2015年1月22日木曜日

パリでの週刊風刺新聞社の襲撃には米国とイスラエルが関与していたと推測される ― ロシアの新聞およびトルコの高官が非難


私はこの事件が17日に発生した時、その第1報を読みながら、「この襲撃で、いったい誰が一番得をするのか」と自問自答していた。
昨年の7月、ウクライナ東部でマレーシア航空のMH17便が撃墜された際には、事故原因が何だったのかが判明する前から、西側のメデアでは「あれはウクライナ東部の反政府派の仕業だ」、「いや、あれはロシアの仕業だ」とか「プーチンは大悪党だ」といった大合唱が起こった。旅客機が撃墜されたその日からである。あの大合唱はあたかも予定通りの行動のようでもあった。しかしながら、あの時、冷静な分析専門家たちはこの撃墜事件によっていったい誰が一番得をするのかとの問いを発して、「ウクライナ政府だ」との答えに到達した。
あれから多くの時間が経過した。
結論を出すのをためらっているかに見えるオランダ政府主導の事故調査委員会の結論を待つまでもなく、政府の思惑に捉われず客観的な報道に専念する代替メデアや独立心が旺盛な分析専門家、ならびに、常識的な一般市民の多くは「もっともそれらしい下手人はウクライナ政府だ」という結論に到達した。
あの時学んだ教訓に基づいて今回も自問自答してみた。「パリでの襲撃事件ではいったい誰が一番得をするのだろうか」と。
パリのど真ん中で起こったこの惨劇の特異性を反映してか、さまざまな推測や見解が出回っている。特に、大手メデアが推進する筋書きとは一味もふた味も違う見解が幾つも提起されている。昨今の経験知から言えることは、これらこそが、通常、われわれ素人にとっては十分に吟味しておきたい情報である。
幸か不幸か、今や、われわれ一般庶民は政府や主流メデアが後押しする嘘に満ちた情報や情報操作を見抜くことができるだけの自衛をしておかなければならないのだ。これが911同時多発テロ以降の国際政治の中で生きるわれわれ一般庶民の現実の姿である。
日本の市民さえもが国際政治の混乱に巻き込まれようとしている。ふたりの日本人がイスラム国で拘束され、身代金を要求されているとのニュースが飛び込んできたばかりだ。このお二人が無事に解放されることを願うばかりである。
最近、このブログのタイトルに示すような表題を持つ記事が目に留まった [1]。まさに陰謀説あるいは自作自演説を示唆するような表題である。今日はこの記事に注目してみたいと思う。 

<引用開始> 

Photo-1: 月曜日に発行されたロシアのコムソモルスカヤ・プラウダ紙の第1面最上段には「パリでの惨劇ではアメリカ人が関与していたのか?」というタイトルが見られる。 (Photo: Liveuamap.com)


CNSNews.com】 先週パリで起こった襲撃事件をめぐっては、いくつもの陰謀論が飛び交ている。これらの陰謀論は通常の非主流のウェブサイトを遥かに凌駕するものだ。これらはトルコの政治家やロシアの中心的な新聞ならびにイランのメデアから発信されたものである。 
 
これらの陰謀論を示唆し主張する本人たちはシャルリー・エブド紙の事務所やコーシャ基準の食料品店の襲撃の背後には米国またはイスラエルの諜報機関が暗躍していたとする説を世間に信じて貰いたいようだ。3日間の襲撃によって、路上での襲撃を含めて、合計で17名の犠牲者が出た。
大量に購読されているロシアのコムソモルスカヤ・プラウダ紙は月曜日の第1面最上段の記事で「パリでの惨事ではアメリカ人が関与していたのかも」と題する記事を掲載した。
政治分析を専門とするアレクサンドル・ズーリン大佐はウクライナ危機における対ロ経済制裁を巡って米国とヨーロッパとの間に生じた温度差との関連性を指摘している。
ーリン大佐はモスクワ応用問題研究センター(Moscow Center for the Study of Applied Problems)という組織を率いている。フランスのフランソワ・オランド大統領が15日に対ロ経済制裁の継続に関して疑念を表明した直後、同大佐は近いうちにフランス国内でテロが起こるかも知れないと予測した。
米国は対ロ経済政策に関してはEUとの間の協調関係を強化することができる何らかの手法を必要としており、テロ攻撃を引き起こすのは「費用が掛からず、非常に効果的な」選択肢である、と同大佐は言う。
上記とは別に、コムソモルスカヤ・プラウダ紙はロシアの経済専門家であり、「ネオコノミスト」と称するコンサルタント企業を代表するミハイル・ハズン氏とのインタビューを行った。この襲撃によっていったい誰が一番得をするのかという問いを吟味し、彼が到達した結論はもっとも得をするのは米国だという。
「米国のエリートたちの間には幾つものグループがあって、それぞれのグループには今回の襲撃を遂行する理由や機会があって、それぞれがそういった行動を組織化する能力を持っている」と彼は述べている。 
今回の襲撃によって得をする者として、ハズンは英国やサウジアラビア、「イスラム国やアルカエダ、等」も挙げているが、後者の可能性はより小さいと判断している。
新聞に見られる別の報告によると、ある方面筋はこの襲撃に関して疑惑の念を伝えている。パリのカフェのあるウェイターはこう言った。「誰かがイスラム教徒とキリスト教徒との間で戦争が起こることを望んでいる…」と。 
イランでは、プレスTV局が自社のウェブサイトで米国の元財務省高官であり、コラムニストでもあり、911同時多発テロについては陰謀説を唱えているポール・クレイグ・ロバーツの記事を掲載している。シャルリー・エブドに対する襲撃は「フランスの米国への追従をテコ入れするために意図されたものだ」と彼は記述している。
「容疑者たちは確かに罪を犯したが、彼らは犠牲者でもある」と、ロバーツ氏は述べている。「FBIによって仕掛けられたテロリストの企みはすべてが米国人にとってはあたかも本物であるかのように作り上げられている。」 
ロバーツ氏自身のウェブサイトを覗いて見ると、他の情報源から入手した情報も報告している。それによると、パリでの襲撃は「自作自演」であったと言う。即ち、噂に登った犯人を追跡するように綿密な秘密作戦が練られ、実際の黒幕の正体は隠されたままである。
「これが自作自演であろうとなかろうと、より広範な目的、あるいは、複数の目的のために銃の乱射が行われたのだ」と、彼は述べている。
上記の複数の目的には「フランスを米国の衛星国に引き戻すこと」や「パレスチナに対するヨーロッパの同情心を抑えること」ならびに「中東戦争に対するヨーロッパの反対を抑えること」が含まれている、とロバーツ氏は述べている。

