2015年2月20日金曜日

ウクライナ危機に関する報道で呆れるほどの質の低下に陥った米ジャーナリズム


米国の調査報道でかっては辣腕を鳴らしていたロバート・パリーにとっては今日の米国のジャーナリズムは見るも忍びないほどに質が低下してしまったという。質の低下を憂える第一波がやってきたのは911同時多発テロの後に米国がイラクへの軍事侵攻をした際であった。そして、第二波はウクライナ危機と同時にやって来た。
いくつかのブログで私も彼の記事を紹介して来たが、私の感じでは、ロバート・パリーはジャーナリストとしての職業的良心を依然として非常に大切にしている。いわゆる古典的なジャーナリズム精神を堅持しており、米国では貴重な存在である。
さっそく、最近のロバート・パリーの記事のひとつ [1] を覗いてみよう。その内容に触れていただければ、彼のジャーナリストとしての神髄を読者の皆さんの誰もが直感できるのではないかと思う。 

<引用開始>
ジャーナリズムの基本的な原則は、ひとつのストーリーにはほとんど常に二面性が存在しており、ジャーナリストはその現実を反映しなければならないという点にある。これは、特に、戦争の最中にあって市民の命がかかっている場合にはことさらに重要な原則である。しかしながら、ウクライナ危機においては米国のジャーナリズムはこの基本原則を無残なまでに無視してしまった。
非常に少数の例外を除いては、米国の主流メデアは国務省やウクライナ西部のキエフ政府支持派の宣伝や言い分を単に繰り返しているだけである。

Photo-1: ウクライナ

そこには悪化する一方の危機的状況に関してウクライナ東部に住むロシア系ウクライナ人たちや国境の向こうで起こっている政治的・人道的危機の現実を目の当たりにしているロシア人たちの目線から物事を見ようとする努力はまったく欠けていた。
率直に言って、私は米国のジャーナリズムが今回のウクライナ危機以上に偏見に満ちている状況を経験したことがない。このような状況はとても想い起こせない。イラク紛争時のありもしない大量破壊兵器を巡っての「グループ思考」でさえも、これほどには単細胞的ではなかった。ウクライナに関する米メデアの見方は、ほとんど常に、ウクライナ東部の支持層によって選挙で選出されていたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領を追い出してしまった西部ウクライナの見方に偏っている。 
客観的に物事を見ることができる観察者にとっては、この紛争は昨年のクーデターによってヤヌコヴィッチ政権を転覆させた、ネオナチを含む、ウクライナ西部とクーデターに繋がる反ヤヌコヴィッチ運動を受け入れようとはしなかったウクライナ東部との間に起こった内戦であるのだが、これは米メデアによって善玉(ウクライナ西部)と悪玉(ウクライナ東部)との間の対立という構図に塗り替えられ、さらには「ロシアの武力侵略」という装飾が施され、プ―チン大統領は「新ヒトラー」だと形容された。
犠牲者の数は5,000人を超して、この流血沙汰はウクライナ西部(キエフ政府側)の武力によって圧倒的にウクライナ東部のロシア系住民を苦しめているが、この虐殺はいつも決まって「ウクライナ東部の反政府派のせいである」、あるいは、(元米国務長官のヘンリー・キッシンジャーでさえもが認めているように、その証拠はまったく示されてはいないにもかかわらず)「最初にこの内戦を煽ったのはプーチンである」として、「これは彼のせいである」とゴリ押ししている。
このワシントン政府の「グループ思考」による公式説明を受け入れない者は「プーチンの擁護者」として見なされる。これはまさにサダム・フセインが大量破壊兵器をアル・カイダに与えたとする社会通念に疑問を挟む者に対しては「サダムの擁護者」というレッテルを貼った時と同じようにだ。でも、ほんの僅かの時間でもいいから一歩退いて、ウクライナ東部のロシア系住民の目線に立ってこの危機の現状を注視してみて欲しい。
1年前、ロシア系住民が見たものは米国によって組織化されたクーデターであった。あれは憲法に基づいて選出された大統領を追い出そうとする宣伝と暴力だった。また、キエフ新政権はロシア系住民に対して非常に強い偏見を抱いており、公的な言語として用いられていたロシア語の地位を排除しようとしていることを皆は明確に悟ったのである。さらには、オデッサやその他いたる所で引き起こされたネオナチによるロシア系住民に対する虐殺を目の当たりにもした。
これらの地域の住民はロシアとの通商に深く関与する企業で働いていたので、彼らの経済的利益はひどく脅かされることになった。もしもこれらの歴史的に培われたロシアとの連携がEUとの特別な経済的連携のために中断されるとすれば、ウクライナ東部の住民がもっとも多くを失うことになるだろう。
201311月、EUから提示された経済連携から身を引く前にヤヌコヴィッチ大統領は、もしもロシアとの縁を切れば1600億ドルもの損失となるだろうという報告をキエフ政府の経済専門家から受け取っていた。これはデア・シュピーゲル誌による報道である。この経済的損失のほとんどはウクライナ東部の住民に降りかかって来ることになるのだ。

