2015年3月26日木曜日

ミンスク和平をすかさず台無しにしようとするワシントン



ワシントン政府は「ミンスクー2」の和平努力を台無しにしようとしている。 

一方、米国の対ロ経済制裁に盲目的に追随して来たヨーロッパでは、ついに、現行の米国主導の対ロ経済制裁に関して「これでいいのか」、「自国の国益を優先するべきではないのか」という動きが出てきている。その背景は、何と言っても、この対ロ経済制裁はヨーロッパ各国に予期した以上に経済的打撃を与え、代償もなしに経済制裁を継続することは出来ないという現実が明確になって来たことだ。

ロシア議会の外務委員会でその議長を務めるアレクセイ・プシュコフは、西側は自分たちがロシアに課した経済制裁のせいで2014年に400憶ユーロ [訳注:1ユーロを130円とすると、約52千億円に相当] の損害を被ったと述べた [1]。ロシアが対抗して発動した農産物輸入禁止措置によってEUの農家が受けた損害は120億ユーロ [訳注:約156百億円に相当] となった。

そして、この対ロ経済制裁がロシアに対して効き目があったのかというと、それ程ではなかったようだ。アレクセイ・プシュコフによると、西側からの圧力があったにもかかわらず、ロシアは正の経済指標を維持し、貿易収支は80億ユーロ [訳注:約1400億円に相当] の黒字となった。もしもEUが対ロ経済制裁をさらに拡大するならば、ロシア側は農産物以外の分野で対抗措置を取る、と彼は言った。「EUが採用した政策についてはヨーロッパはその代価を自分で支払わなければならない」とプシュコフは言った。この場合、対ロ経済制裁は西側にとっては如何なる費用もかからず、損害もないという誤った幻想を抱くこと自体は非常に危険なこととなる。

加えるに、34日、プシュコフは非常に興味深い情報をツイッターで流している [2]米国務省はEU各国に対してロシアとの貿易を中止するように圧力をかけているが、ロシアの対米貿易は2014年に7パーセントも増加した、と。
対ロ経済制裁はこのような非常に基本的な点で米国とEUとの間に大きな矛盾を生じている。驚きである。
プシュコフのコメントは、ロシアとキプロスとの間で前週締結された合意を受けて、国務省の報道官であるマリー・ハーフが月曜日にヨーロッパ各国に対して対ロビジネスを行わない様にと改めてハッパをかけたことを引用したものであった。[訳注:226日のRTの報道によると、キプロスとロシアは既存の両国間の軍事協定を延長することに合意した。この合意によってロシア海軍の艦艇は補給や人道支援のためにキプロス港を引き続き使用することができることになった。ロシア海軍がキプロス港を使うことの見返りに、ロシア側は2011年にキプロスと締結した25億ユーロの緊急ローンを再編することに同意した。]

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ワシントン政府の動きについて考察してみたい。

目の前に展開されているウクライナでの戦闘や和平あるいはNATO高官または英国やポーランドの政治家がロシア・バッシングのために吐く言動の背景には米国の対ロ政策がでんと座っている。ウクライナ危機を理解しようとする際、この背景をどれだけ正確に理解することができるかが我々にとっては最大の課題である。1年前には霧に隠れていて見えてはいなかった山容が今や手に取るように見えるようになったという感じだ。山の頂に至るルートさえもがはっきりと確認できる程だ。

213日のある記事 [3] に注目してみたい。その記事の表題を仮訳すると、ずばり「ワシントンはすかさずミンスク和平を台無しに」だ。さっそく、この本文を仮訳し、詳しい内容を覗いてみよう。詳細を読んでいただくと一目瞭然だ。この記事の著者は今までにも私が何度か引用しているアイルランド人のブロガー、フィニアン・カニンガム氏だ。

<引用開始>

自尊心を傷つけられ、気分を悪くした米国とその従属国であるヨーロッパ各国は直ちにミンスク合意を台無しにする作業を開始した。和平合意の文言を歪曲し、この和平が直ぐにでも失敗に終わるようにロシアを罠にかけることを模索し始めたのである。

ワシントン・ポスト紙はベラルーシの首都ミンスクでの交渉が終了した数時間後には次のような見出しを掲載し、ペースメーカーとして走り始めた:「プーチン、ウクライナと停戦を発表」 
これはあたかもロシアこそが1年も続いている紛争の主役であり、そのロシアが今は和平を訴えているかのごとく描写しようとしている。

ジョン・ケリー米国務長官は、信頼できる英国やポーランドと共に、もしもミンスク和平が「全面的に実施されない」場合はロシアに対してさらなる経済制裁を課すと警告した。

「米国は20149月の停戦、ならびに、今回合意された停戦が全面的に実践された暁には対ロ経済制裁を徐々に縮小する用意がある」と、ケリーは声明文で述べている。

換言すると、次のようになる。ワシントンは依然として、ロシアは侵略者であり、ウクライナ紛争に責任があるという古臭い筋書きを広めようとしているのだ。「ミンスクの停戦合意が全面的に実践された暁には」と言うくだりは、米国は何時でも停戦を秘密裏に台無しにするライセンスを自分自身に与え、その不当な対ロ経済制裁をずっと維持し、キエフ政権に対しては約束した武器の供与を進めるという意味だ。 

ロシアのウラジミール・プーチン大統領が今週ミンスクでドイツのアンゲラ・メルケル首相とフランスのフランソア・オランド大統領と一緒に成功させた外交的クーデターに米国人が強いショックを受けたことは疑う余地もない。 

米国は先週ウクライナにはもっと強力な兵器を送り込むとの声明を発表したばかりであるが、そんな脅しにもかかわらず、プーチンとヨーロッパ側の二人の相手は17時間のマラソン交渉の末、何とか停戦に漕ぎつけた。この停戦はこの週末に実践に移されるが、はっきり言って、ウクライナ紛争を終結に導く可能性は決して大きくはない。この停戦は双方の軍隊の撤退や境界線、等、厄介な問題でいっぱいだ。分離派のドンバス地域の自治の在り方やキエフ政府が分離を求めるロシア人たちとの対話について準備ができているかどうかは明確だと断定するには程遠い。

そうとは言え、キエフ政府とウクライナ東部の分離派によるこの一片の合意書は5,500人もの犠牲者を出し、百万人以上もの難民を創出したこの暴力的な分離騒ぎにとっては、基本的には、歓迎すべきひとつの機会であるとも言える。プーチンがメルケルやオランドと一緒に、暫定的とは言え、この突破口を何とか実現したことは彼の外交上の功績あるいはやる気の賜であると言えよう。また、この展開は「ロシアは侵略者であり、ヨーロッパの平和にとっては脅威である」といった西側の公式見解を否定することにも繋がる。

ミンスク合意はこの紛争をキエフ政府とドンバスの分離派との間の内戦として組み立てている。ロシアは武力闘争を行っている両者の間に立って交渉の仲介役を果たすことによりこの紛争を和らげようとしている。

