2014年1月17日金曜日

あの超軽量飛行機に続け


副題: 動物園で生まれ育った鳥が人から「渡り」を学習
 

1996年の米国映画「グース」を観た方々はあの映画を思い起こして欲しい。14歳の少女、エイミーはカナダ雁の雛が孵化した時「刷り込み」によって雛鳥たちの「母親」になってしまう。ここからこの映画は思わぬ展開を始める。最後には、これらのカナダ雁は実の親鳥から教わらなければ決して学ぶ機会がないはずの「渡り」を超軽量飛行機に乗ったエイミーから教わって越冬のために南へ向けて移動する。非常に楽しく、感動的でもあった。家族向けの映画としては環境問題や自然の営みを題材にした秀作だ。アウトドア派のご家族にはうってつけの映画だと思う。
 

No.1 出典:「ウィキペディア」の映画「グース」から
 

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あの映画のような試みが科学者グループの手で進められている。201010月とこの1月の報告、合わせてふたつの報告をご紹介したいと思う。
まず、2010年の記事(注1)をこのブログでは取り上げてみよう。この記事の主人公はホウアカトキである。この鳥の写真を見ると、「トキ」の一種であるだけに日本で今人工的に繁殖させようとしている日本古来のトキとよく似ている。

仮訳をして、それを下記に段下げをして示そう。
 

No.2 空高く:BBCはヨハネス・フリッツ博士と
彼の一団の奇妙な渡りに参加。
 

「おっしゃる通り、われわれはちょっと頭がおかしいのではないかと皆さんは思っているようですよ」と、苦笑いしながらヨハネス・フリッツ博士が言った。その現場を調査して、どうしてそう言われるのかは当方にも直ぐにピンと来た。
われわれ取材班は、今、スロヴェニアとの国境に近いオーストリアの小さな集落にある運動場に居る。その運動場には急ごしらえのキャンプが設置され、よく見かける道具があちこちに散らかっている。しかし、実に大きな鳥小屋だ。そこには14羽のホウアカトキが収容されており、二人のホウアカトキたちの「母親」が優しくホウアカトキの世話をしている。この様子はきっと読者の興味をそそるのではないかと思う。
そして、超軽量飛行機が脇に待機している。
この数日間、この質素な場所がワルダラップ・チームの本拠であり家であった。「ワルダラップ」はホウアカトキの別名である。でも、このグループはここに長居するつもりはまったくない。この一団はドイツからイタリアまでの1300キロの道のりをこれらの鳥たちと「渡り」を続けている最中だ。しかし、通常の「渡り」とは違う。鳥たちが超軽量飛行機の後を追って飛ぶことによって、科学者のチームが鳥たちに渡りのルートを教え込んでいるのだ。
信頼感の構築:
このプロジェクトはこの絶滅しかかっている種を救済する広範な保護計画の一部である、とワルダラップ・チームを率いるフリッツ博士が説明してくれた。
 

No.3 ホウアカトキは屋外ではそれほどうまくはやっていなかった

ホウアカトキはかってはヨーロッパ、北アフリカ、中東に広く分布しごく普通に見られる鳥であった。しかし、今日、生息地を失い、捕獲され、ヨーロッパからは姿を消した。モロッコにはすっかり数が減ってしまった群れが残っている。ほんのわずかがシリアでも観察されるが、それだけになってしまった。
ワルダラップ・チームは世界に散らばる他の幾つかのグループと共に人工的に繁殖した鳥を野生に戻すことができるかどうかの具体的な手法に取り組んでいる。でも、それは単に鳥籠の扉を開いて鳥たちを自由にしてやるといった単純な話ではない。本来ならば親鳥から学んだ知識によって毎年のように渡りをすることができるのだが、動物園で生まれ育った鳥たちはそのような知識を持ってはいないので、野生へ放されても生き長らえることはできない。
 

