2013年5月29日水曜日

イエメンの青年が米議会上院で証言 ー 米無人機による攻撃が反米感情を醸成 ー


最近、大治朋子著の「勝てないアメリカ」という本[1]を読んだ。
これは毎日新聞特派員として4年間を米国で過ごした著者が、圧倒的な強者である筈の米軍が「弱者」に翻弄される様子を見て「対テロ戦争」とは一体何だったのかを検証しようとした野心的な本だ。従軍取材をしながら得た彼女の結論がこの本の表題となっている。彼女は、「オバマの戦争」と呼ばれるアフガン戦争が物語るのは、多数の人命と莫大な戦費、膨大な時間を費やしてもなお勝てない米国の現実だ、と述べている。無人機による標的殺害のむごたらしさも詳しく報告されている。
むごたらしさの正体は無人攻撃機という戦争の道具が持つ機能から見て反論の余地はないと思うが、無人機を使うと判断させた情報そのものが間違っていたり、不十分であったりした場合、無人機攻撃が引き起こすむごたらしさはその極値に達する。テロの容疑者だと誤認された本人だけではなく、その人物の妻や子供たちも巻き添えになることが頻発する。無人機の運用の仕方に問題があるのだ。このような現実がパキスタンでも数年前から問題視され、国連人権理事会で報告されている。
無人機の一種にレイブンと呼ばれる機体がある。これには攻撃機能はなく偵察専門だ。この本によると、米軍はすでに5000機以上のレイブンをイラクやアフガニスタンに配備しているそうだ。
米国にとってはどのような意味があるのだろうか。無人機戦争は一見、「安価」で「兵士の死なない」「米国にとってメリットばかり」のように見えるが、実際には米国社会の民主主義の根幹を破壊する存在となりつつある、と米国を代表する政治・軍事研究家の一人は懸念を示している。
 

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英国の新聞「インデペンデント」紙の報道[2]によると、23歳のイエメンの青年が米議会上院で米国がイエメンで行っている無人機(あるいは「ドローン」とも言う)によるテロリストに対する攻撃は反米感情を大きく煽っていると証言した。彼の言葉を借りると、「無人機による攻撃はテロリズムを撲滅するどころか、新たなテロリズムを生み出している」と、強烈な証言だった。
米無人機が彼の村を攻撃し5人の過激派を殺害した日から6日後、ファレア・アル・ムスリミという名のイエメンの23歳の作家はワシントンDCへ出かけ、米上院で無人機攻撃が彼の国に与えている衝撃について証言をした。彼は、学生時代に交換留学生として始めて米国を訪れ、米国の大学に半年間の留学をするための奨学金を得たこと、等を委員会で語った。彼が今回米国へやって来たのは無人機攻撃を止めるよう議会に訴えるためだった。

(時計回りに)「憲法、市民権および人権に関する上院司法小委員会」で証言したファレア・アル・ムスリミ氏。アザンで無人機によって破壊された建物。反米の意思表示として、無人機を形どった物体を焼いている。


まず、その証言内容を覗いてみよう。引用部分は何時ものように段下げして示す。(注:アラビア語の人名や地名の読み方は暫定的なものです。ご承知おきください。)

私の名前はファレア・アル・ムスリミ、首都のサナーアから車で9時間程かかるイエメンの片田舎、ウェッサブからやって来ました。世界の殆どの人はウェッサブなんて地名は聞いたことがないでしょう。
ちょうど6日前、私の村は無人機で攻撃され、この攻撃によってありふれた生活をしている何千人もの貧しい農民たちはすっかり震え上がってしまいました。この無人機による攻撃とその衝撃は私の気持ちを引き裂きました。先週ボストン・マラソンで起こったあの悲惨な爆発事件が皆さんや私の気持ちを引き裂いたのとまったく同様にです。
私は、本日、イエメンで米国が行っている標的殺害がもたらしている人的コストやその重大さについて話をするために米国議会へ参りました。
 
背景:
私の家族は農地で育てた果物や野菜ならびに家畜で生計をたてています。牛や山羊、羊および鶏を育てています。父は生涯を農夫として過ごしてきました。父の収入が月に200ドルを越すことは非常に稀です。父は後年読み書きができるようになりましたが、母はついに読み書きを学ぶ機会を逸してしまいました。
私には12人の兄弟姉妹があります。実際には19人だったのですが、7人が亡くなりました。何人かは死産でしたが、他の兄弟姉妹は私たちの村では医療が貧弱だったために幼くして亡くなったのです。
私の生活は9学年目に大きく変わりました。米国国務省の奨学金を貰えることになったのです。この奨学金によって私はイエメンにある米国英語センターで1年間英語を勉強する機会を与えられました。これが始めて村から出て、その外に広がる世界を見るきっかけとなったのです。その後、国務省の若者のための奨学金ならびに交換留学生のためのプログラムの恩恵も受けました。このプログラムは米国の人たちとイスラム教の国々の人たちが平和を築き、互いに理解を深めることを目的としたものです。 
このプログラムによって私は1年間米国人の家庭で生活し米国の高校へ通学することができました。カリフォルニア州のローザモント市のローザモント高校で過ごした1年間は私の生涯の中で最も豊かで、かつ、最も高揚した時期でした。
例外中の例外とも言える貴重な体験をしました。それは父のように私に接してくれ、米国における最高の友人となってくれた人物と出会えたことです。彼は米国の空軍に属していました。あの1年間、わたしは何時も彼と一緒で、彼の家族と行動を共にしていました。彼は私と一緒にモスクへ出かけ、私も彼と一緒に教会へ出かけました。彼は米国における自分の体験を私に話してくれ、私はイエメンにおける自分の体験を彼に話しました。私たち二人の背景はまったく違うものでしたが、私たちはそれを克服することができる素晴らしい友情を育むことができたのです。