クレムリンの報道官、ドミトリー・ぺスコフは正に的を射ていた。ミンスクでの会談の後、彼はこう言った。「ロシアはこの和平合意の保証人であって、この合意内容を実践する側ではない。」彼は西側のメデアが言い張っている「モスクワ政府は紛争の当事者」を否定したのである。
「ロシアは紛争の当事者によって呼び出された国である」と、ぺスコフは言った。「我が国は紛争当事者に対してミンスク合意を全うするための一連の策について署名するように要求した国である。」 しかし、ロシアはこれらの策を実施する側の一員ではない。「我が国は保証人として位置し、これは使命として名乗り出たものであるが、明らかに、実施のために何らかの行動を起こす必要がある当事者とは異なる。単純に言って、我々には物理的にそうすることは不可能だ。何故かと言うと、ロシアはこの紛争の当事者ではないからだ」と、クレムリンの報道官は付け加えた。

この最近のミンスク合意を卑劣な批判で攻撃する役目は英国首相のデイビッド・キャメロンとポーランドの前大統領のドナルド・タスクの手に与えられ、二人はロシアについて中傷し、この紛争はウクライナに対する外部からの侵略であるとして再度でっち上げが行われた。 

キャメロンは、英国人特有の傲慢さをもって「プーチンは自分の行動を修正する必要がある」と言い、タスクはロシアの指導者を悪者扱いすることに加えて、彼は信用するには値しないとさえ仄めかした。

キャメロンは、木曜日、ブリュッセルでのEUサミットで話をした際にこう言った。「もしこれが本物の停戦であるならば、もちろん、それは大歓迎だ。しかし、何よりも重要なことは実際の行動であって、一枚の紙切れに記された文言ではない。プーチンが自分の行動を改めない限り、現行の経済制裁には何の変化も起こらないということをプーチンは知っておく必要があると私は思う。」 

現在欧州理事会の大統領の座にあるタスクはこう言った。「もしミンスク合意が実践されなかった場合には、我々は必要な策を取ることを厭わない。プーチン大統領の良識に対する我々の信頼には限度がある。これこそが経済制裁を維持している理由だ。」

西側が支持するキエフ政権は過去の停戦に何回も違反し、今日の暴力の拡大を招いてきた。この事実を前提にすると、今回の和平努力が長続きすると考えるのはいささかナイーブであろう。揺るぎのない政治的、経済的、ならびに軍事的な支援を米国から得て、キエフの暫定軍事政権はドンバス地域に対する犯罪的な戦争を行使することに勢いづけられてきた。キエフ政権による大規模で組織だって行われる戦争犯罪は嘘で固められ、何らの証拠もない「ロシアの侵略」という主張を続けることによって、ワシントン政府により上辺が飾られ、無実であるとされてきた。

何故かと言うと、これは米国が支援するウクライナでの政権転覆作戦によって、昨年の2月にはキエフに暫定政権が樹立されたからである。この動きは、ロシアを揺るがそうとするワシントンの長期的な目標から見ると基本的に予見されていたことである。今実行されつつある停戦の将来の見込みはどうかと言うと、矛盾語法めいたものとならざるを得ない。ウクライナでの和平の実現はワシントン政府にとってはロシアを覆すという地政学的な大目的には障害となるのである。

キエフの犯罪的な政権は自作自演のテロ活動を行う専門家になったかのような観があり、それと相俟って、同政権やそれを支援する西側は正式に、すべては「ロシアが支援する反政府派」のせいであるとしてきた。 121日のドネツクでの虐殺、124日のマリウポルでの虐殺、さらには今週クラマトルスクで起こった虐殺、これらすべては米国が支援し、訓練を施し、武器を与えて来たキエフ政権の武力勢力がしでかした自作自演であり、そのことを顕著に示す特徴を備えているのである。 

クラマトルスクでの虐殺については、ミンスク・サミットの前日、キエフ政権は「スメールチュ・ロケットが分離派によって支配されているゴルロフカ地域から発射された」と主張した。しかし、同地域は80キロも離れており、ロケットの射程距離外である。分離派はこの攻撃を否定し、しかも市民の居住地域は目標にはしないと言った。虐殺の数時間後、キエフのペトロ・ポロシェンコ大統領はクラマトルスクに到着し、病院のベッドで横たわっている犠牲者を見舞い、一緒に写真を撮る機会を逃さなかった。もしも反政府派のロケット攻撃が本当だったとしたら、攻撃に見舞われている町へポロシェンコが急いで出かけたということ自体が胡散くさい。また、彼は台本を読んでいるかのような調子で喋ったのである。「一般市民に向かってクラスター爆弾を使うとは残虐だ。一般市民が自宅でロシア人の武器によって殺されるなんて、人道に対する犯罪行為だ。」

その翌日、「激怒した」ポロシェンコはミンスクではプーチンと暖かい握手を交わしていた。ロシアの戦争犯罪ももはやこれまでという感じだった。 

過去のキエフ政権の行為から判断すると、「直近の停戦はたやすく台無しにされてしまうかも知れない」という言い方は控えめ過ぎる表現だ。キエフ政権がしなければならない事は戦闘を継続し、犯罪を犯すことである。これらすべてはロシアがミンスク合意を実施しなかった「証拠」として活用されるのだ。こうして、ワシントンとその忠実な同盟国である英国とポーランドは、西側のニュース・メデアの宣伝屋と一緒になって、ロシアは「全面的な実行はしなかった」として非難する。たくさんの米国製の殺傷兵器がウクライナへ運び込まれ、対ロ経済制裁はさらに強硬な段階へと引き上げられる。 

ロシアのウラジミール・プーチン大統領がウクライナ危機で優れた政治家としての指導力を発揮した事実は大きな信頼を受けるにふさわしい。問題は、米国人はまったく違った、汚らしいゲームに没頭しており、そのゲームには遵守しなければならない規則はないという点だ。  

© Strategic Culture Foundation

<引用終了>


この記事を読んでみて「面白いなあ」と感じたことがひとつある。

英語の記事を読む時、行間をどれだけ深く読めるかが英語はあくまでも外国語である我々にとっては最大の挑戦だ。それは英語国民と我々外国人との間に理解度を決定づける大きな分かれ道となる。しかしながら、この記事の著者は丁寧に解説をしてくれている。大助かりである。

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調査報道のベテラン、ロバート・パリーは、320日の記事 [4] で、最近のミンスク停戦に対するキエフ政権の対応を危険視していることを表明した。その一部を下記に示そう:

最近のミンスク合意を受けて、それを実施する法案に毒薬条項(つまり、政治的関係をわざと悪化させる条項)を盛り込むことによって、ウクライナ政府は内戦が再開されることを効果的に保証したと言えよう。米国の強硬派や主流メデアは、疑いもなく、少数派のロシア系住民やロシアのウラジミール・プーチン大統領を非難することだろう。

米国のメデアは所謂ミンスク―2合意の中の停戦条項に焦点を当てて来た。まず、彼らは停戦条項は反政府派やロシアによって台無しにされたと主張し、今は「停戦は不確かな状態にはあるものの、比較的成功している」と認めるようになった。しかし、ミンスクー2のもっと重要な点はキエフ政府とウクライナ東部の反政府派との間に対話の場を設けることによって内戦に政治的解決を促すことにある。こうして、2015年の末までには反政府派の地域に自治権を与えるとしている。