No.4 里親は終日鳥小屋の中で鳥たちと共に時間を過ごす。

米国で進行していたOperation Migrationと称するプロジェクトに触発されて、科学者たちは「渡り」の飛行計画を鳥たちに教え込むことにした。しかし、この目標の実現には非常に時間がかかる。すべての活動は春から始まる。雛が孵化すると、雛たちを人間の里親に引き会わせる。その時点以降何ヶ月もの間、里親は鳥たちが眠っている時間は除き四六時中鳥たちと一緒に過ごし、餌を与えたり、身づくろいをしてやったり、鳥たちと遊んだりする。
今年のチームには二人の里親がいるが、シーニャ・ウェルナーはその一人である。彼女曰く、「私たちは鳥たちの親になろうとして、可能な限りのことをしているわ。一番大事なことは自分を信用してくれるかどうかです。」そして、この努力の結果、最終的には里親が超軽量飛行機に乗っている時であっても、鳥たちは里親が行くところへは何処へでもついて行くようになる。
野生保護の危機:
この活動には費用もかかるし、多くの人的な介入が要求され、とてつもなく時間がかかるが、ワルダラップ・プロジェクトは従来の野生保護活動では見られなかったような領域へ踏み込もうとしている。野生を保護するためにその生息地を確保し、保護区を設定するといった時代は過ぎ去った。
極限の構想:
この報告は絶滅に瀕した生き物を救おうとする保護活動家たちの徹底的な手法を紹介する3部作の中の最初のものである。恐竜が絶滅した時代以降、目下、最も大規模な絶滅が進行しており、われわれは今それを目撃している。ある意味で、恵まれた機会に感謝したいとも思う。ある研究者はさらに進んでもっと極限的な策を取らなければならないとも提言している。
伝統的な手法に取り組みながらも、われわれはさらに資源を投下し、これらのホウアカトキの例に見られるように野生への再導入を試み、生き物を地球規模で移動させ、クローニングも含めて、もっと極限的で実験的な手法さえも視野にいれて行かなければならない、と彼らは言う。
野生動物保護財団のジョン・ファ・ダレル教授の言葉:種の個体数は激減している。そういった種の生存を実現するにはより多くの介入を施すしかない。
野生動物保護財団の理事を務めるジョン・ファ・ダレル教授は、「われわれは絶滅の脅威にさらされている6000種について話をしている。また、増加する一方の公害や生息地の分断化、他の生物を脅かす侵略的な種についても論議をしている。非常に多くの種が絶滅の脅威にさらされており、この脅威は強まるばかりだ。いくつかの状況においては、種の個体数が極端に低下しており、それらの生存を図るには介入の度合いを強化するしかなく、そのような状況がわれわれをかなり極端な手法に走らせているのが現状だ。われわれ自身はもっと革命的な手法を考えざるを得ないところまで追い込まれている。」
確かに、このプロジェクトは勘定書きにうまく調和している。翌朝、われわれはチームが行動を開始する様子を目撃することになった。
 

No.5 要は鳥たちに里親の後を追わせることにある。
でも、何時もうまく行くとは限らない。

夜明けとともに、キャンプは闇の中から脱して蜂の巣を突っついたような活動が始まった。スロヴェニアとの国境を越えて、今日は200キロ程を移動する。そのための準備が始まったのだ。
最後の準備もとどこおりなく終了し、超軽量飛行機に乗り込む前に里親のシーニャはホウアカトキたちの様子を確認した。速力を得て、露で湿った牧草地を横切って空中へ上っていく。霧が立ち込める田舎の風景が遠ざかっていく。
 

No.6 「渡り」の経由地

鳥小屋があけられて、「こっちよ、ワイリー、こっちへ来て」とラウドスピーカーから流れてくる里親の声に勇気づけられて、鳥たちも空中へ飛び立つ。しかし、愛情を込めて鳥たちに与えられた「ワイリー」という呼び声は鳥たちをもう少しその気にさせるには何かが必要であることが間もなく分かった。
時々、里親の努力が功を奏して、鳥たちはV字型の隊列を成して飛行機の後を追うのが観察される。しかし、その後鳥たちはばらばらになってしまい、里親が懸命に呼び戻そうとする声だけが上から聞こえてくる。この奇妙な空中散歩は90分間ほど続けられたが、今日は、鳥たちは、いたずら盛りの子供のように、言われた通りに実行する様子は見せなかった。
ついに、チームは今日の仕事をここで切り上げることにした。出発した地点からたった10キロ移動しただけだった。