郷里の村に対する無人機による攻撃:
現在、私は作家として生活し、様々なことについて喋り、フリーランスのジャーナストとして働いています。私は今イエメンやベイルートにおいて国際的なジャーナリストのために「仲介者」として働いていますが、これは最もやりがいがのある仕事ではないかと感じています。外国のジャーナリストたちと一緒に働く私の仕事場は、殆どの場合、アビヤン行政区域とかアデン、アル・ダレア、ラージなどです。つまり、イエメン南部の地域であって、米国が所謂「テロ戦争」で注目している地域です。
ちょうど6日前、この所謂「テロ戦争」は私の村にもやって来ました。私が自分が行う証言のことをあれこれ考え、この公聴会に出席するための米国への旅行を準備している最中に、米軍の無人機から発射されたミサイルが私が生まれ育った村を攻撃したことを知りました。
ウェッサブの村の住民の殆どにとって、私は米国と何らかの関わりを持つたった一人の住民です。あの晩、私に電話したりメッセージを送って寄こし、私がとても返事をすることができないような質問を誰もがしてきたのです。「何故米国はこのような無人機を使って我々を恐怖のどん底へ落とし入れようとするのだろうか」、「標的となった人物が今何処に居るのかは我々の間では誰でも知っており、彼らを容易に逮捕することができるにも拘わらず、米国は何故ミサイルを使って彼らを殺害しようとするのだろうか」と。
私の村は美しい場所ですが貧しく、イエメンでは遠隔の地です。今までウェッサブの人たちは米国のことは殆ど何も知りませんでした。私は自分が米国で体験したことや米国の友人たちのこと、あるいは、米国人の価値観について話をしましたが、私の話を聞いて、聞き手は私が知っている米国や私が好きな米国のことについて理解するようになりました。しかし、今米国のことを考える時、皆の思いはいやがおうでも自分たちの頭上で旋回し、何時でもミサイルを打ち込むことができる無人機が引き起こすあの恐怖心に集中してしまいます。
学校とか病院とかを通じて米国の良さを始めて体験する代わりに、ウェッサブの住民の殆どは無人機に対する恐怖を通じて米国を始めて意識したのです。私の村ではかって活動家が成し遂げなかった事柄をこの無人機は一回だけの攻撃で見事に成し遂げてしまったのです。今、皆の怒りは強まるばかりで、米国に対する嫌悪の念が沸騰しています。

犠牲者たちの様子を見て:
外国からのジャーナリストたちとの仕事を通じて、私は無人機や軍用機によって攻撃された場所を何箇所も訪れています。住民たちはこれらの場所が蒙った被害はみな米国が行っている標的殺害のプログラムの一部であると思っています。最近、イエメン南部のアビヤンを訪問しましたが、このアビヤンは2011年の初めにAQAPと連携を持っているグループ、アンサル・アル・シャリアによって占拠されました。
アビヤンやイエメン以外の場所でも、私は標的殺害によって地域住民が深刻な被害を受けている場所を数多く訪問しています。無人機による攻撃で殺害された人たちの親戚や目撃者とも会いました。無人機による攻撃が如何に彼らの生活を変貌させてしまったかを皆が話してくれました。
2013年の3月、私はアビヤンでニューズウィークの人たちと一緒に仕事をしていましたが、その時にムネエル・ムハンメドという名の少年の母親に面会しました。彼女の18歳の息子はジャアールという町の市場で店の品物をロバに乗せて運んでいました。彼は最近婚約したばかりで結婚式の準備をしていましたが、2012年の5月にムネエルは仕事場でミサイルによって殺害されました。母親は、あのミサイルを発射した人物と会う機会があったら、口の中で「バリバリと噛み砕いてやりたい」と泣きながら私に話をしてくれました。 
アビヤンで我々が話をした人たちはムネエルはAQAPのメンバーではなかったと言っています。支持者をかき集めようとするAQAPが彼の死を利用することを止めさせることはできませんでした。
アビヤンがAQAPの手から開放されてから何日か経ってから、私はアデンの病院でアリ・アル・アモデという名の漁師と会いました。前日、アビヤンの海側に面したシャクラにある彼の自宅が米軍によって空爆されたのです。病院へ行く途中で4歳の息子と6歳の娘が彼の腕の中で死んでいくのを見ても何もなす術がなかったと、アル・アモデは私に語ってくれました。アル・アモデAQAPとは何の関係も持ってはいなかったのですが。彼や他の住民の話によると、彼の家は誤爆されたのです。その空爆では他にも4人の子供と1人の女性が巻き添えとなりました。証言者によると犠牲者の誰も過激派ではなかったのです。
2012年の6月の下旬、私はジャアールの郊外にある町、アル・マカザンへ行きました。そこではナデル・アル・シャダデを標的にした無人機による攻撃が行われました。アル・シャダデはイエメン政府によるとテロリストとして指名手配されており、アンサル・アル・シャリアーの指導者でもあります。彼はそれぞれ違った場所で3回も標的にされていましたが、攻撃は何時も標的を外していました。今回は彼の叔母の家を標的にしていました。隣人たちの話によると、彼はその場所には居なく、彼の叔母の一人息子が殺害されたのです。彼女の息子がAQAPと関係があるとの証拠は全然ないのです。
AQAPが自分たちの信念を果たすためにもっと多くの若者を巻き込もうとして無人機による攻撃をその宣伝の道具として使っている形跡はまったくない、と米国の一部の政策立案者やイエメン政府が主張していることはこの私も知っています。しかし、それは間違っています。私も参加していた調査旅行に基づいて報告されたNPR(注:米国の公共ラジオ放送局)の放送にもあったように、マレブのトアイマン家はひとつの具体的な事例です。トアイマンの長男は2011年の10月に無人機によって殺害された民間人で無実でもあった父親の死に憤りを感じて、父親の敵を討ちたいと願っていました。この長男には同じ行動をとりたいとする28人の兄弟たちがいます。兄弟のうちで最も若いひとりは今9歳で、彼はポケットに飛行機の写真を入れています。この少年は父親の敵をとりたい、父親を殺害したのは「米国」だと公言してはばからないのです。

