は一般死亡率の計算について論じている。チェルノブイリ原発事故の影響を統計論的に論じるには対照区となる汚染されてはいない地域をどこに選定するかが問題となる。汚染地域と地理的にも社会経済的にも似通った地域を選定することが求められる。

ウクライナ(2002年の人口が2,290,000)、ベラルーシ(2001年の人口が1,571,000)およびロシア(1999年の人口が1,789,000)の汚染地域の総人口は5,650,000人。この集団の事故後15年間の原発事故による死亡数は212,000人と推計された。 

ここで、個人的な興味として、上記の値をIAEAレポートによる推定死亡数(4,000)と敢えて比較してみたい。 

対象地域はIAEAレポートも新刊書の7.6項も同じだ。つまり、ウクライナ、ベラルーシおよびヨーロッパ·ロシアが対象である。ところが、期間はまったく相違する。IAEAレポートでは事故後90年間の推定(つまり、事故時あるいは事故後に影響を受けた胎児が普通の寿命を全うするまでの90年間を対象とした推定)であって、その死亡数は4,000人と推定された。それに対して、7.6項は事故後15年間のみの犠牲者数であって、その死亡数は212,000人。この段階で既に53倍もの開きがある。もし、新刊書の死亡数をIAEAレポートの対象期間と同じ90年間にしたら、この「53倍」はさらに大きな数値になるだろう。100倍のオーダーを超すかも知れない。そうすると、冒頭で参照した記事のタイトル「チェルノブイリ原発事故における推定死亡数は4千人か、それとも百万人か」の答えが何かが明白となる。そして、その数値の違いが何処から来たものかが次の新たな問いとなろう。
(5) チェルノブイリ原発事故での犠牲者数:
7.7(What is the Total Number of Chernobyl Victims?)ではチェルノブイリ原発事故での犠牲者数を論じている。放射線被爆による健康問題に関してはIAEAにすっかりお株を奪われてしまっている世界保健機構(WHO)が独自の調査報告書を出した。WHOのチェルノブイリ·フォーラムはウクライナ、ベラルーシおよびヨーロッパ·ロシアの3カ国での事故後90年間の癌による推定死亡数を9,000人と発表した(2006)
一方、新刊書の著者は放射能被爆による健康被害は癌の発症だけではないことを繰り返して強調している。
非悪性の放射線障害による健康被害、つまり、癌以外の様々な疾病による健康被害は、放射線被爆に起因する癌の場合に比べて調査の手法はさまざまとなって、推算結果は研究者によって大きく分かれるだろう。したがって、健康被害の推定や算出は対照区の一般の死亡率からどれだけ増加したかという実際に観察することができた数値に基づいて推定することが望ましい、と新刊書の著者は主張している。
(6) 犠牲者数の推定:
7.6項に示したデータから新刊書の著者はチェルノブイリ原発事故による推定死亡数を下記のように纏めている。
 15年間(1990-2004)の死亡率の増加分として得られた1000人当たり34人という数値を非汚染地域に居住している事故処理作業員(40万人)、ならびに、避難場所へ移ったり汚染地区から脱出した人たち(35万人)の集団に適用すると、この期間に追加されるさらなる死亡数は25,500人となる。こうして、2004年までのウクライナ、ベラルーシおよびヨーロッパ·ロシアでのチェルノブイリ原発事故による総死亡数は237,500人と推定された。 
 旧ソ連以外のヨーロッパ圏に居住する一千万人がセシウム137による地上の汚染度が40キロベクレル/平米を越す地域に住んでいるものと想定し、上記の汚染地域での死亡率の増加分(1000人当たり34)の半分、つまり1000人当たり17人を適用したところ、2004年までのソ連圏以外のヨーロッパ圏での死亡数は170,000人となった。
 セシウム137による地上の汚染度が40キロベクレル/平米未満の地域に居住する15千万のヨーロッパ圏の住民に対して上記の1/10に相当する非常に少ない増加分、つまり1000人当たり1.7人を適用したところ、この地域での2004年までの死亡数は255,000人となった。
 また、ヨーロッパ以外の地域にも放射性核種が地上に降下した。被爆地域の人口19千万に上述の増加分1000人当たり1.7人を適用したところ、このユーロッパ以外の地域での2004年までの死亡数は323,000人となった。
したがって、19864月から2004年までのチェルノブイリ原発事故の世界規模での総犠牲者数は985,000人となる[筆者注:前出の996千人とはやや異なる数値だ]。この推算値は他の研究者ら、つまりGofman (1994)Bertell (2006)らの研究成果とほぼ一致する。今後の何世代もの将来について予測することは幾つかの理由から非常に困難だ。

