2015年5月4日月曜日

米国の財政的破綻が戦争をもたらす



米国が主導する環太平洋経済連携協定(TPP)とはいったい何かと考える時、典型的な答えのひとつは米国の多国籍企業が他国(例えば、日本)の市場から効率よく富を収奪する機能を持った国際協定であると言えるのではないか。

新自由主義を提唱する米国は自国の企業が環太平洋地域の各国で少しでも多くの利益を上げることができるようにするために、相手国に「ISD条項」を呑ませようとしている [訳注:このISD条項について詳細を知りたい方は2012630日に掲載した「TPPISD条項を拒否したオーストラリア」、他を参照されたい]ISD条項の仕組みを活用することによって、米国の多国籍企業は相手国、例えば、日本の国内法を超越して、自分たちの利益を排他的に確保することができる。これが新自由主義経済が主張する「規制のない市場」の実態である。まさに弱肉強食の世界であるとも言えよう。

そして、我々日本人にとっては非常にはた迷惑なことではあるのだが、TPP下では米国の多国籍企業にとってもっともうま味のある市場は日本であると言われている。つまり、彼らは日本が築いた富を吸収しようと、今や遅しとお待ちかねなのだ。

国内経済の発展に希望が持てなくなった米国は、最終的には、自国経済の発展を戦争に依存するようになる。20121011日のブログ「二人の大統領」を思い起こす方が多いかも知れない。あのブログでは戦争が如何に米国の経済を潤して来たかに関してブッシュ(ジュニア)元大統領の言葉を紹介した。今米国が戦争によってでも市場を確保したい最終的な相手国はロシアである。率直に言うと、ロシアの膨大なエネルギー資源や天然資源を濡れ手に粟で確保したいのだ。そして、その次は中国であろう。

2ヶ月程前の記事 [注1] ではあるが、「財政的破綻が戦争をもたらす」との表題を持った記事が目にとまった。今日はこれを仮訳して、皆さんと共有したい。


<引用開始>

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西側の主要な新聞に掲載されている見出しをざっと見て、さらには一方通行の鏡の背後に存在する何かを覗き見して、それらの見出しを実際に起こっている事柄と比較してみると、米国の伝道者ならびに彼の背後に続く信奉者たちは皆が揃いもそろってある種の軍事行動を起こすことの正当性をでっち上げようとしていることに誰もが容易に気付くことであろう。例えば、それはひどい機能不全を起こしているウクライナ軍へ武器を補給することであったり、あるいは、ロシアとの国境から数百メートルしか離れていないエストニアの地方都市、ナルヴァ(住民のほとんどはロシア系)で米軍の兵隊や武器を見せびらかすために行われるパレードであったりする。さらには、それはイスラム国の武装兵力が跋扈するイラクの一地方で米軍の「軍事顧問団」を危険に晒すことであったりもする。 

さもなければ別の事で頭が一杯になっており、本質的には極めて受身な振舞いをするロシアの目の前で冷戦時のような興奮状態を醸し出そうとする熱心な活動振りは、ロシアの軍部が現実に与えているかも知れない脅威に比べると、過剰な程に大袈裟である(確かに、ロシアとの国境を通して志願者や武器弾薬がウクライナへ流れ込んではいるが、現状はその程度であって、それ以上のものではない)。さらに南へ下ると、イスラム系の急進派に対して資金援助をしたり武器を供給することによってシリア政府を転覆させようとする試みは見事なしっぺ返しを食っているようだ。しかし、こういう失敗は決まって目にするパターンなのではないか?最近の米国による武力介入で失敗に終わらなかった事例が何処かにあるとでも言えるのだろうか?恐らく、大失敗がたまたま起こったということではなく、むしろ、決まって大失敗するようでさえある。皆さんはどうお思いだろうか?