標的殺害を止めて欲しい: 
米国に対して私以上に感謝の念を持っている人が居るとは思いません。あなた方の国が私に与えてくれたさまざまな機会や友情、暖かい気持ち、人前に現れることなどに対して私はこれからの生涯を通してあなた方のために全権大使の役割を務めることでしか償うことができないと心から思っています。これは米国に居た時に私がイエメン人のための全権大使の役割を務めていたこととまったく同じことです。多分、公の全権大使または外交官が実現し得る手法とはまったく違った方法で私は米国のイメージを改善するのに役立つものと強く信じています。
米国を支持したいという私の情熱や目標に関しては、イエメンでは無人機による攻撃が続き、その実現を不可能にしてしまったと言わざるを得ません。イエメンの幾つかの地域では無人機攻撃が醸成した反米感情が高まり、私が米国を訪れたことがあると言うことだけでも身の危険を感じさせる程です。ましてや国務省の奨学金によって如何に私の人生が変わったかなどとはとても話すことができません。米国人の友達がいるということを認めることさえも時には危険に思えることがあるのです。 
昨年の暮れ、私は国際的なメデアの支局員と共にアビヤンへでかけました。突然、周囲の地域住民がパニックに襲われました。彼らは空に向かって指を差して、ばらばらな動きをし始めました。過去の無人機攻撃の経験から、「我々の頭上で、十分に視界に入って来てはいないものの、異様な音をたてて旋回しているのは米国の無人機だ」と、彼らは直ぐに私たちに教えてくれました。私は意気消沈しました。自分ではどうすることもできませんでした。率直に言って、生涯で初めて、私は自分の生命に危険を覚え、今イエメンにいる米国人の友人の生命についても危険を覚えたのです。あの場では私は無人機のなすがままでした。
この無人機を操縦しているのは私が米国に居た頃最も深い友情を育くむことができたあの米国人であるかも知れないという思いを完全に断ち切ることができないでいました。私の頭の中ではさまざまなことが駆け巡り、私の心はすっかり乱れてしまいました。自分がよく知っている大好きなあの偉大な国と、私とAQAPの過激派との違いを見極めることができないまま頭上を旋回している無人機との間で、私は板挟みの状態に陥っていました。あの時の気分は私の人生で最も対立的で、最も困難なものでした。
本課題についてありのままの姿を詳しく知っている者の一人として、私は「米国とイエメンの両政府はAQAPとの戦いには敗北するだろう」と言わざるを得ません。たとえ無人機攻撃が意図した相手を殺害したとしても、その代価はあまりにも大きく、本日お話しましたように数多くの戦略的な課題を新たに作り出します。それぞれの戦術的な成功の影にはより多くの戦略的な課題が生まれています。しかしながら、私は今でもこの難題を解決することは可能であると思っています。イエメンでAQAPとの戦いに勝利を収めたいならば、米国は下記のステップをとるべきだと強く推奨したいと思う次第です。
* すべての標的殺害を中止する。
* 「標的リスト」に記載されている人物の名前を公表する。そうすることによって、無実の一般市民が殺害の対象に巻き込まれないようにする。
* 標的殺害の攻撃によって死亡した一般市民の家族や怪我をした人たちに対して公式にお詫びをする。 
* 米国が実施した、あるいは、米国の承認の下で実施された標的殺害の攻撃によって死亡した一般市民の家族や怪我をした人たちに対して補償金を支払う。
* 標的殺害の攻撃に晒された村に対しては学校または病院を建設する。そうすることによって、地域住民の米国との体験が米国のミサイルによってもたらされた死や破壊だけで終わることがないようにする。
どうも有難うこざいました。 

証言の冒頭で、このジャーナリストは「無人機による攻撃とその衝撃は私の気持ちを引き裂きました。先週ボストン・マラソンで起こったあの悲惨な爆発事件が皆さんや私の気持ちを引き裂いたのと同じようにです」と述べた。テロの悲惨さは洋の東西を問わず違いはない。そのことを具体的に指摘し、その悲惨さを訴えている。つまり、ボストン・マラソンでの爆弾テロによる犠牲者とイエメンで行われているテロ容疑者に対する標的殺害で巻き添えとなっている一般市民の犠牲者とを同位置に据えて論を進めている。この視点には説得力がある。
ボストン・マラソンの会場で爆発が起こった後容疑者が拘束されるまでの間ボストン市民や全米の市民が感じていた恐怖や不安を忘れてしまうには記憶があまりにも生々しい。それだけに、この証言は訴える力が非常に大きかったのではないかと推測することができる。反米テロ活動が本国にまで及ぶことをアメリカ市民が心配する気持ちは良く分かる。それだけに、ボストン・マラソンの教訓を生かして、新たなテロの発生の芽を摘んで行かなければならない。このことが戦略的には最も重要だ。素人目にとってさえも、平和な日常を足り戻すための有効な選択肢は他にはなさそうだ。
冒頭で紹介した「勝てないアメリカ」の意味がよく飲み込める内容であると思う。
この23歳のイエメンの青年が米上院で行った証言は米国の政策立案者にとっては非常に耳が痛いものであったに違いない。米国では、「一般市民の被害」という言葉を「巻き添え被害」という言葉に置き換えて軍の報道担当者が記者会見で戦果を報告し始めてすでに久しい。この言葉のすり替えには「対テロ戦争」を正当化するあまり、日ごろ米国政府が口にする世界の「平和」とか「民主主義」からは程遠い響きがある。ここで取り上げた内容は米国が推進する「対テロ戦争」では如何に無意味な戦術がとられているか、如何に多くの無実の市民が巻き添えとなっているかなどを雄弁に物語っている。このような現実はイラクでもアフガニスタンでも同様である。
このジャーナリストの主張がオバマ政権の中枢に届いて欲しいものだ。
 

