2013年6月27日木曜日

米国との対等な関係とは?


この半年間余り、安部首相からは何回となく「対等な日米関係」という言葉を聞いたものだ。これは単に阿部首相だけの話ではない。言い回しに多少の違いがあっても、日本では歴代の首相が戦後半世紀余りにわたって語ってきた言葉だ。そして、ついぞ実現されなかった言葉でもある。
 

ここ数日、米国の国家機密を漏らしたとして仮逮捕状が出ている米国人のエドワード・スノーデン氏に関するニュースが毎日流れてくる。米国を出国し、しばらく留まっていた香港を離れ、最終的には亡命先であるエクアドルに向かうべく、モスクワのシェレメチェボ空港に到着したという。 

スノーデン氏の行方を徹底的に追いかけ、本国へ送還させようとやっきになっている米国当局ばかりではなく、今、全世界の関心がこのスノーデン氏に集まっているような気がする。 

スノーデン氏はモスクワのシェレメチェボ空港に到着し、目下空港のトランジット・エリアに居ると、プーチン大統領は昨日(625日)その事実を認めた。 

以上はガーデイアン紙の報道[1]である。その内容の要旨を仮訳し、下記に掲載してみたい。 

スノーデン氏がモスクワへやって来たことはまったく想定外だった、とプーチン大統領は訪問先のフィンランドで述べた。また、モスクワ政府はこの内部告発者を米国へ送還するようなことはないとも断言した。ロシアの安全保障部門はスノーデン氏のために何か特別なことを実施することもなかったし、今後もそのようなことはないだろうと付け加えた。 

プーチン大統領はロシア側の行動を弁護し、スノーデン氏はまだ未公表の情報を抱えているかも知れないが、我々は彼をごく普通の旅行者と同様に扱ったと述べた。シェレメチェボ空港でトランジットのために留まる旅行者は空港を通過するために通常24時間の猶予が与えられる。 

「彼はトランジット客として到着した。彼はビザまたはそれに代わる書類を持ってはいなかった」と、プーチン大統領は語った。この言及は彼の部下である外相が述べたコメントを支持するためのものだったようだ。セルゲイ・ラブロフ外相は、スノーデン氏は「国境を越えてはいない」と先に述べてはいたが、空港に留まっているのかどうかについては名言を避けていた。 

米国政府はスノーデン氏を引き渡すようモスクワに要請した。昨日、サウジアラビアを訪問中のジョン・ケリー国務長官は「私は平穏さと合理性を訴えたい。我々はロシアが法の裁きから逃げ回っている者の肩を持つようなことがないことを望んでいる」と語った。

クレムリンが逃亡者を匿っているとの米国の非難に対してプーチン大統領が登場して、「ロシアに対する非難はまったく言語道断だ」と述べた。
また、米中間でも非難の応酬が続いている。
中国がスノーデン氏を香港から出国させたことに関して米国政府は厳しい非難声明を出したが、これに対して中国は中国共産党の機関紙「人民日報」の最初の頁に激しい語調のコメントを掲載した。
米国が、精華大学や携帯電話ネットワークの企業を含め、香港や中国の数多くのネットワークに侵入したとのスノーデン氏による告発に関して、中国政府は深く憂慮していると述べた。精華大学は中国のインターネットを構成するハブのひとつを運営している。中国政府はこの問題を取り上げ、米国政府に照会中であると述べた。
『ある意味で、米国は「人権擁護のモデルの役割」から「個人的な情報を盗聴する役割」、「国際的なインターネットにおける中央集権化を操る役割」、ならびに、「他国のネットワークへ侵入する役割」を演じるまでになった』と人民日報のコメントは辛らつだ。
米中および米ロの間では外交上の舌戦が進行中である。 

スノーデン氏が果たして目的地のエクアドルへ無事に到着することができるのかどうかはまったく予断を許さないが、中国やロシアの政府関係者の言葉を借りれば、安全な旅行を祈るばかりである。 

ここで言う「安全な旅行」とは我々一般人が口にする「安全な旅行」とはその性質がまったく違うことに気がついた。 

一昨日の月曜日にはスノーデン氏はアエロフロート機へ乗り込んでキューバへ向かうとの予定だと報道されていた。そのフライトには何十人もの報道陣が乗り込んで出発を待っていたが、当のスノーデン氏はついに搭乗しなかったとのことだ。ある情報筋によると、このフライトの経路の一部は米国の上空を飛ぶことから、米国の管制空域に入った時点で米国によって強制着陸させられるかも知れない、それが故にスノーデン氏は搭乗しなかったのではないか、との分析があった。「さもありなん」である。そんなことは米国にとっては朝飯前だろう。 

 

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スノーデン氏の亡命先はエクアドルであると報道されている。エクアドルはウィキリークスの創始者、アサンジ氏が亡命を受理されている国でもある。しかし、彼は未だにロンドンのエクアドル大使館に缶詰の状態になったままで、一歩も外へ出られない状況が続いている。 

エクアドルやベネズエラは南米諸国の中でも反米色が最も強い国であるとされているが、ここに興味深い記事[2]がある。それを覗いてみよう。 

スノーデン氏の亡命を許可する国は外交的な孤立状態や金のかかる貿易制裁といった米国からの反撃を受けるリスクを負うことになろう。しかし、幾つかの国はそんなことにはお構いなしのようだ。南米諸国は反逆罪やスパイ罪のかどで告発された米国人にとってはお気に入りの逃亡先となっており、この事実は南米大陸がワシントンの影の存在から完全に脱却したことを思い知らされる程だ。 