しかし、今週キエフのウクライナ議会で議決された停戦実施法は反政府派にはまずキエフ政府に対して降伏するよう求めており、その後で、連邦制の構造を決定する前にキエフ政府は選挙を行うとしている。

ミンスク―2の合意は選挙の実施やこれらの地域のための自治権の設立に向けて反政府派の代表者との対話を求めているが、キエフ政府の変化球は反政府派の指導者との対話を拒否し、このプロセスが前に向かって動き出す前にも、これらの地域に対する統制を樹立したいと主張している。事実、キエフ政府は反政府派の降伏を求めているのである。

ここには、著者が言っているように、ミンスク和平案を台無しにしようとするキエフ政府のはッきりとした意志が見られる。反政府派との対話ではなくて、降伏を求めている。

ところで、この1年間、ウクライナ紛争をさまざまな角度から観察してきて、我々庶民も多くの知識を得ている。キエフ政府の動きはワシントン政府の意向を100%反映したものであることを疑う人は、今や、いないのではないか。

著者はさらに下記の点にも触れている。

…「まずは降伏、それから交渉」を行うとするこの毒薬条項はメルケルとオバマが米国の強力なネオコン勢力を抑えることができる力量を果たして持っているのだろうかという懸念を起させる。何と言っても、ネオコンはロシアを孤立させ、オバマとプーチンの間に楔を打ち込もうとしてウクライナ危機を引き起こした勢力である。二人の指導者は2013年にシリアやイランとの緊張を和らげることに成功した。一方、当時、ネオコンはさらなる「政権の交替」を望んでいたのである。

NATOの欧州連合最高指揮官である米空軍のフィリップ・ブリードラブ将軍は、もっと多くの武器を送り込むことによって「プーチンの戦場での費用を引き上げる」ことができると述べたことが伝えられている。米国務省のヌーランド国務次官補は米国の政治家たちに言葉を挟んでこう言った。『あなた方には「自衛的システム」という言葉を使って欲しいと私は強調したい。プーチンの「攻撃的システム」に対して我々がキエフ政府に提供する武器は単に「自衛的」なものに過ぎないという点を強調するのだ。』 

当面は、ヌーランドや他の米国政府の高官たちの悪巧みや誘導によって、米国の主流メデイアは全体のストーリーからクーデターの部分を故意に除外してしまい、「クーデターは無かった」と言い張り、ウクライナ東部でロシア語を喋る少数派に対して戦闘を主導しているネオナチの武装集団の存在については、「そのようなものは私には何も見えないが…」との返事で受け流す始末である。

ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストおよび他の主要紙は、すべての出来事を「ロシアの侵略」であると説明し、プーチンは新たなヒットラーであり、ヨーロッパの全域を征服するためにすべての出来事を計画したと描写する。隣国のクーデターはプーチンには寝耳に水であったということは証拠を見ると明確であるにもかかわらず、米国のメデアはヌーランドが要請した宣伝路線を執拗に押し進めた。

こうして、もしも現行の停戦が破られ、虐殺が始まると、米国市民は誰もが『これはプーチンの仕業だ。彼が「侵略」と言う大きな計画の一部として停戦を破ったのだ』という説明を聞かされることになると推測しても間違いはない。そして、ヌーランドとヤツニュックによるミンスク―2の妨害交策はこの実に厄介なストーリーの次の章となるのだが、それは記憶の穴からするりと抜け落ちてしまうことだろう。

上述のふたつの記事の引用によって、ミンスク―2に対するワシントン政府の姿勢がヨーロッパならびに米国でどのように見られているかを垣間見ることができたと思う。しかし、周りに座る政治家たちに向かって「白」(例えば、攻撃的兵器)を「黒」(自衛的兵器)と言い含めるヴィクトリア・ヌーランドの姿は外交の世界に通じてはいない我々一般人にとっては想像に絶する風景である。

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米国のウクライナへの殺傷兵器の供与はまだ始まってはいないかのような印象を受けるが、現実にはすでに開始されているようだ。

ドネツクの反政府派の指導者であるアレクサンドル・ザハルチェンコは、324日、記者会見 [5] で、「米国はすでにウクライナへ武器を供給している。例えば、デバルツヴォでは我々は米国製の武器を目にしている。あれは殺傷兵器だ。NATOの飛行機は毎日のようにドニエプロペトロフスクやザポリズアあるいはハリコフの空港へ飛来している」と、述べた。

キエフ政府や米国の政治家の巧みな言い回しと西側の主流メデアとの協力関係によって、米国からのキエフ政権への殺傷兵器の供与という事実が見事にカムフラージュされていると言えよう。

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ミンスク合意を受けて、キエフ政権はすぐにでもドネツクとルガンスク両州の代表者との会話を始めるのかと思いきや、その気配はまったく見えない。要するに、この状況は米国がそのような意思を持ってはいないことを証明していると言えるのではないか。

ウクライナ国内では経済が疲弊する一方である。実質インフレ率は公式の数値よりは遥かに大きな値で、272%であるという。こうした経済環境の中にあって、現政権に対する一般市民の不満は高まるばかりである。彼らの気持ちとしては2回目のマイダン革命が新たに起こったとしても全然不思議ではないとの気分が醸成されつつあると伝えられている [6]

ミンスク―2の合意はその骨子が内戦の当事者間で対話を開始し、ウクライナからの分離を要求しているドネツクとルガンスク両州に自治権を与え、連邦制のウクライナを構築するという点にある。その趣旨でウクライナ、ロシア、フランス、ドイツの4カ国の首脳の間で合意に達した筈である。ところが、キエフ政権は対話を開始しようとはしない。ここには政治の貧困、あるいは、傲岸さを見る思いがする。

このような状況が続くようであれば、ウクライナの一般市民にとっては明らかに不幸なことである。それでもなお、状況に改善が見られないということは現キエフ政権を政治的、経済的、軍事的に後押ししている、つまりは、牛耳っている米国の、特に、ネオコン政治家の思惑こそが元凶であると言えよう。

米国は対外政策では何かにつけて「民主主義」や「言論の自由」あるいは「人権」を売り込もうとするが、そういった表向きのスローガンを主張すればするほど米国の本当の思惑はまったく別の所にあるのだと推測しても多くの場合間違いではない。

自分たちが持つこのような傲岸さに米国の政治家が気付き、自分たちの行動を変えるのはいったい何時になるのだろうか。永遠にないのだろうか。


参照:
1: West losing up to 40bn Euro from sanctions war - leading Russian MP: By RT, Mar/16/2015, http://on.rt.com/ivjktt

2:  Just Business: US Grows Russia Trade While Urging EU to Back Off: By Sputnik International, Mar/04/2015  

3: Washington Wastes No Time to Sabotage Minsk: By Finian Cunningham, Strategic Culture Foundation/Information Clearing House, Feb/13/2015

4: Ukraine’s Poison Pill for Peace Talks: By Robert Parry, Consortium News, Mar/20/2015

5: DPR Militia Leader: US Already Supplying Lethal Weapons to Ukraine: By TASS, Mar/24/2015 

6: Is There Another Maidan Brewing in Ukraine?: Josh Cohen, The Moscow Times, Mar/23/2015