経済的な危惧:
現実にはこのインタビューは非常に稀なものではあるが、これは米国のジャーナリストが実際にウクライナ東部の住民にインタビューをした際、西側からの資金の導入のための前提条件としてIMFによって提示された厳しい緊縮財政政策と並んで、この経済的な損失が住民たちの最大の懸念であることが判明したのである。
たとえば、20144月、ワシントンポスト紙の特派員であるアンソニー・フェイオラ [訳注:ワシントンポスト紙のベルリン支局長] はドネツクからこう報道している。つまり、彼がインタビューしたウクライナ東部の住民の多くは「経済的な困窮」がやって来るという危惧を抱いており、キエフ新政権に対する彼らの抵抗はまさにこの点に由来しており、彼らはIMF提案の緊縮財政は彼らの生活をさらに厳しいものにするだろうと心配していた。
「ウクライナ東部に関してモスクワとの間で心理戦を展開している最中でもあり、非常に危険で微妙な時期に、親EU路線を標榜するキエフ新政権はIMFによる緊急援助を得る施策として経済政策上のショック療法を開始することにした」と、フェイオラは報告している。
換言すると、フェイオラはキエフで起こっている事に関してウクライナ東部の住民の間では非常にまともな危惧の念を見出していたのである。住民の多くは選挙で選出された大統領が追い出されたことによって自分たちの権利をはく奪されたような気分を味わっており、米国の影響が優勢となった場合のウクライナでの自分たちの経済的将来を現実的な懸念として感じ始めていた。読者の皆さんにとっては、個人的には彼らの見解に同意できない点があるかも知れないが、彼らの将来に対する懸念は十分に理解することができるであろう。 
ウクライナ東部の住民は、ウクライナ西部の住民がクーデター前にキエフで行っていたのと同様に、抗議行動を開始し、政府ビルを占拠し始めた。しかし、これらの抗議デモの参加者たちはクーデターによって樹立された新政権によって「テロリスト」であるとして非難され、懲罰的な武力キャンペーンの対象となったのである。この武力キャンペーンには222日にヤヌコヴィッチ大統領を追い出したクーデターの急先鋒であったネオナチの武装集団も関与した。
この内戦で失われた5,000人を超す犠牲者のほとんどはウクライナ東部地域の市民であり、ロシア系住民が過酷な重荷を背負うことになった。多くの犠牲者は住民が密集している市街地に対するウクライナ軍からの砲撃に晒された結果であり、クラスター爆弾が用いられた。
キエフでのクーデターを擁護する億万長者のジョージ・ソロスからの経済的支援を多く受けている「人権ウオッチ」団体でさえもが「クラスター爆弾の人口密集地での使用は無差別的な殺傷を引き起こすことから戦時国際法の違反となり、戦争犯罪となり得る。それにもかかわらず、ウクライナ政府軍はドネツク市でクラスター爆弾を使用した」と報じている
キエフ政権によって派遣されたネオナチや他の「志願者」部隊は人権違反も犯している。これには暗殺集団による残虐行為も含まれ、彼らは市民を家から引きずり出して、処刑をした。ソロスが財政支援をしているもうひとつの人権擁護グループである「アムネステー・インターナショナル」は親キエフ派の「アイダ―」民兵集団が行った違法行為を伝える報告書を発行した。
「ルガンスク州の北部に展開するアイダ―地域防衛大隊の兵士らは、誘拐、不法拘留、残虐な取り扱い、窃盗、強奪、場合によっては処刑を含めて、広範な違法行為を犯している」とアムネステー・インターナショナルの報告書は述べている。
アイダ―大隊の司令官はアムネステー・インターナショナルの調査員に向かってこう言った。「ここは戦場だ。適用される法律はまったく異なる。手続きは簡単だ。もし私がそうしたいと思うならば、私はあんたを即刻逮捕することだってできる。あんたの頭に袋を被せて、監獄へ放り込み、分離派を支援した容疑で30日間拘留することだってできるんだ。」
アムネステー・インターナショナルは「アイダ―大隊の兵士によって行われた違法行為の幾つかは戦争犯罪となる。加害者本人とその司令官はどちらも国内法ならびに国際法の下で責任を問われることになるだろう」と記している。