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523日のガーデイアン紙の報道[3]によると、オバマ大統領の提案によって、テロ容疑者に対する標的殺害を実行するか否かの最終決定は特別法廷に任せ、新たな法的検証の下に実行されることになりそうだ。この提案は「際限のない対テロ戦争」に終止符を打つためのものだ。米国大統領は、現在、米国外で実施される標的殺害について個人的に署名を行っている。その署名に基づいてのみ標的殺害を実施することが標準的な手続きだ。これに対して、オバマ大統領は、より多くの監視の目を施すことによって議論が続いているこの殺害プログラムを法的には暗黒の状態から陽の当たる場所へ引き出したいと期待しているとのことだ。
また、将来は、標的殺人以外の選択肢をすべて試した後で始めて、CIAの手によるのではなく、米軍自体がこれに従事するようにしたいとの意向だという。
そもそも、2011年の9月にイエメンで名の知られたイスラム指導者が無人機によって殺害された時、そのイスラム指導者が米国国籍を所有していたことから、米国内では「法廷による裁きを経ないで無人機によって米国人を殺害することに合法性があるのか」という非常に根本的な議論が沸きあがっていた。対テロ戦争ではその当事国に対して宣戦布告がされているわけではない。ましてや、無実の市民が殺害されると、殺人行為として法的な責任をとらされるのが普通である。
今後オバマ大統領の方針が何処まで実現するのか、米議会での討議の様子を注視して行きたい。
日本国内の主流メデアが本件をどのように扱っているのかを詳しく知る由もないが、無人機攻撃の非人道性を考えるとき、上記の内容はさまざまな側面を示唆していると思う。
なお、今気づいたことではあるのだが、信濃毎日新聞の「信毎web」の526日版に「無人機攻撃 運用の見直しは当然だ」という社説[4]があって、無人機に関するオバマ大統領の方針変換が紹介されている。
 

参照:
1: 勝てないアメリカ - 「対テロ戦争」の日常: 大治朋子著、岩波新書、20129
2: Yemeni man brings the horror of drone strikes home to US Senate: The Independent, Wednesday 24 April 2013, www.independent.co.uk › NewsWorldAmericas
3: Obama restricts drone killings and foresees end to ‘perpetual war': By Dan Roberts in Washington, guardian.co.uk, 23 May 2013

4無人機攻撃 運用の見直しは当然だ:信濃毎日新聞、社説、信毎web 2013526日版

 
 


2013年5月17日金曜日

ハニーサックルの季節がやってきた!


ハニーサックルの季節がやってきた。(日本の在来種はスイカズラ。英語ではJapanese Honeysuckle。) この季節、あちこちでこの花にでっくわす。生垣に広がっていたり、公園の中で他の潅木に絡んでいたりする。自宅近くの公園では卯の花の株に絡んだハニーサックルが木陰にあるせいか通常よりも遅く咲いた卯の花とちょうど同じ時期に花を咲かせていた。


私自身は最近まで知らなかったのだが、この花はその名が示すように蜜を持っている。ハニーサックルというのは「蜜を飲む」という意味。日本語のスイカズラの「スイ」も「(蜜を)吸う」の意味だ。子供の頃そんな遊びをしたことがある人もいるに違いない。



午前の光がまだ暑さを感じさせない頃、近くのTitan Parkへでかけた。木曜日の朝なので、年金暮らしの人たちがこの公園の主だ。雑談にふける人たちや、散歩をする人、新聞を読む人、チェスやバックギャモンに興じる同好の人たちもいる。また、乳母車を押すおばあちゃんたちも多い。
路上に「日陰林」をふんだんに作り出している周囲の木の種類は樫の木やプラタナス、あるいは、楓や栃などの落葉樹だ。勿論のこと、私が名称を知らない木もたくさんある。



ヌマスギの葉もしっかりと伸びて新緑の装いとなった。ヌマスギの葉は手に触れてみるとその柔らかさが心地よく、その色合いは萌黄色で目に心地よい。
日本ではメタセコイアが校庭に植えられていることが多いので良く知られた存在だ。それが故に、ヌマスギは一見メタセコイアと間違えられそうだ。両者共落葉樹だが、葉の出方が違う。メタセコイアは対生であるが、ヌマスギは互生だ。また、ヌマスギの周囲では気根が地上に顔を出してくるので判別しやすい。この写真を撮った場所でもヌマスギの周囲には気根が幾つも目に付いた。
メタセコイアにはもうひとつの親戚がある。セコイア。カリフォルニア州のセコイア国立公園やサンフランシスコ郊外のミュアー・ウッズ国定記念物へ行くと、セコイアの大木にお目にかかることができる。セコイアはメタセコイヤやヌマスギとは違って常緑だ。かって、セコイア国立公園で100メートルにもなると言われているジャイアントセコイアの種子を購入した。日本の実家では、当時まだ元気だった父が種子を蒔いてみたが、発芽しないで終わった。残念そうだった。


カルガモ一家。この一家は結構な大所帯だ。



バラ園:


今年もバラの季節が始まった。このところ急に暑さがやってきて、このバラ園でも一気に開花した感じ。まだ開き切ってはいない蕾もたくさんある。これからしばらくの間バラの花が私の関心を占拠することだろう。バラ園で写真を撮る時、毎年共通した思いに襲われる。「このバラの甘い香りをお届けできないのが非常に残念だ!!」 これこそが写真の最大の短所。
昨年は思いがけない贈り物をいただいた。ブルガリアのバラ・フェステイバルを訪れた元同僚のご夫婦がブカレストへもやってきた。何とブルガリアで摘んだバラの花びらを袋に詰めてはるばると運んできてくれたのだ。数日間、我が家ではバラの甘い香りを存分に楽しんだ。考えてみると、これ程に贅沢な贈り物って果たしてあるだろうか。この友人ご夫妻の優雅な心遣いに改めて感謝をしたい。

追記(May/19/2013)

雛を32羽も連れたお母さん鴨。
これは5月18日にブカレスト市内の公園、Titan Parkにて見かけた光景です。


 土曜日の昼頃でもあって、多くの人たちがこの光景を目撃しています。何枚か写真を撮りましたが、別の写真では30羽しか数えられないものがありましたが(親鴨に隠れていたか、写真の視野外だったのかも知れません)、この写真では32羽の雛を数えることができます。

 



















2013年5月14日火曜日

放射能の脅威 ― 先天異常


放射能による先天異常はまず広島・長崎に投下された原爆による健康被害として日本人の記憶には残されている。しかしながら、その記憶の形はほとんどが非公式なものであり、科学的なデータとしては日本では必ずしも資料化されてはいないようだ(しかし、米国には公開されてはいないデータがたくさんあるのかも知れない...)。
日本は福島で歴史上二回目、いや、第五福竜丸事件を数えると三回目の放射能の脅威に晒されていることになるが、放射能による先天異常の可能性を直視するには思った以上の努力を必要とすことだろう。ここでは、福島で今後表面化するかも知れない現実を直視するためにインターネットで入手できる情報をおさらいしておきたいと思う。
 