2015年3月20日金曜日

ウクライナにおけるロシア軍の幽霊部隊 - ロシア兵の棺が故郷へ帰還

キエフ政権やそれを後押ししている米国のオバマ政権はロシア軍によるウクライナ東部の反政府派への支援を執拗に非難しているが、ロシアのプーチン政権はかねてからロシアの正規軍はウクライナへ派遣されてはいないと言っている。

しかも、ウクライナ軍のトップさえもが最近下記のように述べた [注1]:

ウクライナのエスプレッソTVとのインタビューで、ウクライナの軍事専門家、アレクサンダー・タラン中佐はウクライナ軍のトップであるムゼンコ将軍が言いたかった内容は次のような点であると述べた。

「今までのところは、何人かのロシア軍のメンバーや不法な武装集団の一部にロシア市民が参加し、戦闘に加わっているだけである。われわれはロシアの正規軍と戦闘をしているわけではない。われわれには現在戦闘に関与している不法な武装集団と戦い、最終的に彼らを打ちのめすに十分なだけの戦力と手段が備わっている。」 


このウクライナ軍のトップが述べた内容はキエフ政府やNATOが喧伝している政治的な宣伝内容とはまったく違い、軍事専門家から見た現状をより正確に、より理性的に述べたものだと解釈される。その点で非常に興味深いし、語弊を招くかも知れないが、常識的にも頼もしい感じがした。キエフ政府の高官やNATOのトップとは違って、ウクライナにもこういう堅物がいるんだということを始めて知ることになった。


ところで、ロシア正規軍ではなく、一個人として志願してロシアから自費でウクライナ東部へやってきて、反政府軍の一部として内戦に身を投じている兵士たちは、最悪の場合、戦場で死亡する。1年近いこの内戦で、今や、戦死者の数も増えているに違いない。

そういった様子を詳しく伝えている記事 [注2] が最近見つかった。

今日はその記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。これを読むと、戦争の不条理を嫌と言うほど思い知らされる。米ロの政治家あるいは戦争計画者たちの見方や意見とはまったく違う、草の根の一般市民の思いにじかに接することができる。そういう意味でこの記事は非常に貴重だと思う。


<引用開始>

9月2日、朝の6時半、ロシアの第106親衛空挺師団のひとりの大尉がロシア南部のボルガ川とカザフスタンに囲まれ三角地帯を形成するサマラ地域の遠く離れた集落の郊外に到着した。彼はもう何時間も田舎道をドライブしていた。果てしなく続く白樺の林もやがては平らな農地に代わり、小さな墓地の側にある標識がポドソルネチノイエ村であることを示していた。わだちのできた道路で車は大きく揺れ、手入れが行き届かない何軒かの平屋建ての家屋を過ぎて、白煉瓦のつつましい家の前でその車は止まった。

大尉は自ら送り届けるためにウクライナとの国境に近いロストフを発って、1,400キロ以上もドライブしてきたのだ。彼が丁重に送り届けようとしていたのは亜鉛製の棺に納められた20歳の空挺隊員の死体であった。彼の名前はセルゲイ・アンドリア―ノフ。

親戚一同が外に並んで彼らを迎えた。セルゲイの兄と叔父のひとりがアングル・グラインダーを手にして一歩前へ出て、棺を開ける用意をした。彼の母ナターシャは家の中にいて、外へは出て来なかった。「私はこれは何かの間違いであることを祈っていたわ」と、彼女はヴァイス・ニュースの記者に言った。「彼を送り届けて来るのにたいそう時間がかかったんです。多分、彼は傷を負ってしまって、治療をしているに違いないと私は自分に言い聞かせていました。」 外では、男たちが何とか棺を開けた。彼女の娘の悲鳴がナターシャにも聞こえてきた。




ナターシャ・アンドリア―ノヴァは息子を任せた政府や軍隊に完全に裏切られたような気分だと言う:

写真を見ると、セルゲイは多くの場合微笑んでいて、少年のような顔立ちと穏やかな眼差しが特徴的だ。体つきはフェザー級の格闘家ように小柄で、短く刈り込んだ薄茶色の髪を持ち、目はブルーで、顎が張っていた。しかし、死体を見ると、ナターシャには自分の息子だと認識することさえも難しい程だった。彼の表情は厳しく、歪んでおり、目がかっと開いていて、ぽかんと口を開けていた。彼の顔の左側はブルーに変色し、鼻は誰かがグイッと引っ張ったかのように変な角度に曲がっていた。彼の体は泥にまみれ、爪の下にも泥が詰まっていた。セルゲイの心臓に致命的な一撃を与えた傷跡は彼のサイズには合わないだぶだぶの制服の下に隠されていた。彼の足からは一対の薄っぺらなゴム製のサンダルがぶら下がっていた。

家族は死体が到着するまで5日間も待っていた。その間、セルゲイの兄は部隊へ電話をして、弟がどのようにして戦死したのかを聞き出そうとした。当時、部隊にとってはセルゲイの兄は「やっかいな問題」となっていた。ある時点で、うんざりした将校が彼に諦めるよう忠告した。「10万ルーブル(1,850ドル)が支給される。これだけあれば十分に飲んで、彼のことを記憶にとどめるには十分だ。それ以上、いったい何を望んでいるんだ?」 しかし、ナターシャは答えが欲しかったのだ。「彼はどんなふうに亡くなったのか?」 「いったい何処で死亡したのか?」 そこで、彼女は息を継いだ。彼女の目は涙でいっぱいだった。「私の息子は逝ってしまったけど、彼がどのように死亡したのかは誰も教えてはくれないのよ…」

ナターシャはヴァイス・ニュースに彼女の息子の死体と共に受け取った書類を見せてくれた。軍の死亡証明書には手書きで「爆発による外傷」と記されている。「一片のシュラプネルが胸部を直撃し、心臓に損傷。」 その爆発が何によって引き起こされたのか、セルゲイが何処で死亡したのかは記されてはいない。軍の検死報告書によると、8月28日午前9時、ロシアの第137親衛空挺部隊に勤務するセルゲイは「一時的な配置転換」で「特別な任務」に服していた。「爆発があって、この爆発によりアンドリア―ノフ伍長は致命傷を受けて、その結果即死した。」 書類はロストフで署名され発行されてはいるのだが、どの書類を見ても、死亡場所は「一時的に配置転換された場所」というだけであった。

「これはすべてが政府の機密事項であると匂わせているみたいだわ」と、伏し目がちにナターシャは言う。彼女が再び喋りはじめた時、彼女の声は静かではあったが、決然としていた。「でも、正直言って、これは政府による犯罪だと言いたいんです。」 




ナターシャ・アンドリア―ノヴァは、息子の死体が戻ってきた時息子のセルゲイだとは見極めることもできない程だった、と言った:

関連記事: The Kremlin's Secret War: Russia's Ghost Army in Ukraine

ナターシャは今も依然として彼女の息子にいったい何が起こったのかについて情報を得ようとしている。8月中旬、彼の部隊は軍事演習のためにロストフへ送られた。彼の携帯電話は切られ、彼からの電子メールの返事は途切れてしまった。8月21日、セルゲイからナターシャに電話があった。見たこともない電話番号だった。自分は元気でいるよ、と彼女に告げた。「彼は急いでいるらしく、声を潜めて話していたわ。私は何だか不思議な感じを受けたけど、彼は心配しないで欲しいと言ってました…」 その7日後、家族には彼の死亡の知らせが届いた。

