2012年10月26日金曜日

新世界秩序の終焉


まず、「新世界秩序」という用語の歴史的な背景を確認しておきたい。ウィキペディアによると下記のように説明されている。

新世界秩序(New World Order)とは陰謀説の一つで、将来的には現在の主権独立国家体制に取って替わるものだとされる世界統一政府による地球レベルでの全体主義体制のことである。この世界政府による独裁制の成立は国際連合を頂点とし、国際通貨基金世界銀行による金融的な支配、欧州連合などの地域統合を名目とした国家主権を段階的に廃止し、NAFTATPPなどの自由貿易体制を通じて人と資本の移動自由化により経済的な国境を廃止し、地球温暖化世界金融危機など世界レベルでの取り組みが不可欠であり、いわゆる「グローバルな問題」を創り出し宣伝することによって国家の廃絶が必要であるとの世論の形成を通じて行われるとされる。

New World Orderという用語自体は第一次世界大戦後、国際連盟の設立に貢献したアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領が初めて公に用いたとされる。その後、第二次世界大戦の悲惨な帰結を見たウィンストン・チャーチルは破滅的な世界大戦を避けるには国民主権国家を廃絶し世界政府の管理による恒久的な平和体制の実現が不可欠であるとして、この言葉を使った。

SF小説家で歴史家としても著名なH.G.ウェルズは国家の存在を認める国際連盟を批判し、主権国家の完全な根絶を訴え、1940年に『新世界秩序』New World Orderを出版し、その持論を述べた。日本国憲法の特徴である戦力の不保持や交戦権の否認といった完全平和主義の理念はこのウェルズの思想から大きく影響を受けている。

ビル・クリントンの大学時代の恩師で、ジョージタウン大学国際学部教授のキャロル・キグリー19661,300ページにも及ぶ大著『悲劇と希望』(Tragedy and Hope)を出版し、新世界秩序の世界像を書いている。キグリーは1648以降のウェストファリア体制 (独立した主権国家同士による勢力均衡体制) を『悲劇』とし、イギリス・アメリカを拠点とする国際金融資本による世界統治を『希望』として描いた。この著書は出版当初はほとんど反響はなかったが、後に陰謀史観のコミュニティに大きな影響を与えた。このことから新世界秩序や、いわゆるグローバリゼーションとはアングロ・サクソン帝国主義の言い換えに過ぎないのだと言われている。

この用語が陰謀史観のコミュニティだけではなく一般にも広く知られるようになったのは、1988127ミハイル・ゴルバチョフが全世界に向けて行った国連演説がきっかけである。また、1990911ジョージ・HW・ブッシュ大統領が湾岸戦争前に連邦議会で行った『新世界秩序へ向けて(Toward a New World Order)』というスピーチでアメリカでも有名になった。

 

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さまざまな定義があるようだが、冷戦後の世界の動きを眺めてみると、上記の記述の中で新世界秩序を素人の我々に最も分かりやすく示した言葉は「新世界秩序や、いわゆるグローバリゼーションとはアングロ・サクソン帝国主義の言い換えに過ぎない」ではないかと思う。

先に、「尖閣諸島問題に見る覇権の興亡 ― ある政治学者の見方」を小生のブログに掲載した。

歴史の長い時間軸からみた時、覇権の興亡は戦争という手段によってその決着がつけられ、近代史を見るとその頻度が如何に多かったかについておさらいをした。21世紀の今、そうした過去の歴史を学び、改めて認識しなければならない我々、21世紀に生きる現代人の最大の使命は「覇権の興亡に伴う戦争は何としてでも避けること」ではないか。これは日本人にとっても、中国人にとっても、そして、米国人にとっても普遍的に当てはまる概念だと思う。

その後、覇権の興亡という観点から非常に興味深い記事が見つかった。これは英国の新聞ガーデアンに掲載されたもの[1]。その表題をここでは「新世界秩序の終焉」と仮に訳しておくことにしたい。この記事は東西冷戦の終結(1989)後、経済、国際政治、軍事、等の舞台で一極支配の形で世界に君臨して来た米国による覇権は2008年にその崩壊が始まったと分析している。

2008年にはふたつの重要な出来事があった。

200888日、グルジア共和国軍がグルジアからの分離・独立を掲げる南オセチア州へ侵攻し、南オセチア民兵や平和維持軍として駐留していたロシア軍を攻撃した。それを受けてロシア連邦軍が反撃した。グルジア共和国の軍隊は戦闘に破れ、ロシア政府は826日に南オセチアを新国家として承認した。

同年915日、住宅バブルの崩壊を受けて、それまでサブプライムローンのリスクを背負うことで事業を拡大していたリーマン・ブラザーズは約645千億円の負債を抱えて破綻した。その結果、リーマンショックが世界を駆け巡り、4年後の現在でさえも世界経済は低調なままだ。

 

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今、米国についてはさまざまなことが報道され、論評され、将来の展望が描きにくいことからも不安な気分にかられることが多い。対外政策の失敗、ドルの暴落、国家財政の悪化、所得格差の拡大、貧困家庭の増加、国内テロの増加、等。

21世紀のこの世界は安定から流動へと向かっていることには間違いがなさそうだ。一緒に、このガーデアン紙を覗いてみたいと思う。その仮訳を下記に掲載する。

率直に言うと、日頃扱っている理工系の文書とはガラリと違ういわゆる文系のテキストの和訳を試みたのだが、慣れない英国英語のせいか、それとも、英国人特有の文章スタイルのせいか、分かりにくい表現に多々遭遇した。結果として、下記に掲載する訳文がどこまで読者の期待にこたえることができるのかは未知数だ。しかし、何とか最後の行まで辿り着くことができたのはこの記事が持つ歴史観や内容の面白さが大きな要因であったと言わざるを得ない。

また、この記事は主要メデアには取り上げられないかも知れない。そんな印象を受けた。だからこそ、小生はここに掲載したいと思った次第である。一人でも多くの人たちとこの情報を共有できれば嬉しい。

 

<引用開始>

新世界秩序の終焉

21世紀初頭に起こった社会的な激変は我々の世界をすっかり変えてしまった。失った戦争や経済破綻を受けて、社会的に今までとは違う選択肢を求める声だけが大きくなっている。