1973年、チリ政府の転覆を図って秘密行動を進めていたニクソン大統領は「これで南米諸国が消えてしまったわけではない、米国は南米諸国を支援していきたい」と側近に語った。その10年後、リーガン政権はニカラグア、エル・サルバドルおよびグアテマラで代理戦争を遂行していた。1980年代には米国はワシントンにたてついた国の首長を更迭するためにグラナダとパナマへ侵攻した。 

1990年代には米国は南米諸国の政府に対して「ワシントン・コンセンサス」を押し付けた。それは南米諸国が「新自由主義」と呼んだものであって、予算の削減、企業の私有化、ビジネスに関する規制緩和、および外国企業に対する刺激策などを含んでいた。この政策を推進したところ米国は執拗な抵抗に見舞われ、この政策は破綻した。 

上記のような軍事的、政治的および経済的な攻勢を受けたにもかかわらず、いや、むしろ、そういった攻勢を受けたが故に、南米諸国の殆どの国は「米国製」のモデルに対しては深い嫌悪感を示すようになった。南米大陸の指導者の中の幾人かは「ワシントン・コンセンサス」を公然と非難することによって権力の頂点に達し、自分たちの国は米国の影響圏から抜け出でるべきだと誓った。 

中でもベネズエラのウーゴ・シャベス大統領は最も大胆な反米指導者であったことから、外部の観測者たちは、彼の死後、南米地域は伝統的な対米従属に戻るのではないかとの予測をした。事実はこれとは裏腹に、単に二つ三つの国の指導者だけではなく南米諸国の大多数の市民はワシントンからの独立を望んでいる。 

このことはスノーデン氏にとっては非常に大事なことだ。何故かと言うと、この状況はたとえ政府の突然の交代があったとしても、それが彼を米国へ送還することを意味する可能性はずっと低下するからだ。南米への亡命に成功すれば、新しい友人や彼を支持する人々に事欠くことは決してないだろう。

 

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上記の記事を読んでいると、中国にしてもロシアにしても、また、南米諸国にしても、米国に対する主張はあくまでもしていることに日本人としては目を瞠るばかりだ。そこには外交によって自国の国益を優先しようとする姿勢および努力がはっきりと読み取れる。皮肉なことに、これらの一連の外交上の駆け引きが妙に新鮮に見え、そして合理的にも感じられた次第だ。そんな思いに駆られたのは私だけではないだろうと思う。

 

 

参照: 

1Putin: Edward Snowden in Moscow airport but will not be extradited: By Miriam Elder in Moscow and Jonathan Kaiman in Beijing, guardian.co.uk, 25 June 2013 

2Latin America is Ready to Defy the US over Snowden and Other Issues: By Stephen Kinzer, Information Clearing House– “The Guardian”, June 25, 2013




 

 

 

2013年6月25日火曜日

おから入りのパンを焼きました


ことの発端は言うまでもなく豆腐作りからです。豆腐の手作りを始めたのは1年位前だったでしょうか。その後、しばらく中断していたのですが、最近、家内がまた豆腐を作りたいと言い始めました。
この6月、二度も続けて豆腐を作ることになりました。一回の量は大豆で約1キロ。二回とも上手くいって、結構な量の豆腐が出来上がったのです。私たちの豆腐作りの自信は高まるばかり...ところが、それと同時に「おから」がその存在を主張し始めたのです。
おからは栄養的にも無視できない程の立派な食材であると、われわれ日本人は知っています。しかし、家内にとってはこのおからをどう使うかが最大の問題点となりました。味噌汁に入れたりもしました。インターネットで「卯の花」の作り方を調べて家内に渡しましたが、なぜか、卯の花にはあまり関心がない模様で、卯の花はいつの間にか「おから入りのパン」に変身したのです。


一回目に作ったパン


一回目(614日)に作ったパンには約30%、二回目(618日)に作ったパンには約50%のおからが入った、と家内が説明してくれました。
焼きたてのパンを食べてみました。これが実に美味しい。おからの入れ具合(30%50%)には関係なく、このおから入りパンは抜群です!
ほんの僅かに豆腐の香りを感じましたが、言われてみないと分からない程度です。通常のパンに比べると、おから入りパンの感触はちょっと違って、カステラまでには到達しないものの、カステラのような感触が得られました。「ケーキにも使えそうだね」と評価が一致した次第です。
 


二回目に作ったパン。生地の発酵が始まり、少し膨らんできたところ。箱の外まで膨らみます。

これからオーブンに入れて焼き上げます。オーブンに入れておく時間は合計で約1時間。ただ単に1時間入れっぱなしではありません。さまざまな作り方があるとは思いますが、家内の手法は次のような具合です。最初の20分はやや強火で焼きます。次の20分間は弱火で。この最初の合計40分間は、水を張った平べったい大きなトレイをオーブンに入れ、そこへ写真に示す長方形のふたつの金型を入れます。最初の40分が過ぎた頃、水張りのトレイを外し、金型を直接オーブンへ入れます。その最初の10分間は弱火で、最後の10分間は強火にします。水を張ったトレイを外す目安については、長い楊枝のようなものをパンに突き刺して内部が焼けているかどうかを確かめていました。要するに、粘りつかなくなったかどうかの確認です。
 


出来上がりはこんな感じです。表も裏もよく焼けています。

最大の成果は、素材としておからを入れたことによって、ルーマニア人の家内が今までに経験したことがないようなまったく新しい味のパンが出来上がったことです。しかも、その味は多くの人の好みにも合いそうで、家内はたいそう嬉しそう。
「おから入りのパンを焼いたなんて世界でも始めて!」と自画自賛していますが、豆腐大国の中国や日本では既に実践されているかも知れません....

