2016年2月23日火曜日

「1インチたりとも東方へは拡大しない」 - どのように西側はNATOに関するロシアとの約束を破ったのか?



「新冷戦」はとうに始まっている。

1991年の12月のソ連邦の崩壊に続いて、「旧冷戦」は終結した。当時、米国側の一人勝ちが自他ともに認められていた。「これで世界は平和になる」と、多くの人たちは思った。しかし、近年、米ロ関係は急速に悪化している。今や、米ロ関係は最悪の状態にある。「新冷戦」が定着したのだと言われている。

この新冷戦を読み解こうとする時どうしても通り抜けなければならない歴史的通過点がある。それは東西ドイツの再統一に関して米国とソ連とが交渉をしていた際に両国の指導者は何を考えていたのかという点だ。米国はNATOを「1インチたりとも東方へは拡大しない」と、ソ連側に約束していたと言われている。

ここで、歴史を遡ってみよう。

1989年の秋に、ヨーロッパの社会主義圏に猛烈な速度で全情勢を根本的変化にみちびく事件が展開した。初の自由選挙の結果、ポーランドとハンガリーで共産党が政権を失った。ホネッカーは引退した。ベルリンの壁が崩壊した… 

上記の斜体で示した部分は「ゴルバチョフ回想録、下巻(工藤精一郎・鈴木康雄訳、新潮社、1996年刊)」の「ベルリンの壁崩壊」という節の冒頭部分から転載したものだ。当時、米国のブッシュ(シニア)大統領とソ連のゴルバチョフ書記長は東西ドイツの再統一について話し合っていた。この回想録を読むと、結果としては、米国にとってはNATOを存続させることが最大の政治的課題であったことがうかがえる。一方、ソ連側は1991年にNATO軍に対抗するワルシャワ条約機構軍を解散した。

米ソ両国の首脳は交渉の過程(例えば、198912月のマルタ島での会談)でいったいどのような考えを抱いていたのだろうか? 

特にNATO軍についてはどのような議論がされたのか、あるいは、どのようにして東西ドイツの再統一が実現したのか、という点は多くの人にとってもっとも興味深いテーマではないだろうか?

上記のゴルバチョフ回想録をもう少し辿ってみよう。

「・・・もしもドイツが中立化すれば」、とベーカー(国務長官)は私を説得しようとして言った。「かならず非軍国主義になるとはかぎらない。反対に、アメリカの抑止力に頼るかわりに、独自の核潜在力を創り出す決定をすることも大いにあり得ることです。あなたに質問したいのですが、これはかならず答えていただかなければというのではありません。統一が成立すると予想して、あなたはどちらを選びます? NATO外の、完全に自主的な、アメリカ軍の駐留しない統一ドイツですか、それともNATOとの関係は保つが、管轄権あるいはNATOの軍は現在の線から東へ広がらないことを保証された統一ドイツですか?

実際、ベーカー発言のこの最後の部分が、後にドイツの軍事的・政治的地位に関する妥協案の基礎となる公式の核となったのである・・・」

ゴルバチョフは回想録で上記のように述べている。これは歴史的にも非常に重要な証言だ。「実際、ベーカー発言のこの最後の部分が、後にドイツの軍事的・政治的地位に関する妥協案の基礎となる公式の核となったのである」というくだりは両首脳が交渉の過程でこの点が交渉全体の中核であることをお互いに十分に認識していたことを示唆している。そういう意味で、この部分は非常に重要だと思う。また、米国が結局のところこの約束を破ってしまったことを考えると、これは国際政治の非情さ、あるいは、米国政府の傲慢さを示す好例であるとも言えようか。

ヨーロッパにおいては数多くの平和条約が結ばれてきたが、その平均寿命はたった3年に過ぎなかったとある歴史家は言う。新しい状況が生まれ、新しい指導者によって新たな決断が成される。その繰り返しである。

現代においても似たような状況が起こったのだ。たとえこの約束は二国間を律する条約ではなかったにしても、1インチたりとも東方へは拡大しない」という約束は実際にあった。しかし、その約束は破られたのだ。

当時の米国(ブッシュ大統領)とソ連(ゴルバチョフ書記長)の指導者がNATOの存在についてどのように考えていたのかを知ることは間違いなく今の世界をより正しく理解する上で多いに役立つと思う。

この約束に関して詳細に論じた記事 [1] がある。これは2014113日に発行されたものだ。それを仮訳して、読者の皆さんと共有したい。 


<引用開始>


Photo-1: 米国は「NATO管轄権あるいはNATO軍は東へ広がらないことを保証する」と約束した。この約束に何が起こったのか?