(7) 結論:
7.8項は結論として次のように述べている。
汚染地域では胎児の死亡率や子供たちならびに一般の死亡率が顕著に増加した。この事実に関して多数の報告がある。これらは明らかにチェルノブイリ原発事故による影響である。癌による死亡率の増加はすべての被爆者グループにおいて観察されている。
ウクライナおよびロシアの汚染地域では、1990年から2004年の期間における全死亡者数の4%前後がチェルノブイリ事故の影響である。影響を受けた他の地域または国においては、死亡率の増加についての明確な証拠が見つからなかったいう理由だけで原発事故の影響が皆無だったと結論することは難しい。
本章の結論で述べたように、チェルノブイリ原発事故によって影響を受けた地域に不幸にも居住し続けなければならない数億人の人たちのうち既に数十万人が死亡した。チェルノブイリ原発事故の犠牲者の数は今後数世代にわたってさらに増加して行くことだろう。

      

新刊書の7.7項では、他の研究者のあいだではGofman (1994)Bertell (2006)の報告がほぼ同一レベルの推算結果を得たとして紹介されている。それらに関してもここで概観してみたい。
Gofmanについては、残念ながら、新刊書が参照している資料そのものを直接入手することは出来なかった。しかし、この研究者の報告については様々な報道記事があるので、そのうちのひとつで代用したいと思う。それによると、カリフォルニア大学バークレイ校のゴフマン名誉教授はチェルノブイリ原発事故の影響により今後40年間にソ連邦で424,300人、ソ連邦以外の地域では536,700人に癌が発症すると推算した(4)(1986)
Bertellについては、2006年の出版物を検索することができた(5)。全ヨーロッパ圏で905,016人から1,809,768人が癌で死亡するだろうと推算している。このうち253人は放射線被爆による直接死で、残りの大多数は癌による死亡である。百万人から二百万人の犠牲者が出ると推算し、それでもなおこの著者はこの数値は控えめであるとさえ付け加えている。なぜならば、幾つかの理由がある....と。
忘れてはならない重要な点がもうひとつある。「何故IAEAとこの新刊書あるいは他の研究者(Gofman Bertell)らの研究成果とのあいだに二桁にもなる違いが生じたのか」について少しでも理解しておきたいと思う。

Bertellは別の文献(6)IAEAレポートの問題点を論じている。それを参照してみよう。
Bertellが指摘する問題点はIAEAの設立時の歴史的背景にまで遡る。
当時のアイゼンハワー米国大統領は1953年に国連で「核エネルギーの平和利用」と題して演説を行った。内容を見ると、格調の高い演説である。この演説を受けて、1955年にUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)が国連によって設立され、1957年にはIAEAが設立された。このアイゼンハワー大統領の演説以降「核エネルギーの平和利用」という掛け声が始まった。これは軍事用の原爆や水爆の核実験が繰り返され、大気中の放射性降下物に対する全世界の人たちが抱いていた恐怖を「平和利用」という掛け声で政治的に緩和しようとする動きに他ならない。
·           国連から付託されたUNSCEARの仕事は電離放射線が人の健康や環境に与える影響を評価し、正式に報告することである。IAEAにはふたつの仕事が与えられた。それは核エネルギーの平和利用を推進すること、ならびに、原爆などへの軍事利用を予防することのふたつである。IAEAは放射線防護に関する推奨事項をWHO(世界保健機構)からではなくUNSCEARから直接受け取ることになった。そして、ここで何が起こったか。IAEAWHOとの間の1959年の協定により、原子力や放射線に関する研究や利用についてはIAEAが管轄することになった。この協定が存在することから、WHOの本来の業務である筈の放射線の健康影響についてWHOは口出しをすることができなくなった。返信するRTするふぁぼる