シェイマス・ミルン著

ガーデイアン紙、20121019


2008年の夏、ふたつの出来事が相次いで起こった。これらの出来事は新世界秩序の終焉を示唆するものだ。8月に、グルジア軍は領土問題で異議を唱える南オセチア州に駐屯していたロシア軍を襲撃した。この戦闘は短いけれども血なまぐさい、ロシア・グルジア間の戦争となった。

ワシントンのネオコンにとっては旧ソ連邦のひとつであるグルジア共和国は大変なお気に入りだった。グルジアの権威主義的な大統領はNATOの東への拡大にあやかろうとして、NATOへの加盟を目指してロビー活動をしていた。現実があらぬ方向へと反転してしまったのを見て、米国のデイック・チェイニー副大統領はロシアの応戦を「反撃のないまま見逃すことはできない行為だ」と批判し、イラクに対して悲惨な戦争を展開し、その熱が未だ冷めやらぬジョージ・ブッシュは「ロシアの主権国家への侵攻はこの21世紀に許されるものではない」と宣言した。

戦闘が終了した時、ブッシュはロシアに南オセチアの独立を承認しないように迫った。ロシアはその通りにし、米国の戦艦は黒海の辺りを巡航するだけに縮小された。この紛争は国際的にはひとつの転換点となった。米国の虚勢の実体が声高にしゃべられ、その軍事的統治能力はテロとの戦い、イラク、そしてアフガニスタンを通じて不確定なものとなっていた。巨人として世界を見下ろしていた20年が過ぎ去り、争う者のいない米国の時代はここで終わった。

3週間後、一つ目以上に限りなく影響を与えることになりそうな二つ目の出来事が米国の独壇場とも言える金融システムの中枢を襲った。915日、米国の4番目に大きな投資銀行が破綻し、ついに信用危機が噴き出したのだ。このリーマン・ブラザーズの倒産は1930年代以降最大の経済危機として西側世界を呑み込んだ。

21世紀の最初の10年は国際的な秩序を揺るがし、世界のエリートたちが持っていた既存の智恵を根底から覆すものとなった。2008年は流れを変える分岐点となったのだ。冷戦の終了によって、政治や経済上の最大の課題はすべて収束した、と我々は聞かされていたものだ。自由民主主義や自由市場資本主義はその勝利を宣言した。共産主義は歴史のかなたへ封じ込められた。政治的な議論は今や文化戦争についてだけ、あるいは、税金とその使い道との間にどのような妥協点を見つけるべきかという話だけに終わるだろう、とさえ囁かれた。

1990年、ジョージ・ブッシュ・シニアは、もはや争う相手がいなくなった米国の軍事的優位と西側世界が達成した経済的制覇に基づいて、新世界秩序の確立を宣言した。これはライバルのいない一極世界を意味した。それぞれの地域の強国は新たな世界帝国に跪くことになった。歴史の流れはそこで止まった、とさえも言われた。

しかし、世界貿易センター・ビルの崩壊とリーマン・ブラザーズの破綻というふたつの出来事の間にこの新世界秩序は崩れていった。これらふたつのファクターは重要だ。戦争を継続した10年間の最後の年に到ると、米国はその軍事力をさらに拡大するのではなく、逆に、その限界を顕わにすることになった。そして、一世代相当の長い期間にわたって君臨してきた、新自由主義を標榜する資本主義者のモデルはここにあえなく崩壊したのだ。

真の意味で始めての世界帝国となった米国は無敵の存在であるとする感覚を根底から打ち砕いてしまったのは911のテロ攻撃に対する米国の反応だった。ブッシュ政権の対応は野放図なまでに計算違いの連続で、その拙劣な対応振りによってニューヨークやワシントンにおける残虐な出来事は歴史上最大のテロ事件として名を残すことになった。ブッシュの戦争は殺人行為が続く軍事行動を反映して、世界中にテロリストを生み出し、人権の守護神たる西側世界の主張は拷問や誘拐などによってその信用を失った。文字通り、対テロ戦争は失敗したのだ。そればかりではなく、米英によるアフガニスタンやイラクへの侵攻は世界的な巨人でさえも自国の国民に対して国家意思として戦いを強いることはできないことさえも露呈する始末だった。これは、戦略的には、米国とその同盟国にとっては非常に大きな失敗となった。

一極支配の時代が過ぎ去ったことは世界を変貌させた四つの決定的な変化のうちの最初のものである。二つ目は2008年の破綻から派生したものであって、この破綻が引き金となった西側世界の資本主義秩序そのものの危機である。これは米国の相対的な凋落をさらに早める結果となった。 

これは米国製の危機であり、米国が進めていた複数の戦争の莫大なコストによってさらに深刻なものとなった。そして、エリートたちが規制が緩和された市場での新自由主義の正当性や束縛から解放された企業のパワーを熱狂的に取り込んだ。そして、それらの国々の経済は壊滅的な影響を受けることとなった。 

現代の経済を運営するにはこれが唯一のものだとのふれ込みの下、無理やりに世界の口元へ流し込まれた資本主義の貪欲なモデルが処方箋として作成された。しかし、その対価として不平等や環境の劣化が拡大した。そして、歴史上類を見ない最大級の国家介入によって始めて、崩壊の難から何とか逃れるような有様だった。新保守主義と新自由主義との有害な双子の手法を試行錯誤したが、破滅へと向かった。

これらふたつの失敗は中国の台頭を加速させ、これは21世紀における三つ目の画期的な変化となった。中国の劇的な経済成長は何百万もの市民を貧困から救っただけではなく、市場経済の正当性を冷笑し、新たな世界経済の中心を築き上げ、国営投資モデルは西側のスランプ経済を出し抜いた。これは小国の経済運営に対してより大きな自由度をもたらした。 

中国の台頭は、南米を席巻していた漸進的変化の潮流の中、南米に将来のための空間を広げてくれた。これが四つ目の変化である。南米大陸ではいたるところで経済や民族間の不正義が攻撃を受け、地域的な独立を築き上げ、企業の管理下にあった資源を取り戻して、方々で社会主義的あるいは社会民主主義的な政府が権力の座についた。かの地で我々の存在が保証されていた20年が経っても、新自由主義的資本主義に取って代わるものはなかった。代替策は南米の人々が自ら構築しつつあったのだ。 