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イラク戦争の勃発から10年、その後遺症としてイラクでは今何が起こっているのか?
今多くのイラク市民が晒されている脅威はテロと健康被害である。
健康被害について言えば、湾岸戦争(1991)とイラク戦争(2003)との二度の戦争においてイラクでは400トン以上の劣化ウラン弾が使用されたと言われている[1]。この膨大な量の殆どは米軍が使用したものだ。一方、英国軍が使用した量は3トン弱だったとされている。ここに引用するガーデアン紙の報道によると、ノルウェー外務省の支援を受けてオランダの平和団体が行った調査の結果、劣化ウラン弾による放射能汚染は調査が進むにしたがって拡大しているそうだ。
一方、イラク戦争で使用された劣化ウラン弾の総量については様々な報告がある。ある報告[2]によると、米軍が1991年以降に使用した劣化ウランの総量は4,600トン。第一次湾岸戦争で1,000トン、コソボ紛争で800トン、アフガニスタンで800トン、イラク戦争で2,000トンとのことだ。イラクだけに限ると、第一次湾岸戦争とイラク戦争との合計で3,000トンとなる。
なお、個々の砲弾や弾丸の構造を見ると、全体が劣化ウランで作られている訳ではなく、大雑把に言えば、中央から先端部のみが劣化ウランで作られている。この点を考慮した上で劣化ウランのみの数値としての報告なのか、それとも砲弾や弾丸の総重量の数値であるのかを検証する必要がありそうだ。その意味では、上記にあげた二つの異なる数値については前者(400トン)が劣化ウランの正味の数値であり、後者(3,000トン)は総重量であるのかも知れない。
激戦があったファルージャ(イラク中部の都市、人口は約28.5万人)における健康被害は悲惨を極めている[3]。劣化ウラン弾を始めとする様々な化学物質による汚染が深刻な健康被害をもたらしているのだ。イラク戦争後に観察された新しい病気としては腎臓、肺、肝臓等の疾患や免疫系の障害が含まれる。劣化ウラン弾は、特に、子供たちの間で白血病、腎臓病、貧血等を急激に増加させた。
(なお、この[3]で引用する記事は当初はアル・ジャジーラによって315日に掲載され、その後、インフォメーション・クリアリング・ハウスによって319日に掲載されたものであることをお伝えしておきたい。また、インフォメーション・クリアリング・ハウスは利益を求める商業メデイアではなく、CNNなどの主流のメデイアからは入手できないような記事を掲載することに注力しており、世界的規模で見ても貴重な情報源であると思う。)
イラクの女性の間では流産や早産が劇的に増加した。特に、米軍による戦闘が激化した地域、例えば、ファルージャでは非常に顕著である。イラク政府の公式な統計によると、1991年に最初の湾岸戦争が起こる前の癌の発生率は10万人に対して40人だった。1995年には癌の発生率は10万人当たり800人となり、2005年には10万人当たり1,600人となった。そして、最近の調査によると、この増加傾向は続いている。
これらの統計数値そのものは非常に衝撃的なものである。しかしながら、イラクでは報告や調査ならびに文書化が適切には行われていないことから、実際の癌の発生率の数値はこれらの統計数値よりもはるかに大きいと推測される。
「イラクでは公的な保健制度の恩恵を受けている人は50%程度であることから、癌について正しい統計数値を入手することは難しい」と、イラクの保健管理推進協会のセイラ・ハダッド医師はアル・ジャジーラ紙に語った。「他の半分の人たちは民間組織に頼っており、民間組織の多くは統計数値を報告することにはあまり熱心ではない。したがって、わが国の統計数値は2倍にして受け取らなければならない。公的な数値は実際の数値の半分を示すだけだ。」
毒性の高い環境:
「同僚と私はファルージャでは先天異常や不妊症が増加していることに気づいた」と彼は言う。「ファルージャは、米軍の爆撃や彼らが使った弾丸や砲弾によって持ち込まれた毒物、例えば、劣化ウランの問題を抱え込んでいる。」
2004年に、米軍はファルージャ市を二回にわたって包囲し攻撃をした。その際に大量の劣化ウラン弾ならびに白燐弾が使用された。
「米軍が我々の環境へ持ち込んだ放射能や有毒物質に我々は晒され続けており、自分たちの子供の将来については非常に心配している」と、ハダッド医師は付け加えた。
「イラクのファルージャにおいて2005年から2009年の間に見られた癌、幼児の死亡、ならびに、出生時の性比」と題する疫学的研究は他の研究者たちによっても頻繁に参照されているが、この研究では700世帯以上を訪問して調査が行われた。
この調査研究の著者の一人である化学者のクリス・バスビー氏は、「健康に関してはファルージャ市民は危機的状況にあり、いまだかつて研究の対象とされた遺伝的損傷率の分野では最も高いレベルだ」と、述べた。

ここでクリス・バスビー氏他が行った疫学的研究報告の要旨[4]を覗いてみよう。それを下記に示すことにする。
要旨:
著者らは2010年の1月から2月にかけて研究者たちを編成し、ファルージャで711世帯を訪問し、アラビア語で記した先天異常や死産についての質問書に対する回答を収録した。回答を得た総人口は4,843人、回答率は60%となった。相対リスクはエジプトのカイロ市内ガルビーヤ地区に関する1999年の中東癌登録、ならびに、ヨルダンに関する1996年から2001年の中東癌登録との比較を行い、年齢対比も行った。2005年の1月から本調査の終了までの期間に発生した癌として62例が報告されている。この中にはゼロ歳から14歳の子供の16例が含まれている。最もリスクが高いのはゼロ歳から34歳の年齢グループの白血病、同じくゼロ歳から34歳のグループのリンパ腫、ゼロ歳から44歳の女性グループの乳癌、ならびに全年齢を通じての脳腫瘍である。
幼児の死亡率は2006年から2009年までの4年間の平均出生率に基づいたものであって、その1/62010年の1月から2月に報告された事例を加えたもの。この期間にゼロ歳から1歳の年齢グループでは34例の死亡が報告されており、これは1000の出生数当たり80人の死亡に相当する。これに対して、エジプトでは19.82008年のヨルダンでは17であり、2008年のクウェートでは9.7であった。
最近5年間に生まれた子供たちの平均の性比は極めて異常である。通常、人の性比は女児1,000人に対して男児が1,050人とほぼ一定である。遺伝的な障害が起こると、この性比は大きく振れる。ファルージャでの調査の結果、0-4歳、5-9歳、10-14歳および15-19歳のグループにおいては1,000人の女児に対して男児の数はそれぞれ8601,1821,1081,010であった。0-4歳のグループは明らかに遺伝的な障害を受けている(p < 0.01)ことが示唆された。
これらの結果はファルージャにおいては突然変異に関係した深刻な健康被害が存在していることを定性的に示すものだと言えるだろう。しかしながら、この種の調査では構造的な問題がついてまわることから、本紙の調査結果を定量的に解釈する場合には十分な注意をして欲しい。