イスラム世界に対する企み:
トルコの首都アンカラで長年市長を務めているメリ・ゴクチェクは、この日曜日に「イスラム教徒によるイスラム教徒のための正義と発展を推進する党(AKP)」による若手党員の会議において演説をし、モサドの介入を指摘している。
公共のアナトリア通信による報告によれば、フランス議会が最近パレスチナ国家を支える投票をしたことにイスラエルが立腹していることを理由に挙げ、ゴクチェクはイスラエルの諜報機関が黒幕であるとして非難した。
「イスラエルは、紛れもなく、ヨーロッパに親パレスチナの機運が高まることを望んではいない」と彼は述べた。「それ故に、この種の事件ではモサドが黒幕であることは確かだ。彼らは事件を引き起こしてイスラム教徒に対する嫌悪感を煽っている。」 
トルコの国会議員でありAKPの古参党員でもあるアリ・サヒンは、イスラム教徒に対する信用を破壊するために、シャルリー・エブドへの襲撃は「映画の一場面のように作り上げられている」とツイッターで述べた。
パリでの襲撃事件は報道されている内容がすべてではないと主張するトルコの指導者の間では、エルドガン大統領の言葉がもっとも影響力がある。彼は、もちろん、襲撃の当事者を厳しく非難している。 
「テロ行為は何もない真空状態に起こるのではないことに留意して欲しい」と、アンカラでのパレスチナ自治政府のアッバス議長との共同記者会見でエルドガン大統領が述べている。「これらのテロ行為は周到に練り上げられた筋書きにしたがって実施されたものであって、われわれはイスラム世界に対して行われる陰謀に敏感でなければならない。」 
エルドガン大統領はイスラエルを酷評する政治家として知られ、米国がテロ組織としてリストに挙げている「ハマス」を支援しているが、この機会を利用して、他の国の指導者たちと一緒にこの日曜日にパリでの反テロの大行進に参加したネタニヤフ首相を厳しく非難した。 
「彼がどうしてあそこへしゃしゃり出たのか私には理解できない」とのエルドガン大統領の言葉をアナトリア通信が報告した。「ガザでは2,500人もの市民を虐殺する国策テロを実行した」と述べて、ネタニヤフ首相を強く非難した。
<引用終了> 

ここで、引用記事の著者についてプロフィールをご紹介しておこう。
パトリック・グッドイナフPatrick GoodenoughCNSNews.comの国際版の編集に従事している。専門分野としては政治、セキュリテイー、テロ、倫理、宗教ならびに国際関係を網羅する。パトリックは南アフリカや中東で政府や政治に関連する分野を担当し、Daily DispatchEast Cape通信社およびエルサレムのICEJにて仕事をしてきた。彼の記事は他のメデアでも幅広く報道されている。彼はCNSNews.comのためにエルサレムやロンドンならびに環太平洋地域で海外支局を立ち上げ、海外特派員を監督している。グッドイナフは南アのイースト・ケイプにある「民主的ジャーナリスト協会」の副議長を務めた。南ア海軍の退役軍人でもある。著者のウェブサイト:Cybercast News Service 

パリでの襲撃事件の容疑者は射殺されてしまって、もはや本人たちからは何も聞くことはできない。しかしながら、この事件についても遅かれ早かれ新たな真相、あるいは、それに近い事実をさらに知ることができるかも知れない。
国際政治の世界では混迷が深まるばかりだ。人類は物的な富や権力に貪欲になるばかりで、他者との協調や妥協あるいは他者に対する慎みを忘れてしまったかのようだ。常識を逸した極端な行動をとることが頻繁にみられるようになった観がある。米国が唱える「米国の例外主義」は米国政府が国際法を無視した対外政策をとることに格好の理由付けを与えている。
極端な政治要求を掲げるのは過激な活動家の専売特許というわけではなく、一般庶民を政治の面でリードする政治家の間にも過激な発言をして人気を高め、票を集めようとする政治家が増えているような気がする。その一方、われわれ庶民にとっては自分たちの意見や好みを政治の世界に反映させるための選択肢が狭まっているかのようにも思える。
これは何故だろうか?われわれの政治に対する無関心が結果としてこのような状況を到来させてしまったのだろうか?ここで言う政治に対する無関心とは主流メデアが流す情報に頼り切っているわれわれ自身のことである。要するに、主流メデアだけに頼っていると政府や経済界が言いたいことだけがわれわれの耳に伝わり、不都合と思われる情報はフィルターにかけられ、排除されてしまっている。情報操作が巧妙に行われており、政治に対する不信は募るばかりである。
あるいは、民主主義がついに機能しなくなったのだろうか?商業主義に陥ったメデアにおけるジャーナリズム精神の欠落が現状をさらに悪化させているのだろうか?
このような状況は、私が感じるところでは、その程度には差があるとは言え、日本でも、米国でも、そしてヨーロッパでも、今や、丸っきり同一のプロセスが進行しているような気がする。 
 

参照:
1Russian Media, Turkish Politicians Suggest U.S., Israeli Involvement in Paris Attacks: By Patrick Goodenough, CNSNews.com, Jan/13/2015

 

 