そこで、インターネットで検索してみたら、楽天に掲載されている分だけでも何と60編ものレシピが見つかりました。皆さん、おから入りのパンに満足しているみたいです。 

      
余談になりますが、豆腐作りについて一言。
昨年豆乳を作る段階で使っていたミキサーはパワーが足りなかった様でしたので、パワーがもうちょっと大き目のミキサーを購入しました。これを使って上手く行きました。つまり、豆乳の固形物のザラザラ感がほとんど無くなったのです。一年前の豆腐作りでは豆腐の量が期待していた程にはならなかったのですが、多分、これは豆乳作りの過程が不十分で、豆腐成分の多くがおからの方に残っていたのではないかと思います。
また、ニガリを入れる時の温度管理には温度計を使いました。温度計を見ながら75C前後に維持し、その温度での保持時間も20分と厳守しました。ミキサーによる豆乳作りの段階と並んで、この温度管理が一番重要なのかも知れません。液状のニガリは入手が困難でしたので、当地ではインターネット経由でEpsom salt(エプソム塩)を購入しました。
この手作り豆腐は冷奴となったり、麻婆豆腐になったり、肉や野菜の煮込み料理にも入れたりと、我が家では大活躍です。
私が小学生だった頃、冬になると母は近所の人たちと一緒に豆腐を作っていました。当時は結(ゆい)が十分に機能していました。大豆はもちろん自家製です。石臼を二人で回しながら、石臼が一回転する毎に一人は水に浸かった大豆を少しずつすくって、石臼の穴へ供給します。この石臼を回す作業と大豆を柄杓ですくって石臼へ放り込む作業とがひとつのリズムを作って、すべての作業が進行していました。二時間も、三時間も!豆乳を煮る際に使う鍋は直径が80センチ前後もあったかと記憶しています。特に、凍り豆腐を作る様子は何回となく目撃しました。初日は日中に出来上がった豆腐を薄く切って、暗くなってから、頭上にまたたくオリオン座をすごく近くに感じながら、それらを戸板のように広い平面に並べ、屋外へ出しておくのです。翌朝、コチンコチンに凍った豆腐が出来上がっています。(翌朝雪にならないようなタイミングが大事でした。)それを何本かの藁で、凍った豆腐を十枚とか12枚を編んで、ひと繋がりにします。何十本も出来上がります。これが完了すると、物干し竿に掛けて日陰干しにします。日中になると氷が解けて少しずつ落下します。何日かすると水はもう落ちてはきません。
今、豆腐を作ってみて、自足自給だった当時をひどく懐かしく想い出します。遺伝子組み換えに対する懸念などは皆無だった頃の話です。

 

 

 

 



2013年6月24日月曜日

「低線量汚染地域からの報告 ― チェルノブイリ26年後の健康被害」を読んで。そして、東大・早野論文の問題点


<注:フォントのコントロールが完全ではないので、読みにくい箇所があるかも知れません。ご容赦願います。>

最近、馬場朝子・山内太郎共著の「低線量汚染地域からの報告チェルノブイリ26年後の健康被害」(注1)を読んだ。この内容はNHK「ETV特集」で放映されたとのことであるから、多くの方々はすでに内容をご存じだと思う。
私は「放射能の脅威 - 先天異常」と題するブログ(2013524日)の中でチェルノブイリ原発による低線量汚染地帯での先天異常に関する一部の報告を紹介したばかりである。チェルノブイリから100キロとか200キロと遠く離れた低線量汚染地域ではあっても、先天異常を持った子供たちの出生頻度は汚染を受けてはいない他のヨーロッパ地域における頻度よりもかなり高いとの報告がある。
ここに取り上げた本は、専門誌に掲載される論文とは違って、ウクライナの現地での人々の生活ぶりを取材した結果も報告しており、そこで得られた詳しい情報がふんだんに収録されている。また、幅広い視点から現地調査を行っている。チェルノブイリ事故から26年。取材班はウクライナの人たちがこの26年間に体験した未曾有の出来事に光を当てた。
これは福島県ならびに関東一円に居住する人たちにとっては必見の本だと言えよう。特に、成長盛りの子供さんや妊娠中のお母さんがいるご家庭にとっては非常に重要だ。一方、政治的な観点ならびに経済的な観点から言うと、この本は日本全国の人たちが誰でも関心を抱いて然るべきだ。言うまでもなく、福島原発事故は単に福島県ならびにその周辺地域だけの問題ではなく、日本全体が挑戦し解決しなければならない課題であるからだ。
また、原発の運転を再開し、少しでも安価な電力を産業界に供給することが日本経済にとってどうしても必要だと考えるならば、まず第一に福島原発事故の教訓は地震が頻繁に起こる日本においては全国どの原発にとっても決して疎かにはできないということを理解しておきたい。どのようにして地域住民の安全を確保するかというテーマを住民本意の立場からの究明も十分に行わないまま、原発の運転を再開することは日本の社会にとっては自殺行為に等しいし、日本の社会に対する犯罪行為でもあると言えるのではないか。
福島原発事故による低線量汚染による健康影響を考える時、福島を実験の場にするべきではない。
チェルノブイリで26年間にもわたって実際に起こった健康被害をつぶさに観察し、被災地からの叫びに耳を傾け、そこで得た知見に基づいて日本政府や地方自治体は福島の被災者の将来のために何が必要であるかを考え、可能な限りの対策をとることが政治的には最も健全な在り方だと思う。もっと正確に言うと、住民の安全と健康のために最大限の政策をとる政治家を選出しなければならない。ボールを抱えているのは我々一人ひとりであることを自覚する必要がある。これらの観点から、この本は非常に貴重であると思う次第だ。