上記の要旨を読んでみると、放射能や他の毒性物質による健康被害が如何に深刻であるかを知ることが出来る。実際の数値に基づいて統計学的に扱ったこの報告書の持つ意味は大きい。
また、先天異常についてはファルージャの医師たちは記録の一部として写真を撮影している。これらは貴重なデータとなっている。下記にその一部を掲載する。再度、[3]の記事へ戻ろう。


ファルージャ・ベイビー:

 
ファルージャの医師たちは急激に高まった先天異常を目撃している。例えば、頭が二つある、単眼、多発性腫瘍、身体の奇形、神経管の異常、等々。





ファルージャの医師たちは深刻な奇形を持って生まれた何百という子供たちの記録を取っている。これらの奇形の原因は劣化ウランや他の毒性物質だと見られている。[サミラ・アラニ医師/アル・ジャジーラ]




多重出生異常の多くはこの事例のように極めて深刻だ。米軍の攻撃を受けた時点以降に生まれた子供たちの間では多重出生異常が多発している。
20111221日の時点でアラニ医師は次のような事実をアル・ジャジーラに語った。彼女は1997年から病院勤務を続けているが、200910月以降677例の先天異常を個人的に記録した。そして、アル・ジャジーラが1229日に同病院を再訪した際、たった8日後のことではあったのだが、先天異常の件数は699に増えていた。
アラニ医師は何百枚もの写真を見せてくれた。口蓋裂、長頭、単眼、異常に伸びた四肢、異常に短い四肢、耳や鼻ならびに背骨の変形、等々。
アラニ医師は日本を訪れ、広島や長崎で米国が投下した原爆からの放射線によるものと判断される先天異常について研究を行っている日本の医師たちにも会った。
日本では先天異常の発生率は1から2パーセントであると彼女は言う。彼女の記録によると、ファルージャで生まれた子供たちの間では14.7パーセントであることから、日本の放射能被害地域における先天異常に比べると10倍も多い、と彼女は言った。
2013年の3月の時点に、「出生異常の率は依然として14パーセントのままだ」とアラニ医師はアル・ジャジーラ紙に伝えてきた。
これらの数値だけでも非常に大きな脅威である。しかし、同医師はハダット医師が指摘しているように、「実状よりもかなり低い数値が報告されている可能性」についても注意を喚起している。 

ここで、定量的な側面をおさらいしておきたい。
広島原爆は50キロのウランが使用されたが核爆発を起こしたのは1キロだけであったと見られている(ウィキペデイアから)。そうすると、残りの49キロのウランは原爆が爆発した際に微小なウラン金属として広島の上空でばら撒かれたと想定することができる。イラクで放射線汚染源となった400トンの劣化ウランはその濃度は0.25パーセント前後である。一方、広島型原爆のウラン濃度は90パーセントであったと言われる。これらのふたつの濃度から計算してみると、17.64トンの劣化ウランが広島型原爆で核爆発を起こさなかった49キロのウランに相当することになる。つまり、大雑把な話ではあるが、イラクでは最近の二度の戦争で22発の広島型原爆に相当するウランによって環境が汚染されたと言えるのではないか。イラクではファルージャと南部のバスラで汚染が特にひどい。上記で算出した22発の広島型原発は、大胆に単純化すると、ファルージャとバスラの都市がそれぞれ11発の原爆で汚染されたということになる。つまり、広島に比べて約10倍の放射能汚染があったと言えるのではないか。
次に、放射能レベルで比較してみたい。
幾つかの情報を収集してみて分かったのだが、ウラン粒子の大きさ次第で同一の単位重量から放射される場合であっても放射能の大きさは異なってくるとのことだ。これはウランの自己遮蔽効果のせいだと言われている。1グラムのウラン235があったとしよう。それが1個の球状の粒子であるのか、それとも、無数の微粉末になっているのかによって、その1グラムによる放射能総量は大きく異なるという。微粉末であれば、自己遮蔽効果が低減するので、同じ重量の1個の球状粒子に比べてその総表面積はすこぶる大きくなることから、総放射能は大きくなる。
つまり、広島の原爆で実際に核分裂には使われなかった49キロのウラン235とファルージャで使われた劣化ウラン弾に使われたウラン235はそれぞれ最終的にどの程度の粒子の大きさになって環境に広がったのかが分からないと放射能の大きさについて厳密には比較できないということになる。
ファルージャで戦闘が終わってから地方や隣国での一時的な避難場所から自分の家に帰ってきたものの自宅はすっかり破壊されていたとしよう。通常、家屋の再建に当たっては、再利用できるものはできる限り再利用しようとする。しかし、そういった再利用が可能な資材が劣化ウラン弾で汚染されていた場合、居住を始めた時点からその居住者はウランの微粉末を体内に取り込む危険に晒されることになる。
私が調べようとしてもその答えがなかなか見つからなった件について貴重な情報[5]が手に入った。それによると、
劣化ウランは湾岸戦争(1991)で大々的に使用された。米国政府の発表によると、0.01グラムの劣化ウランに晒されると1週間の内に健康障害が起こる。
米軍のM-1戦車から発射された砲弾は標的(例えば、敵軍の戦車)に当たると衝撃によって3,100グラムの放射性微粉が生成される。劣化ウランの微粉を吸い込んだり飲み込んだりすると、この微粉は水溶性ではないことから、体内に数年間も留まり、体内被曝の原因となる。
M-1戦車で使われる砲弾の直径は12センチ。この砲弾には10.7ポンド(約4.8キロ)の劣化ウランが使用されている。その重量の70パーセント前後が標的への衝突によって微粉化するものと想定されている。これによって、一発のM-1戦車の砲弾からは約3,100グラムの放射性微粉が生成されるという計算になる。
0.01グラムの劣化ウランが体内に入ると健康障害が起こると言われている程であるから、参戦した米軍の兵士たちの間にたくさんの被害者が出たとしても決して不思議ではない。湾岸戦争の戦場では放射能の防護装備を携行してはいなかったからだ。インターネット上のある情報によると、帰還した従軍兵士の約30%はさまざまな症候に今も悩まされているとのことだ。
また、劣化ウランの微粉として論じられているが、そのサイズはどれほどかと言うと、数ミクロンのオーダーらしい。このサイズになると、容易に呼吸器系へ取り込まれてしまう。数ミクロンという大きさは今冬中国から飛来し問題視された黄砂の微粒子とほぼ同じか、その2倍程度の大きさに相当する。
アラニ医師が述べた「ファルージャでは広島での先天異常の出現率に比べて10倍も多い」という報告についても、11発の広島型原爆に見舞われた可能性を考えたり、劣化ウランの微粉化、ならびに、0.01グラムの劣化ウランであっても体内にとりこまれると健康被害を生じる可能性があることを考えると、汚染箇所が身近にあった場合にはかなり厳しい健康被害を招くことになるのではないか、と容易に推測できる。
写真で報告された赤ちゃんは命を持って生まれてきた赤ちゃんだ。しかしながら、その命を全うすることができなかった不運な赤ちゃんだ。アラニ医師の写真には数多くの先天異常の事例が収録されているという。その一枚一枚の写真に写されている赤ちゃんには何の罪もない。これらの赤ちゃんはこの世の不条理を精一杯抗議しているのだと理解しておきたい。そして両親や家族の深い悲しみについてもそれが受けるに値するだけの関心を我々は持ちたいと思うし、理解を深めていきたいと思う。 