もしもロシアがドイツの再統一に賛成するならばNATOを東方へは拡大しないと米国が1990年にロシアと約束した。米国では、この事実を否定しようとする記事が、最近、相次いで発行されている。米国の学者によって執筆された本稿はそうした約束が実際にされていたことやその約束が破られてしまったこと、等が西側に対するロシアの政策をよく説明していると指摘している。本稿は最初にフォーリン・アフェアーズ誌に掲載された。

1990年のドイツ再統一の交渉において、NATOは東欧へは拡大しないと米国はソ連に約束したのか?その答えは目下熱を帯びた論争となっている。NATOロシアの裏庭からは離れた位置に留まるという約束を破ってしまった と主張することによって、今日、モスクワはウクライナへの侵攻を弁護している。その一方で、懐疑論者らはロシア側の主張は他国への侵略のための言い訳に過ぎないと反論している。彼らの見方によると、ワシントンとその同盟国はNATOの拡大を差し控えると公式に約束したことはないと主張する。

NATO軍が将来東欧圏に駐留することに関しては両陣営の間で書き物で取り決めしたという事実はないとする懐疑論者らの主張は正しい。しかし、彼らは1990年に年間を通じて行われた交渉の正確な意味合いをまったく取り違えている。学者や為政者らは国際政治においては非公式な約束は重要であることを以前から認識している。特に、冷戦の時代においてはそうだった。歴史学者のマーク・トラクテンバーグが示したように、冷戦の解消は1950年代の後半から1960年代にかけてヨーロッパやソ連および米国において外交的なイニシアチブがとられたが、約10年後に至るまでは公なものとはならなかった。

西側の最近の振舞いがいかに問題を含んでいようとも、モスクワには西側が約束を破ったと主張する理由がある。機密扱いを解除された米国の文書によると、ジョージ・HW・ブッシュ政権とその同盟国はヨーロッパの冷戦解消後の秩序は相互にとって受理可能なものとする、NATOは現在の位置に留まるとしてソ連の指導者を説得することに懸命であった。しかし、米国の為政者はこの将来像を現実のものとして捉えようという気はなかったようだ。たとえ最近のロシアの振舞いには批判をすべき理由が多く存在するとしても、約束が破られたとロシアが主張する時、ロシアは決して嘘をついているわけではない。結局のところ、米国が将来こうすると約束していたシステムを米国が自らの手でひっくり返してしまったのである。

西側が提示する保証がどのような性格を持つのかを理解するには短い年代記を見るだけで十分だ。この物語はベルリンの壁が崩壊してから数か月のうちに始まった。つまり、為政者は分断されたドイツを再統一すべきか、再統一するとしたらどのように実施するのかについて判断しようとしていた。1990年の当初、米国と西ドイツの政府高官らは再統一を選択した。ソ連が果たして東ドイツから撤退する意思があるのかどうかに関しては確信を持てないまま、彼らは交換条件を提示することにした。  

131日、西ドイツのハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー外相は「再統一後、NATOは東方へは拡大しない」と公言した。その二日後、米国のジェームス・ベーカー国務長官はゲンシャー外相と会い、この案を討議した。ベーカーは公に ゲンシャーの計画を支持したわけではないが、この会合は後にベーカーとゴルバチョフ大統領およびシュワルナゼ外相との間で開催された会合の露払いとなった。これらの討議においては、ベーカーは繰り返して非公式な取引を持ちだして、その重要性を強調した。まず、「NATOの管轄権は東方へ拡大することはない」とシュワルナゼに告げ、その後、ゴルバチョフには「NATOの現行の管轄権を東方へ拡大することはないことを保証する」と申し出た。ゴルバチョフが「NATO圏の拡大は受け入れられない」と主張した時、べーカーは「我々はそのことについて同意する」と返答した。機密扱いが解かれた国務省の記録によると、29日にシュワルナゼとの間で持たれた会合はもっとも明白で、ベーカーは「NATOの管轄権あるいはNATO軍が東方へ拡大しないことについて鉄壁の保証を与える」と約束した。この点を力説して、ヘルムート・コール西ドイツ首相は、翌日、モスクワでの会合においてまったく同一の約束をした。 

あの時点で、新しい戦略的風景の概略を見ることはいとも簡単であった。つまり、ドイツは再統一され、ソ連軍は撤退し、NATOは現在の位置に留まる。この「東方」という言葉に関しては通常の受け止め方の何れを採用したとしても、NATOが後に拡大して行った東欧の国々はそのすべてが西側の領域の外に留まっていた筈である。1本の公電がベーカーの会合を総括している。つまり、「国務長官は[ドイツの]再統一の目標を何年にもわたって支持して来たことを明確に示した。再統一後のドイツはNATO内に留まるが、我々はNATO軍はさらに東方へ拡大することはないことを保証する覚悟ができている。」 モスクワは容易に推論することができよう。ドイツを再統一することにソ連側が同意すると、それは西側には制約をもたらすと。ソ連の高官がドイツの再統一に関する交渉に同意する時、彼らは間違いなくこの明白な交換条件を受け入れると考えたのである。

そうした冷戦後の体制が暗に示されたという出来事に挑戦するために、懐疑論者らはふたつの争点を持ち出してきた。第一の争点は、2月の会合はもっと狭い意味で解釈するべきだと主張する。何故かと言うと、ベーカーならびにコールおよび彼らの仲間たちはドイツの将来だけに焦点を当てていたからだ。したがって、2月始めの議論はせいぜい限度を持った約束に過ぎず、NATOの東欧諸国への拡大について述べたのではなく、むしろ、それは東ドイツへは移動しないと述べたものだ、と。