元の軌道に戻って:
2-3週間後、フリッツ博士から連絡があった。
 

No.7 チームは予定のルートに沿って
10キロ程を移動しただけだった

初期の失敗の後、鳥たちは行動を起こした。1300キロの「渡り」を終了し、記録的な時間でイタリアに到着した、と伝えてくれた。
2010年の渡り」は素晴らしかった、桁外れの出来事だった、と彼は言った。
「初めて、渡りの速度や距離が野生の鳥が渡りをする時の速度や距離と肩を並べるまでになった。」
初めての「渡り」が終わった今、このホウアカトキの集団は「渡りの飛行計画」を自分のものにしている。繁殖期が来た時には人の手助けもなく自分たちだけでドイツへ渡って欲しいと思う。
これらの鳥たちに将来何事が起ころうとも、ひとつだけ確かなことがある。それは、ここに報告した人の介入を極度に高めた手法は決して容易でもなければ、予測可能でもないという点だ。

私がもっとも面白いなあと感じたのは、これらの鳥たちの里親が超軽量飛行機に乗っている時であっても自分の親として認識している点だ。鳥は里親の姿や形状に基づいて里親を認識しているわけではないことが明らかだと思う。それでは何を根拠に認識しているのだろうか。声やにおい、あるいは、幾つもの組み合わせだろうか。
 

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今日のヤフーニュースには『トキの「精密な」V字型飛行を解明、国際研究』という記事[2]がある。この記事はV字型に編隊を組んで飛ぶ雁やペリカンの習性についてひとつの科学的な説明が可能になったことを報告している。鳥たちは空気力学的にもっともエネルギーを要しない飛び方をしていることが分かったのだ。見事なグループ行動をしているのである。この記事の出所はこのブログで掲載したものと同じBBCからの報告である。このブログと上記のヤフーニュースの記事の両方を読んでいただくと、鳥たちの渡りには科学的な観点からも非常に興味深い背景があることをご理解いただけると思う。
冒頭ではふたつの報告について紹介したいと書いたが、二つ目の報告についてはその必要がなくなったようだ。
もう半世紀以上も昔のことになるが、私が子供のころは信州の田舎でも雁が一列になって上空を飛んでいるのを毎年のように目撃することができたものだ。
また、私が米国カリフォルニア州の最南端の片田舎で仕事をしていた頃(80年代から90年代)は、通勤の途上毎日のように、ソルトンシーの湖の上を縦一列に並んだペリカンが飛んでいるのを見ることができた。湖面すれすれに飛んでいるので、横から見ていることになるが、上下の動きに飽きもせず見入っていたものだ。湖面にぶつかる寸前まで滑空し、それから羽ばたいて上昇し、また滑空に移る。徐々に高度が下がって湖面にぶつかる寸前にまた羽ばたく。この繰り返しである。一列縦隊であるから、横から見ると、編隊としては見事なサインカーブとなっており、その山から山への波長は一定に保たれていた。見飽きることもないほどの素晴らしい眺めだった。
ただ、ペリカンによるV字型の編隊は残念ながらまだ見たことはない。

 

参照:
1Follow that microlight: Birds learn to migrate: By Rebecca Morelle Science reporter, BBC News, Oct/27/2010
2トキの「精密な」V字型飛行を解明、国際研究:ヤフーニュース、Jan/17/14headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140117-00000024-jij_afp...

 

 

2014年1月16日木曜日

ルーマニア労働事情(その2)


副題: 2014年にはブルガリアやルーマニアからの移民が大挙して英国へなだれ込んでくるという予測は杞憂に終わった
 

昨年の末、英国のタブロイド紙は「2014年になるとEUへ加盟してから7年を過ぎたブルガリアとルーマニアからの移民に対してビザなし、あるいは、雇用者からの雇用の意図を示す手紙もなしに、自由に英国へ入国することができるように入国条件が緩和されることから、2014年の元旦には両国の移民が大挙して英国へやってくるだろう」として大騒ぎをしていた。大きな広場が群衆で埋め尽くされた写真を掲載し、それがすべて移民であると言わんばかりの筋書きで危機感を煽り、11日のブルガリアからの飛行機はどれも満席になっているとの報道がまことしやかに流されていた。インターネット上でも、こういったタブロイド紙の典型的な興味本位の記事を垣間見ることができた。 