2015年1月15日木曜日

ベートーベンの曲はなぜ心の琴線に触れるのか - このドイツの作曲家の音楽のリズムは冠動脈疾患から来ているのかも知れない

ベートーベンの「田園」とか「熱情」あるいは「クロイツル・ソナタ」を聴くとその素晴らしさに聞き惚れてしまう。交響曲では田園と並んで「第7番」も好きな曲のひとつだ。また、ピアノ曲では「皇帝」の壮大さは実に凄いと思う。ブカレストに住み始めた小生としては、ルーマニア出身のラド・ルプが弾く「皇帝」には特別な感慨を覚える次第だ。いろいろと書いてみたいところではあるが、残念なことに素人の私には形容の言葉がとても続かない。

専門家であれ素人であれ、巷ではベートーベンの偉大さや素晴らしさを讃える言葉は後を絶たない。専門家の評論は音楽的な構成とか歴史的な意義といった学究的な側面に関心が集まるが、私自身も含めて素人の評価は感じ取ったことを率直に伝えようとすることが多い。
そんな中、つい最近英国のインデペンデント紙にいささか異色の論評が掲載された [1]
今日のブログではその記事を仮訳して、皆さんと共有したいと思う。
ところで、このブログのタイトルに流用している同記事の表題には言葉の遊びがちょっと感じられる。「心の琴線」と言う場合、英語では「心」には文字通り「ハート」が充当される。また、臓器のひとつとしての心臓も、もちろん、「ハート」である。心臓の鼓動が心の琴線に触れるということはごく自然なことではないかと言いたいらしい。 

<引用開始>
 

Photo-1: ベートーベンの楽譜では、テンポが突然変化することがある (Getty/AFP) Getty/AFP 

ベートーベンの音楽は実際に心臓から来ていたのかも知れない。この作曲家は不整脈を患っていたのかも知れないのだ。それが彼の作品に反映されていたのではないだろうか、と研究者らが述べている。ベートーベンは自分の乱れた心拍を感じとっていただろうし、難聴となってからは余計に感じやすくなっていたことからも、実際にはこれこそが彼の作品の中核を形作っていた可能性がある。il
 
「心臓疾患によって心拍が乱れる時、その乱れ方はある程度予想できることが多い」と、本研究を指導した心臓専門医のザカリ―・ゴールドバーガー博士は言う。「まったく同じパターンを彼の音楽の中に聴くことができるのです。」 

「ベートーベンは自分自身が肉体的に感じ取った内容を曲の中に反映していたのではないかと考えられます。換言すると、彼は、ある意味では、不整脈を音楽にしたのです。」 
ルードウィッヒ・ヴァン・ベートーベンが患った疾患の幾つかは、悪化する一方の難聴も含めて、十分に研究しつくされているが、それら以外の疾患や彼の死の原因は依然として不明のまま残されている。これらの研究者によると、彼自身のせいにされているある種の状況が彼を心臓病の危険に晒したのではないかと見られる。
医学専門誌の「Perspectives in Biology and Medicine への投稿で、研究者らはベートーベンは不整脈を患っていたようだという推測を復活させている。不整脈とはどんなものかと言うと、心臓の鼓動があまりにも速くなったり、遅くなったり、あるいは、不規則になったりする状況を指す。
ベートーベンの時代にはこの状況を診察する術は何もなかった。何らかの糸口を見つけるために、研究者らは彼の音楽そのものを診察の道具として用いた。幾つもの曲においてリズムのパターンに注目したところ、ベートーベンの曲では突然、思いがけない形でテンポが変わったり、移調されていることが分かった。これらは不整脈の不均衡なパターンと良く一致する。 
たとえば、ベートーベンの弦楽四重奏曲変ロ長調作品130の終楽章では、ベートーベンがいみじくも言っているように感情を山盛りにしたこの作品は、突然、変ハ長調に移調する。それに続いて現れるバランスを欠いたリズムは「息切れ」を呼び起こし、これはまさに不整脈を連想させる。
自分の作品を演奏してくれる演奏者に向けてベートーベンが与えている指示のひとつに「beklemmt」という言葉がある。これはドイツ語で(直訳すると)「重い心臓」という意味だ。しかしながら、それとは違った言外の意味もあって、「心臓が縮んだ」とか「心臓が圧迫された」といった意味にも解され、これは心臓病とよく関連した感覚である、と研究者らは言う。
ピアノソナタ変ホ長調作品81aの始まりの部分にはふたつの短い音符とひとつの長い音符から成る不規則に点と点をつなぐようなリズムのパターンがある。「このソナタはベートーベンがひどく感情的なストレスの下にあった時期に作曲されている」と、研究者らは言う。「ストレスの一因はナポレオンの治下にあるフランスを相手にオーストリアが宣戦布告をしたことにありました」と、シアトルに所在するワシントン大学医学部のゴールドバーガー博士は言う。「誰でも静かにしていると自分の心拍を感じ取ることができます。完全難聴に陥った人に比べると、より以上に完璧な静寂なんてあり得ません。」 同博士はこの研究成果を「音楽的な心電図」と称して、それは心電図の装置が読み取る内容と聴覚的にはまったく同等なものであると見なしている。
<引用終了> 