これらの重要な変化は、勿論、莫大なコストと必要条件を伴ってやって来た。米国は、予見し得る将来、圧倒的な軍事力を持った国家として存在し続ける。イラクやアフガニスタンでの一部の敗退は比類の無いスケールの死や破壊によってその対価が支払われた。そして、多極化はそこに内包された紛争リスクを招来するだろう。新自由主義モデルは信用を失ったが、多くの政府は残酷な緊縮財政プログラムを用いて同モデルを維持しようとした。中国の成功は不平等や公民権ならびに環境破壊といった高価な代償を払って入手したものだ。そして、米国の後押しを受けた南米のエリートたちは、2009年にホンジュラスで暴力的なクーデターによって成し遂げたように、社会的利得を逆転させようと決意していた。しかし、これらの矛盾は革命的な激変をしつこく悩ませ、2010年から2011年にかけてアラブ世界を呑み込んだ。これはもうひとつの世界的規模の変化をもたらすに至った。 

この時点に到る前、ブッシュのテロ戦争は政府としてはその呼称を「海外での偶発事件作戦」という呼び方に変更しなければならない程どうしようもないバツの悪さを経験していた。イラク戦争はほぼ全世界的なレベルで「大失敗だった」と認識され、アフガニスタンの取り組みについても失敗が確実視された。しかし、こうしたしおらしい現実主義的見方も、結局は、これらの作戦が開始された当時西側の主流派が予測した姿からそれほど遠いものにはなり得なかった。

911のテロ攻撃後米英の政治家や彼らを取り巻く評論家たちが日常的にしゃべっていた世界へ戻ろうとすると、それはあたかも毒のある妄想に満ちた別世界へ運び込まれるみたいなものだ。当時、テロ戦争は侵攻や占領のためだとしてこの戦争の遂行を拒み続けた人たちがいたが、それらの人たちの信用を失墜させようとありとあらゆる努力が試みられた。

現内閣の保守系閣僚であるマイケル・ゴーブはガーデアン紙に対して辛辣な批判を浴びせた。ガーデアン紙がテロ攻撃を批判して全面的な論戦を張ったことについて、同紙を「第五縦隊[2]」のプラダ・マインホフ・ギャング[3]みたいなものだと言って公然と非難した。ルパート・マードックのサン紙はそれらの戦争に関する警告を「ファッシスト左派による反米宣伝」だと言ってこきおろした。タリバン政権が駆逐された時、ブレアーはアフガニスタンへの侵攻や対テロ戦争に反対した人たち(私自身も含めて)を高らかに非難したものだ。我々が「間違っている」ことが証明された、と彼は言った。 

10年後、惨憺たる結果を見て、「間違っていた」のはブレアー政権だったということを疑う者はいない。米国とその同盟国はアフガニスタンの征服に失敗するだろうと、評論家たちは予想していた。対テロ戦争自体がテロリズムをより拡大することになるだろう。そして、公民権を奪ったりしたら、悲惨な結果を招き、イラクの占領は流血沙汰の大惨事になるだろう、と。 

戦争屋の「専門家」たちは、例えば、ボスニアの総督[4]と称せられたパデ・アッシュダウンはアフガニスタンへの侵攻は長期にわたるゲリラ戦になるかも知れないとの警告を「空想的だ」と言って、ばかにしたものだ。10年以上経った今、武装抵抗勢力は以前にも増して強力になり、この戦争は米国の歴史上最も長い戦争となった。

街頭では何百万もの市民が反対の声を出していたにもかかわらず、イラクに関してもまったく同様だ。侵攻に反対して立ち上がった人たちは「融和派」として非難された。米国防長官のドナルド・ラムズフェルドはこの戦争は6日しか続かないだろうと予想した。米英の殆どのメデアはイラクの抵抗は短時日のうちになくなるだろうと予測した。彼らは完全に間違っていたのだ。 

侵攻が始まった最初の週、私は「新植民地主義スタイルのイラクの占領はサダム・フセインが更迭された後でさえも長期間にわたってゲリラによる徹底した抵抗にあい、占領軍は追い出されるだろう」と書いた。事実、英軍は容赦のない襲撃に見舞われ、2009年に追い出された。米軍も、同様に、2011年には撤退した。

しかし、新世界秩序に反対を唱えた人たちが結局正しかったことやチヤーリーダーたちが悲惨なナンセンスを話していたことが分かったのは対テロ戦争についてだけではなかった。30年にもわたって、西側のエリートたちは規制が緩和された市場や私有化ならびに富裕層に対して税率を低めに抑えておくことが成功と繁栄をもたらしてくれるのだと主張してきたのだ。 

2008年よりもずっと前に、「自由市場」モデルはすでに厳しい攻撃を受けていた。つまり、新自由主義は無責任な銀行や企業にパワーを与え、貧困や社会的不正義を助長し、民主主義を骨抜きにし兼ねない、さらには、新自由主義は経済的にも環境上からも持続可能ではない、と企業のグローバル化に反対する人たちは主張していた。 

好景気と不景気の循環はもう過去のものだと主張する新しい労働党の政治家たちとは対照的に、批評家たちは資本家が言う景気循環はばかげた代物だとして廃棄することが出来るとする考えを退けた。規制緩和や融資そして無鉄砲な借金漬けの投機こそが実際に危機につながるだろう、と。 

新自由主義モデルは崩壊に向かっていると予測した大半のエコノミストたちは、勿論のこと、左派に属していた。英国では主流の政党は皆が融資に関しては左寄りの規制を支持したが、野党はシテの規制緩和はより広範にわたって経済に打撃を与えるだろうと反論した。

公的サービスの民営化はよりコスト高となり、賃金や労働条件を悪化させ、汚職を助長するだろうと批評家たちは警鐘を鳴らした。まさに、これは実際に起こった通りだ。企業の特権や市場の正当性が条約に組み込まれている欧州連合においては、その結果は破滅的だった。自由化された銀行業務と非民主的で、均衡を欠いた、さらには、デフレ傾向の通貨統合との組み合わせについて批評家たち(この場合は左派と右派)は崩壊が起きるとしていつも反論していた。惨憺たる有様が起こるのを待つだけだった。その時、上述の破綻が引き金となった。

新自由主義的資本主義に関する反論は、米国主導の侵攻と占領のための戦争についての反対がそうであったように、圧倒的に左派側によるものだった。しかし、その時代の中心的な論争についての汚名挽回は驚くほどゆっくりとしたペースであった。20世紀での敗北による左派の自信喪失を考慮に入れると、多分、驚くには当たらないだろう。 