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「私は当時、尾長町で助産婦を開業しておりました。尾長町の本通りをつきあたりまして、山へ向かって行ったら矢賀町でございます。爆心地より2キロメートルになります....」という記述で始まる資料[6]がある。
これは岡村ヒサ子さんという方が広島で自分が体験した事柄を語ったもの。助産婦という職業柄、岡村ヒサ子さんが語ってくれた体験内容は、公的な資料が極めて少ない中、広島での先天異常の実態を描写している貴重な資料のひとつだ。
彼女が語った先天異常は昭和30年頃までの話であるから、広島へ原爆が投下されてから約10年間のことだ。「奇形が沢山出ましたね」と言っている。兎唇、口蓋裂、肢指過剰(多指)、鎖肛(肛門がない)、耳のない子、足の指が長い子、内臓露出、無脳児(終戦後2-3年)、頭骸骨が固まっていない子(終戦後4-5年の頃)、等多岐にわたる。
ここに記述されている先天異常の内容はイラクからの報告内容と実によく一致する。
一方、日本の放射線影響研究所と称する公的機関が発表した「出生時障害(19481954年の調査)」はインターネット上で閲覧可能である(http://www.rerf.or.jp/radefx/genetics/birthdef.html)。その内容を見ると、その冒頭で「原爆被爆者の子供における重い出生時障害またはその他の妊娠終結異常が統計的に有意に増加したという事実は認められていない」と報告している。
「統計的に有意に増加したという事実は認められない」という内容は、我々一般人が理解している広島体験とは大きく異なるような気がする。この違いは何処から来るのだろうか。
上記の岡村ヒサ子さんは先天異常として生まれた赤ちゃんは沢山いたと言っている。また、闇から闇に葬られた赤ちゃんたちについても言及している。これらの赤ちゃんは上記の統計には到底入ってはいないと推測する。つまり、重症になればなるほど統計には表れにくくなるという状況があったと言えるのではないか。岡村ヒサ子さんが体験したような事例を余すことなく統計的に反映することができたならば、上記の「出生時障害(19481954年の調査)」はまったく違った結論に到達していたかも知れない。
 

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チェルノブイリでは先天異常はどういう状況だろうか。地元の医師たちが発表した論文や報告書を多数収録していることで有名な書籍「Chernobyl – Consequences of the Catastrophe for People and the Environment[7]76ページには下記のような記述がある。
新たな突然変異として定義される先天異常の発生件数は汚染度が1平方キロメートル当たり15キュリーを越す地域で有意に増加している。(1999年、Lazjuk他)
残念ながら、先天異常の症例やそれらに関する数値についての報告はない。また、「1平方キロメートル当たり15キュリー」という汚染度を福島周辺の汚染地域にどう当てはめたらいいのか、あるいは、どう比較したらいいのか、残念ながら私は適切な手法を今持ち合わせてはいない。

<追記 - 2013年6月10日> この「1平方キロメートル当たり15キュリー」とは旧ソ連が定めた汚染区域の中で「強制移住区域」と「補償付き任意移住区域」との境界を示す数値であることが分かった。ミリシーベルトの単位で言うと、「1平方キロメートル当たり15キュリー」の汚染度は年間被爆線量で5ミリシーベルトに相当するとのことだ。