そして、2014年の元旦がやってきた。英国の空港がブルガリア人やルーマニア人の移民でごったがえしたというニュースはまったく聞こえてはこなかった。この大騒動は極右派による扇動の賜物であった。そして、まったくの杞憂に終わった。 

この英国での大騒動は「Y2K問題」とよく似ている。読者の皆さんは今もご記憶だと思うが、21世紀がやってくる前年、1999年の12月が近づくにしたがって「Y2K問題」がメデアを賑わしていた。コンピュータのプログラムでは4桁の年号が2桁で表されていることから、2000年は1900年と間違って認識される可能性があるとされ、そのことがそもそもの発端であった。つまり、1999年から2000年へとスムースに移行させるプログラムはなかったので、専門家を総動員して個々のプログラムの修正を余儀なくされた。政府や公共インフラのプログラム、軍のプログラム、あるいは、航空会社のプログラム、金融機関のプログラムを含め、コンピュータ・プログラムは誤作動を起こす危険性があると指摘されていた。特に、旧ソ連邦のシステムにはより大きな危険性が含まれていると一部のメデアは述べていた。そこには「俺たち自由主義圏の国は準備万端を整えているけれども、旧共産圏では本当に大丈夫なのかい?」といった嫌味たっぷりなニュアンスが含まれていた。あたかもコンピュータの誤作動によってロシアの核弾頭が間違って飛び交うかも知れないといった、非常に極端な出来事さえをも思わせるような調子であった。 

そして、いつものように年が替わった。2000年がやってきた。私は、2000年の年明け後数日間は特にこの「Y2K問題」がどこかで実際に起きているのではないだろうかと聞き耳をたてていた。チェルノブイリの原発事故みたいな途方もない事故がどこかで起こっているのではないだろうかと、特にロシアを含めてさまざまな可能性を考え、私の想像は尽きることがなかった。しかし、それらしきニュースは何もなかった。それまでに聞かされていた大停電、交通機能の停止、金融機関の機能停止、ミサイルの誤発射、等、危機的な状況は何も聞こえてはこなかったのだ。関係者が必死になって対処してくれたのですべてがうまく行ったということだろうか。何処の国でも適切に対処することができたということだろうか。実際にはいわゆる「Y2K問題」に起因する事故があったけれども、関係者は公表しなかったのかも知れない。あるいは、ロシアも含めてまったく何も起こらなかったのかも知れない。真相はどうも分からない。 

世の中には一般大衆を扇動し政治や商業のために誇大宣伝をする人たちがいる。しかも、その作業を実に巧妙に実現する能力や資源を持っている人たちが世間にはたくさん存在するようだ。そういった能力や資源は建設的な目的に使ってくれれば実に有難いのだが、世の中そんなにうまくは行かない。多くの国で一般大衆が必要以上に惑わされることになる。 

2014年の元旦からロンドンの空港がブルガリア人やルーマニア人の移民で足の踏み場もないほどになることを喧伝していた人たちにとって、元旦、2日、3日と時が過ぎて、空港の様子を眺めるにつけ何かが起ることへの期待感みたいなものは急速に消えてしまったのではないだろうか。それに代わって、今は、まったくのナンセンスを振り回していたことへの腹立たしさ、あるいは、自分の洞察が欠けていたことに対する嫌悪感にさいなまれているのではないかとも思う。

 

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11日のガーデアン紙の記事[1]を覗いてみよう。ガーデアン紙は高級紙のひとつである。ゴシップや扇動的な内容ならびにお色気で販売部数を伸ばしているタブロイド紙とは違って、その内容には定評がある。その一部を仮訳して、下記に段下げして示してみたいと思う。 