 

          

この本を覗いてみよう。引用部分は何時ものように段下げして示す。
はじめに、「低線量汚染地域」の定義を確認しておこう。生活する上で様々な制約があるとは言え、他の場所へ移住することもなく何とか生活を続けることができるとされる、下記の第3区域や第4区域がこの低線量汚染地域に相当する。
ウクライナでは、下記のように、汚染の程度によって四つの区域に分割した。
第1区域(強制避難区域):定義なし。
2区域(移住義務区域):年間被曝線量が5ミリシーベルト以上。
3区域(移住権利区域):年間被曝線量が1から5ミリシーベルト。
4区域(放射能管理強化区域):年間被曝線量が0.5から1ミリシーベルト。
年間の被曝線量として「5ミリシーベルト」が重要なキーワードとなっている。これは1時間当たりで0.57マイクロシーベルトに相当する。年間で「5ミリシーベルト」を越す地域に住む人たちは事故後数年の間に避難や移住をしなければならないことになった。つまり、ウクライナでは年間「5ミリシーベルト」以上の地域では人は長くは住めない、人が住んではならないとして法律で定めた。
取材班が訪れたコロステンという町(チェルノブイリ原発から約140キロの距離)は移住勧告地域(第3区域)と放射線管理地域(第4区域)とが混在する地域だ。この町があるジトーミル州の住民(2006年の統計では約133万人)は、事故が起きた1986年から2011年の25年間にセシウム137によって、平均で、移住勧告地域では25.8ミリシーベルト、放射線管理地域では14.9ミリシーベルトの低線量被曝を受けている。
しかし、コロステンの町の汚染をこれだけの数値で見ると見誤る可能性がある。それは事故直後のヨウ素131による被曝である。放射性ヨウ素は半減期が8日と短く、事故直後に測定をしなければわからなくなってしまう。ウクライナではチェルノブイリ事故の1ヶ月以内に13万人の子供たちやテイーンエイジャーの甲状腺被曝量調査を実施した。 

取材班はこの取材を通じてとまどいを感じていた。次のように述べている。
ウクライナでは5ミリシーベルト、日本では20ミリシーベルトと、居住可能な年間被曝線量に違いがあるので、チェルノブイリ原発の事故から26年を経たウクライナの現実をどのように福島とつなげばいいのか、とある種のとまどいを感じる。
どのようなとまどいだったのかについてはこの本は詳細に記述してはいない。察するに、5ミリシーベルトを移住する境界線としたウクライナで原発事故から26年後の現状をつぶさに観察した取材班は20ミリシーベルトを境界線とする日本政府の対応に危機感を抱いたとしても決して不思議ではないと思う。現地の様子を読めば読むほどに私にはそう感じられる。
健康被害の観点からは、生涯で100ミリシーベルトの被曝を受けると癌の発症率に統計的に有意な上昇が認められると言われている。その一方では、放射線被曝には閾値はなく、放射線被曝は少量であっても健康には有害だとする研究者も多い。この議論の詳細については別途記述してみたいと思う。
ウクライナの政策では、ジトーミル州の住民の場合、過去25年間の被曝量に基づいて人生75年の生涯における累積被曝線量を計算する(上記の数値を単純に3倍する)と、平均で、移住勧告地域では77.4ミリシーベルト、放射線管理地域では44.7ミリシーベルトとなる。生涯では100ミリシーベルトにはならない。しかし、これらは平均値での話であることから、最後に残る問題は個々の住民レベルでは平均値の話とは違って来るという点だ。同じ放射線管理区域の中にあっても、その場所がホットスポットとしては公式に確認されていない場所に住んでいる住民は癌が発症するようなレベルの被曝を受けているのかも知れない。汚染された食品を他の人たちよりも多く摂取しているのかも知れない。そのような場合、癌の発症リスクは急速に高まることになる。
このような状況を突き詰めていくと、何十万人あるいは何百万人という平均値での話とは違って、個人レベルでは毎日の生活環境や食習慣に基づいて自分自身が受けた、あるいは、受けると予想される被曝線量そのものを知っておく必要が出てくる。これは個人個人の課題だ。政府や国連が健康被害について言及する際は集団としての福島県民全体について言っているのであって、「私」とか「あなた」という個人のレベルでの話はそれとはまったく別物として見るべきであろう。この点をよく理解しておく必要がある。
チェルノブイリでも、ジトーミル州での被曝線量を見ると、平均値的には、生涯の被曝線量は100ミリシーベルト以下に収まるようだ。そうは言っても、個人レベルで見ると、この本に紹介されているように、さまざまな健康障害が現実に起こっているのである。事故後26年経過した今、ウクライナ、ベロルースおよびロシアで何が起こっているかを直視しなければならない。
セシウム137の半減期は30年であるので、一度汚染を受けた場所では除染を行わないかぎり放射能レベルが当初の百分の一以下になるのは7回の半減期を過ぎた210年後のことだ。一世代を25年とすると、210年は8世代前後に相当する。大雑把に言えば、現在生活している人たちは、生涯同一場所に住み続ける場合、生涯を通じて現時点での被曝リスクとほぼ同一レベルの被曝リスクに晒され続けるということだ。

 

          

日本でも事故直後のヨウ素131による被曝データは存在しないようだ。
日本政府は初期動作において大きな過ちをおかしたのではないか。半減期が8日と短いヨウ素131のデータを収集しなかったのだ。あるいは、収集したけれども隠しているのかも知れないと勘ぐりたくもなる。
(注:2011311日以降、好むと好まざるとにかかわらず、政府や官庁の行動や言動を懐疑的に見るようになってしまった。皆さんの中にもこういう感じを抱いている人は多いのではないだろうか。)
以前、「木村真三さんという放射線衛生学の研究者」 というブログを掲載した(20111217日)。そのブログでは、この研究者が当時どうにもやりきれない思いを抱いたという話を紹介した。その一説を下記にもう一度掲載してみよう。
....311日の福島第一原発での事故直後、職場(労働安全衛生総合研究所)の幹部からは自主的な調査を控えるようにとの指示があったという。東海村での臨界事故やチェルノブイリ事故について自分が今まで研究してきた成果や知識を、この未曾有の危機に直面しながら事故現場の人たちに対してまったくフィードバックができないという「やり切れない思い」があった。

木村さんは辞表を出した。そして、原発事故の5日後には放射線の測定器を携えて福島へ向かっていた.... 