二番目の争点はもっと一般的なものである。モスクワは交渉のテーブル上に提示された取引を明確には受け入れなかったとして、この理由づけは展開していく。だから、西側の為政者にとっては自分たちが示した条件を変更することは自由なんだ、と。そして、この論点は2月の会合後に東ドイツへ「特別な軍事的地位」を与えたことによってまさに彼らの行動と一致するのである。(東ドイツの特別地位は、最終的には、NATO軍が東ドイツへ移動する前に4年間待つことを意味した。)しかしながら、3月には、NATOを除外することについては何の話し合いもなかった。西側においても、ソ連側においても、このテーマを再度切り出そうとする指導者はいなかった。この視点からは、1990年の終わりまで何らの合意点も浮かび上がっては来なかった。モスクワはNATOの下にある統一ドイツを受け入れ、その代わりに、NATOは東ドイツへの駐留を遅らせることに同意した。モスクワの主張とは裏腹に、2月の取り決めを記録に残さなかったのはソ連側の大失敗であった。東方への拡大をしないという約束があったとする主張は当てにはならないものにしてしまったのだ。

これらのふたつの反論は何れに関しても異論を唱えることが可能である。ひとつには、ソ連と米国の指導者は決してうぶではなかった。彼らはふたつのドイツがNATOにとってもワルシャワ条約機構にとっても重要であることを十分に承知していた。そして、統一ドイツをコントロール下に収める陣営はヨーロッパを制することになるだろうと彼らは随分前から理解していた。たとえこの2月の会合が単に東ドイツ内におけるNATOの役割について論じたものだったとしても、米国の申し出は機能的には「NATOは東方へは拡大しない」と約束したこととまったく同等である。ソ連のもっとも重要な衛星国へNATOが進駐しなかったとすれば、NATOは他の重要度の低い国へ進駐することはないだろう、と気の利いた分析専門家は誰だって想定するに違いない。東ドイツへ「特別軍事的地位」を与えることはこの論理を覆すものではなかった。代わりに、これはソ連のもっとも重要な同盟国のことになると、西側の指導者らは自らの手を縛り上げることを潔く受け入れることを示唆している。

さらには、ワシントンは1990年いっぱい作業を続け、2月始めの会合の前提を補強することに努めた。つまり、モスクワは孤立化することにはならないこと、ワシントンは君臨する積りはないこと、等。ブッシュ政権が認めていたように、NATOが身近に迫って来るという恐怖、よみがえるドイツのパワー、自尊心の喪失、制約が増えた行動の自由、等がソ連に被害妄想をもたらした。

ベーカーが簡潔に述べているように、「ソ連は敗者のようには見られたくはない」のだ。西側の指導者らはソ連の心配を和らげるために全欧安全保障協力会議を拡張し、ヨーロッパにおける軍隊の存在を制限し、NATOをもっと政治的な組織へと変革する、等の約束を含めて、幾つかのイニシアチブを提示した。シュワルナゼがドイツにおける展開についてだけではなく東ヨーロッパにおける展開の背景についても何らかの補償を求めたように、ソ連側の指導者の求めに対しては、これらの申し出はギフトのように見えた。東ドイツがNATOに加盟したとしても、これらの約束は新たな安心感を与えてくれた。結局、このような幾層にも絡み合う同意が「新ヨーロッパ」において「米国もソ連もそれぞれの正当な居場所を有する」ことを保証してくれるならば、NATOの東方への拡大はもはや議論の対象からは外されることになろう。

要するに、米国のイニシアチブは公然とソ連の利益に狙いをつけた。モスクワはNATOの手を縛る機会を逸したと論じたり、この交渉はドイツに照準を当てたものだと狭義に解釈しようとする分析専門家はより大きな絵を見失っている。19902月以降の米国の政策は相互に受け入れることができる秩序を現出させ、ソ連を東方に撤退させるものだ。また、これはNATOを東欧圏の外に留めることを意味する。

しかしながら、ワシントンが不誠実な行為をしたことにより罰を犯したのでモスクワの最近の行動は正当化できると結論付けるのは拡大解釈である。外交においては、取引は実施できる場合においてのみ有効である。ロシアの国力は1990年までにはすっかり低下していたことに伴い、米国はヨーロッパにおけるソ連の存在を押し戻し、外交官のジョージ・ケナンが中欧の「工業力と軍事力の中心」と呼んだ地域を統合するという強力な動機を手にした。その後、東欧における戦略の真空状態に直面し、ワシントンはかっての約束を成り行きに任せ、NATOの拡大は戦略的にも必要であると見なすように期待された。これは二枚舌という話ではない。通常に見られる国際政治そのものであった。 

と同時に、ロシアの指導者がウクライナにおけるロシアの行動は安全保障に不安を覚え、恐怖を感じた結果だと主張する時、彼らは本当のことを喋っているのかも知れない。NATOの東方への行進はロシアが孤立化し、包囲されたと感じさせ、信頼できる交渉のパートナーもいないと感じさせたことはきわめて理解可能である。ウクライナ政府が西側の国々から同情を集める革命によって崩壊するなんて誰も予期し得なかった。モスクワの反応については非難することができるとしても、彼らの反応は意外だったと見るべきではない。 

ウクライナ危機に関する解決策のほとんどは何らかの形でロシアの協力に依存することになることから、為政者は1990年の中核的な教訓にもっと注意を払うべきである。もしもワシントンがモスクワとの緊張を和らげたいと望むならば、ワシントンは東欧におけるNATOの存在を意味のある形で制限しなければならない。この目標のためには、NATOの指導者は東欧圏における軍事同盟の役割を強化し、ロシアとの現行の軍備競争のために準備して欲しいと迫ってくる要求には抵抗するべきである。そうすることによってのみ、NATOはロシアに対して自らの意図について信ぴょう性のある保証を与えることができる。1990年がそうであったように、行動が無ければ、言葉だけでは何も意味しない。 