ルーマニアのトランシルヴァニア地方から英国へ到着しつつあったヴィクトル・スピレスクがどんな夢を持っており、その夢を実現するために英国では何を必要とするのかは別として、到着後数分も経たないうちにテレビカメラやマイクに囲まれて労働党のケイス・ヴァズ議員とコーヒーを共にするという場面も彼の夢のひとつだったというのは非常に疑わしい。
しかし、トルグ・ムレーシュ発のウィズ・エアW63701 便に乗っていた10人にも満たないルーマニア人の移民の一人として、11日に規制が緩和された英国への入国条件の恩恵を享受するべく、イノシシ猟を得意とする友人のジュリアン・バルバットと共に旅をしてきた建設工事の労働者で30歳のスピレスクはえらく仰々しい出迎えを受けていることに気が付いた。
英下院の内務特別委員会の議長を務めるヴァズ議員、ならびに、保守党の委員会のメンバーでもあるマーク・レックレス議員がルートン空港にて早朝から待機し、二人はブルガリアやルーマニアからやってくる移民が自由に英国へ入国できるようになった初日の様子を「自分の目で見たいものだ」と言っていた。
二人が実際に見たのは旅客席の3/4程度が埋まったフライトで、146人乗りの旅客機の乗客のほとんどは英国で仕事をしていて、ルーマニアへ帰省しクリスマス休暇を家族と共に過ごしてから再度英国へやってきた人たちであった。この事実は「大挙してやって来るルーマニア人」という筋書きとは大きな隔たりだ。
到着客用の出口の扉が開き、スピレスクが悠然とした足取りで外へ出た。彼は毛糸編みの帽子を目深に被り、大きな旅行鞄をぶら下げて、英国へは今初めて入国したんだという実感に浸っていた。しかし、息つく暇もなく彼はマイクをかざすレポーターの大群に取り巻かれているのを悟った。
レポーターたちは彼に「英語はしゃべるの?」と質問した。事実、彼は英語を喋っていた。彼は「MTVや映画を観ているし、インターネットを使っている」と答えた。
職は見つけたのかい?「イエス。仕事にでかける。明日にでも仕事を始める。」彼は洗車の仕事を見つけており、もっといい職を得たいとの希望を述べた。見通しは明るく、「ワクワクしている」と言った。
そうこうするうちに誰かが中傷めいた言葉を使って、福祉手当を目当てに英国へやってくる連中に関してあんたはどう思うかと彼の意見を求めてきた。スピレスクは快活に肩をすぼめて、関心がないことを示した。「俺には分からない。俺は働くのが好きだからここへやって来たんだ。ルーマニアでは建設業で一日10ユーロの稼ぎだった。「多分、ここでは時給で10ユーロ位は稼げるかも」と彼は言った。
英国の国民医療サービスについて何かの知識があるのかと聞かれた時、彼はすっかり面食らっていたようだ。彼は「え、それは何のこと?」と答えた。スピレスクの家はトランシルヴァニアのペリショールという小さな集落にあった。そこには妻のカタリーナが住んでおり、彼の出発の当日彼女は手を振って見送りし、「お金をたくさん貯めて」直ぐにでも帰ってきて欲しいと言っていた。
そこが彼が帰っていく場所なのだ。彼は今英国にいる。「自分の家を改造し、ルーマニアで生活をしたい。ルーマニアに住んでいる方が遥かに楽だ。何と言っても物価がそれほど高くはないからね」と言った。
スピレスクは友人の勧めで洗車の仕事を見つけていた。彼のボスは彼の住居を探している。彼はドイツよりもどちらかと言うと英国を選んだ。それはドイツ語が喋れないからだ。以前ドイツに2か月ほど滞在したことがあったものの、「俺は何にも理解できなかった」と。
そして今は自分が置かれているこのもてなし振りにいささか驚いていた。「イエス、当地にはたくさんの政治家がいる。何と言うことだ!皆さん、俺はあんたたちの国へ押し込みに入った訳じゃないんだよ!俺は働くために英国へやって来たんだ。あんたたちの国が国境を開いてくれた。そこで俺は働きに来た。金を貯めて自分の家へ帰るためにだ。」
彼に対するレポーターたちからの質問攻めはこれで終わった。ヴァズ議員と一緒に写真に収まることにも快く対応してから、彼は英国での第1日目に踏み出していった。
ヴァズ議員のルートン空港への朝駆けは英国内務省事務次官のマーク・セドウィルから彼の委員会に向けられた言葉「11日のためにはオリンピックの時のような準備を進めている」さらには、これを受けてテレサ・メイ内務相からの「準備は特段変わった物にはならないだろう」という言葉に対応するものだった。
この秘密の視察を終えた時点で、ヴァズ議員とレックレス議員はオリンピック級のセキュリテーの必要性については何も感じられなかったことを認めた。元旦には大挙して押し寄せてくるという状況を目にすることはできなかった。しかし、ヴァズ議員は元旦に到着した移民は今後何ヶ月もの間にやってくる移民の一端を見せてくれた、と語った。
「我が国へ入国した人たちと話をしたが、多くの人たちは既に我が国で就労しており、休暇を終えて帰ってきた人たちであるから、初めて入国した人たちとは違う」と、ライチェスター・イースト選出の議員は言った。「11日になったということで、家を飛び出して航空券を買い求めたという証拠は何も見当たらなかった。しかし、この問題は将来解決しなければならず、欧州連合全体として解決するべき課題でもある。この種のドラマが直ぐにでも終結するとはとても思えない。」