ここで、一緒に詳しく調べてみよう。アフガニスタンでは米国の軍事行動の歴史では最長期間とも言える軍事介入が実施された。その後、アフガニスタンは結局のところタリバンの手に戻された。イラクは今や主権国家の呈を成してはいない。同国は三つの地域に分断され、その内のひとつの地域は急進的なイスラム勢力の支配下にある。エジプトは民主的な手法で軍事的な専制国家に変貌した。リビアは内戦に見舞われ、国家機能は不全状態に陥っている。ウクライナも、間もなく、同様な状況に陥ることだろう。同国の貧困化は一年前後という記録的な短期間のうちに進行した。つい最近政府が転覆したイエメンは、結果として、親米ではなくなった。我が国の周辺ではどうかと言うと、米国が席巻して来た中米のガテマラやホンジュラスならびにエルサルバドルでは物事が非常にうまく行っている。つまり、これらの国々では多数の亡命者が創出され、誰もが安住の地を探すべく米国へ入国しようとしている。

この失敗に次ぐ失敗を見る場合、それを説明するには二通りの見方が可能だ。そのひとつは、米国の官僚は想像可能な範囲ではもっとも無能であるという見方である。彼らは何事についてもうまくやり抜くことはできない。もうひとつは、明らかにまったく別の理由から、彼らは成功しようという意欲もないという見方だ。お分かりだろうか?もしも失敗することが問題であるならば、その機構の内部の何処からか「成功せよ!」という一種の圧力が加わる筈である。そういった圧力が存在すれば、成績を改善させ、少なくとも2-3件の成功事例は目につくのではないか。しかし、もしも成功すること自体がまったく重要視されてはいないとするならば、また、その代わりに失敗を促すようなある種の圧力が存在するならば、まさに我々が目にしている通りに我々は失敗に次ぐ失敗を見ることになるだろう。

確かに、問題は失敗の範囲が限定されているからだと指摘することも可能だ。この指摘は、(ロシアは領土的な野心を持ってはいないのだが)西側はロシアの帝国主義的な野心を非難し、(効率が良く、国民の間でも人気のある)ウラジミール・プーチンを大悪党に仕立て上げ、ロシアの国境周辺では挑発的な行動をとる(ロシアには漠然とした嫌悪の情を起こさせようとするが、一般的にロシアは我関せずの態度しか示さない…)ことによってロシアに対して軍事力を誇示しようとする行為を説明することが可能となろう。米国の対外政策上の失敗例のすべて、つまり、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、さらには、ウクライナでの失敗はそれぞれが余りにも小さくて、米国の失敗に対する飽くなき欲求を満たすには決して十分ではないのだ。ロシアの場合は、ロシアがある種のまったく新しい形の米国のファッシズムに立ち向かっているのだと考えると、ロシアは米国が今までに経験した失敗のすべてを矮小化させてしまう程の外交政策上の大失敗を米国にもたらす潜在性を有している。[訳注:この段落はかなり皮肉っぽく書かれています。]

分析専門家らは旺盛な行動力を持ち、かつ、肥大化した米国の軍国主義について幾通りかの説明を提案している。それらのトップ・スリーを下記に示してみよう: 

1. 米国政府は軍産複合体によって席巻されてしまった。軍産複合体はふんだんな財政支援を要求する。膨大な軍事予算を確保するために、正当と思われる理由が人工的にでっち上げられる。実際に武器を製造し、野戦部隊を編制するために何らかの圧力が存在するようだ。何故かと言うと、彼らが要求する全費用を抑えてしまい、すべての武器システムの製造を停止してしまうことによって全面的な失敗をさせた方が遥かに費用効率が高いのではないだろうか?しかし、どう見ても、まったく別の理由があるに違いない。

2. 米軍は全世界にわたって米国の全面的な優位を保証するように企画され、配置されている。しかし、「全面的な優位」は「成功」を意味しているかのように聞こえるとはいえ、我々が実際に目にするのは全面的な失敗である。ここでも、また、この説明は実情にそぐわない。

3. 米ドルが国際的な準備通貨としての地位を維持することができるように、米国は軍事的な行動をとる。しかし、米ドルは準備通過としての魅力を徐々にではあるものの、確実に失いつつある。この状況は中国やロシアが出来るだけ速やかに米ドルの準備金を放出しようとしており、その代わりに金地金を備蓄している点にはっきりと見て取れる。他にも多くの国々が国際取引で米ドルを使用することはお互いに止めようとしている。実際問題として、一国の通貨をトイレに流してしまうことはしごく簡単で、軍隊を必要とはしないのであるから、ここでも、また、この説明は事実にそぐわない。

他にも幾通りもの説明があるのだが、米国の軍国主義の目標は失敗することにあるという事実を上手く説明するものはひとつもない。

多分、単純な説明で十分であろう。次のような説明はどうだろうか: 