<引用終了>


以上で、仮訳は終了した。

この記事は東西ドイツの再統一とそれに絡むNATOの存在を巡る交渉の過程を詳しく説明している。米ソ両国は「NATOを東方へは拡大しない」という約束を文書では残さなかったものの、機密を解かれた米国の政府文書とか公電によると両国の指導者の間で約束があったことをはっきりと読み取ることができる。

これを読んだところ、ゴルバチョフの回想録で知った内容はここに引用した記事の情報と非常によく一致することが分かった。この引用記事で議論されているように、一部の報告には書きもので残されなかったから約束はなかったと論じる向きもあるようだ。しかしながら、交渉の過程全体を観察すると、約束は間違いなく交わされていたことが判明する。しかも、ドイツの再統一を実施する上でもっとも中核的な交換条件であった。

現代史の中でも特別に重要であると見なされるひとつの章をかなり詳細に学ぶことができた点は大きな収穫ではないだろうか。一般論的に言えば、これは大手の新聞を読んでいるだけではなかなか正確には掴めない歴史的真相でもある。

しかし、私個人としてはこの引用記事には一点だけ気になる箇所がある。それは「ウクライナ政府が西側の国々から同情を集める革命によって崩壊するなんて誰も予期し得なかった」と記述している部分である。

ウクライナのマイダン革命は米国のNGOが長い年月にわたって活動し、米国の莫大な資金を投入し続けた結果引き起こされた「色の革命」であると言える。このことを考えると、ウクライナ政府が革命によって崩壊することなんて誰も予期し得なかったなどとは決して言えない。米国の政府機関や大富豪が運営するNGOから豊富な資金を得てウクライナ国内で活動していた地元のNGOの目的はそもそも何だったのかと言うと、それは表向きには汚職追放ではあったが、当時の政権を転覆することにあったのだ。彼らの最終目的は実に明確であった。資金を提供していた側にとってはなおさらのことではないか。

なお、ウクライナにおける米国のNGO活動、すなわち、ウクライナにおける反政府活動に関しては小生も1本のブログを掲載している。2014310日付けのブログ、「ウクライナでのNGO活動」を参照されたい。当該ブログが引用した原典は2014228日に発行された記事である。つまり、本日のブログが引用している原典(Nov/03/2014)よりも10カ月も前の記事であることから、米国のNGOとウクライナのマイダン革命との関連性は当時すでにさまざまな形で公知の事実となっていた筈である。

それとも、引用記事の著者が言わんとしていることはまったく別の事柄なのだろうか?


      

New Eastern Outlookへ寄稿する常連の著者の中にWilliam Engdahlがいる。彼は政治学で学位を取得しており、地政学の分野や原油市場、ならびに、遺伝子組み換え作物に関してさまざまな投稿をしている。

この著者の最近の記事はシリアにおけるワシントン政府の狡猾な行動を論じている [2]。その中に米国政府の外交政策を辛辣に批判した記述がある。本日のテーマとの関連から、その部分を下記に抜粋してみよう:

「・・・何年にもわたって米国政府の外交政策を観察してきた結果、私は自分が行う評論の中にはある種の尊敬の念を含ませることを学んだ。この尊敬の念は決して賛美ではなく、それはむしろ評価である。つまり、この世界でもっとも強力なスーパーパワーが卓越した技や狡猾さ、あるいは、相手に納得して貰えるような嘘をつき、相手を騙し、的を外さずに相手の弱点につけこむといった秀でた能力を持っていなかったとしたら、この国はその地位を築くことはできなかったに違いない。

相手をだますという技は1945年以降その全期間において米国の外交政策に顕著に見られる特徴であり、1989年のソ連のミカエル・ゴルバチョフとの交渉の際もそうであった。当時、ゴルバチョフは、西側はNATOを東方へ拡大することは決してしないと厳かに約束する米国側の交渉相手を信用した。相手を騙すことは1944年のブレトン・ウッズ体制以来の米国の経済政策においてもその特徴となっており、これは米ドルを基軸通貨とし、準備通貨としての米ドルの支配に挑戦する可能性を完全に潰した。このような動きは米国の軍事力と並んで米国のパワーを支えるもっとも戦略的な柱となった・・・」

この記事を読んでみると、さまざまな分野を横断して幅広く俯瞰しようとする著者の姿勢を見ることができる。事実、総括的に網羅することに成功している。そして、その中のひとつのエピソードが米国がNATOに関してゴルバチョフと交わした約束である。

余談になるかも知れないが、米国が自国の経済と軍事的な覇権を維持するためには相手国をだますことを厭わないというこの著者の論点は我々素人にも合点がいく。今締結されようとしているTPPにも、戦後70年を経ても未だ日本を半独立状態に拘束している安保条約にもこの手法がそっくりそのまま当てはまることは今さら指摘するまでもないだろう。



参照:

1"Not an Inch East”: How the West Broke Its Promise to Russia: By Joshua Shirinson (Foreign Affairs), Nov/03/2014, russia-insider.com › Russia Insider › Germany

2Washington’s Machiavellian Game in Syria: By F. WWilliam Engdahl, New Eastern Outlook, Feb/17/2016






2016年2月18日木曜日

キッシンジャー: ロシアは米国にとって脅威ではなく、世界の秩序を維持するのには不可欠なパートナーだ



ヘンリー・キッシンジャーは米国政府の対外政策を担当した人物の中では大物中の大物である。世界情勢を見つめる彼の目には、今の世界はどう映っているのだろうか?