上記の研究所は厚生労働省の監督下にある。この研究所のウェブサイトを見ると、「労働安全衛生総合研究所は、わが国で唯一の「産業安全及び労働衛生」分野における総合的研究機関として、「職場における労働者の安全及び健康の確保」に資するため、独立行政法人として真に担うべき安全衛生にかかる研究課題について、次の基本方針に基づき、以下の分野を重点として事業を展開します」と述べている。
この日本で唯一の「産業安全及び労働衛生」分野における総合的研究機関では、なぜか福島第一原発事故直後の初動では積極的に取り組もうとする姿勢が欠如していた。経験豊かな専門家を抱えていながらも、なぜか一歩前へ踏み出そうとはしなかった。水素爆発による格納容器の爆発の様子をテレビで見ても放射性物質の拡散については何ら危機感を抱かなかったのだろうか。専門的な観点から、原発周辺の住民の健康は今後どれだけの影響を被るのかという発想はなかったのだろうか。省庁の壁を取り払って行動することができなかったのだろうか。 

事故直後のヨウ素131による被曝線量が実測されなかったということは、汚染の程度を知ろうとすると、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)によるシミュレーション結果に頼る以外に方法がないということだ。そのSPEEDI自体に関しても、「事故発生の当初から原子炉施設における測定や、測定に基づく予測計算によって放出源情報を求めることができない状況が続いていた。このため、大気中の放射性物質の濃度や空間線量率の変化を定量的に予測するという本来の機能を活用することはできていない」と、原子力規制委員会は述べている(www.nsr.go.jp/archive/nsc/mext_speedi/)。 

この原子力規制委員会の説明が大きなヒントを与えている。 

つまり、厚労省ならびに労働安全衛生総合研究所(あるいは、別の研究所でもいいのだが...)がその総力をもって初期データを採取していたならば、SPEEDIの予測精度を高めることができたかも知れないということだ。 

初期データを収録するということは原発事故の被災者ならびに将来の日本を担う子供たちの安全・健康の確保につながっていくことになる。残念ながら、この視点がまったくなかったのだ。何故そうなのかと考えると、原子力行政は文科省の管轄であることから、官庁特有の縄張り意識、あるいは、日ごろの縦割り行政の感覚から、有用な人的資源や専門知識を持ちながらも厚生労働省は動こうとはしなかったということかも知れない。 

シミュレーション・データは実測値ではない。その通りである。しかしながら、まったく何もないよりは遥かにましである。実際の汚染の状況にかなり近い描写になってくるのではないかと思う。 

インターネット上で入手可能なSPEEDIのデータを覗いてみよう。たとえば、「内部被ばく臓器等価線量の積算線量(3126:00から4240:00までのSPEEDIによる試算値)」というデータがある。これは当初の45日間に1歳児が甲状腺に受けたであろう累積被曝線量である。核種はヨウ素合計。地図にプロットされた領域を見ると、100ミリシーベルトの領域は福島原発から北西に伸びて、飯舘村はそのほとんどがこの領域に入っている。その西側にある川俣町もほぼ2/3が入っている。福島原発の南側を見ると、この100ミリシーベルトの領域はいわき市の一部にも長く伸びている。 

同様に成人についてのデータを覗いてみよう。「外部被ばくの積算線量(3126:00から4240:00までのSPEEDIによる試算値)」を見てみよう。対象核種はヨウ素131、ヨウ素132、セシウム137およびセシウム134である。核種の構成は同期間の1歳児用データ(ヨウ素合計)とは異なる。100ミリシーベルトの領域は上記の1歳児用のデータに比べて非常に限られており、狭い。飯舘村に着目すると、南部に住む成人は10ミリシーベルト(屋内退避レベル)の累積被曝線量を受けたと推定されている。

 

          

2011311日の福島原発事故の直後、「直ちに人体に影響を与えるような数値ではありません」といった言葉をしばしば耳にした。
政府高官の言葉としてこれほど無責任な言葉はない。当面の混乱を少しでも抑えたいとする権力者側の発想に基づいた言葉だと言えよう。あの当時、政府高官の間では当面の混乱を如何に回避するかだけに関心が寄せられていたことはこの対応振りからも明白である。
飯舘村では県の放射線リスクアドバイザーが村へやってきて村会議員や役場の職員を集めてセミナーを開き、現行の放射線レベルは安全であると説明した。大学の先生からの話を聞いて、殆どの人たちはすっかり安心してしまったそうだ。ところが、何回目かのセミナーがあった翌日の411日、飯舘村は政府によって非難区域として指定された。言うまでもなく、この突然の発表は住民にとっては非常に大きな驚きであった。

セミナーに出席していた人は「あの時、御用学者の言うことを信じてしまったことが悔やまれてならない」と述懐したという。この人たちは原発事故の被災者であり、県や政府のプロパガンダによっても翻弄された二重の被災者である。二重の苦難を与えた根源的な要因は、政府や県が「人命第一」、「健康第一」とする政治姿勢をとってはいなかったことにある。