ベートーベンは社会における自分自身の位置については非常にユニークな考えを抱いていたようだ。それが当時の社会においては突拍子もない考え方や行動となって現れたとも言える。そんな場面のひとつとして下記のエピソードが伝えられている [2]1812年の7月のことだ。
…ベートーベンが42歳、ゲーテは63歳の頃に二人は出会った。ファウストの第1部は4年前にすでに発表されていた。この二人の会合の際に次のような一場面が出現したのである。ベートーベンとゲーテは散歩をしていたが、大勢の側近を従えた某貴族と出逢った。ゲーテは慇懃に脇へ退いて、貴族たちに向けて恭しく頭を下げた。ところが、ベートーベンは、何時ものように両手を後ろに組んで、挑戦的にも彼らのど真ん中を通過した。貴族たちの存在にはまったくの無関心を装って通過したので、貴族たちは彼に道を開けてやる以外にはなす術もなかった。ゲーテがベートーベンに「いったいどうして貴族に向けてあのような横柄な態度をとることができるのかね?」と質問したところ、この作曲家はこう言った。実に彼らしい答えである。「貴族なんて世間には数えられないほどたくさんいるが、われわれ二人はふたりだけだ。」 
彼との個人的な関係においては、正直で直接的な付き合い方だけが可能だった。面と向かって他人との関係を築くことは、彼の場合、極端に難しかった。彼の倫理観には多いに矛盾するところがあった。抽象的には、自分の音楽の中では人間性をこよなく愛した。現実には、つまり、毎日の生活のレベルでは、周囲の人たちを嫌っていた。特に、貴族を毛嫌いしていた。「周囲の者たちよりも抜きんでている者の倫理感は強さとなる。それこそが私の強さだ」と、彼は友人に向けて書いた。また、日記にはこう記している。「私は次のように感じており、このことを十分に理解している。人生は神によって与えられた最高の恵みではないが、罪悪感は最大の悪だ。」 これらの言葉はシラーのものであるが、そこに込められた感情はベートーベンのものである…
難聴がひどくなり、周囲との交渉はおのずから疎遠になり、作曲に精魂を注ぎ込めば注ぎ込む程、ベートーベンは心に浮かぶ曲想を楽譜に翻訳していくしかなかったのだとも言えよう。彼の心中に去来する音楽は彼の心臓の鼓動やリズムを忠実に伝えていたとしてもおかしくはない。ありそうな気がする。経験知として言えることは、特殊な才能に恵まれた人は普通の人には想像もつかないようなことを容易く実現してしまうことがあるからだ。
上記に引用した記事の中には「彼自身のせいにされているある種の状況が彼を心臓病の危険に晒したのではないか…」という文章がある。晩年は、ベートーベンはワインを飲み過ぎて、アル中になっていたと言われており、この文章はそのことを指しているのではないだろうか。一説には、当時の安物のワインには甘味を強調し新鮮さを維持するために、砂糖の代替品として鉛の酢酸塩が使用されていたらしい。ベートーベンの毛髪を分析した結果、通常の100倍にもなる鉛の含有量が検出されたという。鉛中毒が起っていたと推測されている。ある学術雑誌の記事は下記のような要旨を掲載している [3]
ベートーベンの死体解剖の際には中耳部分について詳しい調査が行われたが、耳硬化症の病巣は発見されなかった。耳硬化症の証拠はないのである。彼の難聴は緩慢に進行するタイプであって、数か月のうちに急速に進行する自己免疫による難聴とは異なっている。また、自己免疫による炎症性腸疾患では出血を交えた下痢症状を伴うのが普通であるが、彼の場合にはそれはなかった。ベートーベンの毛髪や骨を分析した結果、水銀は検出されてはいない。このことは、当時は淋病の治療には水銀が多用されていたことから、彼の難聴は淋病に起因するものではないと結論することができる。骨にはかなり高いレベルの鉛が検出されており、これは彼の死の直前に短期間だけ鉛に暴露されたということではなく、長い年月にわたって繰り返して鉛に暴露されていたことを物語っている。死体解剖の際には収縮した蝸牛神経が発見されているが、これは鉛のような重金属による軸索変性が起こっていたこととも良く一致する。低濃度の鉛への慢性的な暴露は緩慢な進行性難聴を引き起こし、亜急性中毒の場合には運動神経障害としての古典的な下垂手が起こるものだが、彼の場合はそのような状況ではなく、むしろ、感覚系や自律神経系に障害をもたらした。ベートーベンの主治医は彼はアルコール依存症であると判断していた。彼は特に鉛で汚染されているワインが好きだった。
結論:ベートーベンはたまたま鉛で汚染されているワインを好んで消費していた。他の様々な説明に比して、鉛で汚染されたワインの慢性的な消費こそが彼の難聴を説明するのにぴったりである。 

ベートーベンは自分の音楽が持つ意味を的確に理解し、意識していたようだ。上記に示したように、散歩の最中に某貴族と出逢った時のエピソードはそのことを雄弁に示している。
また、ベートーベンにはさまざまな奇行があったと伝えられているが、それでもなお、ベートーベンの葬儀には2万人ものウィーン市民が参列したという。音楽家としての彼の人気は大変なものだったと言えよう。
ベートーベンが活躍していた頃からすでに200年もの歳月が経過しているが、ウィーンではクラシック音楽の衰退とも思えるような光景を目にする。すでに大分前からひとつの傾向が観察されていた。私の場合、ルーマニアのブカレストと日本との間を往復する場合はほとんどがウィーン経由である。たとえば、ウィーン空港では、20年前には、クラシック音楽のCD売り場が結構大きくて、あれこれと手に取って見ることができた。乗り継ぎの際の時間つぶしにはもってこいの場所であった。私もCDの売店に寄って、当時多数のCDを世に送り出していたメゾソプラノのチェチリア・バルト―リのCDを物色したものだ。そのCD売り場は今はもう十分の一位に、あるいは、それよりもずっと小さくなってしまっている。これはクラシック音楽そのものの衰退を直接的に物語っているのか?それとも、インターネットの普及によって単にCDというメデアの形態が他の形態に移行したことから来たものであって、必ずしもクラシック音楽の衰退ではないのか? 私にはどちらとも断定できそうにはない。
 

参照:
1Why Beethoven tugs at the heart strings: The rhythms of the German composer's music may have been prompted by a coronary disorder: Roger Dobson, THE INDEPENDENT, Jan/04/2015
2The Beethoven Mystique: By Jeffrey Dane, art-bin.com/art/abeethoven.html
3Lead and the deafness of Ludwig van Beethoven: Stevens MH et al. Laryngoscope. 2013 Nov;123(11):2854-8

 

 

2015年1月4日日曜日

慰安婦にまつわる真実 - マイケル・ヨン米人記者とのインタビュー


最近、マイケル・ヨンという米国のジャーナリストが慰安婦問題について重要な発言をした。要するに、「慰安婦の強制連行はウソだ」と。
まわりじゅうが「日本の慰安婦は強制的に連行されて、性的奴隷として酷使された」、「女性の人権を無視した行為である」、「日本政府は元慰安婦に謝罪し、その罪を償わなければならない」といった大合唱の中でこのジャーナリストは真実はそのようなものではないとの主張を展開している。なかなか出来ないことだ。彼はジャーナリスト精神の塊のような人物だと私は思う。
米国には独自の見解を持ち出し、意見の違う人たちと議論を展開することに価値観を置く気風が見られる。これはいい意味でのアメリカ人的な行為だと言えよう。 