しかしながら、これらの大失敗を繰り返すまいとするならば、大失敗の教訓を持ち帰ってじっくりと吟味することは非常に大事だ。イラクやアフガニスタン後においてでさえも、パキスタンからソマリアに至るまで無人機による殺戮攻撃が行われ、対テロ戦争は市民の間で遂行されてきた。リビア政権の転覆では西側の大国が決定的な役割を演じた。つまり、市民を保護するとの名目でNATOによって内戦が展開された。後に何千もの命が失われたことが分かった。一方、利害の不一致に翻弄されたシリヤでは介入の脅かしが行われ、イランでは全面攻撃の脅かしが行われた。 

新自由主義がその信用を失った一方で、西側諸国の政府はそれを守り抜こうとして経済危機を利用した。仕事場や給料ならびに給付金のカットだけではなく、民営化をさらに推し進めた。勿論、右派的にとどまっているだけでは決して十分ではなかった。必要としたのは権力の座を回すのに十分な政治的および社会的な圧力だった。 

信用をなくしたエリートに対する嫌悪感や彼らが提唱する社会的ならびに経済的プロジェクトに対するそれは2008年以降着実に強まっていった。経済危機の重荷が大多数の人たちによって担われ、抗議やストライキが広がり、選挙人たちが見せた変化は真の変化を求める圧力がついに始まったことを示していた。企業のパワーや拝金主義を拒絶することがこの時代の常識となっていたのだ。

歴史家のエリック・ホッブスボームは2008年の破綻を「ベルリンの壁の崩壊に匹敵する右派の破綻」であると表現した。共産主義や伝統的社会民主主義の内部崩壊の後、左派は提案すべき体系的な代案は何も持っていなかったとする見方には広く反論があった。それらは全てが、ソビエト圏やケインズ派の福祉国家からサッチャーやリーガンを支持する新自由主義に至るまで、この特異な歴史的状況におけるイデオロギーに駆り立てられた行き当たりばったりの考えから生まれたものだった。 

より民主的で、平等な、そして理性的なベースに立って、破壊された経済を再構築する必要性が持続可能な代替案の形を決定づけ始めたことから、このことは新自由主義の秩序が崩壊した後についても当てはまることだろう。経済ならびに環境の両領域における危機は社会的所有や公的介入ならびに富と権力の移行を求めた。日常の生活が斬新的解決の方向に向けて押しやっていたのだ。

21世紀初頭における大混乱は一種の新しい世界秩序の可能性を示し、純粋な意味での社会的ならびに経済的な変革の可能性を示した。共産主義者たちが1989年に学んだように、また、その20年後に資本主義の勝者たちが見い出したように、何もまだ解決はされていないのだ。 

(上記はThe Revenge of History: the Battle for the 21st Centuryと題する書籍からの抜粋を編集したもの。 著者はSeumas Milne、出版はVerso16ポンドにて guardianbookshop.co.ukから購入可能。)

<引用終了>
 



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追記(Oct/26/2012
 
イラク戦争では米国のマスコミはすべてが米国政府のプロパガンダ役を演じていた。そんな中、英国のガーデアン紙はイラク戦争に全面的に反対したことで知られている。とうに無くなったと思われていた主流派メデアのジャーナリズム精神はこの英国の新聞に引き継がれていたようだ。また、カタールの衛星放送「アルジャジーラ」は基本的なジャーナリズム精神を踏襲して、米国のメデアが振り向きもしないイラク側の犠牲を報道し、客観的な報道を行うことに徹した。メデアの世界は商業主義とジャーナリズム精神との間で大きく揺れている。
「戦争が起こると最初の犠牲者は真実である」と言われる。つまり、遅かれ早かれメデイアが犠牲になる。この方程式はイラク戦争でも成立した。メデアの世界は商業主義とジャーナリズム精神との間で大きく揺れる。
これらの点を認識しておきたいと思う。

 

参照:

1The End of the New World Order:ガーデアン紙、20121019

2:「第五縦隊」とは「敵を支持する連中」を意味する。一般に、国家のようなより大きな組織の中で内部から秘密裏にその組織を破壊する工作員を指す。スペイン内戦に題材をとったヘミングウェイの小説の題名に使用されたという。

3:「プラダ・マインホフ・ギャング」とは70年代のヨーロッパで最も恐れられたドイツ赤軍のファッションに由来する過激なファッションを指した言葉らしい。転じて、政治的な信条をあたかもファッションのように使う人たちを指す言葉となった。

4:「ボスニアの総督」:199512月のボスニア・ヘルツゴヴィナの和平に関するデイトン合意に基づいて、和平の遂行を民生面で担当するため上級代表事務所が設置され、パデ・アッシュダウンは4代目の上級代表となった(2002-2006)。

 

 

2012年10月21日日曜日

尖閣諸島問題に見る覇権の興亡 ― ある政治学者の見方


尖閣諸島問題は日中間の領土問題である。それぞれが自国の領土だと主張して、当面、お互いに引き下がる気配は感じられない。

この尖閣諸島問題を歴史家や政治学者が見たらその目にはどう映るのだろうか。

小生が購読している天木直人のメールマガジン[1]が興味深い情報を与えてくれた。表題は、「ツキジデスのわな」が教えてくれる米中の覇権争いと日本の矛盾

ツキジデスとは古代ギリシャの歴史家であって、新興都市国家アテナイと覇権都市国家スパルタとの間に起こったペロポンネソス戦争(紀元前431年―紀元前404年)を実証的に記述した「戦史」で知られている。ツキジデスは、新たに台頭してきたアテナイと当時の覇権都市国家スパルタとの間の戦争はふたつのキーワード、「台頭」と「脅威」によって説明できるとしている。台頭するアテナイは覇権国家スパルタにとっては大変な脅威であった。最終的には30年近くの戦争となった。覇権国家が新興国家の「台頭」を見て「脅威」の余り戦争に走る。この戦争という落とし穴に陥る様子を、後世、「ツキジデスのわな」と呼ぶようになったと言われている。

上記のメールマガジンが参照している情報源は毎日新聞の「ツキジデスの尖閣[2]という記事だ。さらに、この毎日新聞の記事の参照元はある政治学者がフィナンシャルタイムズ紙に投稿した尖閣諸島問題に関する論評[3]である。