英国への入国者数の推定作業を委託することを政府が拒否したことについて彼は批判した。「英国にすでに住んでいるブルガリア人とルーマニア人は141,000人となる。委員会がかねてから抱いている関心事は我が国へやってくる人の数をしっかりと把握することであり、移民に関する諮問委員会が我が国へやってくる移民の数について調査を実施すべきであると今もなお政府に対して強く要請したい。」
レックレス議員はロチェスターとストルードから選出されたトーリー党の議員であって、彼はこう言った。「今朝私はここに居る。われわれ保守党は年間当たりで何十万にもなる移民の数を数万のレベルに低減することを約束しているからだ。そして、何といっても、私の懸念は、もしルーマニアやブルガリアからの移民が大挙して我が国へやっくるならば、今述べた目標を台無しにしてしまい、選挙民との約束を反故にしてしまうだろうという点だ。」
「あの約束を果たし、移民の数を制御することは決定的に重要だと私は思っているし、それを実現するためには欧州連合から離脱し、我が国の国境を再び我が国の管理下に置くことが必要となるかどうかをしっかりと判断しなければならない。そして、最終的には、わが国の選択肢として、われわれは国民投票と取り組まなければならないと思う。」
このフライトでやってきた人たちの大部分は既に我が国に住んでいる人たちだ、と彼は認めた。続いて、「明日はもっと多くの移民がやってくるだろうと私は思う。最終的には、何ヶ月もするとその総数は大きく膨らんでくる」とも述べた。
彼のこの見解はW63701のフライトに乗っていた他の乗客のひとり、アドリアンという名前の医師と共有するには至らなかった。
2009年に英国で働いていたことがあって、彼はエセックスで救急医療の医師として職場を確保し英国へ戻るところだった。この大騒動に彼は驚いただろうか? 「いいえ、私は驚いてはいない。何人かはやってくるだろうと私も思う。でも、彼らが言うようにあれ程多くの移民がやってくるとはとても思えない」と、彼は言った。
27歳のシルヴィウ・トデアは英国で職に就いて4年になるが、彼は市場開拓の仕事をしている。彼も、それ程大きな数にはとてもならないと思っている。「この国へやってくる人たちは働きにやってくる訳であって、福祉手当を目当てにやってくるのではない。何と言っても、ロンドンで生活するにはすごく経費がかかるんだから。」
他にも何人かはこの過剰な程に熱のこもった論争はひどく不快に思ったようだ。ゲオルゲ・オルメンシアンは汎欧州エラスムス賞の一環として3か月間の研究コースを開始するために英国へやってきたが、彼曰く「皆がわれわれを泥棒のように思っている。このような状況は大嫌いだ。昨晩ニュース番組を見ていたが、内容はこの種の政治的な宣伝だった。ルーマニア人についての完全な誤解だ。不愉快だ。」
数時間後ガトウィック空港ではブルガリアのソフィアから到着したイージー・ジェットの満席のフライトから降りたロンドンのキングズ・カレッジの学生、19歳のプレスラヴ・ペンチェフは同国人に対する雰囲気が敵意を感じさせるほどになっていることを否定しなかった。「英国へ働きにあれほど多くの人たちがやってくるのかどうか私には分からないけれども、福祉手当を貰うだけのためにブルガリア人やルーマニア人が大挙して押しかけてくるとはとても思えない。われわれは英国から何かを得る以上に英国に対して貢献していると思う。」
ロンドンのサウス・バンク大学でITを勉強している二人の学生、19歳のエヴァ・ジョルジエヴァとマヤ・ぺトラノヴァは労働法の変更によって授業料の支払いで恩恵を受けることになるかも知れないと言った。「私たちは英国の福祉手当の恩恵を受けるために英国へ来ているのではなく、しっかり勉強して職を見つけるために来ているんです」と、ジョルジエヴァが意見を述べてくれた。
「そのことこそがこの法律の要点なんです。自分たちの授業料を払うために私たちは働きたいんです。恩恵を受けるためではないわ。しっかり勉強をしたいから、パートタイムの仕事を探そうと思う。ま、様子を見たいけど」と、ぺトラノヴァが続けた。
20歳のナデア・ジョルジヴェアは規則が変わることを聞いていたので、英国で職を見つけたいと言う。「今回初めて英国へやって来ました。私はボーイフレンドと一緒になるためにこちらへやって来たんです。彼はこちらに住んでいるの。彼はパキスタンから。私は掃除をするような職であっても職に就きたいわ。」
しかし、ブルガリア人やルーマニア人に関して最近は膨大な量の否定的なメデアの報道があるにも拘わらず、ソフィア出身で現在クイーン・メリー大学で経済学の講師をしているアセン・イヴァノフ博士は、ロンドンの街は依然として非常に快適な場所であると信じている。「ロンドンは外国人にとっては素晴らしい街です。私は自分に向って敵意をみせるような状況には未だかって遭遇したことはありません。」
 