これは日本だけのことだろうか。必ずしもそうではない。残念なことに、国連のレベルでも同じことだ。
最近発表された国連のプレスリリース[注2]によると、
「福島第一原発事故の放射線被曝は、即座の健康被害を引き起こさなかった。そして将来に渡って一般市民、原発事故作業員の大半の健康に影響をおよぼす可能性はほとんどないだろう。」  
と冒頭で述べている。このプレスリリースに対する私の印象は「ひどく過小評価している」というものだ。確かに、事故直後の急性放射能障害による死者は幸いにもゼロであった。この点はチェルノブイリの原発事故とは大きく違う。しかしながら、長期にわたる健康障害については、チェルノブイリ事故についてもそうであったように、国連の委員会に集まる専門家は福島原発事故による影響は非常に小さいという姿勢を崩してはいない。その一方で、長期的に観察する必要があるとも言っている。福島で苦労している被災者は観察の対象でしかなく、寄り添ってその苦労を解決しようとする姿勢が見えて来ない。まるで他人事といった感じだ。このような印象を受けたのは私だけだっただろうか。
これは何処から来るのだろう。専門誌への投稿では、癌の発生が放射線被曝によると結論付けるには、通常、被曝線量が増すにつれて癌の発症頻度が高くなることを統計的に説明しなければならない。被曝線量がシミュレーションによる数値だけであった場合は、その論文は受け入れられないことになる。全面的な実測データがないにしても、部分的にでも実測データあれば、シミュレーション・データの信憑性を高めることができる。癌の発症との相関性を論じる際には、そういう意味で実測値の存在は非常に大切だ。他のブログでも記述したことではあるが、先天異常について論じる時もまったく同じことだ。
事故直後の空間線量データが存在しないという状況は、原発事故の健康影響を過小評価したい国連の委員会や電力産業にとっては非常に好都合なのではないか、と勘ぐりたくなる。 
 