日本の近代史を見ると、日露戦争ではロシアに負けなかったことから、日本は欧米の列強にならって植民地主義的、あるいは、帝国主義的な行動にのめり込んでいったことは歴史上の事実である。 

慰安婦問題では日本の主要新聞が無責任な報道を行ったことから大きく発展していった経緯があるので自業自得的な側面があるが、最近の中国や韓国の世論を見ると、歴史的な事実から逸脱した捉え方をしているのではないかと思わせるものがある。それはあたかも日本を貶めようとしているかのようだ。本ブログでも、2013年の79日に、「慰安婦問題について - 国際的な視点から」と題した拙文を掲載した。

同ブログの一部を改めてここでおさらいしておこう。米国の陸軍基地における売春婦の取り扱いに関しては厳然たる事実として念頭に置いておきたい点がある。すでにお読みになっており、内容をご存知の方は先へ進んでいただきたい。 

…米軍がインドシナ半島で完全に仏軍に取って代わる頃までには、この戦争はベトナム社会をすっかり崩壊せしめ、米軍施設での売春のためにわざわざ外国人を使う理由はないと考える程にまでなっていた。この長い戦争の前のベトナムでは売春は存在してはいなかったと言いたいのではない。ピーター・アーネット記者が語っているように、「売春は昔ながらの伝統でもあって、金がどうしても必要になった場合、一家の長は自分の娘を売り飛ばすことに躊躇することはなかった。」この長い戦争が進行するにつれて、南ベトナムの何千人もの女性にとって売春は唯一の経済的な解決策となっていた。  

1966年、AP通信によると、「ベトナム人女性の尊厳と人権を守る委員会」がサイゴンで結成され、これには数百人にも及ぶ女性教師や作家ならびに社会奉仕の専門家たちが参加した。通信社の報告によると、最初の会合ではさまざまな苦言が表明された。「戦争の惨禍によって、私たち国民は何でもかんでも売りに出さざるを得ない。妻や子供、親戚や友人までもが米ドルを得んがために売られている」と、ある女性教師が述べた。しかしながら、ベトナム戦争の現実に圧倒されて、この「ベトナム人女性の尊厳と人権を守る委員会」の声は二度と聞くことがなかった。  

米軍は売春ビジネスへ段階的に入っていった。その拡大の過程は戦争の拡大と歩調を合わせていた。拡大の背景には戦場における男たちは女を必要とするものだとの前提があった。従軍記者のアーネット氏は、いわゆる「マクナマラ理論」の当然の帰結としてその前提が次第に受け入れられていく様子を目撃した。「1965年のベトナムでは兵士たちを戦いに取り組ませ、満足できる結果を実現することが大事だった。アイスクリーム、映画、プール、ピザ、ホットドッグ、クリーニング・サービス、そして家政婦。家政婦は売春婦として導入されたのではない。家政婦とのセックスは個人的なものであって、その場しのぎの関係であった。多くの家政婦は売春婦になっていったが、当初は売春行為が発覚するとその家政婦は解雇された。」  

家政婦はこの新しい環境への第一歩となった。その後にはバーやマッサージ・パーラーの女性たちが続いた。アーネット記者によると、後方の兵士たちが最も多くの「問題」を引き起こした。彼らの間には倦怠と不満感が充満していた。これらの男たちは実際の戦闘に出るわけでもなく勲章を手にするわけでもなく、そのことをよく理解していた。彼らは町へ繰り出して非合法の売春宿へ車で乗りつけることもできたのだが、性病や安全上の理由から売春宿は出入り禁止であった。」(サイゴンからニューヨーク市に至るまで、マッサージ・パーラーは性的な行為の観点からは違法すれすれの存在ではあったが、常に合法的なものと見なされていた。)  

1965年、ダナンの海兵隊基地では一ヶ月に一度大隊規模で街へ出かけることを開始したが、アーネット記者にると、この試みは大失敗だった。「男たちは獣のように街を襲ったものだが、彼らはこれにうまく対処することはできず、最高の混乱状態に陥った。」当初のこの苦い経験に基づいて海兵隊司令部は兵士たちを基地内に閉じ込めておくことにしたが、需要と供給の神聖な原理が動き始めた。間もなく、「ドッグパッチ」と呼ばれる売春宿やマッサージ・パーラーならびに麻薬デイーラーで構成されたスラム街が米軍基地をリング状に取り囲み始めた。「海兵隊員たちは夜中に鉄条網を破り基地を脱出したが、司令部はそれを放置しておくしかなかった」と、記者は私に語ってくれた。

アーネット記者の意見によると(これは私が同意するものではないが)、性的なはけ口に関しては陸軍は海兵隊よりもずっと進んでいた。1966年までに、中央高地地帯のアンケーに駐屯する第一機甲師団、サイゴンの北25マイルにあるライケに駐屯する第一歩兵師団、およびプレイクに駐屯する第四歩兵師団ではそれぞれの基地内に公の売春宿を設けた。  

第一歩兵師団の第三旅団基地に属するライケの「レクリエーション・エリア」(遊興施設)は1エーカーもの広さがあって、周囲は鉄条網で囲まれていた。憲兵がその入り口を固めていた。安全上の理由から、この施設は日中のみ利用された。施設の内部には売店があって、ホットドッグ、ハンバーガー、みやげ物などを売っていたが、最大の呼び物は2棟のコンクリート製の建物で、それぞれが百フィート程の長さであった。これらの建物は4千人から成る旅団の倉庫であった。それぞれの建物にはふたつのバーや野外ステージがあって、カーテンで仕切られた60個の個室があった。そこではベトナム人の女性が生活し働いていた。  