一方、インターネットでは幾つかの報告がある。そのひとつはロイターが2010年に伝えた記事[8]で、「小児科学」と題する専門誌に掲載された論文を紹介している。それを取り上げてみたい。同記事は次のような事柄を紹介している。
新たな研究結果によると、1986年のチェルノブイリ原発事故で最も深刻な影響を受けたウクライナのある地域では特定の出生異常の発生率が通常よりも高いことが判明した。
この研究によって得られた知見は「小児科学」誌で報告されたが、同知見は2005年に国連が発表したものとは好対照である。国連が発表した内容はチェルノブイリの事故で放射能によって汚染された地域で出生異常や生殖毒性があったという証拠はないというものであった。
今回得られた新たな知見はチェルノブイリ原発事故によって慢性的な低レベル被爆を受けている地域では出生異常に関して継続的な調査を行う必要があることを示唆するものである、とこの調査を行った南アラバマ大学の研究者、ウラジミール・ワートレッキ博士は述べている。
同博士は2000年から2006年の間に西ウクライナのリブニエ地域に生まれた96,438人の子供たちの間で、神経管(「脊椎破裂」を含む、脳や脊椎の深刻な障害)に異常を持った子供の率がヨーロッパの平均値よりも高いことを確認した。リブニエ地域では1万人当たり22人に異常が認められた。これに対して、ヨーロッパでは通常1万人当たり9人である。
さらには、ポリッシヤ地域(ウクライナ北部とべラルース南部にまたがる地域)では、残りのリブニエ地域での1万人当たり18人の発症率と比べて、神経管の障害を持った子供たちは1万人当たり27人と高い値を示した。
上記の他に、ヨーロッパでは平均0.2パーセントの発症がみられる「結合体双生児」ではリブニエ地域では0.6パーセントと高かった。また、尾骨の先天的な腫瘍である「仙尾部奇形腫」では文書化されている0.25から0.5パーセントの発症範囲を超して、リブニエ地域では0.7パーセントを示した。
これら以外にも2種類の先天的な異常が確認されている。「小頭症」と「小眼球症」である。
これらの知見は「最終的なものではない」とワートレッキ博士は言う。この調査では調査上の制約から妊婦が実際に受けた放射能レベルについては詳細な調査が実施されたわけではない。
また、妊婦の食事内容についての調査も進んではいない。リブニエ地域で通常よりも高く確認された先天異常は、胎児がアルコールに晒された場合にも起こり得る。また、神経管の障害は妊娠初期におけるビタミンB群のひとつである葉酸の欠如でも誘発される。
「アルコール」と「葉酸の欠如」ならびに「低レベルの放射能被爆」がこれらの知見にそれぞれどれだけの影響を与えているのかについては何も明らかにされてはいない。三つの要因が重なってこれらの先天異常を引き起こしていることも考えられる、とワートレッキ博士は付け加えた。
チェルノブイリでの先天異常の研究は緒に就いたばかりのようである。今後の研究成果に期待したい。先天異常の研究が何故進んでいないのかという疑問があるだろうが、そのひとつの説明として、国連が2005年に行った発表が要因であると研究者らは指摘している。これは国連による発表は政治的にあまりにも偏向しているという批判であることは言うまでもない。
 

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福島原発のメルトダウンから2年半、日本ではこれからどのような健康被害が発生し、どのように展開するのかは誰もはっきりとは言えない。
そんな中、インターネットで誰でも検索できる情報のひとつ[9]に、「直接知っている都内の知人複数に身体の異常がではじめました....二十代後半の沼津市内の女性が、震災後 に妊娠が発覚し、順調と言われていたのですが、無脳児とわかり、堕胎しました。その沼津の総合病院では、一年に一例も無脳症はないそうです」という情報がある。
ここに、福島原発による放射能被害に関する科学的な報告には乗っかってはこないだろうと思われる事例が日本でも非公式な形で報告され始めた。非常に気がかりだ。これが私の実感である。
[9]で引用したブログの著者は最近Scientific Reports誌に発表された論文[10]を参照している(その表題を仮訳すると「福島および東日本におけるセシウムによる淡水魚の汚染」となる)。同論文には2011年に水産庁が実施した調査結果が収録されている。最も興味深いのは鮎の汚染結果を地図に表したものだ。その地図を下記に掲載してみよう。




この論文の著者が言いたいことは半減期が30年のセシウム137(測定方法の制約から半減期2年のセシウム134も含まれる)による汚染が人口が密集している東関東に広く分布しており、この鮎の汚染は東関東全域の水系の汚染を示しているという点にあるようだ。大小の河川の水が飲料水や水田の灌漑用水として広く活用されていることから、食生活全般に影響を与える可能性が今後長い期間にわたって懸念材料となる。非常に重要な課題だ。
この地図を見ると、東京や神奈川の水源地域も結構汚染されていることがわかる。
卑近な例を挙げると、群馬県北部の赤城山の近くに大沼という湖がある。大沼は冬のワカサギ釣りで賑わう場所でもある。この湖から流れ出る川はなく、周辺に降った雨はすべてこの湖に流れ込む。この大沼での冬のワカサギ釣りについては、放射能汚染によって、釣り上げても家へ持ち帰らないという処置がとられている。今後50年、100年とこの処置を継続しなければならないのかも知れない。
また、上記にあげたチェルノブイリの事例報告は原発から200キロも離れた低汚染地域についての報告でもあることから、これらの報告を勘案するとこの東関東全域の汚染は無視できない状況であるとも言えよう。更なる調査、正確な理解がますます大切になってくる。
最後に、先天異常に関しては、堕胎によって処理される先天異常も含めて、放射能汚染によると判断される事例はことごとく報告する義務を法律によって制定し、今後何十年間かにわたって全国の医療機関が正確な情報を集めるようにする必要があると思う。 

 

参照:

1: Iraq’s depleted uranium clean-up to cost $30m as contamination spreads: By Bob Edwards, guardian.co.uk, Mar/06/2013, www.guardian.co.uk › EnvironmentNuclear waste 

2Depleted Uranium: a legacy of treason: www.byronbodyandsoul.com › Articles 

3: Iraq: War’s Legacy of Cancer: By Dahr Jamail, Information Clearing House/Al Jazeera, March 19, 2013, www.informationclearinghouse.info/article34351.htm 

4Cancer, Infant Mortality and Birth Sex-Ratio in Fallujah, Iraq 2005–2009: By Chris Busby, Malak Hamdan and Entesar Ariabi, Int. J. Environ. Res. Public Health 2010, 7(7), 2828-2837; doi:10.3390/ijerph7072828

6: 助産婦としての被爆後:岡村ヒサ子 (1989年聞き取り)  http://onodekita.com/Files/20121013okamurahisako.pdf

7 Chernobyl – Consequences of the Catastrophe for People and the Environment: By Alexey V. Yablokov, et al., 2009

8Higher birth-defect rate seen in Chernobyl area: Reuters, April 2010
10: Overview of active cesium contamination of freshwater fish in Fukushima and Eastern Japan: By Toshiaki Mizuno & Hideya Kubo, Scientific Reports, 29 April 2013, www.nature.com/srep/2013/130429/.../full/srep01742.html

 

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