米国はその主権を一握りの金融成金たちに引き渡してしまった。答えを報告する相手は何処にも見当たらなく、この金融成金は政府の負債を山のように積み上げ、預金や年金を食い潰し、通貨の質を落として、米国の財政をすっかり破綻させてしまった。避けて通ることはできそうにもない最後に残されたゲームは連銀が(他の先進諸国の中央銀行と一緒になって)まさにそのために発行したドル札を使って公的債務を買い上げることになる。そして、最終的には、これはハイパーインフレや米国の倒産につながることだろう。これらのふたつの出来事は非常に特殊な条件によって当面は回避されてはいるが、何時ものように、これらの出来事は遅かれ早かれ目の前に現れる。

さて、金融成金が米国の中枢をコントロール下に収めてしまったと仮定してみよう。金融成金は自分自身の金銭欲を制御することはできないので、米国を何とか操縦しようとはするのだが、結局は地上に激突させてしまう。そうなると、金融世界の砂上の楼閣が潰れる時に備えるには、この金融成金にとってはある種の代替策が必要となる。理想論としては、この代替策は抑圧された民衆の蜂起を徹底的に鎮圧し、金融成金のセキュリテ
ーを維持し、自分の富を手放さないでも済むことだ。平和時のパンとサーカスが一般民衆の怒りを鎮静していられる間は平和も結構であるが、いったん財政的損害が経済に穴をあけ、パンやサーカスが欠乏し始めると、手っ取り早い代替策は戦争だけとなる。

どんな理由づけでもいい。外国や国内のテロリストでもいいし、あの「偉大なロシア」でもいい。あるいは、幻覚の中に見るエイリアンであってもいいのだ。軍事的成功は重要ではない。何故ならば、秩序を保つには成功するよりも、むしろ失敗した方がいいのだ。何と言っても、失敗はさまざまな緊急時のセキュリテ
ー策を実行するのには非常に好都合であるのだから。ボストン・マラソンの会場で起こった爆破事件の後、ボストンは兵隊たちによって占拠されたが、まさにあの時のようにさまざまな訓練がすでに実施されている。監視用のインフラや一部民営化された刑務所産業に見られるように、好ましくない者たちを収監する準備はすっかり整っている。極端な規模の大失敗となればなるほど、それは全経済を戦時体制に切り替える最高の理由づけとなるのだ。戒厳令を敷き、反対意見を抑え込み、急進的な政治活動を違法とすることができる。

これこそが、恐らく、我々が予期しなければならない状況だ。財政的崩壊はもう焼きあがりつつある。崩壊が起こるのは時間の問題である。国際的供給プロセスがその機能を停止する時、それは商業の崩壊を引き起こす。政治的な崩壊はしばらくの間は抵抗を示すだろう。どのように抵抗するのかと言うと、あらゆる種類の「緊急の対応策」に関する理由づけを準備することを可能とさせるような失敗を孕んだ広大な背景を創出するために、可能な限りの戦争を引き起こすことになる。これらの戦争はひとつの目的をもっている。それは反乱を抑圧し、金融成金を政治的権力の座に維持し続けることである。米国の外から見ると、米国の国民は物事を台無しにしているかの如くに見えることだろう:いくつもの国を破壊し、インフラを崩壊させ、無実の市民を殺害し、味方さえをも殺害する(何と言っても、明らかに、これは効果があるのだ)。外部から米国という一方通行の鏡で構築されたホールの内側を覗いて見ると、気が狂った国のように見えることだろう。しかし、我が国は外部からはすでにそのように見えているのだ。一方通行の鏡で構築されたホールの内側は勇猛果敢な自由の戦士で満ちており、彼らは世界中の執念深い敵と戦っており、ほとんどの市民は従順で、手にしている小さな国旗を振るだけである。

しかし、ある時点で失敗は「超失敗」へと変身するのではないかと想像する。つまり、米国は失敗することさえにも失敗するのではないだろうか。この失敗の「超失敗」が遅かれ早かれ起こるように何らかの支援をすることが可能なのではないだろうか、と私は期待している。

<引用終了>


ここに引用した記事には直接的に表現せずに比喩的に表現された部分がいくつかある。それらは、私の理解するところでは下記のような意味合いで用いられている:

一方通行の鏡: これは主要メデアを指しているのではないだろうか。「一方通行」とは政府の言いなりの報道だけを行うメデアの有様を表している。一方通行の鏡の向こう側にはさまざまな代替メデイアが存在しており、政府の報道の何がプロパガンダであるかを指摘し、適切に批判をしているのだが、こちら側にいる米国民は鏡の向こう側に何があるかを見て取ることはできない。この鏡は一方通行であるからだ。

一方通行の鏡で構築されたホール: 周囲の壁が一方通行の鏡で構築されているホールとは政府の言いなりの報道だけを行うメデイアによって構築された国家あるいは社会を指している。つまり、国家や主要メデアによってすっかり洗脳された米国社会だ。

抑圧された民衆: 米国では、アフリカ系米国人に対する白人警官による暴力沙汰をきっかけにして大規模なデモへと発展するケースが頻繁に報道されている。例えば、ミズーリ州ファーガソン(住民の67%は黒人、29%は白人)では、昨年の8月、武器を所持してはいない10代の少年、マイケル・ブラウンが白人警官に射殺された。これを受けて抗議デモが起こり、暴力沙汰にまで発展した。そして、暴力的な衝突は何ヶ月も続き、支持者はファーガソンにとどまらず、全米に広がったと言われている。メーン州のバルチモア市でも、最近、同様の事件が起こった。黒人のフレデー・グレイが警官の暴力によって背骨に致命傷を受けたが、病院での治療を受けることもなく放置され、死亡した。これを受けて、抗議デモが行われた。問題は、これらの事例は決して特異なケースではなく、全米で毎日のように起こっているという現実だ。この引用記事の著者が言わんとしているのは、政府の筋書は主要メデアによって繰り返され、それとは違った意見や批判は警察国家によって封じられてしまった、内側だけに向いた閉ざされた社会が到来するかも知れないという点である。そして、米国の政治を牛耳っている金融成金にとっては、国内秩序を保つためには戦争をすることがもっとも効率がいいと述べている。今までの米国の軍事力に依存した歴史を見ると、ここに述べられている帰結はまったく妥当である。それだけに、近い将来に対する懸念は深まるばかりである。

また、思考の展開が非常に面白い。失敗に次ぐ失敗をいくつかの視点から論じた後で、著者は「米国は失敗することさえにも失敗するのではないだろうか」とさりげなく述べている。これが米国の将来に対する著者の希望でもあるかのようだ。「超失敗」という概念が導入されているが、その具体的意味はこの引用記事の文脈から推測いただけるものと思う。

ここまでは米国の将来が何処に向かって進んでいるのかについてだ。

翻って、日本の将来はどうなるのか?米国だけではなく、日本についてもまったく同じ推論、あるいは、論理が当てはまるのかも知れない。少なくとも、日本政府が米国との同盟関係をさらに強化しようとしている現状があることから、これとはまったく別の答えは果たしてあり得るのだろうか。この現状を我々は今はっきりと自覚する必要があると思う。

もしも、ウクライナ紛争下で何らかの小さな間違いから発展して、あるいは、米国がお得意とする自作自演によって、米国がロシアとの戦争で米軍をロシア国内に派兵するような事態が起こった場合、つまり、ウクライナ東部における代理戦争が直接的な米ロ戦争となった場合、日米同盟に関する新ガイドラインが最近日米間で確認されているように、日本の自衛隊もロシアに対して参戦を要請されることになる。こういった冷徹な現実が目の前に現れることになる。その行き着く先は核戦争である。その場合、日本の何個所かにある米軍基地や自衛隊の基地はロシアからの核攻撃の目標となることだろう。

このような現実が何年先に起こるのか、あるいは杞憂として忘れ去られるのかはまったく判断がつかない。それはまさに「神のみぞ知る」だ。今までは、全面的な核戦争の脅威は深夜の5分前であると言われていたが、その脅威はさらに高まり、今や、深夜の3分前になったとの専門家の解説もある。十分な情報を持っている一部の識者が上記のような懸念を持ち始めたという現状は非常に不気味である。

そういう意味で、この引用記事は我々の多くにとっては日本の、そして、自分たちの、さらには次世代のセキュリテーを考える上で格好の出発点になるのではないだろうか。




参照:

1Financial collapse leads to war: By CLUBORLOV, Mar/03/2015




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