ロシアは公式には何処とも戦争をしてはいない。しかしながら、ロシアの兵隊たちは死んでいる。セルゲイは何十人、あるいは、何百人の戦死者のひとりである。ロシア軍に勤務するこれらの兵士はウクライナで戦死したものと考えられている。クレムリンはロシア軍を戦闘に送ることは否定している。国境の向こう側で起こっている紛争に直接関与することはないと主張している。しかし、セルゲイに関するストーリーは兵士の家族や人権団体の活動家、あるいは、公的な筋書きに懐疑的な政府職員たちから集められた無数の説明のうちのひとつでしかない。

これらのストーリーは公的には存在しない筈の戦争における戦死者の存在を白日の下に晒し、これらの犠牲者の責任はロシア軍の幽霊部隊に負わされるのである。

 

誰もが黙りこくっている。これが何処で起こったのかは皆がよく分かっているのだが、誰も喋ろうとはしない: 


2月の末、重武装をして階級章を付けてはいないグリーンの制服を着た男たちがクリミアに展開した。これはモスクワ政府がクリミア半島を併合するための作戦だった。いわゆる「緑の制服を着た男たち」は実際にはロシア兵ではないのかと問われて、ウラジミール・プーチン大統領は、彼らは「地元の自警団」であり、クリミア半島の店でロシア兵の制服によく似た制服を調達したのではないかと言った。

しかし、4月に全国に放映されたテレビ番組で、同大統領はクリミアを占拠し併合するためにロシア軍が配置されていたと静かに言った。プーチンの発言に合わせるかのように、親ロシア派の武装勢力はロシア皇帝の治世には「ノヴォロシア」、つまり、「新ロシア」と呼ばれていたウクライナ東部にある政府ビルを占拠した。このウクライナ東部においてもロシア軍が関与していたのかとの問いに対して、「ナンセンスだ。あそこには特殊部隊もいないし、特殊任務の兵隊や訓練のための教官もいない」と言って、プーチンは冷笑した。

たったひとつの急襲で、ロシアは23年間ウクライナの領土であった一部分について国境を書き換えてしまった。この動きは国外に憤慨や非難を巻き起こし、経済制裁や外交的な孤立を招いた。しかし、国内的には愛国心の高揚を巻き起こし、この出来事はプーチンにとってはひとつの転換点となった。彼の信任はクリミアの住民投票の後には1月の65%から一挙に80%へと跳ね上がった。経済は低迷しているにもかかわらず、プーチンの信任はさらに高まるかも知れない。

ロシア人の多くが見ているプーチンのイメージは西側と対抗することを恐れず、列強の間に自分たちの国の正当な位置を取り戻そうとする強い指導者の姿である。しかし、批評家たちは同大統領が権力を強化するためにさまざまな出来事を巧みに操っているとして非難している。「疑いもなく、プーチンはウクライナを自分の国内政治上の目標を達成するために利用している」と、モスクワの風刺作家であり著者でもあるヴィクトル・シェンデローヴィッチが言った。「彼は数年前には離任間際で指導者としての正当性を欠いていた。今や、突然、クリミアが奪還され、プーチンの信任は大きく上昇した。」 

ウクライナ東部における紛争は、当面、悪化する一方である。8月までには、ウクライナ軍は親ロ反政府派に対して攻勢を維持していた。ドネツクやルガンスクの拠点に向けて反政府派を後退させていたのだ。包囲される危険性が高まったことから、分離派はモスクワに兵力の派遣を依頼した。

ロシアは国境沿いに軍隊の増強を図り、戦闘可能な戦力を倍増し、推定で 20,000人の兵力が終結されたと報じられている。NATOや米国政府高官らが迫りくる武力侵攻を警告する中、セルゲイ・アンドリア―ノフのような兵士たちは国境に集結され、モスクワ政府はそれを軍事演習だと説明した。しかし、セルゲイのように、数多くの兵士が遺体袋に入れられて故郷に帰還することになることだろう。 


「兵士らの母親による委員会」はウクライナ紛争との関連性を公言したことから、同団体は「外国の手先」である見なされた: 

セルゲイの件は「兵士らの母親による委員会」や旧ソ連邦の崩壊以降軍人の権利を擁護してきた複数のNGOのネットワークから収集された何十件もの報告ともよく一致する。ヴァレンチーナ・メルニコーヴァは同組織を率いているが、親戚や兵士たちからの情報を引用して、ウクライナでは少なくとも500人からの兵士が戦死したと述べている。この数値は米国側の推定値とも概ね一致する。しかし、公的に確認されたリストがないことから、ロシア軍の関与がどの程度になっているのかを検証することは困難である。「ロシアが正規軍を投入していることは明らかである」と、ロシア大統領府の人権委員会のメンバーであるセルゲイ・クリヴェンコが言った。この人権委員会は半ば独立した機関であって、プーチンに諮問する。「まあ、何らかの形で彼らはこの紛争に参画してはいるけれども、その活動はすべて隠ぺいされている。」 

最初の情報は心配にかられた両親からもたらされた。ロストフで勤務している息子との連絡がとれなくなってしまったのだ。「兵士らの母親による委員会」の地方支部は軍の病院が負傷兵で満杯になっていることを報告し始めた。そして、棺が届けられた。ロシア中の村々に致命的な外傷を受けた兵士の遺体が到着し始めた。彼らの書類はどれにも兵士が亡くなった場所として「一時的な配置転換の場所」と記載されていた。

メルニコ―ヴァにとってはすべてが見え見えである。旧ソ連邦時代のアフガニスタン戦争でもそうであったように、ロシアには兵士の死者数を過小評価する歴史がある。当時、棺は真夜中に家族のもとへ送り届けられたものだ。1990年代のチェチェン戦争でもこのような行動が引き継がれた。しかし、最近は、軍部は著しい改善を行っている。説明責任を取り入れたのだ。特に平和時においてはロシア軍兵士の死亡や怪我は公的な調査を開始することになっている。「もちろん、事故によって何らかの不祥事が起きた場合は例外となるが、われわれが目にしているのは明らかに死因が戦闘時の怪我であり、それぞれが孤立した事例というわけでもない。今日まで刑事事件の調査も行われてはいない」と、クリヴェンコはヴァイス・ニュースに語った。 

これらの事柄はいずれも国営メデイアによって報道されることはなかった。ロシア市民のほとんどは国営メデイアを通じてニュースに接しているのだが… テレビ報道ではキエフ政府は「ファシスト政権」として描かれ、ウクライナ国内のロシア語を喋る市民を殺害することに躍起となっていると報道している。報道プログラムは国内からロシアに脅威を与えようとする「第5列」に関する陰謀説や戦争に反対して喋ることは売国奴に値するとして著名な作家や政治家を描写する一連のドキュメンタリーなどでいっぱいだ。