....戦争で家屋や家族を失った難民、あるいは、戦争の初期にサイゴンでバーの職場を失った女たちが売春婦の予備軍を形成していた。彼女らは県知事によって採用され、県知事には給料の上前をはねられ、ライケの町長に引渡された。町長にも上前をはねられた。米軍は女たちの調達や給料の配分を民間人に任せることによって、部分的にではあるが自分の手を汚さずにそれを運営し、米軍は女たちの健康と安全についてのみ管理し規制をした。「女たちをチェックし、彼女らは毎週性病の検診を受けていた」と、私の事情通は私に向かってうなずくように話してくれた。  

....陸軍基地における軍の売春宿(「歓楽都市」、「デイズニーランド」あるいは「ブームブーム・パーラー」と呼ばれた)はふたつ星の将軍である師団司令官によって設置され、大佐級の旅団司令官の直接の管理下に置かれた。明らかに、ベトナムにおける陸軍の売春宿はウィリアム・C・ウェストモーランド陸軍参謀長やサイゴンの米国大使館ならびにペンタゴンの理解を得て存在していた。 

ベトナムでは性病が軍の最大の懸念だった。そのほとんどは淋病であった。サイゴン郊外のある売春宿では壁に看板を掲げていた。「札を下げている女は病気の心配はない」と…  

ベトナム戦争中の米軍基地における売春宿についてここまで読み進んでみると、原本(スーザン・ブラウンミラー著「Against Our Will: Men, Women, and Rape」。その一部、92頁から97頁がインターネット上で入手可能だ。zeroempty000.blogspot.com/ 2007/ 04/ official-brothel-during-vietnam-war.htmlのたった数頁分のみの引用であるとは言え、NYタイムズやワシントンポストならびにロサンゼルスタイムズに掲載された記事、ならびに、米議会調査局の非難や国連人権委員会の勧告は、ベトナムでの米国陸軍の売春宿を棚に上げて、いったい何を言いたかったのだろうかという疑念が強まってくる。
慰安婦問題は、世界のどこの軍隊を取り上げても見受けられる。特に戦争が長引くと、決まって、何らかの形態で存在し始めるものだ。これは世界各国に共通する歴史的事実である。しかし、日本の旧陸軍に関わる慰安婦問題については、今や、米議会調査局や国連人権委員会さえをも巻き込んで、日本だけを狙い撃ちしている観がある。つまり、歴史的事実の解明に努力するのではなく、残念なことには、今までの主張を何処までもゴリ押ししようとする一方的な姿だけが観察される。
そんな中で、最近、マイケル・ヨンという米国のジャーナリストがこの慰安婦問題について重要な発言をした。要するに、かねてから喧伝されている「慰安婦の強制連行」はウソだと彼は言う。
そこで、本日のブログではこの「慰安婦にまつわる真実 - マイケル・ヨン米人記者とのインタビュー」と題する記事 [1] に注目したいと思う。 

<引用開始> 

 


Photo-1:慰安婦にまつわる真実:マイケル・ヨン記者とのインタビュー
 


Photo-2: マイケル・ヨン記者:
1964年生まれ。作家、ジャーナリスト、写真家として活動する米国人。1980年代には米特殊部隊(グリーン・ベレー)に所属。マイケルは2004年以降イラクやアフガニスタンから現地の様子を書き送り、米国やネパール、バングラデシュ、タイ、フィリピン、他について幅広く取材をした。米軍や英軍ならびに他の軍隊の従軍記者として何年も過ごした。彼の報告はCNNNYTBBCNBCCBSABCWSJLAタイムズ等を含めて、数多くのメデアによって採用され、知名度も高く、信頼を得ている。 
[訳注:Yon (ヨン)という姓は音としては韓国語みたいな響きを感じるかも知れないが、インターネット情報によると、古くは7世紀以前の古英語に属する名前であって、幾つもの綴りが存在するという。たとえば、OngOngeOungeYonYongYoungYoungeYongeYoungs等、さまざまな形がある。「若者」という意味で、愛称として使われていた。]