米国内では、今、対ロシア政策はこれでいいのかといった議論が急増している。これは今年が大統領選の年であることを考えると当然の事かも知れない。シリア、あるいは、中東全域に対する米国の関与がうまくいっているのかどうかに関しては、ロシアがシリア政府の要請を受けてシリアへ空軍を投入して、テロリスト対策では短期間の間に目ざましい成果を挙げていることから、米国自身の既定の対シリア戦略は相対的に遥か後方に置き去りにされてしまったかのような観がある。最近の米国内における現状はシリアにおけるそういった地政学的な現状が大きく反映されているのかも知れない。さらには、膠着状態にあるウクライナの内戦も大きな要素であろう。

かなり新しい記事がここにある [1]。今月のものだ。これはプリマコフの人物論についてキッシンジャーがモスクワのゴルバチョフ財団において講義した内容だという。対ロ政策ではタカ派的な論調が圧倒的に多い米国では「キッシンジャーは一味も二味も違うな」と私は前から感じていた。

そこへこの記事が現れた。キッシンジャーの持論を詳しく学ぶ絶好の機会となりそうだ! 
さっそくこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>


Photo-1: ヘンリー・キッシンジャー

本稿は最初にNational Interest誌上にて掲載された。

2007年から2009年まで、エウゲニー・プリマコフと私はロシアや米国からの元閣僚や高官および軍の指導者らによって構成されたグループでその議長役を務めました。本日お集まりいただいている皆さんの中にも何人かはそのグループに含まれていました。その会合の目的は米ロ関係に見られる敵対的な側面を少しでも和らげることにあり、協調的な姿勢をとる機会を模索することにありました。米国では本グループは「トラック2」グループと呼ばれていましたが、これには党派の区別はなく、ホワイトハウスからは調査や研究を継続するよう求められていましたが、政府のために交渉するような役目はまったくありませんでした。私たちはお互いの国で会議を開催し合いました。プーチン大統領は2007年に、メドベージェフ大統領は2009年にそれぞれモスクワで当グループを迎えてくれました。2008年には、我々の賓客との対話を実現するために、ジョージ・W・ブッシュ大統領は国家安全保障局の殆んどのメンバーを閣議室に集めてくれました。

参加者の皆さんはすべてが冷戦中はそれぞれの要職についていました。緊張下にあったあの時代、誰もが自分の理解するところにしたがって自国の国益を主張していました。しかしながら、テクノロジーが文化生活を台無しにしてしまう危険があり、その危険がひとつの方向へと突っ走った場合には人類の文明はそこで中断されることになりかねないことを、経験を通じて誰もが学んでいました。世界中で政情不安が発生し、お互いに異なる文明やイデオロギーの衝突が火に油を注ぐことになるかも知れません。「トラック2」の目標はそういった危機を克服し、世界秩序における共通の原理を研究することでした。

この取り組みにおいてはエウゲニー・プリマコフは欠くことのできないパートナーでした。権力の中枢の近傍に長い年月にわたって居たことから、また、最終的にはその中枢で活躍していたことから彼は世界の潮流に関して幅広い見識を持っており、自国に対する彼の惜しみない献身振りとも相俟って、彼の鋭い分析力はわれわれ自身の思考を定義し、共通の将来像を形作る上で大きな助けとなっていました。われわれはすべての事柄について同意していたというわけではありませんが、お互いを尊敬し合っていました。彼の逝去に当たり、われわれは誰もが寂しく思っています。個人的には彼は私の同僚でもあり、友人でもあります。

両国間の関係は10年前に比較して悪化していますが、このことを私が敢えてここで皆さんにお伝えする要はないでしょう。事実、両国関係は冷戦の終結以降では、多分、最悪の状態です。相互信頼は両陣営において消え去ってしまいました。協調に代わって、対決の姿勢に置き換わっています。エウゲニー・プリマコフは、彼の晩年、この非常に悩ましい現状を克服する方策を探し求めていたことを私は承知しています。彼の取り組みを残されたわれわれ自身のものとすることによって、われわれは彼の記憶を讃えたいと思います。

冷戦の終結時には、ロシア人と米国人は両者とも最近の経験によって培われた戦略的パートナーシップの将来像を抱いていました。米国人は緊張緩和の期間が継続することによって世界規模の課題に関しては協調をもたらしてくれるだろうと期待していました。自国の国境線が変化するのを目にし、再建や再定義を要する将来の課題を認識して不快の念を感じ、自分たちの社会を近代化する上でロシア人が果たす役割について彼らが抱いていた誇りは減退しました。両国では多くの人たちがロシアと米国の運命はお互いにしっかりと絡み合っていることを理解していました。戦略的安定性 [訳注:ウィキペデイアの説明によると、戦略的安定性とは相互に決定的な打撃を与える能力を持つふたつの潜在的に敵対的な国家の間の均衡をいう] を維持することや大量破壊兵器の拡散を防止することについてはその重要性が増すばかりで、特に、ロシアの長い国境線が延々と伸びているユーラシア大陸においては安全保障体制を構築することが喫緊の課題となって来ました。通商や投資においては新たな展望が現れ、エネルギー分野における協力は長いリストのトップを飾りました。