ネオナチ大隊:
アイダ―大隊はいわゆる「志願者」部隊の中では必ずしも最悪と言うわけではない。別の志願者部隊はナチの紋章を示す旗を持ち歩き、キエフ政府軍の支配下にある地域ではロシア系住民は彼らから「民族洗浄」に近い残虐行為を受けかねない。彼らは捕えた住民を急ごしらえの墓穴へ連れて行き、そこで処刑をする。ウクライナ東部の住民の多くはこれらの民兵に捕獲されることを非常に恐れている。
昨年の8月、ロンドンの保守的な新聞「テレグラフ」紙のトム・パーフィット記者が1本の記事で報告したように、「キエフ政府はドネツクやルガンスクの民主共和国での抵抗を排除するために志願者部隊を用いているが、これはヨーロッパ市民の背筋に冷たいものを感じさせるに違いない。」 
「ドンバスやドニエプロあるいはアゾフと言った最近設立された部隊はそれぞれの指揮官の下に数千人の兵士を擁しており、公式には内務省の傘下にあるのだが、彼らに対する財政支援は闇に包まれたままである。また、彼らに施される訓練は不適切であり、彼らの政治的信条は多くの場合警戒感を抱かせるような代物である。アゾフ大隊の兵士らは「ウオルフ・サンゲル」のネオナチを示す象徴的な旗を用いており、メンバーは公然と白人至上主義を唱え、反ユダヤ主義者でもある。」 
この大隊のメンバーとのインタビューによると、何人かの戦闘員はホロコーストの存在については疑念を抱いており、アドルフ・ヒットラーを賛美し、自分たちは確かにナチであることを自認している、とテレグラフ紙は報じている。
テレグラフ紙の記事によると、アゾフ大隊の指揮官であるアンドリー・ビレツキーは「社会国民会議」と称するウクライナの過激主義者集団のリーダーでもあり、ビレツキーは「この極めて重要な時期に、我が国がしなければならない歴史的な使命は、われわれ白人が生き残るために、世界中の白人による最終的な聖戦を主導することにある。これはセム族に率いられた劣等人種に対する聖戦である」と主張している。 
テレグラフ紙はキエフ政府に質問したところ、キエフ政府は民兵組織の中には過激な政治的信条が見られることは承知しているが、もっと大きな優先事項はより強固な戦闘意欲をもっているかどうかだと主張している。(詳細については、Consortiumnews.comに掲載されているIgnoring Ukraine’s Neo-Nazi Storm Troopers.を参照されたい。) 
したがって、軍事的な抗争の下に置かれ、銀行の窓口サービスは停止され、飢餓状態に晒され、統制がきかくなったネオナチ殺人集団による粛清に直面している住民の目から見ると、当てになりそうもない停戦を無視したとして反政府派の攻勢を非難する米国の宣伝はまったく別物のように見えてくる。
現在キエフ政府軍の支配下にある領土を取り戻し、同胞が略奪行為に晒されるのを防止し、持続可能な自治政府の領土を維持することが可能になるように国境を定めることは、地域住民の目線から見ると理に適っているのである。
さらには、ロシア側の立場に身を置いてみれば、25年足らず前には同胞でもあり、今は自分たちが選挙で選出した指導者を米国が支援するクーデターで失ってしまった地域住民たちには誰もが同情の念を覚えることであろう。(ヒットラーの武力侵攻の歴史を思い返してみるまでもなく)ナチ突撃隊員の存在には警戒感を禁じ得ないだろうし、NATOが自分たちの国境にまで迫り、場合によっては核兵器の配備さえもが現実の脅威となるであろう。キューバへの核ミサイルの持ち込みが米国ではどれ程の大騒ぎになったかを誰でも容易に思い出すことができる。
確かに、これらのロシア側の懸念のいくつかは凝り過ぎであるかも知れないが、クレムリンは、他の何れの国もそうであるように、国家としての安全保障について配慮しなければならないのである。もしもあなたがプーチンの立場に置かれたならば、あなたはどうしたいと思うだろうか?あなたはウクライナ東部の住民の窮状に背を向けることができるだろうか?特に、憲法に則って選挙で選出されていた大統領が超法規的な手段によって排除された直後でもあるだけに、敵対的な軍事同盟が自分たちの国境にまで迫って来ることを容認できるだろうか?
たとえ米国の報道陣がこの話の両面について報道する義務を果たしたとしても、多くの米国人はクリミアのロシアへの再編入をプーチンが受け入れたことについては非難し、ウクライナ東部で武力抗争に巻き込まれた住民に対して彼が支援をしているとして文句を言うことだろう。彼らは、米国政府が執拗に説明しているように、ウクライナ危機は「ロシアの武力侵略」であるという筋書きを受け入れるに違いない。
そして、彼らは依然として、それこそ際限なく思い込まされた話ではあるのだが、ウクライナ危機はバルト三国を征服するために必要な、プーチンの練りに練った動きの一部であるという見方を受け入れるかも知れない。プーチンがそのような考えを持ったという証拠はまったく無いにもかかわらず、米国人は依然としてこの筋書き信じようとするかも知れないのである。
しかし、私自身の考えは米国のジャーナリストは米国政府の宣伝屋であってはならないという点にある。ジャーナリストの仕事は米国の国民をいわゆる「グループ思考」の囲いの中に追い込むことではない。善良なジャーナリストであるならば、彼らは両当事者の立ち位置を公明正大に伝えたいと願う筈だ。
しかしながら、われわれが観察したところによると、ウクライナ危機に関して米国のメデアがとった行動はそのようなものではない。彼らがとった行動はほとんどが宣伝を繰り返すことであり、ほとんど常にそうしていた。これは米国国民の公益に反するばかりではなく、選挙民には十分な情報を提供しなければならないとする民主主義の教えにも反するものである。これは職業的な原則に対する無鉄砲な侵害であり、全世界を核戦争の突発に晒すことに繋がるかも知れない。 