はじめに
7年間にも及ぶ米国政府による調査の結果によると、慰安婦による強制的な売春や南京虐殺、731部隊を示すような証拠は見いだせなかった。現在、マイケルは日本に対して展開されている中国の情報戦争を調査中だ。それには槍玉に挙がっている強制売春も含まれている。われわれはマイケル・ヨン(以降、「MY」と略称する)記者との独占インタビューを行った。
Q: あなたが慰安婦問題についての調査を開始してから相当の時間が経っています。どのような結論に到達していますか? 
MY: 慰安婦プログラムは存在していたが、広く言われているような20万人もの韓国人女性が慰安婦であったとする証拠は見つかってはいません。
日本が幾つもの国を相手に戦争を遂行し、日本人将兵が飢えに苦しめられている際中に、20万人もの性的奴隷を拉致し、輸送し、彼女らの安全を確保し、食事を与えることに全力を注ぐことが可能であった指揮官がいたでしょうか?慰安婦に関するこれらの主張はまったく意味を成してはいません。 
これは、図らずも、韓国人は自分たちを侮辱することになります。つまり、20万人もの韓国人女性が拉致されたにもかかわらず、韓国人男性はそれに抵抗するために指一本さえも振り上げようとはせずに、実際にはそれを支援した。これは当時の韓国人男性は卑怯者であり、犯罪者であったということを示唆しています。韓国人はこんなこと示そうとしているのでしょうか? 
われわれが行った調査の結果、省庁間作業部会(IWG)が作成した「ナチの戦争犯罪と日本帝国政府の記録に関する米議会への最終報告書」を発見しました。興味深いことには、この報告書のことを知っている研究者はほとんどいないのです。クリントンおよびブッシュ政権の下で、米国政府は7年の歳月と3千万ドルの費用をかけて、ナチと日本の戦争犯罪について詳しく調査したのです。
この報告書は2007年に発行されました。数百万ページにも及ぶ文書が新たに公開されましたが、それらのほとんどは日本に関わるものでした。でも、強制売春の証拠は見つからなかったのです。南京虐殺と731部隊に関する情報についても検索を行いましたが、それらを裏付ける決定的な証拠は見つからなかったのです。南京虐殺があったこと自体について疑義をはさむ者はいませんし、中国人が話を何倍にも誇大化し、自分たちが作ったストーリーを信じてしまったという可能性を誰もが認識しています。
中国のある団体がこのIWGによる調査を要求しました。世界抗日戦争史実維護連合会(これ以降は「世界連合会」と略称する)と称する団体です。 世界連合会は「ザ・レイプ・オブ・南」を著した米国人作家のアイリス・チャンと深い関係を持っている点を念頭に置いていただきたい。残念ながら、著者のアイリス・チャンは精神的に患って、自殺してしまいました。
驚いたことには、IWG報告書は何も発見することができなかったことについて世界連合会に対して釈明をしています。しかし、同年、第121号決議案が可決され、日本を非難し、謝罪を要求することになりました。オバマ大統領は最近日本を非難する声明を出しました。ヒラリー・クリントンも日本が謝罪することを期待しています。しかしながら、彼らは誰もがこのIWG報告書を無視しています。
「慰安婦は売春することを強制された」という考えは間違いです。たとえば、1944年に戦争情報局(OWI)は「49号報告書」を作成しました。この報告書は米国が20人の韓国人慰安婦を捕えた時の様子を記述しています。これらの女性は売春婦であることが判明しました。この49号報告書によると、売春婦は相手となる顧客は誰であろうが拒絶することが許されていましたし、年間9千円もの大金を稼いでいたのです。当時の大将級の将官の年俸は6,600円でした。
OWIは日本に関するスキャンダルを何とか探し出そうとしたわけですが、慰安婦に関してそういった情報は見つからなかったのです。慰安婦は韓国での新聞広告を通じて募集されたことを示す大量の証拠が見つかっています。私は自分自身の軍隊での経験から状況を良く知っていますが、売春婦たちは兵隊が移動するにしたがって移動します。われわれは全世界に数多くの売春婦が居ることを良く知っています。特に、韓国では多いのです。
Q: 米国以外でも本課題を調査しましたか?
MY: 私のオフィスは当面タイ国に置いています。私はこのオフィスから調査を行いました。前首相のアピシット氏とは、数か月前に彼のオフィスを訪れて、話をしています。彼や彼の代理人は、タイ国では本件のような問題はないと言っています。日本人がタイ国へやって来た際には、タイ人たちは日本人に好意的でした。タイ国では反日感情がないのです。タイ人に対して起こった最悪の犯罪は日本兵が僧侶をひっぱたいた時のものです。他にもさまざまな事件がおきましたが、波紋を引き起こすほどではなかったのです。
また、もうひとつ念頭に置いておきたい重要な点は、本件でことさらに問題を大きくしようとしているのは中国と韓国です。私のブログ(こちらで、参照されたし)でも書いているように、それ以外のアジア各国では日本に対しては好感を抱いています。
タイ国、日本、カリフォルニア、ニュージャージー、米国国立公文書館、ならびに、その他至る所で、総合的に、詳細な調査を行いました。その調査を終えた日、私はこう言ったのです。「われわれは大した歓迎を受けないであろうが、われわれの裁定では日本は無罪だ!」と。
これまで行われてきた議論は人権についてでもなければ性的奴隷についてでもないということを良く理解しておいていただきたい。これは政治的な議論であり、賠償金のことであり、日本人に対する人種差別でもあるのです。換言すると、これは日本を攻撃しようとする際に中国が用いる地政学的な手段なのです。
Q: あなたはどうしてこの慰安婦問題に首を突っ込んだのですか?
MY: 慰安婦問題は地政学的な手段です。IWGによる調査の発端はそもそも世界連合体が働きかけた結果であるわけですが、この団体は中国政府の情報戦争をつかさどる部門です。米国でこの問題を扇動しているのは中国人です。中国は米国と韓国および日本がお互いに争うように仕向けているのです。 
これは巨大な情報操作です。中国はこの問題を政治的な手段として使う絶好の機会だと見て取ったのです。朝日新聞は、1982年に、その信ぴょう性を確かめることもなく、吉田清治が伝えるストーリーを報道し始めました。そして、読売新聞も。他にもたくさんのメデイアが参画しましたが、その数は分かりません。ある時点で、中国もこの問題に便乗して来たのです。
韓国人の顔を立て、米国中に少女像を設置しながら、中国はこの動きを鼓舞して来たのです。幸運なことには、シンガポールやオーストラリアの人たちはこの動きを許容しませんでしたが、これらの国が狙われたことにはそれ相当の理由があるのです。中国は南シナ海や尖閣諸島といったさまざまな地域で支配権を確立したいのです。彼らは沖縄から米軍が撤退することを望んでいるのです。
この地域は主要な海上交通路であって、アジア各国への補給はここを通じて行われています。もし中国がこの領域をコントロールすることができれば、さまざまな戦略的な利点に加えて、彼らは沖縄や韓国に駐留する米軍に対して影響力を与えることが可能となります。これらは地政学的な理由です。中国は靖国参拝や南京虐殺ならびに慰安婦問題を三つ巴の攻撃目標としているのです。
韓国側については、この問題の中核は日本に対する人種差別です。また、これを日本からお金をゆすり取る手段と見なしている人たちもいます。そして、竹島問題もあります。竹島は日本領であることが明確ではありますが、憲法9条との絡みで、日本は竹島問題について何かをする立場にはないのです。
Q: 米国においては、数多くの知的な人たちさえもが慰安婦による強制売春があったと信じているように見えますが… 
MY: 彼らは二次的に派生した記事を引用して「証拠」があると言っていますが、彼らの多くは一次資料の調査を行ってはいません。日本に住んでいるあるアイルランド人作家は慰安婦問題に関してもう14年間も書いていると私に話してくれました。「あなたは一次資料についてはどのような種類の調査を行っているのですか?」との私の問いに対して、彼からは「何もしてはいない」との返事が返ってきました。この人物は博士号を持っていると言っています。そこで、私は次のようにもうひとつ質問をしてみました。「捕虜に関する49号報告書は読んだことはありますか?」 彼は「それは何のこと?」と聞き返してきたのです。
Q: 米国人はいったいどうして日本人の戦時中の悪行を信じようとするんでしょうか?
MY: まず第一に、戦時中、日本人はさまざまな悪行をしたからです。ですから、われわれはそのことを隠すべきではないのです。慰安婦問題は作り話だと主張しても、日本を戦争犯罪から開放することにはなりません。
第二に、米国は戦時中日本の民間人の居住地域を攻撃し、日本の街に焼夷弾をばら撒き、二発の原爆を投下し、数十万人を殺戮しました。これが慰安婦問題や南京虐殺に関するストーリーをわれわれが受け入れる理由のひとつとなっています。それこそが戦争を国家的なレベルにする手法であるのです。そうしなければ、焼夷弾攻撃や原爆の投下はどう見ても戦争犯罪です。日本人に対する人種差別、一般的には、肌の黒い人たちやユダヤ人、等に対する人種差別は当時の米国では顕著でした。日本人だけが選別的に人種差別の対象になったわけではありません。米国は機会均等の人種差別主義です。私は自分が誇りに思っている自国に関してこんなことを言うのは嫌いですが、これは悲しい真実です。アメリカには偉大な点が数多くありますが、それとは対照的に、私たちは皆が忘れたいと思うような非常に大きな、暗闇に満ちた現実も存在しているのです。
戦争行為におけるもうひとつの要因ですが、敵からは人間性を奪ってしまいます。米国はこれに実に長けているのです。マンガを使って、たとえば、日本人をネズミに仕立て上げます。少なくとも第二次世界大戦中日本人から人間性を奪ってしまうと、われわれは自分たちの行為に対してはフリーパスを与えたも同然でした。
次に、真珠湾の問題があります。真珠湾について正直に研究したことがある人は誰でもがあれは奇襲攻撃ではなかったことを知っています。歴史家はわれわれ米国人が日本との戦争を誘導したことを良く理解していますが、そう言うと多くの米国人を怒らせることになります。これは米国や日本、オランダ、フランス、英国、その他を含めて、数多くの帝国主義的な国家間の戦争でした。真珠湾攻撃よりもずっと前の話ですが、たとえば、米国は中国大陸でフライング・タイガーズ [訳注:米国からの義勇部隊。1941128日に正式に宣戦布告が出される前から、米国の空軍パイロットらが義勇兵として中国で戦闘に従事していた。] を用いて日本軍に攻撃を加えていました。石油の禁輸措置ではわれわれはオランダと一緒に行動をしました。他のさまざまな地政学的な理由から、われわれを攻撃してくるように日本を駆り立てたのです。それらの理由のひとつとしては、われわれにはドイツを攻撃する言い訳が必要だったからです。率直に言って、ドイツには攻撃を加え、敗北させる必要があったのです。ドイツは虐殺を工業技術化していました。ヒットラーは日本がユダヤ人の殺害で支援するよう望んでいましたが、米国が彼らを脇に除けようとしていた際にも、日本はユダヤ人を助けていました。このようなことを言うのは米国では嫌われますが、これは真実です。
Q: 最後に、靖国神社や日本憲法の第9条はどう考えますか?
MY: 私は靖国神社を2回訪問して、2回とも参拝しました。あそこへは元軍人であった人と一緒にでかたのですが、彼も私と同様に行動しました。靖国神社は個人的な日本人自身の関心事です。もしも、カンボジアやベトナム、韓国、あるいは、その他50か国にもなる国からやって来た外国人が、米国人が自分たちの国民に対して攻撃したことを理由に、米国大統領に向かってアーリントン墓地を訪れるべきではないと言ったら、われわれは彼の言う事は聞こうともしないでしょう。
日本は第9条を修正する必要があります。こんなことを米国あるいは日本で主張すると嫌われますが、日本は自国を防衛する必要があり、完全な防衛を維持し、米国に頼るべきではありません。とは言え、より広域的に見ると、強力な日米同盟を維持するべきです。
<引用終了> 