残念ながら、世界規模の大変動は政治的手腕の影響力を大きく凌駕してしまいました。NATOがユーゴスラビアで開始した軍事作戦に対する抗議として、エウゲニー・プリマクフはワシントンへ向かっていた専用機を大西洋上でモスクワへ引き返すよう命令を下しましたが、首相として下した彼の意思決定は象徴的なものでした。当初の希望はアフガニスタンにおけるアルカイダやタリバンに対する初期の作戦において緊密な連携を保つことによって幅広い領域でそれぞれの課題に関してもパートナーシップを確立することができるのではないかという点にありました。折から、中東政策に関する抗争が渦巻く中でパートナーシップはすっかり弱まっていたのです。さらには、2008年にはコーカサスで、2014年にはウクライナでロシア軍との衝突が起こりました。シリアにおいては共通の立場を見い出し、ウクライナにおける緊張を和らげようとする取り組みが最近行われていますが、両国の離反に何らかの変化をもたらすような成果は今のところ目撃されてはいません。

それぞれの国における筋書きでは相手国にすべての責任を押し付け、それぞれの国においては相手国を悪魔視する傾向にあります。あるいは、相手国の指導者を悪魔視する傾向があります。国家の安全保障問題が両国間の対話を独占してしまい、「冷戦」の苦い抗争の時代に産み出された不信や疑惑の念がふたたび表面化してきています。ロシアでは、こうした感情は社会・経済・政治的に途方もない危機に襲われてソ連邦が解体した後の10年間の記憶によってさらに悪化しました。一方、米国はもっとも長い間続いた経済的繁栄を謳歌していました。その結果、これらのすべてがかってはソ連の影響圏であったバルカン諸国に対する政策の違いをもたらし、中東問題、NATOの拡大、ミサイル防衛システムの導入、武器の売り込みと続き、両国の協調の展望はすっかり圧倒されてしまったのです。

多分、このような現状を理解する上でもっとも大切な点は歴史的概念における基本的な隔たりでした。米国にとっては、冷戦の終結は不可避的な民主革命に関する伝統的な信仰が正当であったことを裏付けるようなものでした。米国は基本的には法的ルールによって統治された国際システムが拡大することを思い描いていました。しかし、ロシアの歴史的な経験はこれよりも遥かに複雑なものでした。何世紀にもわたって東や西から外敵によって侵入されてきた国家にとって安全保障は常に法的な基盤だけではなく、地政学的な基盤を必要とします。同国の安全保障上の国境がモスクワから1000マイルも離れたエルベ川から移動する時、世界秩序に関するロシア側の概念には戦略的要素が含まれて来ますが、それは不可避的に起こります。われわれの時代が挑戦しなければならないのはふたつの大局観、つまり、法的および地政学的な大局観をひとつの理路整然とした概念に統一することであります。

こうして、逆説的ですが、われわれは基本的には哲学的な問題に新たに直面することになります。ロシアはその価値観のすべてをわれわれと共有する国ではありませんが、世界秩序にはなくてはならない構成要素です。米国はそうした国家とどのようにして協調するのでしょうか?ロシアはその国境地帯に警報を出すこともなく、敵対者を増やすこともなく、どのようにして自国の安全保障上の利益を推進するのでしょうか?ロシアは国際問題において米国が心地よく受け止められるような立派な居場所を獲得することができるのでしょうか?米国の価値観を強要されたとロシア側が受け止める心配もなしに米国はその価値観を追求することができるのでしょうか?これらのすべての問い掛けについて私は答えを用意する積りはありません。私の目的はこれらの問い掛けに関して皆さんが取り組んでいただけるように鼓舞激励することにあります。

ロシアと米国の多くの解説者らは新たな世界秩序に関して両国が協調的に働くことはできないとしてその可能性を拒んでいます。彼らの見方に従うと、米国とロシアはすでに新しい「冷戦」に突入しています。 

今日われわれが直面する危険は何でしょうか?軍事的衝突に戻ってしまうことの可能性は低く、むしろ、両国において自己達成的な予言に凝り固まってしまうことの可能性の方がより大きな危険であると言えます。両国の長期的な利益を考えますと、世界中で混乱や変動が見られる現状からさらに多極化されグローバル化した新たな平衡状態へと両国が変化していくことが求められています。 

この混乱の性格はそれ自体が前代未聞です。つい最近までは世界における国際的な脅威は一国にパワーが集中し、支配的な国家が出現することでした。しかし、今日の脅威は多くの場合国家権力が崩壊し、統治されてはいない地域が数多く出現することにあります。この拡大しつつあるパワーの真空状態は、何れかの国が、たとえその国が如何に大きなパワーを持っていようとも、その国家ベースだけで取り扱えるようなものではありません。これは米国とロシア、ならびに、他の有力な国々の間での息の長い協力を必要とします。国家間での伝統的な紛争を扱う際はその紛争を境界の範囲内に封じ込み、紛争が再発することを防止する条件を形成する際はその紛争の要素を制約しなければなりません。