原著者の政治学者、グレアム・アリソンは大略次のように述べている。
 

<引用開始>

10年あるいは20年後には米国に代わって最大の経済力を持った国になるかも知れない中国が他国が設定した従来の様々なルール(例えば国境線?)を再調整したとしても、それは驚くには当たらない。最大の疑問は、果たして米国と中国の両国は「ツキジデスのわな」を回避することができるかどうかだ。新興国家が既存の覇権国家と対峙した時の危険は甚大なものとなる。たとえば、紀元前5世紀のアテナイ、あるいは、19世紀末のドイツが覇権国に挑戦した時、危険はその極に達した。殆どの場合、戦争になった。平和的に危機を回避するには当事国の政府ならびに国民は大規模な調整をせざるを得ない。

新興国の急速な台頭は現状に影響を与えることが必至だ。ひとつの国がこれほど急速に国力の順位を駆け上ったことは歴史上非常に稀だ。国内生産がスペインと同等程度であった国が一世代のうちに世界第二位の経済規模となったのである。もし歴史の教えに賭けるとするならば、「ツキジデスのわな」について改めて問いかけざるを得ない。

16世紀以降、新興国が台頭し覇権国に挑戦した事例は15回あるが、そのうちの11回は戦争となった。ドイツの経済が英国のそれを追い抜いた時、1914年および1939年の二回とも、英国の対応は戦争へとつながった。

中国の台頭は米国にとっては気持ちのいいものではない。どんどん大国となってきた中国が周囲の国々に対して従来以上に要求することは決して不自然なことではない。今中国人に対して「もっと我々と同じように振舞ってくれ」と説教をしたがる米国人は、特に、自国の歴史を思い出して欲しい。

1890年頃米国が西半球の大国となった時、米国はどのように振舞っていたか?

第一次世界大戦の前、米国はキューバを解放し、ベネズエラやカナダの問題では米国の利権を求めて「戦争をするぞ」と英国やドイツを脅かした。暴動の後押しをしてコロンビアを分裂させ、新たにパナマという新しい国を設立した。これは直ちにパナマ運河の建設へと繋がった。さらに、メキシコ政府を転覆させようともした。これには英国政府やロンドンの銀行からも支援を受けた。その後の50年間、「我が西半球」における米国にとって好都合であるかどうかという観点だけから、米国の軍部は経済紛争や領土紛争に介入し、受け入れらないと思う指導者たちを追放した。これらは合計で30回以上にもなった。

中国や米国の指導者が古代ギリシャや20世紀初頭のドイツよりも立派な振る舞いをすることができないとするならば、21世紀の歴史家はツキジデスを引用して、不毛な紛争に続いて起こる破滅的な状況を良く説明しなけれなならない。一度戦争が起こると、当事国のどちらにとっても悲惨だ。米中両国は起こりそうな争点や紛争の火種に関して会話を始めなければならない。

筆者(グレアム・アリソン)はハーバード大学の科学・国際関係ベルファー・センターの理事である。

<引用終了>
 

米国は覇権国家から何時かは脱落していく。これは覆すことができないひとつの過程である。過去の歴史はこのプロセスの繰り返しである。問題はそれが何時か、そして、最大の関心事は戦争を伴わないで新たに台頭してきた中国へバトンタッチをすることが出来るのかという点だ。両国の指導者は積極的に戦争回避の策をとらなければならない。それが指導者としての最大の責務となる。

確かにその通りだと思う。この戦争の回避以上に重要な政治的課題なんてあり得ない。

上記のグレアム・アリソンの「太平洋に現出したツキジデスのわな」という文章は尖閣諸島問題を前にした我々日本人だけではなく中国人にとっても学ぶ点が非常に多いと思う。その内容はとてつもなく重い。毎日新聞の記事と一緒によく吟味したい。また、そう思うだけでなく、歴史的な事実や歴史から学ぶことができるさまざまな教訓や考えを周囲の人たちと共有し、それらを少しでも多く、少しでも深く理解して行きたいと思う。

日本は米国との間に安全保障条約を維持している。これは戦争を遂行するために存在しているのではなく、戦争を回避するために存在しているのだということをここで改めて認識した。米国の手先となって、尖閣諸島をめぐって中国と武力紛争を起こしてはならない。日中戦争になったら、あるいは、日米対中国の戦争になったら、資源小国の日本が一番の打撃を被ることになるだろう。戦争の回避こそが21世紀に生きる我々の世代の最大の使命だと言えよう。

 
参照:

1「ツキジデスのわな」が教えてくれる米中の覇権争いと日本の矛盾:天木直人のメールマガジン2012年10月18日第783号

2ツキジデスの尖閣:毎日新聞のコラム「木語」、金子秀敏署名、20121018日、東京朝刊

3Thucydides’s trap has been sprung in the Pacific: By Graham Allison, Financial Times, August 21, 2012 7:24 pm

 

 

2012年10月17日水曜日

福島 - あれ以前とあれ以降


日本人の多くの人の意識は2011311日を境に大きく分断された
 
太平洋戦争では無条件降伏を味わった後、日本人の意識は1945年の8月を境に全ての面で一変した。時間は通常連綿と流れている筈だが、意識の中の時間はそこでプツンと切れ、完全に不連続となった。今回の福島第一原発事故はあの敗戦時のそれに勝るとも劣らないような意識の不連続をもたらしたと言える。
 
この不連続は、毎日の安心が不連続となったばかりではなく、政府や産業界に対する安全性の信頼感も不連続となった。
 
咋年の311日に東日本大震災が起こった。三陸沖のマグニチュード9の地震で東日本は大きく揺れた。そして、大津波に見舞われた。海に面した地域ではこの津波の犠牲になった人たちが非常に多い。今でも多数の行方不明者の方々がいる。
 
そして、東京電力の福島第一原発では外部電源の喪失後、津波に襲われた非常用ディーゼル発電機が稼動せず、緊急炉心冷却システムを動かすことができなかった。原子炉は空焚き状態となり、炉心が溶融。何ヶ月も経ってから東京電力の発表によると、溶融した核燃料は炉底を突き破って、格納容器の底部に落下したものと推察されている。この事故からすでに1年半も過ぎたが、炉心溶融の全貌は推測の域を出ないままだ。
 