らには、IAEAに籍を置く人物がUNSCEARにも籍を置くといった異常な状況も現れることになった。こうして、原子力村が形成され始めたのだ。
IAEAでは国連から付託された核エネルギーの平和利用という業務がチェルノブイリで災害に遭った人たちの生存や健康の回復を支援するというもうひとつの責任を凌駕してしまったと思われる、と著者は現状を厳しく批判している。この現実からだけでも、原子力災害後にIAEAが被害調査を行い、報告をし、それと同時に原発関連技術の推進も行うという国連からの付託は法的に解除しなければならない十分な理由がある、とBertellは率直に指摘している。
上記の大きな差異は調査方法に起因している。IAEAの報告書は約60万人を対象に推算を行っているのみ。それに対して、この新刊書は上述のごとくウクライナやベラルーシならびにロシアの汚染地帯の住民565万人、旧ソ連邦以外の比較的低い汚染に晒されたヨーロッパ圏の住民1千万人、その他のヨーロッパ圏の住民15千万人、ならびに、ヨーロッパ以外の住民19千万人を推算の対象としている。合計で35千万人強を対象として推算を行っている。
また、調査の対象とする健康被害の種類についても大きな違いがある。IAEAレポートは癌を対象にしているが、この新刊書では癌だけでなく非悪性の疾病や心的外傷·中毒までもが含まれている。この後者の手法は社会経済的に同一であって汚染を受けなかった地域との比較を行い、チェルノブイリ原発事故の死亡率がどれだけ増加したかを調査し、その結果判明した増加分を原発事故による犠牲者として算出したものだ。
ふたつの報告に見られるこうした調査手法の違いが推定死亡数に大きな違いを招いたと言えよう。

筆者の結論
最大の問題点が何に由来するかが分かってきたと思う。原発推進派であるIAEAがチェルノブイリ原発事故の被害を意図的に過小評価しているのではないかという見方が当を得ている。そこには原発関連の産業界にとって都合の悪い情報は公表したくないという姿勢が見えてくる。
「原発の安全神話」の崩壊がグローバルな形でここでも一般大衆の目にとまることになった。
「放射線被爆には安全限界はない、わずかな被爆であっても健康には有害だ」と主張する専門家や科学者は多い。これはIAEAの考え方を基本的に否定するものだ。しかし、まだ少数派である。チェルノブイリ原発事故の犠牲者数の算出の仕方や推定結果を見る限り、少数派の見解が社会的にも政治的にも健全でかつ正論だと思う。
放射線被曝の安全限界や原発事故による健康影響に関する調査や報告については、IAEAが従来通りにその業務を継続するのではなく、今後は国連のWHOにすべての責任と権限を持たせるべきだ。エイズや鳥インフルエンザの場合と同様に、WHOが放射線被爆による健康影響に関しても全責任を持って調査を行い報告することが筋である。IAEAや国連に加盟する国々の良心的な対応が待たれる。
[筆者からのお願い:このブログの内容と原本との間に差異がありましたら、原本を正として扱っていただきたいと思います。本ブログは原本の一部(11ページ程)を抄録·翻訳したものです。また、原本(300頁余り)は目下日本語への翻訳が進められているようです。全文の和訳が書籍として一日も早く出版されることを願っています。]

出典:
1Chernobyl Death Toll 4000 or 1 Million?by Keith Goetzman, www.utne.com › Utne BlogsWild Green (201054)
 
2Chernobyl: The True Scale of the Accident - 20 Years Later a UN Report Provides Definitive Answers and Ways to Repair Lives: News Release by IAEA (Sep/05/2005)
 
3Chernobyl – Consequences of the Catastrophe for People and Environment: By Alexey V. Yabloko, Vassily B. Nesterenko and Alexey V. Nestrenko;  New York Academy of Sciences (2009)  

4Scientist Puts Ultimate Chernobyl Death Toll at 500,000: Los Angeles Times (Sep/10/1986),
articles.latimes.com/1986-09-10/.../me-13286_1_nuclear-accident  

5BEHIND THE COVER-UP: Assessing conservatively the full Chernobyl death toll: By Rosalie Bertell, PACIFIC ECOLOGIST (WINTER 2006), www.pacificecologist.org/archive/12/behind-the-cover-up.pdf

6Chernobyl: An Unbelievable Failure to Help: By Rosalie Bertell, International Journal of Health Services, March 2008, Vol. 38(3), pp. 543-60.