著者のプロフィール: 調査報道記者ロバート・パリーは1980年代にAPやニューズウィークで仕事を続け、イラン・コントラに関して数多くの特ダネを物にした。彼の最近の書籍「America’s Stolen Narrative」は印刷物はこちらで入手できる。また、電子書籍として(アマゾンおよびバーンズ・アンド・ノーブル.コム)も入手可能。さらには、ブッシュ家ならびにさまざまな右翼との関係に関するロバート・パリーの三部作はたった34ドルで入手可。この三部作には「America’s Stolen Narrative」も含まれている。この売り出しの詳細についてはこちらをクリックしてください
<引用終了> 

ここで、この記事全文の仮訳は終了した。
最近のRTの報道 [2] によると、ウクライナにおける犠牲者の数は実際には公的な数値である5千人強の10倍にも達すると報じられている。これはドイツの諜報機関が公表した情報である。遅かれ早かれ、事の真相が判明することになるだろう。
戦争に納得の行く意味を求めてもしょうがないのではあるが、ロバート・パリーが言うようにウクライナ東部の住民の目線から一連の出来事を見ると、私らのような一般人にとってはこの内戦には肯定的な意味は何も見当たらない。
すでに10カ月もの期間を地下の避難場所で暮らしている子供たちは果てしなく広がる青空や清々しい空気の味をもう忘れてしまったのではないだろうか。 

     
218日のBBCの報道 [3] はウクライナ紛争の現在の一場面を下記のように伝えている。
ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、停戦が週末に発動されてからウクライナ東部での戦闘は著しく減少したと述べた。
ハンガリー首相との共同記者会見の場で、プーチン氏はウクライナ軍兵士がデバルツェヴォ市から秩序正しく撤退するよう求めた。同市ではウクライナ軍が親ロシア反政府軍に取り囲まれてしまっている。武器を捨てて降伏したウクライナ軍兵士らについては自宅や家族の元へ戻れるようにするべきだ、と同大統領は言った。 
ウクライナ東部、特に、重要な拠点であるデバルツェヴォでは激しい戦闘が続いている。
停戦合意の中で同意された期限が月曜日となっていたにもかかわらず、キエフ政府軍と親ロ反政府派の両者とも重火器の撤退をしてはいない。
このデバルツェヴォ市では両派間での激戦が継続され、ウクライナ軍は最終的には周囲を取り囲まれ、食糧や弾薬ならびに燃料の補給路を断たれた。現地の一部の将兵からの携帯電話での報告によるとせいぜい2日間程度しか持たないだろうと言われていた。
2月中旬のウクライナは日光が強さを増してはいるが、もっとも寒冷な時期である。日中の最高気温がマイナスの一桁台に昇ってくると、市民は「今日は暖かくなりましたね」と言って、挨拶を交わすことが多い。そんな自然環境の中での戦闘である。食糧や物資の補給が無くなると、将兵の士気は低下するばかりだ。
軍事的には、専門家の評価によると、政府軍はしばらく前にはドネツク空港で敗退し、今回はデバルツェヴォでも完敗となりそうだ。この完敗が予見されたことから、ドイツのメルケル首相とフランスのオランド大統領が急遽モスクワへ出向き、プーチンとの秘密会議を持ち、曲がりなりにも212日のミンスク合意に漕ぎつけたのだとする事情通の解説がある。
218日、ノヴォロシア(ドネツクとルガンスク両人民共和国)の旗がデバルツェヴォ市の建物の屋上に掲揚された。反政府派に取り囲まれているウクライナ軍将兵の数は3千人とも、5千人とも言われている。これらの将兵の中でいったい何人が最終的に家族の元へ帰還することができるのだろうか? 
デバルツェヴォ市における包囲戦では弾薬や食料ならびに燃料が尽きて政府軍兵士が投降し始めている。個々の部隊の指揮官の判断に任されているようだ。数十人程の捕虜になったウクライナ兵を前にして、反政府軍側の現場の指揮官が「あんたたちにはこれから風呂に入ってもらい、新しい衣服を着て、家族の元へ帰還して欲しい」と言っている場面が動画に収録されていた。また、別の動画には投降したウクライナ兵の中でも負傷者に対しては、救急医療が施され、食事が与えられ、暖房の効いた医療棟が用意されている様子が掲載されている。
これらの対応の様子は敵に対する取り扱いではなく、同胞扱いそのものという感じである。今の反政府派が対応することができる医療は、間違いなく、最低限の医療ではあろうが、上記のごとく、捕虜となった兵士に対しても分け隔てなく対応している姿を見せられて、私はいささか感動した。
また、捕虜になってトラックに乗せられたウクライナ兵には意外にも開放感に浸っているような表情が見られ、非常に印象的であった。悲壮感は見えないのだ。「これでもう死ぬことはないだろう」という安堵感のせいからかも知れない。
ウクライナの一般大衆は正真正銘の停戦を望んでいる。一方、キエフ政府はあくまでも戦争継続を煽っている。キエフ政府は、ミンスクでの停戦交渉中においても、デバルツェヴォでの何千人ものウクライナ軍兵士が反政府側に取り囲まれているという事実は認めようとはしなかったと言う。今後、この国民と政府との間の政治的な綱引きが続くことだろう。どの辺りで決着することになるのかを注視していきたい。
また、ウクライナを取り巻く国際環境を見ると、ドイツのメルケル首相は、218日の与党の党大会で、ドイツはロシアとの抗争ではなく、ロシアとの友好を追求したいとの方針を公言した。今後、この方針はEU全体の政策として公に採用されることになるのかも知れない。そうなることを期待したいものである。 