[訳注:「第5列」とはウィキぺデイアによると次にように説明されている。この表現は、スペイン内戦で反政府軍側の将軍エミリオ・モラ・ビダルが、1936年にラジオで「我々は4個軍団をマドリードに向け進軍させている。人民戦線政府が支配するマドリード市内にも我々に共鳴する5番目の軍団(第五列)が戦いを始めるだろう」と放送したことに起源がある。この単語はまた、自らが居住している国家に敵対する別の国家に忠誠を尽くすことを求められた人々や、自らが居住している国家に対して戦争のときに敵方の国家に味方する人々を指す場合にも使用される。] 

これらはすべてが恐怖に満ちた雰囲気を醸し出すことに貢献し、その恐怖心こそが特定の家族に公言することを控えさせているのである。ナターシャは自分の息子の死のまわりに漂う秘密主義によって孤独感を感じている。それは政府関係者からだけではなく、村の隣人たちからさえも感じるのである。「誰もが沈黙したままだわ」と、彼女は言う。「あれが何処で起こったのかは皆が知っているけれども、誰もそのことを喋ることは出来ないんです。」 


隠ぺいの規模や程度は思いも寄らないほどである。ウクライナ紛争でいったい何人の兵士が戦死したのかはわれわれは知らないが、その数は何百にもなるだろう。もしかするともっと多いのかも:

その沈黙の壁は8月の最後の週には崩壊し始めようとしていた。プスコフ市 [訳注:ロシア北西部の都市。エストニアとの国境に位置している] で新たに設けられた複数の墓がクレムリンとウクライナ東部における戦闘との関連性を示唆したのだ。

エストニアとの国境に近く、ザンクト・ペテルスブルグからは車で5時間の距離にあるプスコフ市はロシアではもっとも古い都市のひとつであり、タマネギ型のドームを持った教会と相俟ってもっとも美しい都市でもある。いくつかの教会は12世紀に建立されたもの。1917年にニコライ2世ロシア皇帝が誘拐されたのはこの地であった。ロシア帝国の死を予告する鐘の音が鳴り、ソ連邦が創立されたのだ。今日では、この都市は第76親衛航空急襲師団の町としてよく知られている。 

プスコフの空挺部隊は8月の始めにロストフへ配置された。兵士たちが電話やメールを書くことを中断した時、兵士の家族は非常に心配になってきた。8月21日、ウクライナの政府高官は、ルガンスク近郊での武力衝突の後、2台のロシアの装甲車両を捕獲したと発表した。また、押収した何種類もの書類の中には60人の空挺部隊員の点呼表が含まれていたと言う。これらの書類の写真がインターネットに掲載されている。 インターネットにはたくさんの偽情報が行き交っているから、このような情報は必ずしも寝耳に水の出来事とは言えない。しかし、家族の間にはパニックが起こり、この出来事は地方メデイアの関心を呼んだ。

ロシアの政府関係者は何も間違ってはいないと言い張った。翌日プスコフへ飛んだロシア空挺部隊の指揮官はこれは「言いがかり」だと言った。「われわれの航空急襲師団では全員が生存しており、皆元気だ。」 しかし、同師団出身兵士の死亡の噂が市中やインターネット上で速やかに広がった。レオニード・キチャトキン軍曹の妻が「レオニードは戦死しました」と言って、その月曜日に予定されている葬式に出席してくれるようにと友達宛ての招待状をソーシャル・メデイア上で掲載した。この掲載は間もなく撤去されたが、すでにインターネット上で拡散された後だった。

イリナ・トウナコヴァはザンクト・ペテルスブルグに拠点を置く独立ジャーナリストであるが、この葬式を取材しようとした。しかし、彼女がキチャトキンの妻に電話をすると、電話に出た女性は自分の夫は生きており、元気にしていると言い張った。「すべてが噂に過ぎないとか、誰も戦死してはいないとか、あの文書も単なるまやかしものだといった点について一篇のストーリーを書くことに自信を感じました」と、トウナコヴァはヴァイス・ニュースに語った。




プスコフの郊外にある墓地はウクライナで戦死した兵士の休息の場所となっている:

月曜日の朝、プスコフの郊外にある小さな墓地のある教会は集まった人たちで一杯になった。正装をした将校たちが外を歩き回っていた。地方の政治家であり独立した新聞を発行しているレフ・シュロッスベルグによると、「これはキチャトキンだけの葬式ではないが、その後この墓地や他の墓地に埋葬された兵士たちに対するお別れの儀式だ」と言う。

途中で道に迷ってしまったイリナ・トウナコヴァは数時間遅れて墓地に到着した。その時までには、人々はすでに墓地を後にし、何人かの兵士たちだけが新たに掘ったふたつの墓地を整地しているところだった。ひとつ目はレオニード・キチャトキン軍曹のためのもので、ふたつ目は8月20日に亡くなったアレクサンダー・オシポフの墓だった。レポーターを弔問客と勘違いして、ひとりの男性がトウナコヴァにウォッカを勧めた。「私の息子がここに居るんだ」と、オシポフの墓を指さして、彼は言った。「彼は英雄になりたかったんだ。」 彼女はキチャトキンの墓地に向かって頷きながら、「彼はウクライナで死亡したのですか」と訊ねた。「いったい他の何処で?」との返事が戻ってきた。 

8月26日、シュロッスベルグの新聞がそのストーリーを発表したことから、これはスキャンダルに発展した。師団は内部結束を高めた。兵士の家族はメデイアに対して口を閉ざしてしまった。誰かは分からない男たちが墓地で警戒に当たり、墓地に近づこうとする部外者にはアクセスを禁じた。ジャーナリストを守る委員会によると、8月26から27日にかけて、少なくとも7人のジャーナリストがこれらの不可思議な戦死を取材しようとしたが、その際に脅威を与えられたり、暴力を受けたりした。もっともひどい暴力沙汰はシュロッスベルグ自身に対するものだった。彼は誰とも知れない人物に殴打されて、病院に数週間も入院しなければならなかった。「あれは政治的な意思決定だったと思う」と、彼はヴァイス・ニュースに語った。「奴らは職業的とも思える程に暴力を振るった。単なる街のごろつきではない。奴らは何処を殴ればいいのか、どのように殴るのかを良く知っている風だった。」 

10月にヴァイス・ニュースが再訪した時には、墓地を警護する男たちはもう見当たらなかったが、辺りに漂う恐怖感は依然として残っていた。プスコフの兵士の家族は誰もが記録に残るような言動は避け、師団は質問に答えようともしなかった。でも、この状況はシュロッスベルグを驚かすことはなかった。「何が起こったのかを良く知っている人たちは喋ることを怖がっている」と、彼は言った。『彼らはこう言った。「もしもお前たちの誰かがあれはウクライナで起こったんだと言ったら、その当人とは契約を破棄して、給料の支払いを中断する。そうするとその人物は路頭に迷うことになるんだぞ!」 そして、多くの場合、兵隊という職業が唯一の収入源なのだ。』 

暴力沙汰に見舞われたにもかかわらず、シュロッスベルグの新聞は兵士らの死亡に関する報告を続けた。リークされた記録に基づいた情報も含まれており、それによると8月20日にはウクライナ軍との戦闘で80人ものプスコフからの空挺部隊員が死亡した。シュロッスベルグは軍部全体では死者数はずっと多いのではないかと推定している。「隠匿の度合いは徹底している」と彼は言う。「ウクライナでいったいどれだけの兵士が戦死したのかはわれわれは知る術もないが、その数は何百人にもなるだろう。もしかすると、それを上回るのかも…」 