誰もが知っているように、われわれの目の前にはもっとも最近の事例ではウクライナやシリアといった対立的な課題が横たわっています。ここ数年、両国はそうした問題を議論してきましたが、目につくような成果を挙げてはいません。これは驚くほどのものではありません。何故ならば、これらの議論は同意済みの戦略的枠組みの外で行われてきたからです。それぞれの個別的な課題はもっと大きな戦略的な課題のひとつの表出でしかありません。ウクライナはヨーロッパならびに国際的な安全保障の基本構造の中へ埋め込む必要があります。そうすることによって、ウクライナはどちらかの陣営の単なる前哨基地ではなく、ロシアと西側とを結ぶ架け橋の役割を担うことができます。シリアに関しては、国内や周辺地域の派閥は自分たちで解決策を探し出すことはできないことが明らかです。他の強力な国々との協調を保ちつつ、米ロ両国が仲良く取り組めば、中東ばかりではなく、多分、何処にでも通用するような平和的な解決の見本を形成することができるのではないでしょうか。

関係を改善する取り組みには、如何なる場合も、現れつつある世界秩序に関する対話のプロセスを含めなければなりません。古い秩序が衰退し、新しい秩序が形成される時流は何でしょうか?これらの変化はロシアや米国の国益に対してどのような挑戦をもたらすのでしょうか?その種の秩序を形成するに当たって、それぞれの国はどのような役割を演じ、その新秩序の中では最終的には、満足できる程度を考慮した場合どのような地位を占めたいと希望するのでしょうか? 世界秩序についてはロシアと米国では非常に異なる概念が展開されてきましたが、われわれはこれらの概念をどのように調和させるのでしょうか?

1960年代と1970年代には、私は国際関係とは基本的には米国とソ連邦との間の敵対関係であると見ていました。テクノロジーの発展によって、戦略的安定性の構想はさらに発展して、たとえ両国のライバル関係が他の領域で続いているとしても両国は戦略的安定性を実行することができると考えました。それ以降、世界は劇的な変化を示しました。特に、今現れつつある多極的秩序においては、如何なる新しいグローバルな平衡状態においてもロシアは欠くことが出来ない基本要素であると見るべきであって、ロシアが行うことは何が何でも米国にとっては脅威であると見るべきではありません。

私は過去の70年間のほとんどにわたって米ロ関係にあれこれの形で関係して参りました。警戒レベルが高まった際にも、また、外交的な達成を両国が一緒になって祝った時にも私は意思決定の中枢に居りました。今、米ロ両国ならびに世界の人々は今まで以上に盤石な将来展望を必要としています。

私は両国の対立を創り出すのではなく、両国の将来を統合する対話の可能性についてこの場で論じておきたいと思います。これを実現するには、両者それぞれは相手にとって不可欠な価値観や利益を尊重する必要があります。これらの目標は現行の政府の延長線上では完遂することができません。また、米国の国内政策のためにこれらの目標の追求を遅延させるような場合にもこれを完遂することはできません。ワシントンおよびモスクワの両者の「やる気」によってのみ実現が可能となります。近い将来、両国が直面するより大きな挑戦と向き合うためには、ホワイトハウスおよびクレムリンは不満や犠牲の感覚を乗り越えて一歩先へ進もうとする「やる気」が必要です。 

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著者のプロフィール: ヘンリー・A・キッシンジャーは米国のニクソンおよびフォード政権の下で国家安全保障担当補佐官および国務長官を務めた。本稿はモスクワのゴルバチョフ財団にてプリマコフに関する講義として講演が行われた際のものである。

<引用終了>


上記のキッシンジャーの演説の内容は現役の米政府高官や米軍の将軍あるいはNATOの高官が喋る内容とは、当然のことながら、大きく異なる。現役の為政者の視点とは違って、明らかに、キッシンジャーのそれはより長期的な戦略に根ざしている。キッシンジャーは多極化された世界の出現をまったく否定してはいない。それは必ずやって来るとして現実を見つめ、米国はどのようにその新しい状況に対応するべきかを論じている。

今現れつつある多極的秩序においては、如何なる新しいグローバルな平衡状態においてもロシアは欠くことが出来ない基本要素であると見るべきであって、ロシアが行うことは何が何でも米国にとっては脅威であると見るべきではありませんというキッシンジャーの見解は秀逸だ。米国政府や主流メディアが報道する内容と比べると、これはたいそう新鮮に響く。

間違いなく、彼は現実主義者である。

国際政治に関与する人たちは皆がこのキッシンジャーの見解を正確に理解して欲しいと思う。これが実現すれば、2016年は世界に真の平和が訪れた画期的な年として歴史に刻まれるのではないか。


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ここで「ロシアが行うことは何が何でも米国にとっては脅威である」と受け取っている西側について具体的に掘り下げてみたいと思う。

格好の記事 [2] 216日に現れた。それを仮訳して、下記に掲載してみよう。


<引用開始>

「西側はロシアのウラジミール・プーチン大統領が今日の世界で起こっている害悪のすべてについて責任があるとしている」と、ドイツのシュピーゲル・オンライン誌が記述している。