     
ウクライナ紛争についてわれわれ一般市民がまったく知らされてはいないこととして、「ロシア軍の関与」ならびに「NATO軍の関与」がある。ウクライナの内戦は米国とロシアとの代理戦争であると指摘されてすでに久しい。ロシア軍ならびにNATO軍が密かに地上の戦闘に関与しているのかも知れない。それは実際にあり得そうなことだ。しかし、主要メデアはそのことについては書こうとはしない。
最近の代替メデアの報道 [4] によると、こうだ。
ウクライナのエスプレッソ・テレビとのインタビューで、ウクライナの軍事専門家であるアレクサンダー・タラン中佐はウクライナ軍の総指揮官であるムゼンコ将軍がこの件で言おうとした内容を追認した。
ムゼンコ将軍との状況説明の中で、彼は「今日現在まで、ロシア連邦軍のメンバーやロシア市民が不法な武装グループの一員として戦闘に関与していることは承知している。しかし、われわれはロシアの正規軍と闘っているわけではない。われわれはこの不法な武装勢力に大きな打撃を与えるだけの十分な戦力と手段を有している」と、述べた。 
これらの両者の声明はSBU長官の立ち位置を再確認した。
116日、グロマデスキーTVとのインタビューで、SBU(米国のFBIに相当する)長官の顧問役を務めるマルキアン・ルビキフスキーは「ウクライナではロシア軍は展開してはいない!」と言明した。この思いがけない声明は彼が報道陣からの質問を受けている最中にうっかりボールを落としてしまった結果であった。彼の声明によると、5000人程のロシア人(志願兵)がいることを確認してはいるが、ドネツクとルガンスクの両州ではロシアの正規軍は展開してはいない。 
…今朝(215日)、反政府軍の偵察隊はデバルツェヴォで反政府軍によって取り囲まれている地域の内側でNATOのタンク(複数)を発見した。彼らの情報によると、取り囲まれている将兵の25%近くがNATO軍である可能性が強いという。
パラデン迫撃砲から発射されたもので、ウクライナ軍が市民の居住地を砲撃した現場から回収された砲弾の残骸を見ると、155ミリの砲弾には明らかに米国の識別番号が記載されている。NATO軍がそこにいるとすれば、いったい他に誰がこの複雑な装置を動かすのだろうか。NATOの兵士が無事に自宅に帰還できるかどうかの可能性は実際にはなかったロシア軍の侵攻をあったと主張し、世界を大破局の瀬戸際まで追い詰めた政府の手中に残されている。
これは米国とEUとが一緒になって新たに停戦を実現しようとした理由である。もしもNATO軍の兵士が捕虜となったならば、どうする積りだろうか?もしもジョン・マケインさえもが不法な兵器が使用されていると主張したウクライナの戦場で何百人ものNATO軍が闘っているとしたら、その責任はどうなるのか?このケースにおける米軍やマケインが認めている内容に基づいて言えば、これはどう見ても戦争犯罪である。
ロシアの反応はどうなるのだろうか?
現時点までに自己抑制をきかせ、紛争を中断させようとした国はロシアだけである。米国もEUも、キエフ政府が戦争犯罪を犯していることを知りながらも、キエフ政府を全面的に支援して来た。バスを砲撃したり、市中に向けて砲弾やミサイルを撃ち込み、白リン弾さえをも使用した。西側は志願者部隊 [訳注:たとえば、アイダ―やドンバス、ドニエプロ、アゾフといった部隊] が多くの戦争犯罪を犯していることを承知している。
もしもNATO軍の兵士が捕虜となったり、彼らの遺体が回収され、NATO軍の兵士であることが確認された場合には、この戦争の性格は一変するかも知れない。今までMSM全体が言い張って来たロシア製の武器がここにはある。間違いなく、これらはまたもや正面に躍り出てくることだろう。たとえ十分に押し返せなくても、もしもNATO軍が押し返せば、それは第三次世界大戦の前夜そのものとなろう。