もしもインターネットが無かったら、われわれは答えを見出すことはできなかっただろう: 

8月26日、シュロッスベルグがプスコフに関する報道をした日、ウクライナ政府は10人のロシア兵をウクライナ領土内で捕獲したと発表した。その日の午後、プーチンはミンスクへ飛んで、ウクライナ側の相手であるぺトロ・ポロシェンコと会った。話し合いはウクライナ東部での紛争の解決について何とか道を開こうとするものであった。ふたりの大統領がベラルースの首都で気まずそうな握手をする直前、キエフ政府は捕獲したロシア兵に対する尋問の様子をビデオで公開した。

これらの拘束された空挺部隊の隊員はコストロマ [訳注:モスクワの北東約300キロに位置している] に本拠を置く第331空挺師団に所属していた。強制された自供とも判断されるが、指揮官によって誤導されたのだと兵士らは言っている。指揮官はこれから演習に出かけると言ったが、実際には国境を越してウクライナへ送り込まれたのだと…

クレムリンはこのウクライナへの侵入を認めたが、それは間違って越境してしまったのだと釈明した。「私が聞いている限りでは、兵士らは国境をパトロールしていたが、間違ってウクライナの領土内に入ってしまった」と、ミンスクでプーチンが記者団に語った。

しかし、コストロマでは、ビデオの映像は兵士らの家族の間に嵐のような怒りを巻き起こした。「いったい何時になったらこの出来事について私たちに話してくれるのか?」と、RFE・RLとのインタビューで憤慨した母親のひとりが質問した。「一週間後?二週間後?もしもインターネットがなかったら、われわれは永久に情報を手にすることはないだろう。」 親族らは師団へ出向いて答えを要求し始めた。涙をいっぱいためた母親たちの一団が記者会見を行い、プーチンに自分たちの息子を戻してくれと懇願した。この圧力を受けて、クレムリンは10人の空挺部隊の兵士を63人のウクライナ兵と交換することにした。

これらの出来事はドミトリー・グドコフの関心を引いた。彼は野党議員であって、ロシア下院に属している。彼は、プスコフで埋葬された兵士らを含めて、ウクライナで戦死したと推測される30数人の兵士たちについて公的調査を行うことを要求した。個人情報の保護に関する法律を引き合いに出して国防省はコメントを避け、ロシア軍兵士の戦死はウクライナ政府と西側によって広げられた噂であるとして退けてしまった。「ロシア連邦はウクライナ政府軍と政府指導者に反旗を翻しているドネツクやルガンスク両州の反政府軍との間の紛争では当事者ではない」と述べた。返事の内容はこちら

当面、「兵士らの母親による委員会」のザンクト・ペテルスブルグ地方部会はこの件についてロシア政府が調査を行うよう申立書を提出した。その数日後、この地方支部は公式に「外国の手先」であるとの烙印を押された。これによって、彼らの政府に対する批判は信用できないものとされたわけである。


彼はそうするように命令されたから行動したのだ。前進せよ、軍事拠点を破壊し、さらに前進を続けよ、と:

モスクワ政府の努力にもかかわらず、膨れ上がるばかりの議論は無視することができなくなった。クレムリンの筋書きがほころびる危険性の中、事態は急変した。 

9月5日の夕刻、みっつの国営テレビがウクライナで戦死したロシア兵に関する報告を伝えた。現役の兵士の死が国営のメデイアによって報道されたのは初めてだった。視聴者は28歳の空挺部隊の隊員の葬式の様子を見せられた。彼は完璧な軍葬の礼によって葬られ、礼砲で終った。この兵士は「ウクライナでの出来事を何もせずに見過ごすことなんてできない」愛国者であったと伝えられた。三つのネットワークはすべてが彼は「志願者」であったと報道した。つまり、ウクライナへ行って、親ロ派の反政府軍と一緒に戦うことに関して彼は自分の妻にも指揮官に対しても何も言わなかったと。

メルニコーワはこの見方をこき下ろした。「いったいどうして志願者なの?ロシアの法律では一兵士にとってはそんなことはあり得ないんだから。」 休暇を取るには、ロシアの兵士は自分の指揮官に対して報告書をしたためる必要がある。休暇中に何処へ出かけるのか詳細に報告しなければならない。出国するには、そのプロセスはさらに複雑になって、自分の指揮官、国防省およびFSBの許可を得なければならない。さらには、ロシアの刑事法は自分の信念の下で外国へ出かけ、戦闘に参加することと単に金儲けのために外国での戦闘に参加することの区別はないのだ。どちらの場合にしても、彼は雇用兵と見なされ、刑務所に放り込まれるほどの犯罪である。

しかし、これらの事実は新しい物語を理解するには何の役にも立たなかった。ロシア兵たちはウクライナ東部のロシア語を話す兄弟たちとの親族のような関係によって動機付けられ、大挙して国境を越え、キエフ政府のファシストと戦うために志願したのである。




ニコライ・コズロフはウクライナの戦闘で負傷を受けた後英雄として歓迎された。彼は志願して出かけたのだと国は言うが、彼の親族は誰もがそれを否定する:

いわゆる志願兵に関する別の国営テレビの報告 が童顔の空挺部隊の隊員であったニコライ・コズロフについて報道した。彼はウクライナで待ち伏せ攻撃に遭って、脚を失った。病院の部屋で回復しつつあるニコライの映像に合わせて哀しいピアノ曲が流れ、彼の側には身ごもった妻が付き添っている。インタビューで、アフガン戦争に従軍したニコライの父親は自分の息子を自慢に思うと言った。「彼は自分の任務を最後まで果たしたのだから」と。

これはニコライは志願兵ではなかったという点を除いての話だ。「彼は命令を受けたから出かけたのだ」と、彼の叔父が言った。「前へ進め、軍事拠点を潰せ、前へ進み続けるんだ」と。

叔父のセルゲイ・コズロフは自分の甥から聞いた戦闘の様子を再び説明してくれた。彼の部隊は8月18日に国境を越えた。その6日後、部隊は待ち伏せに遭った。ニコライは茂みの中でシュルシュルと鳴る音を聞いたが、彼が地面へ伏せる前に、迫撃砲弾が彼の右脚をもぎ取ってしまった。その後起こったことについては彼は覚えてはいない。自分で止血帯を付けるのに精いっぱいだった。

セルゲイ・コズロフはヴァイス・ニュースにロストフの病院で発行された医療報告書のコピーを見せてくれた。それにはこう書いている。「撤退が不可能であるので、負傷の3日後、兵長は陸軍病院1602に収容された。」 

セルゲイ・コズロフはウクライナ紛争は彼の家族をふたつに分断してしまったと言う。

戦争は家族をバラバラにし、セルゲイとニコライの父親を引き離した。「私の兄はニコライを失うところだったが、彼は息子が祖国のために自分を犠牲にしたのだと信じている。でも、俺は祖国が彼を裏切って、犠牲にしたのだと思っているよ。」 