原子炉内部の詳細が判明するまでこれから先何年も待たなければならないと言われている。
 
放射能漏れや原発周囲の放射能汚染については、東電と政府の対応は「国民の間にパニックを起こさせない」という大前提の下で、情報操作が行われたのではないかとの指摘が多い。何のための情報操作かというと、それは反原発、脱原発の動きを抑えたいとする東電の、そして、産業界の思惑が最大の理由のようだ。産業界を後押しする政府もそれに加わった。
 
そこには、政治的に最も重要な「地域住民の健康被害を最小限に抑える」といった姿勢や策ははっきりとは見えない。恐ろしい話である。
 
情報隠しによって最も大きな被害を被った、あるいは、これから被害の実態が分かるにつれて被害者となるかも知れない人たちがいる。実にたくさんの人たちが影響を受けることになる。先ず第一に、放射能汚染を受けた地域に住む数多くの住民だ。特に、小学生、幼児、乳児、胎児の多くが将来の健康な生活を奪われてしまったかも知れないのだ。非常に深刻な問題だ。
 
本日(20121016日)の時点で「福島」、「乳幼児」および「尿にセシウム」の三つの言葉を「&」でつないでインターネットで同時に検索すると、217千件もヒットする。これは予想以上に大きな数値だ。この217千という数値は今年の630日に掲載された「141人の尿からセシウム 福島の乳幼児2千人測定」という情報[1]が発端である。この記事の内容が如何に衝撃的であったかを物語っている。そして、この数値の大きさは放射能汚染に対する住民の恐怖と不安感を示していると言えよう。

また、福島県の地元の方々ばかりではなく、例えば、東京の都心に住んでいる方々の間においてさえも、乳幼児を抱えたご家庭の不安感や恐怖について無視できないような状況が存在している。不安感の源泉は乳幼児に飲ませる飲料水から始まって、ミルクや野菜、米、肉類、魚類、等、食品全体の放射能汚染に関する不安感や不透明性にある。乳幼児を持つ母親が止むに止まれず東京を離れ、実家へ引っ越して、夫は仕事の都合上東京にとどまっている、そして、この離れ離れになった家族が何時また合流することができるのかについては誰も明確な答えを持ち合わせてはいない、といった厳しい状況が数多くあるように聞く。当事者の皆さんは大変な苦労を強いられている。その一方で、そういった対応策を個人的にとれる方々はどちらかと言うと恵まれている方々であって、対策をとりたくても経済的にも引越し先についても対応できない人たちもたくさんいるのではないか。実態は誰にも分からない。果たして、地方自治体はこの実態をつかもうとしているのだろうか?そして、何らかの対策を立案しているのだろうか?

今後何十年も継続すると考えられる放射能被害の悪夢がひとつの新聞記事を通じて、あの日(6月30日)、始まったのだ。

放射能被害に関する新しい事実は今後繰り返して報告されることになるだろう。しかし、たとえひとつひとつの情報を手にすることが出来ても、地理的な広がりや時間軸を採用した全体像を予測することは素人である一般市民にとっては非常に困難だと思う。こういう問題こそ政府や地方自治体が率先して取り組み、一日でも早くその結果を住民に提供することを最優先にしなければならない。

ひとつの目安としては、チェルノブイリ事故がどのように地域住民に健康被害をもたらしたかを参考にするしかないのではないか。たとえば、筆者自身も今年63日に「チェルノブイリ原発事故での犠牲者数の推定」というブログを掲載した。そこで紹介した「Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment」という書籍[2]には膨大な量のデータが含まれている。

情報が隠蔽され情報が操作されている日本では、限られたデータに基づいて予測を行うよりも、むしろ、この本のデータから外挿した方が多分手っ取り早いのではないか。健康被害の実態が明確になって来るのは十年も二十年も先のことだ。それを待っている訳にはいかない。放射能汚染の分布図から、政府や地方自治体は今そして近い将来のために地域住民が必要とする政策を立案しなければならない。そのために大いに参考になるのではないか、あるいは、ひとつの大きな方向性を確立するのに役立つのではないか、と素人ながら思う次第だ。この本の日本語への翻訳が進められていると聞く。早く刊行して欲しいと思う。

ちなみに、1017日には上述の書籍の著者のひとりであるアレクセイ・ネステレンコ氏が福島で講演を行う予定[3]だそうだ。テーマは「今、ベラルーシから伝えたい放射能から身を守る方法」とのことだ。多くの人たちの参加を期待したい。

また、同氏は1019日にFMラジオ番組にも出演するとのことだ。サイトは下記。19:0020:00までの生放送。

http://www.fm-iwaki.co.jp/cgi-bin/WebObjects/1201dac04a1.woa/wa/read/1341c932d0d/

こういった日本の原子力村以外からの情報源を活用し、さまざまな機会を通じて幅広く正確な情報を入手し、放射能の脅威について客観的な理解を深めて、生活の不安を取り除くことが重要だ。そのに少しでも役立たせて貰いたいものだ。

 

 
参照:

1141人の尿からセシウム、福島の乳幼児2千人測定:共同通信、2012630

2Chernobyl – Consequences of the Catastrophe for People and Environment: By Alexey V. Yabloko, Vassily B. Nesterenko and Alexey V. Nestrenko; New York Academy of Sciences (2009)
 
3:ベルラド研究所所長福島講演会のお知らせ:ベラルーシの部屋ブログ、2012105日、blog.goo.ne.jp/nbjc/e/65c4e2f

 

 

 

2012年10月11日木曜日

ふたりの大統領


ジョージ・ブッシュ元米国大統領の名前は誰でもよく知っている。

一方、キルチネル元大統領はどこの国の人かと問われると、答えることができる人は少ないのではないか。

答は1998年から2002年の頃かってない経済危機に見舞われ、銀行が閉鎖され、1万社もの企業が倒産し、債務不履行を発表したアルゼンチンだ。壊滅的な財政破綻からの回復のために2003年から2007年までアルゼンチンを率いてきたキルチネル元大統領は、2011年の大統領選に再出馬すると期待されていたが、201010月に心臓麻痺のため60歳で亡くなった。多くの市民が貧困の撲滅や雇用の拡大のために様々な政策を実施してくれたキルチネル元大統領の死を惜しんだと報道されている。

その前年、キルチネル元大統領は数多くのアカデミー賞受賞作品で有名な映画監督、オリバー・ストーンのインタビューを受けた。その際、キルチネル元大統領はジョージ・ブッシュ元大統領と交わした戦争と経済についての会話を披露した[1]