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このガーデアン紙の記事は英国社会の現実を余すことなく伝えてくれているように思われる。たとえば、英国社会は階層がはっきりとした社会であると言われている。このブログと直接的に関係するのはタブロイド紙と高級紙の存在だ。英国の日刊紙の中で発行部数がもっとも多いタブロイド紙「ザ・サン」は2013年の7月には毎日228万部を売り上げた。一方、高級紙ではタイムズが2013年の9月の時点で39万部である。この部数の違いは、大雑把に言えば、一般大衆紙としてのタブロイドと教育があり知識を志向する市民や高額所得者向けの高級紙とが住み分けていることを反映しているようだ。 

ガーデイアン紙の記事にもあるように、政治家はありそうもない危機的状況を声高に訴えて票を集めようとしている節があり、そのことが逆に選挙区の支持者との約束となって政治家にとっては余分な負担になっているような感じがする。移民をどの程度受け入れるのかは、英国が今後欧州同盟に残るのか、それとも、離脱するのかという選択とも繋がっている。国民投票の際には国内の失業率の低下策としての重要な論点のひとつになるのかも知れない。英国では来年の総選挙でキャメロン首相が再選されれば、欧州同盟からの離脱を国民投票にかけたいと既に表明している。また、英国独立党の党首は移民労働者の増加でEU離脱を求める声が強まっており、どのような政府も国民の声を無視することはできないと声高に主張している。総選挙を来年に控えて、英国の政治はさらに騒々しいものになりそうだ。 

しかしながら、人口の減少によって国力が衰えつつある日本とは違って、英国では人口が着実に増加している。2012年現在で6370万人の人口が2037年には1千万人近く増え、約7330万人に達するだろうとの人口推計が発表されている(英国国家統計局)。そして、この人口増を受けて2030年頃には英国の経済規模はドイツを抜き、欧州最強になるだろうとの推測もある。これを見ると、ひとつの国家にとって人口がいかに強力な資産であるかを思い知らされる。 

さて、今後も欧州同盟をさらに進化させ経済力を発展させたい欧州、それに対してメンバー各国には欧州全域の利害とは一致しない国内問題が存在している。この種の問題を解決するにはどのような政治的英知が必要なのであろうか。欧州の巨大な実験は続いていく。
 

 

参照: 

1Welcome to Luton: Romanian arrival greeted by two MPs and a media scrum: By Caroline Davies and Shiv Malik, The Guardian, 1 January 2014