上記に報告されているNATO軍が直接的にウクライナでの地上戦に関与しているという事実は、数日あるいは数週間もすればさらに詳しい情報がさまざまな形で出てくることだろう。残念なことには、世界は険悪になる一方である。 

参照:
注1: Wretched US Journalism on Ukraine: By Robert Parry, Information Clearing House – Consortium News, Feb/10/2015
250,000 casualties in Ukraine: German intel says 'official figures not credible’: By RT, Feb/08/2015, http://on.rt.com/guy7mh
3Ukraine crisis: Intensity of fighting has decreased - Putin (video): Feb/18/2015, http://www.bbc.com/news/world-europe-31508206
4Ukraine Military High Command Confirms “No Russian Invasion or Regular Troops”. Presence of NATO Forces in Donbass: By George Eliason, Global Research, Feb/15/2015

2015年2月15日日曜日

ウクライナ紛争はボスニア紛争の展開と酷似している - 米国の関与


ウクライナ内戦によるドネツクおよびルガンスク両州における犠牲者の数はすでに5,400人を超したと言われている。たくさんんの子供たちが含まれている。自分の家を離れざるを得なかった市民の数は優に百万人を超している。その多くはロシアでの安全な生活を希望してロシアへ避難し、亡命先で市民権を要請している。
また、ウクライナ政府による徴兵(徴兵年齢は20歳から60歳まで)を逃れるために集落全体が空っぽになってしまった地域がウクライナ西部では何か所も出現しているらしい。集落の住民全員がバスをチャーターして、ウクライナ西部からはるばるロシアへ移動してしまったためだ。市民たちは自分たちの政府の敵である筈のロシアへ避難し、ウクライナの内戦が終わるのを待っているのだそうだ。何と言う皮肉だろうか。
212日、ノルマンデー・フォー(ロシア、ウクライナ、フランスおよびドイツ)の首脳によるウクライナ停戦が合意となった旨が報道された。キエフ時間の215日の早朝零時(このブログを書いている現時点から数時間後)から停戦が発動する。
今度こそは本物の停戦だと期待したい。重火器は最前線から撤退し、捕虜の交換が行われ、欧州安全保障協力機構が停戦の監視をし、ウクライナ政府は今年末までにはドネツク・ルガンスク両州について特別な自治権を規定する、ドネツク・ルガンスク両州の反政府派活動家に対しては恩赦が与えられる、等といった内容だ。
私はこの1年間ウクライナ情勢を追っかけてきた。英語圏では夥しい量の情報が毎日インターネットに掲載される。ニュースもあれば、解説や論評もある。ウクライナ危機の姿を日本語でお伝えし、少しでも多くの情報を読者の皆さんと共有したいと思い、ブログへの掲載を続けてきた。「これは是非とも掲載したいなあ」と思う記事の数は増えるばかりであった。でも、それらすべてを私一人の力で処理することは所詮とても無理… 
一個人としての最大の願いは和平が成立し、ウクライナの一般市民が銃弾や榴弾砲によって命を落とすこともなく、一日でも早く平穏な生活を取り戻して欲しいという点にある。
米国のロシアに対する経済制裁に追従してEU各国も経済制裁に加わった。ロシアは、それを受けて、向こう1年間という期限付きで、米国、EU各国およびノルウェーからの食糧品の輸入を禁止した。やがて、対ロ経済制裁ならびにロシアの対抗措置がブーメラン効果を示し始めた。つまり、EU各国は自国経済への影響を感じ始めたのである。そして、今や、EU経済のけん引役を演じているドイツ経済が2015年にはリセッションに突入するかも知れないと予測されている。
しかし、現代文明をリードし、EUという国境を超した連合体を樹立して久しいヨーロッパで何故このような戦争が起こるのだろうか?
歴史的に見るとその答えを握っているのは米国主導のNATOにあるようだ。最近の記事のひとつ [1] がそのことをうまく要約していた。記事の一部を下記に引用する。
NATOの目に映るプーチンは許しがたい程に罪深い。彼は西側の要求に対抗して自国の利益を守ろうとする。ロシアはNATOのシリアへの軍事介入に対して国連の安保理事会で拒否権を発動したし、同国に対して軍事的支援を与えている。しかし、NATOの意図に関するプーチンの猜疑心は十分な裏付けに基づいたものだ。NATOは、20年以上にわたって、NATOへの加盟国を東欧には拡張しないと言っていたミカエル・ゴルバチョフとの約束を破ってしまった。クリントン、ブッシュならびにオバマ政権の下で、東欧12カ国がNATOに加えられたのである…
今回のノルマンデー・フォーによる停戦合意は、フランスのオランド大統領に言わせると、「これは最後のチャンスだ。この機会を逸するとヨーロッパは戦場と化すかも知れない」との切羽詰まった状況判断の下、十数時間をかけて、何とか合意に達した。
このようなマラソン交渉を経て合意に達した理由は何か?
それは西側が支援して来たウクライナ政府軍が敗北を重ねて、今や、ウクライナ軍は崩壊の瀬戸際に達したからであると、上述の記事の著者、マーガレット・キンバリーは言う。昨年の9月の停戦と同様に、ウクライナ政府軍は態勢の立て直しのために時間が必要なのだ。態勢の立て直しの一部には、米国の共和党が声高に要求している米国からの武器の供給やウクライナ軍の訓練も含まれているのであろう。
要するに、今回の停戦合意も米国の戦争屋にとっては時間を稼ぐ格好の機会であるに違いない。
そう思わせる根拠は「ウクライナ停戦はそれが成立する前からすでに絶望的」と題された別の記事 [2] に見ることができる。著者は、このウクライナ紛争は20数年前に米国の主導の下にボスニア紛争が辿った道を彷彿とさせると述べている。
本日はこの記事に注目してみたい。 