その仮訳を下記に掲載してみたい。

 

<引用開始>

オリバー・ストーン:「当日の晩はブッシュ大統領とわだかまりを捨てて話をすることができたんですか?」

ネストール・キルチネル:「覇権国家の前にひざまつく必要なんてまったくない。自分たちの行為に反対を唱える人たちに向かっては自分が言わなければならないことを伝えるまでだ。それが故に非礼になるようなこともない。あれはモンテレイ(注:カリフォルニア州中部のリゾート都市。近くには伝説的とも言えるペブルビーチ・ゴルフコースがあり、映画好きの人は近くのカーメル市でクリント・イーストウッドが市長を務めたことを覚えていることだろう)での会話だった。今直ぐにでも実施できるアルゼンチンの財政問題に対する解決策はマーシャル・プランだ、と私はブッシュ大統領に自分の考えを述べたが、彼は怒り出した。マーシャル・プランなんて民主党特有の馬鹿げた考えだ、と彼は言った。経済を活性化させる最善の方法は戦争、米国は戦争をすることによって経済を成長させて来たんだ、と。」

オリバー・ストーン:「戦争ですって?」

ネストール・キルチネル:「そう、彼はそう言った。今話した内容は彼がしゃべったままだ。」

オリバー・ストーン:「南米は戦争をするべきだと示唆した?」

ネストール・キルチネル:「まあ、彼の話はあくまでも米国についてだったが...。民主党はいつも間違っている。米国の経済成長は様々な戦争によってもたらされてきた。彼ははっきりとそう言っていた。ありていに言って、ブッシュ大統領はあの時点では大統領として残された日数は6日だけだったからね。そういうことだろう?」

オリバー・ストーン:「その通りです。」

ネストール・キルチネル:「神様に感謝!」

<引用終了>

 

キルチネル元大統領が「神様に感謝!」と言ったのは何故か?

私個人の考えでは、ブッシュ大統領の任期が6日後には切れることから、巨大な戦争マシーンの最高司令官とはもうじきお別れだ、という安堵感だったのではないかと思う。

皆さんは上記の会話を聞いてどんな印象を受けただろうか?

私の場合は、その瞬間は大変なショックだった。おどろおどろしい戦争マシーンとしての米国の対外政策については十分に把握していた積りではあったが、こともあろうについ最近まで現職の大統領だった人物によってあたかも前日のサッカーゲームを友人と語り合っているような調子で口にされたことによって、米国の世界観は決定的に現実味を帯びることとなった。米国の大統領は発展途上国に対しては、経済援助をする際に常にその相手国に対して民主主義や人権擁護を最優先課題として求めてきている。この表向きの米国の顔とはまったく違う姿がここに現れたのだ。「やっぱり、そうだったのか」と思った。

ブッシュ大統領の上記の言葉には歴史を紐解く上で有用なひとつの真実があると直感した。少なくとも、この戦勝国の論理は歴史上限りなく多くの事例に広く共通して観察されるからだ。残念ながら、これは人道主義や平和主義の観点からは到底認めがたい、冷酷な現実であるとも言えよう。何千年もの時間をかけて人類が築き上げてきた文化の歴史を考えると、これは歴史の皮肉でさえもある。

と同時に、国際政治についての自分自身のナイーブさに気がつかされた一瞬でもあった。

 

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冒頭のエピソードで代表される米国の戦勝国としての国家心理は私ら(戦中派および戦後の団塊世代)が知る限りでは、近代史の多くを端的に物語ってくれているようにも思える。第二次世界大戦後英国に代わって世界の覇権国となった米国はそれ以降も大小の戦争を経験し、米国の軍需産業を繁栄させてきた。何十年にもわたって続いた冷戦そのものも含め、ベトナム、南米、イラク、アフガニスタンでの戦争、そして今は、全世界で展開している対テロ戦争、等。

2001年11月にニューヨークのワールドトレードセンターのビルに民間航空機が突っ込んだ後、米国政府は対テロ戦争をぶち上げ、国際社会を巻き込んだ。あの時、軍部のある高官はこの戦いは何十年にも及ぶだろうとの見解を述べた。この見解を聞いたときの印象は、「この軍人はテロ戦争が長く続くことを願っているのではないか」という、実にいやな予感だった。あの時の印象を裏付ける証拠は何もないわけだが、そういう印象を受けたことを今でも良く覚えている。軍産共同体を代表する人たちにとっては何十年も世界的な規模で軍事的展開が続いてくれることは有難いことに違いない。

米国の現職大統領が戦争は米国の経済発展のための主要な道具であると考えていたとすれば何をかいわんやである。ジョージ・ブッシュ大統領の深層心理においては、ワールドトレードセンター・ビルの崩壊はもっと大きな戦争目的のために必要かつ不可欠な幾つかの戦術のうちのひとつでしかなかったのではないか、さらには、そこで働いていて不幸にも命を落とすことになった数千の人たちはその戦術のための単なる将棋の駒でしかなかったのではないかとさえ思えてくる。ここには戦争特有の理不尽さが存在する。

太平洋戦争の緒戦となった真珠湾攻撃について言及しないではいられない。日本海軍の艦載機がハワイに向かって攻撃してくることを米国政府は事前に知っていながらも、大統領とその側近はそのことをハワイの現地司令官には知らせようとはしなかった。その結果、日本軍にとっては真珠湾への攻撃は「奇襲」として大成功を収めた。米国にとっては、この演出された奇襲が国内世論を参戦に向かわせる重要なお膳立てとしてその役割を遺憾なく発揮してくれたのだ。これらの事実は後世の歴史家の研究で明らかになっている[2]

上記のふたつのエピソードの類似性は圧巻だ。自国が戦争を始めるのではなく、他国から受けた脅威に対して止むを得ずそれに応戦する...という筋書きが何れにおいても見事なまでに現出されている。このパターンは他の多くの事例にも見られる。