上記の引用記事では、僭越ながら、私が重要な発言だなと感じた部分には黄色のハイライトを施してみた。
中国政府の情報部門である「世界抗日戦争史実維護連合会」が米国での慰安婦問題の背景にあって、米国の世論を操っているとする指摘は秀逸である。われわれ素人にとっては非常に啓蒙的であると思う。
「慰安婦問題は情報戦争である」というマイケル・ヨン記者の見方には賛成だ。
私自身も、2013715日に掲載した「慰安婦問題は情報戦争だ!」と題するブログでこのことを指摘した。残念ながら、太平洋戦争で完璧に敗戦となった日本は諜報部門を完全に失った。戦後70年、日本では諜報部門はゼロに等しいのではないか。したがって、日本政府には中国が仕掛けているこの情報戦争に対抗する実戦部隊はほとんどないに等しい。日本政府の政策には諜報に裏付けられた政策はないように見受けられる。慰安婦問題がそのいい例だ。
他力本願になってしまうことが非常に残念ではあるが、このマイケル・ヨン記者の努力が、将来、慰安婦に関する国際世論(つまり、日本叩き)を覆すところまで行くかどうか、今後とも注目していきたいと思う。
ただし、米国には米国自身の台所の事情があって、日本の慰安婦問題を誇大宣伝することを止めて、歴史的事実を忠実に理解しようとするところまで米国民の大多数が倫理的に大人であるかどうかは別問題であるような気がする。ヨン記者が指摘しているように、米国が東京大空襲や原爆の投下は軍事的には必要ではなかったという歴史的事実を認めるとはとても思えない。そういった米国に都合がいい世論が根強いだけに、オバマ大統領もヒラリー・クリントンも日本叩きを続けることによって支持団体や一般有権者の関心を得ようとしているのではないだろうか。
洋の東西を問わず、政治家の歴史認識と歴史家が掘り起こした歴史的事実とがうまく一致することは期待できないのであろうか?
 

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