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4月11日、「福島県住民99パーセントに内部被ばくなし 東大研究チーム」とマスコミが報道した[注3]。
原発事故の後、福島県の住民について内部被ばくの調査をしたところ、99の住民からは放射性セシウムが検出されなかったことが分かりました。東京大学の研究チームは、 去年の3月から11月にかけて、福島県の住民など2万人余りを対象に内部被ばくの状況を調査しました。その結果、年間0.01ミリシーベルトを超えるセシウムが体内から検出されたのは212人で、全体の1%でした。15歳以下の子どもは去年5月以降、1人も検出されませんでした。研究チーム(東京大の早野龍五教授らのチーム)は「食品の出荷規制が守られ、市場に流通した商品のセシウム濃度が極めて低かったことが理由とみられる」と分析しています。また、「1986年のチェルノブイリ原発事故と比べて、内部被ばくが非常に低いことが示された」としています。
この報道に関しては内部被曝を研究している専門家や医師ならびに市民から批判が出た[注4、注5]。木村 知、 田口茂、 竹野内真理、松井英介、 矢ケ崎克馬、肥田舜太郎の諸氏から『「福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果ー福島第一原発事故7ー20ヶ月後の成人および子供の放射性セシウムの体内量ー」(早野氏論文)に対する公開質問』が出されている。
内容は結構長いが、是非ともその内容をご確認願いたい。二部に分かれている。批判の要点を私なりきに下記に示してみよう。
....実際の「早野氏論文」を読むことなく、これらメディアが報じた記事のみを読んだ多くの国民は、おそらく、福島県内に留まっている住民の方々の内部被ばくが少なかったことに安堵したと同時に、「原発事故は過酷だったが、その放射能汚染による実害は、心配するほどのものではなかったのだ」とか「事故後行われた政府による対策は、旧ソ連と比較して優れたもの、適切だったものと評価できるのだ」と感じてしまったに違いありません。
もちろん、住民の方々にセシウムによる多量の内部被ばくがないのであれば、それは非常に良い情報であると言えるでしょう。しかし、このホールボデイカウンタ(WBC)による検査自体が、内部被ばくの「実態」を正確に評価するに耐えるものではなく、もちろん「安全」を担保し得るものでもないことは、内部被ばくの研究者の間では「常識」です。
また、早野教授は「健康に影響がでる値では到底ない」などと断言してしまっておられますが、被ばくによる健康影響に「安全閾値」など存在しないことは、放射線防護における国際的コンセンサスであり、これも「常識」です。この国際的コンセンサスや「常識」を一切無視した、このような発言を、多くの国民が目にするメディアで発信することは、国民への「正しい知識」を広める責任を負う専門家の言動として、疑問を感じずにはいられないものであります....
....ベラルーシ中央科学研究所所長のバンダジェフスキー博士は10Bq/kg位の体内汚染から心電図異常もあるとしている。今回使用したWBCの検出限界値はセシウム134及び137それぞれ300ベクレル/Bodyと大きく、対象とした4歳児の平均体重は16kg、小学1年生(6歳児)の平均体重は21kgであり、これらに対する検出限界値はそれぞれ18.75ベクレル/kg、14.3ベクレル/kgとなり、検出誤差を20%程度と仮定すれば4歳児は19.13ベクレル/kg以下なら検出されず、内部被ばくが無かった事として見過ごされてしまう....
ここに、調査に用いられた検出限界に対する中心的な反論が見られる。検出限界が高い状態でWBCを使用した場合、検出限界以下の内部被曝は見過ごされるてしまうことがこの調査の最大の欠点だ、とする専門家の意見は貴重だ。
チェルノブイリでは、バンダジェフスキー博士の知見によると、10Bq/kg位の体内汚染から心電図異常があるとのこと。このWBCによる調査方法をこのまま受け入れると、子供たちの過大な内部被曝が見過ごされることになる。上記によると、平均体重が21kgの小学1年生の場合、危険なレベルの内部被曝が「見過ごされる」ことになる。体重がより少ない幼児も同様に「見過ごされる」。このまま放置すると、将来、数多くの住民に心臓の異変が現れるかも知れない。
このWBCによる調査は被曝実態を隠すためのものだとする厳しい指摘がさらに続く。
....早野龍五氏らによる『福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果― 福島第一原発事故7-20 ヶ月後の成人および子供の放射性セシウムの体内量―』に用いられた検査手段がホールボディーカウンター(WBC)であり、しかも感度の悪い測定条件によっていることがこの調査の最大の特徴である。この調査ではたった2分間しか測定せず、結果として300Bq/全身と、きわめて検出限界を高くして使用していることに調査の特徴があり、この手段(WBC)に限定して測定していることに、被曝実態を記録上低く見せようとする意図が懸念される....
....被曝の影響は、胎児や小さい子供に大きく、この検査方法では、子どもの年齢が低く体重が少ないほど、検出限界によって内部被曝量は隠され、「検出されなかった」となってしまい大きな問題。
上記の理由で、『内部被ばくのレベルが極めて低い事が示された』と結論づける事は、将来ふくしま県民に健康被害がでた場合には、『放射線の影響は考えにくい』とする国や東電を有利にするものであり、内部被ばくの矮小化・隠ぺいと言わざるをえない....
論文そのものを読んだ専門家にとってはさまざまな反論の理由があるようだ。例えば、公開質問状では次のような批判も成されている。
やはり一番私が聞きたいのは、BqからmSvへの換算式の根拠です。論文157ページの最後から8行目、2mSvが400Bq/day、60000Bq/Bodyとなっていますが(すなわち1mSvでは200Bq/day、また30000Bq/body、(こんなきれいな数字になること自体が、不思議です。根拠を示してほしい)、この根拠はどこから来ているのか。計算式とその計算式を作った科学者もしくは機関、その根拠を示してください....
....WBC検査で、初期被ばくを完全に見逃しているが、このことをどう考えますか?
ちなみに東大医科学研究所の上昌広教授も以前にTWで以下の発言をしています。
「初期に高い被ばくをした住民がいるのは確実です。(中略)放射線大量放出があった3月15日は飯舘村などでは、子どもを外で遊ばせていました。土壌の汚染濃度も高い。甲状腺がんは将来出ると思います」....
ここで、チェルノブイリの事故直後の様子を思い出して欲しいと思う。チェルノブイリ原発事故はメーデーの祝日の数日前に起こった。4月26日だった。近隣の町ではメーデーでのデモ行進のための準備をするために多くの人たちが屋外にいた。何も知らされなかった。飯舘村でも、放射線大量放出があった3月15日は、子どもを外で遊ばせていたと言う。日本でも危険性が知らされてはいなかったのだ。これらの状況はチェルノブイリと福島との間に明確な相似性が存在することを示している。
....早野氏らがwhole-body-counter(WBC)で計測したのは、計測が適正に行われたという前提でだが、体内に取り込まれたセシウム137およびセシウム134(137Cs and134Cs)から体外に放射されたガンマ線量である。ストロンチウム90(90Sr)が壊変の過程で放射するベータ線や、プルトニウム239(239Pu)から放射されるアルファ線は、体内での飛程がたかだか、90Sr;10mm,239Pu;40μmと短いため、WBCでは計測されない(あるいは、体内にあっても、WBCではないと評価される)。
また早野氏らが行った土壌の測定は、137Csの表面線量のみであって、ウクライナやベラルーシで行われているような土壌中の90Srや239Puを初めとする各核種の検査は行われていない。さらに土壌中の137Csなどが経時的に土壌のより深いところに移動していることは、日本政府発表データによっても示されている。したがって、土壌については、土壌そのものに含まれる各核種を調べる必要がある。食品についても同様の事柄を指摘しなければならない。食品に含まれる各核種の計測方法およびその結果については、この論文には記述がない。