ニコライが国境を超えることを拒否することはできたのかという質問に、セルゲイは涙をこらえて瞬きした。「いったいどうやって?」と彼が聞き返してきた。「命令は命令なんだ。」

 

兄弟よ、安らかに眠りたまえ。呪を受けるのは君を外国の地へ送り込んだ連中だ: 

ウクライナ東部での過酷な紛争は5千人を超す犠牲者を出した。敵意はさらに拡大しているが、クレムリンの筋書きはほとんど同じままである。即ち、ロシア軍の軍事侵攻はない。侵略はない。軍事的関与なんてないのだ。そして、戦死者や負傷者ならびに行方不明者のロシアの家族は答えを待っている。

ヨーロッパのど真ん中での戦争が、2015年の今日、上辺だけの秘密の中で行われている事を想像するだけでも難しい。ウクライナでのロシア兵の存在を否定するロシアに対して、在国連米国大使のサマンサ・パワーはツイッターでこう言った。ロシアは「カメラの発明以前だったら、秘密のまま逃げおおせたかも。」 

しかし、国際的な非難の中、戦死した兵隊とカメラの発明については、少なくとも国内では、ロシアは宣戦布告のない戦争を咎められることもなくほぼ間違いなくやり過ごして来た。独立したレヴァダ・センターによって実施された12月の世論調査によれば、ロシア人の四分の一はロシアがウクライナで戦闘をしていると思っている。回答者の77%がロシアはこの流血騒ぎには何の責任もないと思うと回答した。

国際社会による厳しい経済制裁と下落した原油価格とが対ドルのルーブルの価値をその半分にも暴落させた。しかしながら、西側の政策立案家たちの予測とは違って、この状況がプーチンの立ち位置を弱めたという形跡はない。12月に公表されたAssociated Press-NORCの世論調査によると、81パーセントのロシア人は彼らの大統領を支持している。

ポドソルネチノイエ村へ戻ろう。ナターシャは今も彼女の息子の喪に服している。長椅子の端に腰を下ろして、彼女は悲しみで背中を丸めたままで、膝の上に置いた彼女の両手はそわそわしている。

「賄賂を払って、彼を軍隊へ送らないでいることも可能だった。誰だってそのことを分かってくれたと思うわ」と彼女は言った。彼女の顔は悲しみでしわくちゃになり、その後は苦痛が襲った。「でも、彼は男になりたかったんだと私は思うの。だから送り出してやったんです。」 しばらくして、こう付け加えた。「いや、兵隊の誰に対してでもロシア軍は責任を持っている筈だわ。」

ナターシャは不信と絶望の間を行ったり来たりした。ある瞬間には、彼女は軍隊と政府に対する怒りで一杯になって、こう言った。「私は国中に向かって叫びたいわ。彼が何処で殺されたかを皆に知って欲しいのよ。」 そして、次の瞬間には、不安と恐怖が彼女を襲った。「私はこの情報をあなたにあげるけど、心配だわ。皆がここへやって来るかも。誰が何のためにやって来るのかは誰も知りはしないんだから。」

セルゲイは父親の側に葬られた。広大な畑を見下ろす場所だ。そこは暑い夏にはヒマワリの花で埋め尽くされるが、ロシアの冬がやって来ると、目が届くかぎり荒涼とした土地が果てしなく続く。彼の奉仕を語るものは何もない。彼が命を捧げた戦争のことを伝えるものは何もありはしない。ナターシャは彼女の息子には「ロシアの英雄」を讃える勲章を授けて貰いたいと思っている。「戦争で亡くなった者だけが授かるのよ」と言った。「でも、戦争はしてはいないんだから…」

葬式は実に静かに終わった。公的な存在はセルゲイの遺体を家まで運んできてくれた大尉だけだった。ナターシャはウクライナで戦死した他の兵士の家族も弔意を表しにやって来たと話してくれた。彼女の打ちひしがれた姿を見て、戦死した息子を持つ父親は彼女の脇へ寄って来てこう言った。「ナターシャ、誰の言う事も聞くな。我々の息子たちは皆が英雄なんだ。立派な男たちだ」と、彼女に言った。「この思いを抱いてこれからも生きるんだ。今は静かにしていよう。」 

公の事実の承認は何も無かったけれども、それにもっとも近いと思われるものがインターネットに寄せられた。それはセルゲイの友人のひとりからのお別れのメッセージだった。こう書かれていた。「兄弟よ、安らかに眠りたまえ。呪を受けるのは君を外国の地へ送り込んだ連中だ。」

プーチンは、年末記者会見でウクライナにおけるロシア軍について質問を受けて、再びこう言った。「志願者たち… 彼らは胸中の呼び声に応えて行動しているのだ」と。しかし、セルゲイ・アンドリアノフは現役の兵隊であった。自分の指揮官の命令を受けて作戦行動をしている最中に一片のシュラプネルが彼の心臓に命中し、彼の命は奪れてしまった。 

「これは余りにもつらい。私の息子だからというだけではなく、戦死した多くの兵隊たちのことを思うと…」と、ナターシャは言った。「彼らはいったい何のために死んだのかしら。息子たちの戦死はどうして認めて貰えないのかしら。」


著者、ルーシー・カファーノフのツイッター: @LucyKafanov


<引用終了>


ここに始まりもなく終りもないナターシャの戦争の物語を見る思いがする。

ウクライナ紛争で戦死した兵士の数は本当のことはまったく分からないのが現状だ。ウクライナ政府軍もノヴォロシアの反政府軍も本当の数値を公表してはいないからだ。報道されている数値はかなり過小評価されていると言われ、実際の数値はオーダーが一桁大きいのではないかとさえ言われている。

戦争は常に理不尽である。個人のレベルでも、国家のレベルでもだ。しかも、古典的なひとつの国ともうひとつの国との間の戦争が今は「非対称戦争」とか「ハイブリッド戦争」と言われるような形態に変化している。しかし、こうした表現や呼称の問題とは違って、戦争の悲惨さは今も昔と変わりがない。一度戦争となると、戦争は市民ひとりひとりにとってはどうしようもない状況を招くのが落ちだ。上記に引用されているセルゲイ・アンドリア―ノフがいい例だ。

ウクライナ紛争については、せめて、戦死した若者たちに安息の時が与えられるよう祈り、彼らの遺族には少しでも早く自分たちの気持ちが整理出来るような政治的決着が到来することを期待したい。何と言っても、ウクライナ紛争を早期に終結させなければならない。そうさせるような英知を実践しなければならない。

ここに引用した記事は戦争が持つ理不尽さや無残さを余すことなく伝えている。個人の尊厳は国家権力の前にこうも簡単に奪われてしまう。それが戦争なのだ。



参照:

注1:Ukraine Military High Command Confirms “No Russian Invasion or Regular Troops”. Presence of NATO Forces in Donbass: By George Eliasom, Global Research, Feb/15/2015

注2:'It Is a Government Crime’: The Coffins of Russia’s Ghost Soldiers In Ukraine Are Coming Home: By Lucy Kafanov, Mar/03/2015, https://news.vice.com/article/it-is-a-government-crime-the-coffins-of-russias-ghost-soldiers-in-ukraine-are-coming-home