<引用開始> 

 

Photo-1: The B-team [訳注:B-teamとは補欠選手だけで構成されたチームを指す。つまり、B-teamによって何とか合意に漕ぎつけたウクライナ停戦は、A-teamである米国が表に出てくるとすべてが覆されてしまう可能性が大きいのだ!]
 

本記事は当初はChronicles Magazineに掲載された [訳注:Chronicles Magazineは米国の月刊誌。読者の多くは知識階級に属する]



ドイツのアンゲラ・メルケル首相とフランスのフランソワ・オランド大統領は、先週の金曜日、ウクライナのための和平案として歓迎されるべき計画について概略説明を行うために、モスクワを訪問した。
しかし、二人はウラジミール・プーチン大統領と5時間にもわたって話をしたが、突破口を見つけることができないまま、土曜日の早朝、ミュンヘンでの安全保障会議に出席するためにモスクワを後にした。
彼らの努力はポロシェンコを加えた3人組の間では次の数日中にはミンスクにおいて会議を実現することになるだろうが、三つの理由からそれは絶望的だと言える。 
まずは、米国政府はヨーロッパが自分たちの手で何らかの取り決めをすることを決して許しはしないからだ。19923月、(ボスニア紛争では)米国はポルトガルのホセ・クテレイロ外相の仲介によって提案されたEUの和平案を頓挫させた。この和平案は三つの民族国家からなる緩い連邦制を目指したものだった。
ベルグラードに駐在していたウオレン・ツンマーマン米国大使は急遽サラエヴォへ向かい、アリヤ・イゼトベゴヴィッチに対して「この提案から手を引いて、中央集権的な体制を要求するならば、米国はムスリム側を支援する」と伝えた。ムスリムが多数を占めることから、ムスリムが中心になるような国家を形成することができるとして扇動した。このムスリムの老人はことのほかに喜んで、自分の署名を速やかに撤回したのである。
その結果は民族と宗教とが絡んだ三つ巴の戦争となった。この戦争は3年半後にデイトン合意によって終わった。この合意によって、同じ大きさのふたつの領域、つまり、セルビア人の共和国(スルプスカ共和国)とムスリム・クロアチア人の国家との連邦制である。 
この合意は実質的にはクテレイロ外相が示した枠組みと異なるものではなかった。しかし、これはEUではなくて米国による仲介である。この提案の中心的な立案者は故リチャード・ホールブルックである。この仕事はすべての点においてヴィクトリア・ヌーランドが(ウクライナで)行った仕事に負けず劣らず卑劣そのものである。ホールブルックは言った。「ヨーロッパはワシントン無しでは物事を解決することができないので、アメリカが面倒を見る」と誇らしげに宣言した。「われわれは再び全世界に関与する。ボスニアは試験的な試みだ。」 
マデレーン・オールブライトの言葉を引用すると、その代価は支払うに値する。つまり、10万人のセルビア系、クロアチア系およびムスリム系の人命、ひどく破壊された経済やインフラ、長く続くコミュニテ間の悪感情や嫌悪感、まん延するイスラム聖戦士の活動…これらは何時も繰り返して見られる米国の力づくの平和の産物なのだ。
二番目には、メルケルとオランドはプーチンに対して「政治的な決着に向けて何らかの進展を実現することができれば、ふたりは米国がキエフ政権に武器を供与することを今でも阻止することができる」と言ったと理解されている。
問題は彼らはそんなことは実現することはできそうにはなく、プーチンはそれをよくわきまえている(しかし、メルケルは明らかにそのようには理解していない)。バルカンに戻ろう。ボスニア戦争の当時、1993年の春からクリントン政権は当時のユーゴスラビアに対する国連の武器禁輸政策を組織的に破っていた。
米国政府は人目につかないようにムスリム側にあらゆる種類の武器を送り込んだ。直接的に(米空軍のC130輸送機からトウスラ地域へ投下)、あるいは、イラン革命警備軍の厚意の下で(ザグレブ空港を経由して)行われた。
ジョン・メージャー首相やフランソワ・ミッテラン大統領はCIAと国防省との共同作業は戦争を長引かせ、戦争を終わらせようとする自分たちの努力を台無しにしてしまうかも知れないと気付いていた。しかし、クリントンや彼のチームの気持ちを変えるには二人は無力であった。
これとまったく同様に、キエフ政権に武器を送り込んでウクライナ紛争を拡大するという決意はすでにワシントンでは決定されている。
武器の供給の流れはポーランド経由ですでに始まっている。ベルリンとパリは、ミンスクで開催される会合で何が起こるかには関わりなく、これをストップさせることはできない。
三番目には、メルケルと(特に)オランドは、彼らの和平案はドネツク・ルガンスク両州のロシア語系住民の「かなり強力な自治」をも含んでいると言っている。
しかし、彼らは「自治」の程度や性格に関しては曖昧なままである。何故かと言うと、何らかの意味のある自治に関してポロシェンコ(すなわち、ワシントン)の了解をとっているわけではないからだ。
自治を許容する地域の大きさに関しても定義が成されているわけではない。これらは専門的事項ではないが、非常に中核的な課題である。私がモスクワの情報源から得た情報によると、プーチンはふたりがが自分たちの行動を起こす前にメルケルとオランドに明快な説明を何度も求めていたという。
最終的に、プーチンはミンスクへ来ることに同意した。これは彼らがポロシェンコに対して何かを実現するかも知れないと言うことではなく、プーチンはこの和平案が失敗した時に失敗の責任をとらされることを嫌ったからに過ぎない。 