ちなみに、90Srの物理的半減期は、137Csのそれとほぼ等しい約30年であるが、90Srが骨や歯に留まる時間は数十年におよび、さらに骨には造血臓器である骨髄があることから、白血病や免疫不全などの健康リスクはきわめて高いことが知られている。
239Puは人類が創り出した最強の毒物であって、この核種によるバイスタンダー効果や遺伝的不安定性の誘導と相まって、DNA損傷などの健康リスクはきわめて高いことをつけ加えておきたい。
このように、137Cs and/or134Cs測定の限られた不十分なデータをもとに、冒頭に示したような内部被曝評価の結論を導く方法は、きわめて非科学的である....
セシウム137やセシウム134だけの限られたデータをもとに将来を担う子供たちの健康を評価し、将来も安全であると言い切ってしまうことはナンセンスだと言っている。早野論文にとっては厳しい批判である。
ドイツ放射線防護協会の見解[注6]によると、WBCの調査対象となるセシウムとWBCでは測定することができないストロンチウムやプルトニウムとの関係は次のように量的に示されている。
福島第一原発で使用されていた混合酸化物燃料はより多くのプルトニウムを含んでいたが、プルトニウムは多分すべてが外部へ排出されたとは考えにくい。過去の核関連事故の事例を見ると、ストロンチウムは爆発地点から比較的近い地域へ降下し、通常、遠く離れた場所ではストロンチウムによる汚染の程度は低下する。日本の事故では、セシウム137、セシウム134、ストロンチウム90およびプルトニウム239による放射線量の割合は100:100:50:0.5となる。
ストロンチウム90の半減期は28.79年である。セシウム137の30年とほぼ同レベルだ。また、セシウム134の半減期は2.1年だ。プルトニウム239の半減期は2万4千年。仮に事故から2年後にWBCによる測定が行われたとしよう。当初地上に降下した放射性物質について言えば、ドイツ放射線防護協会が示した比率は大雑把に言うと100:100:50:0.5から100:50:50:0.5へと変わっている筈だ。つまり、セシウムの測定線量150(= 100 + 50)に対して、50に相当するストロンチウムがWBCでは測定値には現れないまま、その被曝が継続しているとの計算になる。セシウムの測定値に1.33を掛けた値がセシウム137、セシウム134およびストロンチウム90の総被曝量になるのではないか。ただし、福島原発から離れれば離れるほどストロンチウムの影響は小さくなる。どれだけ離れるとどれだけ減少するかという量的な情報はここでは議論し得ない。 
また、別の科学者は下記のように批判している。
昨年11月に、福島県の県民健康管理調査の検討会議の議事録の一部、「県側が尿検査に難色を示した箇所」を、福島県が公開する時には削除されていたことが判明している。この調査と福島県側の議事録隠蔽が表裏一体なのではないか?と懸念しているのである。
尿検査の検出限界はおよそ0.05Bq/kg程度である。単純化して1日の排尿量を1kgと仮定して全身被曝量に換算する。子どもの場合は生物学的半減期を40日として計算すると、2.9Bq/全身となる。これを早野氏らが行った300Bq /全身と比較するとなんと、103倍も検出感度がよい。大人の場合は生物学的半減期を80日として、0.05Bq/kgは5.8Bq/全身となり、感度は52倍である。
....住民に寄り添い、できるだけ放射能被曝があるかどうかを丁寧に検出しようとする意志があるのならば、彼らの行った以外の道が選択されたであろう....
....内部被曝で、より脅威があるアルファ線ベータ線はいくら体内に放射性物質があってもWBCでは感知できない。セシウムはベータ線を出してバリウムに変わり(崩壊系列)、バリウムはガンマ線を放出する。当初セシウムであった1原子からはベータ線とガンマ線の2本が放出される。その際放射平衡と呼ばれる状態に達しているから、体の中の集団としてはベータ線の放出量とガンマ線の放出量がいつでも等しいのである。早野氏らは内部被曝線量を計算しているが、ベータ線の被曝線量は計算しているのであろうか?計算方法等が示されていないので判断できない。内部被曝には上記のような崩壊系列が伴う。ベータ線、アルファ線は飛程(飛ぶ距離)が短い。それだけ分子切断の密集度が上がり、外部被ばくに比較して100倍から1000倍のリスクを生ずるといわれる(矢ヶ崎:内部被曝、ECRR2010年勧告参照)。

WBCで測定できない「低被曝線量」に重大な落とし穴がある。WBCで測定限界以下とされる領域に内部被曝は重大な危険が潜んでいるのである。この観点から、感度の低いWBC測定は「内部被曝を測定するふりをして内部被曝の危険を隠す」ものである....
 
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他にも様々な指摘事項があるのだが、この最後の段落が述べている内容は聞くにも恐ろしい内容だ。内部被曝の現状を調査するためにホールボデイカウンタを使用し、検診の数をこなすために一人で2分間程度の検診を行った。これでは十分な精度は得られない。したがって検出限界以下であるからと言って安心はできないとの厳しい指摘である。われわれ素人は専門家の意見を真摯に受け止め、寄せられた意見を正しく理解しなければならない。
どうも早野論文では内部被曝で危険な核種の一部分だけを測定し、しかもその測定そのものについても十分な精度がなかったということだ。ふたつの非常に基本的な問題が未解決のままだ。
さらに、事故直後の被曝が考慮されてはいないのではないかとの指摘もある。三つ目の問題点だ。
またもや情報隠しが公(福島県)の手で行われているということなのか。科学者たちが出した上記の公開質問状に対して東大の研究グループはどのような回答を示すのだろうか。福島県はどのような説明をするのだろうか。今後の推移を注目したいと思う。
1冊の書籍の読後感から遥か遠くにまで来てしまった。それほどに、福島原発による健康影響の問題は深く、かつ、非常に広大な領域が関係しているということのようだ。
 
参照:
注1:低線量汚染地域からの報告: 馬場朝子・山内太郎共著、NHK出版、2012年9月25日発売

2:「福島原発事故で差し迫った健康リスクはない」福島原発事故で国連機関が評価: アゴラ言論プラットフォーム、agora-web.jp/archives/1540726.html201364日掲載 (原文の表題:No Immediate Health Risks from Fukushima Nuclear Accident Says UN Expert Science Panel - Long Term Monitoring Key, UNIS/INF/475, dated May/31/2013, www.unis.unvienna.org/unis/en/.../unisinf475.html)

3: 福島県住民99パーセントに内部被ばくなし 東大研究チーム:テレビ朝日、2013411

 

注4: 東大・早野論文への科学者の反論(1):2013年6月2日、http://nimosaku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-02
注5: 東大・早野論文への科学者の反論(2): 2013年6月3日、http://nnimosaku.blog.so-net.ne.jp/2013-06-03
注6: Calculated Fatalities from Radiation Officially Permissible Limits for Radioactively Contaminated Food in the European Union and Japan: A foodwatch Report by Thomas Dersee and Sebastian Pflugbeil, German Society for Radiation Protection, September 2011