そして、昨今は熱い戦争からソフトな戦争へと移行している。経済戦争やサイバー戦争のことである。米国と日本の間では何段階もの経済戦争があった。繊維製品、鉄鋼、カラーテレビ、自動車、半導体、農産物、等。そして、最近米国が提唱したTPP環太平洋経済連携協)。このTPPはそれぞれの参加国から富を収奪するために巧妙にデザインされたひとつのツールだと言えるのではないか。戦争であるからには、勝つ側の米国にとっては「何でもあり」という姿勢が見え隠れする。TPPにおけるISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)はその最たるものだ。参加国が不平等だと言ってもお構いなし、覇権国としての政治的・軍事的パワーを背景にしてありとあらゆる手段を動員してくる。遺憾ながら、これが米国流なのだ。

米国がイランに対してしかけた本格的なサイバーウオーに関してニューヨークタイムズ紙が報道している[3]。この報道によると、オバマ大統領は就任早々からイランの濃縮ウラン施設のコンピュータに対するサイバー攻撃を加速するように指示したとのことだ。この作戦はブッシュ政権時代に始まったもので、「オリンピック・ゲームズ」というコード名称が付されている。しかしながら、2010年の夏、プログラミングに間違いがあったことからこのサイバー攻撃の一部の情報がイランのウラン濃縮設備のコンピータからインターネットに流出した。こうして、このサイバー攻撃は世界中が知るところとなった。

サイバー攻撃は他人あるいは他国のコンピュータを使ってそこから目標とするコンピュータに攻撃をかけることができる。「やらせ」がいとも簡単に出来るのだ。自作自演のサイバー攻撃が可能となってくる。

 

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ここで、一足跳びに日本へ戻りたい。

沖縄への新型輸送機オスプレイの配置は戦争マシーンとしての米国とはどう付き合っていくべきかという課題を改めて我々日本人に問いかけているように見える。今回目にしたブルドーザの如く押してくる米国側の攻勢に対して、安保条約の条文の前で日本の野田政権は無力だったという点だ。この状況は、いくら日本の政治家が日米対等の外交を唱えたとしても、それは絵にかいた餅に過ぎないことを見事に教えてくれている。忘れてはならないのは日本は太平洋戦争で無条件降伏をした敗戦国であるという事実だ。この事実が物事を必要以上にややこしくしている。そして、歴代の日本政府はそうなることを許してきたのだ。選挙民もそれを許してきたということになる。戦勝国は何時までたっても敗戦国を独立国家として認めたくはないようだ。何時までたっても草刈場のままにしておきたいのだろう。

尖閣諸島については、米国のパネッタ国防長官は領土問題は当事国間で解決して欲しい、米国は領土問題で一方の肩を持つ訳には行かないと述べている[4]。この米国の立場は2年前にクリントン国務長官が表明した「尖閣諸島は日米安保条約の対象となる」との見解[5]とは異なり、大きく後退している。米国国債を大量に購入してくれている中国に対しては遠慮があるからだとも読み取れる。その一方、領土問題が日本と中国との間で長い間懸案のままとなっていて欲しいという気持ちが何処かに見え隠れする。率直に言って、米国の軍産共同体は日本が引き続き自国の防衛のために最新型の戦闘機や地対空ミサイルを購入し続けて欲しいと願っているに違いないからだ。北朝鮮との緊張した関係も同一線上にある。北朝鮮が先鋭になればなるほど韓国や日本の防衛意識はより強まり、米国の軍産共同体はより儲かるのだ。

好むと好まざるとにかかわらず、これらの状況は戦後60数年の間に構築されてきた日米間の一大政治システムであると言える。今やモンスター級のシステムだ。

日本が置かれている対米の立場については以前から様々な議論が行われてきた。そして、今後も続くことだろう。つまり、米国追従を続けるべきか、それとも米国とは一定の距離を保つべきかと。この点は最近発行された書籍、「戦後史の正体」[6]で詳しく論議されている。

 

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最後にもうひとつ付け加えたいことがある。

今日は非常に興味深い記事が見つかった。それは上述のアルゼンチンについてのものだ。すでに1年前の記事であることからその後の状況は違ってきているとは思うが、現職の大統領が再選される理由は何かをアルゼンチンと米国の例を挙げて社会学の専門家が詳しい比較を行っている。この記事の表題は「アルゼンチン:何故フェルナンデス大統領が当選し、オバマが落選するのか」[7]

この記事の内容は秀逸だ。いろいろと学ぶ点が多い。いわゆる経済の専門家が予測したアルゼンチンの将来像とはまったく違って、アルゼンチンの実態経済はその後順調に展開した。その理由は何かについて詳しく解説している。この記事を読むと、何時も勝ち組の米国の国民と10年程前には財政破綻し、経済が復興するまで大変な苦労を経験したアルゼンチンの国民とを比べた場合、自国に誇りを感じているのは一体どちらの国だろうかと考えさせられてしまう。まだ読んではいない方には是非お勧めだ。

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またもや、米国について書くことになってしまった。私も米国の片田舎で17年間仕事をしてきた。米国にはいい点がたくさんあると今も思っている。ポップカルチャーは魅力いっぱい。カジュアル・ファッションも素晴らしい。我々の世代は数多くの米国映画と共に育ってきた世代だ。サン・デエゴやLAではシュロの木が青空に向かって伸びている。そんな通りを歩き回ったものだ。空気がどこか違っていた。開放気分がひとしおだった。

多くの人たちがこれらについては共感してくれることだろうと思う。

しかしながら、米国には二面性がある。米国と言うモンスターについては書いても書いても書ききれない部分がどうしても残ってしまう。米国とははそういう国だ。

 

参照:

1Fmr. Argentine President Kirchner Dies of Heart AttackDemocracy Now, October/28/2010, www.democracynow.org/2010/10/28/headlines

2InfamyPearl Harbor and Its AftermathJohn Toland著、Berkley Publishing Corporation出版、1982

3Obama Order Sped Up Wave of Cyberattacks Against Iran:ニューヨークタイムズ、201261日、www.nytimes.com/.../obama-ordered-wave-of-cyberattacks-against-ir...

 
4尖閣 平和的解決望む、いずれかの肩持たず=米国防長官:時事通信、2012917日、http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012091700091

5Hillary Clinton faces Japan-China wrangle at AseanBBCニュース、20101030

6:戦後史の正体:孫崎享著、創元社、20128月発行

7:アルゼンチン:何故フェルナンデス大統領が当選し、オバマが落選するのか:2011118日、eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-8c71.html原題はArgentina: Why President Fernandez Wins and Obama Loses、原著者はJames Petras ニューヨーク、ビンガムトン大学、社会学(名誉)教授