「しかしながら、プーチンに関する非難のほとんどは作り物であって、何の証拠もない。あなたが自分のコンピュータのスイッチを入れて新聞を読もうと、あるいは、テレビのスイッチを入れようと、ロシア大統領に関する否定的なイメージはそこいら中で見つかる」と、同誌は書いている

「ウクライナ紛争から始まって、難民危機やペギーダ [訳注: Pegidaとは組織の名称で、西洋のイスラム化に反対する愛国的な欧州人という意味を持ち、この組織はドイツのドレスデンを中心に社会的・宗教的な活動を行っている] に至るまで、欧州大陸で起こっている問題のすべてについてプーチンに責任があるかのようだ。間もなく、メルケル首相が髪型を変えたとしても、そのことについて責任があると非難されるのではないか」と、同記事は書いている。

ウクライナ紛争が始まった当時、プーチン大統領は単に常軌を逸した人物として受け止められていた。当時、アンゲラ・メルケルは「彼は彼自身の世界に閉じこもっている」と評したものだが、今や、彼は本物の「魔物」として見られている。 

同誌によると、西側諸国には悪弊がある。何ごとでもすべてを白か黒かに区分してしまう。

たとえば、「ヨーロッパは明るく、適切に統御されている。一方、暗黒のロシアでは暴力、暴政、混乱が起こり、連中は我々の社会が崩壊することを願っている」と、同記事は記述しいる。これは西側諸国においてはもっとも共通して観察されるロシアについての偏見を引用したものだ。

米国上院議員のダン・コーツはベルリンに駐在した元大使ではあるが、彼は「難民危機を政治的な武器として用いた」としてロシアを非難し、ドイツのウルスラ・フォン・デル・ライエン国防大臣はプーチンはシリアでは「二重のゲーム」を演じているとして怒りを表した、と同誌は伝えている。 

昨年の9月末、ロシアはシリアで軍事的な作戦を開始した。過去の6か月間、ロシアの作戦はシリアにおける状況を抜本的に改善し、「不可逆的な」成功をもたらした、とドイツのFAZ紙はこの日曜日に書いている。

と同時に、この5年間に及ぶ内戦は25万人もの死者を出し、1千百万人もの市民が自宅を失ったが、西側はそうした事実を見ながらも、ただ沈黙をよそおって来た。

「無関心と無能力のプリズムを通して、われわれはシリアが虐殺の場へと変貌するのをただじっと眺めていた。こうして、われわれは道徳的に話を進める権利を失ってしまったのだ」と、同誌は結論付けている。 

<引用終了>


上記に掲載した記事には「プーチンに関する非難のほとんどは作り物であって、何の証拠もない」という記述がある。これは秀逸だ。

「ロシア脅威論」が如何に無意味であるかに関して、ヨーロッパのメディアが正面から取り組み始めたと言えよう。少なくとも、ここに引用したドイツの記事はそのことをはっきりと伝えようとしている。ジャーナリズムとしては全うである。われわれ一般大衆にとっても、これは歓迎すべきことだ。

2014年には「プーチンは大悪党だ」とする大合唱が起こり、西側各国の合唱は延々と続き、終楽章に到達する気配はまったく見えなかった。しかし、2015年の夏、ヨーロッパの街角にまでやって来た難民危機を通じて、もっとも根源的な理由は何であるのかを皆が肌で理解し始めた。一般市民、産業界、政治家、メディアを含めて、多くの人たちが悪夢から覚めて、正気に戻ってきたかのようである。ロシアとの和解が論じられ始めた。

しかし、何故こうも多くの人たちが悪夢に襲われてしまったのだろうか。ある識者はロシアについて余りにも無知であったからだと指摘する。他の事情通はメディアによる情報操作を指摘する。さらに他の評論家はEUという制度が各国の主権を曖昧にしてしまったことが米国への追従という現状を招いた主要因だと言う。

悪夢から覚めるのが余りにも遅かったという感があるが、現実を正しく見る姿勢はその輪を大きく広げて行って欲しいと思う。ドイツのジャーナリストはヨーロッパの機関車役として世論を引っ張って欲しいし、ヨーロッパ各国のジャーナリストもこの動きに乗り遅れることなく、新たな潮流を作り出して欲しいと思う。

シリアや中東、ならびに、ウクライナではこれ以上無辜の市民が犠牲になることは許されない。そう公言することにどんな屁理屈が必要だと言うのだろうか?誰の目にも明らかだ!

問題は、以上に述べて来た内容にまったく周波数が合わせられない人も決して少なくはないという現実がある。素人の私にはそのことを解決する術はない。

しかしながら、私はこのブログを自己研鑚の場として位置付けていることから、このブログを読んでくれる人が一人でも存在すること自体が基本的にはもっとも重要なことだ。自分を取り巻く世界を少しでも多く知ることが必要だ。情報を自分の方から取りに行く積極的な姿勢が必要だ。右へ進むのか、それとも、左へ進むのかは別にして、そこからすべてが始まると思う。



参照:

1Russia Is Not a Threat to the US, But an Essential Partner in the World Order: By Henry A. Kissinger, Feb/05/2016, Russia-insider.com > ... > Politics

2Will Media Accuse Putin of Being Responsible for Merkel’s Haircut Next?: By Michael Klimentyev, Sputnik, Feb/16/2016