東部地域の自治の性格や範囲は、戦争なしには、何らの合意も得られないのではないかと思われる。
ポロシェンコが敗北を認めようとする内容は、今や米国からの武器の供与を増やすことができるかも知れないという希望があることから、東部の住民が直ぐにでも受け入れる用意のある内容からは程遠いのが現状だ。 
昨年、あらゆることが過ぎ去った後、彼ら(東部の住民)はウクライナ的なものは何でもひどく嫌っている。しかし、プーチンの圧力を受けて、完全な独立とはならないだろうが、彼らは多分意味のある自治を獲得して決着を見るのではないだろうか。換言すると、中央政府の権限が完全に弱められたウクライナでの自治共和国の連合体である。
しかしながら、今日のキエフ政権、ならびに、(もっと重要なことには)ワシントン政府は、限定された空疎な自治以上のものを彼らに与える気は毛頭なく、主として言語や文化的な分野に属する事項ではそれなりに自治を与えるだろう。でも、それさえもが限定された期間に限られるであろう。
ふたつの自称共和国に住む7百万の居住者は右翼(別名、ウクライナ国家警備隊)の連中がルガンスクの通りをパトロールすることを受け入れ、何とかやってみたらどうかといった現時点での期待は1992年当時のセルビア人にボスニアとの統合を受け入れるよう要求することは非常にばからしい考えだったのと同程度にばからしく感じられるのではないか。
不幸なことには、また、予測されることでもあるが、ペトロ・ポロシェンコは、今、23年前のアリヤ・イゼトベゴヴィッチと同じような行動をとっている。どちらの場合においても、米国が政治的ならびに軍事的な支援をするという甘い約束が理性や常識を凌駕してしまったのである。
結果もまったく同様なものとなりそうだ。さらなる流血沙汰が起こり、多分、1年後あるいは2年後にはデイトン合意的なウクライナ連邦が姿を現すのではないだろうか。 
他の唯一あり得る状況としては、混成国家がさらに崩壊することが予想され、この崩壊は現在の前線だけにはとどまらないであろう。大多数のウクライナ人はこのことを十分に理解している。
ガリツア地域の過激派グループを除いては、バンデラ派の世の終末を思わせる理想郷のために死にたいと願う者は誰もいない。何千人もの徴兵逃れがロシアやベラルーシへ流れ込んでいる。モルドバへさえもだ。
ドネツク空港で死体となって置き去りにされている同胞たちが辿ったリスクを避けるために、多くの兵士たちは、たとえそれが最新式の米国製の武器であっても、武器を捨てるのではないだろうか。

<引用終了> 

この記事の全文の仮訳はここで終わる。
これは短文ながらも、非常に中身の濃い論評だ。この著者は歴史を覚めた目で眺め、ボスニアで起こった状況をウクライナで二重写しにし、その相似性を浮き彫りにしてくれた。そこには将来の展開さえもがはっきりと描かれている。歴史は繰り返すのかも知れない。非常に秀逸である。
軍事力に頼る米国の覇権の論理が持つ非情さを目の前に突き付けられて、私はあらためて無力感を覚える次第だ。ヨーロッパ人の英知はいったいどこへ行ってしまったのだろうか?
この記事が言っていることは間違いであったと言えるような日が来て欲しいものだ。
 

参照:
1War is Peace in Ukraine: By Margaret Kimberley, Information Clearing House – BAR, Feb/12/2015 

2Ukraine Peace Plan Is Doomed in Advance: By Srdja Trifkovic, Feb/12/2015