2016年5月19日木曜日

広島・長崎への原爆投下はどうして戦争犯罪ではないのか?



広島や長崎への原爆投下は戦争犯罪であるとする主張は数多く存在する。この議論は毎年のように繰り返されてきた。

戦争犯罪の議論は際限が無い。何故ならば、議論の相手が殆ど場合世界の覇権国たる米国であるからだ。たとえば、シリアで繰り返されている武装テロリスト集団による一般市民の虐殺が国連安保理でも議論されている。しかしながら、いわゆる「穏当な反政府派」という隠れ蓑によって、テロリストたちが犯す戦争犯罪は西側(つまり、米国)からの批判を免れているのが現状である。

こうした現状を受けて、「国際世論は武装テロリスト集団によってシリアで繰り広げられている戦争犯罪を見過ごしてはならない」と、アムネスティー・インターナショナルの中東および北アフリカ・プログラムの副理事長代行を務めるマグダレーナ・ムグラビが述べている [1]

シリアで起こっている戦争犯罪とはイスラム国の武装テロリストによる一般市民に対する攻撃であり、非戦闘員の殺害を指している。はっきり言って、イスラム国はシリアにおいて米国のための代理戦争を行っているのだ。イスラム国がこの代理戦争を遂行するための資金は、カモフラージュするために、中東では米国の最強の盟友であるサウジアラビアを通して供給されている。つまり、シリアで起こっている戦争犯罪の根源は米国にあるのだ。

マグダレーナ・ムグラビの言葉は米国の二重基準を批判したものである。少なくとも、私にはそう見える。残念ながら、この米国の二重基準は世界中で観察されている。米軍が赴くところ、決まったように起こっているのが現状である。

日本においては、我々の世代が自分自身の皮膚感覚で直接受け止めてきた米国の二重基準の中で最たるものは広島や長崎に投下された原爆ではないだろうか?

広島や長崎に対する原爆投下は戦争犯罪であるとする見方は、今や、日本だけではなく、軍爆を投下した米国においてさえも広く、かつ、公に議論されている。オバマ米国大統領が広島を訪問するというニュースが流れてから、広島・長崎への原爆投下は戦争犯罪であると指摘する声が改めて高まって来ている。

本日のブログではこのテーマに関してある記事 [2] を覗いてみたいと思う。


<引用開始>

私にはまったく腑に落ちない。一方では、戦時に一般市民を故意に殺害することは戦争犯罪だという説明を受けている。そして、もう一方では、広島や長崎へ故意に原爆を投下したことは戦争犯罪には当たらないと言う。

いったいどっちなんだ?

オバマ大統領が広島を訪問すると決めたというニュースが流れて、この難問が舞い戻ってきた。今議論されている問題の焦点は、オバマ大統領は第二次世界大戦中に広島および長崎への原爆投下を米軍に命令した当時のトルーマン大統領の決定に関して米国として謝罪するべきかどうかという点にある。

戦時に一般市民を殺害することが許されるとするならば、広島や長崎への原爆投下は明らかに戦争犯罪とはならない。

しかし、そうだとすると、米陸軍のウィリアム・カリー少尉はなぜベトナム戦争中に起訴されたのであろうか?彼はベトナムの集落で無防備の婦人や子供などを何人も故意に殺害した当人である。米陸軍は彼を戦争犯罪で起訴し、有罪とした。何故だろうか?もしも戦時に婦人や子供を故意に殺害することが戦争犯罪ではないとするならば、カリー少尉は何故戦争犯罪で起訴され、有罪となったのだろうか?

事実、戦時に軍隊が非戦闘員を故意に標的にすることは戦争犯罪である。このことに反論する者はいない。しかし、そういった背景がありながらも、広島や長崎への原爆投下の話になるといったいどうして遠慮してしまうのだろうか?トルーマンがこれらのふたつの都市を爆撃せよと命令を下した時、彼は非戦闘員を標的にしていることは誰にも分かっていた。大部分は婦人や子供ならびに老人たちであった。トルーマンの行動は戦争犯罪を構成するという情け容赦のない結論に至る可能性があった。トルーマンの決心を弁護する者たちはその可能性を如何にして回避したのだろうか? 

彼らの第一義的な論点はこれらの都市へ投下された原爆は戦争の終結を早めることが出来た、もしも戦争が長引いて、日本への侵攻が必要となった場合には何千人もの米兵が命を落としたであろうというものだ。

太平洋で日本軍と戦って来た米軍の将兵らの間では、事実、この言い分けはまさに何十年にもわたって主張されて来た論理的根拠である。彼らは数多くの者がトルーマンが実行したことについて長年にわたって感謝の意を表明している。何故ならば、トルーマンの決断によって彼らはその後の戦闘で戦死することもなく、まっとうな寿命を謳歌することが出来たからである。

しかし、この論理的根拠には重要な問題が潜んでいる。

ひとつには、非戦闘員を殺害することが戦争の終結を早めるという論拠は戦争犯罪に対して法的防護とはならない。たとえば、カリ―少尉がベトナム戦争で婦人や子供を殺害したことがベトナム戦争の終結を早めた、あるいは、彼の意図はそのような行動をとることによって戦争の終結を早めることにあったと言ったとしよう。彼の戦争犯罪法廷においては果たしてこうした言葉は法的防護を構成し得るのだろうか?あるいは、アフガニスタンで結婚式に集まっていた何十人もの人たちに対して爆撃を行った米空軍の兵士たちが「この爆撃によって戦争の終結が早まるだろうと思って故意に爆撃したんだ」と言ったと想定してみよう。いったい彼らは戦争犯罪の法廷から解放して貰えるのだろうか?

その答えは「否」だ。何故ならば、それは戦争犯罪に対する法的防護とはならないからだ。その行動が戦争の終結を早める場合、あるいは、戦争の終結を早める意図に基づいて行われる場合には戦争犯罪は正当化されるという論理は法律の世界ではあり得ない。

さらに言えば、この論理的根拠が受け入れられるとするならば、この根拠は戦争当事者の両国に適用するべきではないのか?そういった行動をとることによって戦争を早期に終結させ、その結果、当事国の多くの兵士の命を救うのだとする論理的根拠の下では、戦時において敵国が故意に米国の非戦闘員を攻撃することをいったいどうやって思いとどまらせることが出来るのだろうか?両当事国がそのような論理的根拠に従う場合、結局、この法的禁止は無効になってしまうのではないか?

兵士らが戦争で死ぬことは事実だ。それが戦争というものだ。ある兵士が「無防備の婦人や子供たちならびに老人たちを殺してくれて有難う。これで自分の寿命を全うすることができそうだ」と叫んだとしよう。それを聞いて、いったい皆は何と思うだろうか?ジョージ・パットン将軍がそのようなことを喋っている様子を想像することなんてとても出来ない。自分の部下たちの命が救われるからと言って、パットン将軍が無防備の婦人や子供ならびに老人たちを進んで殺害することなどは誰にも想像できないことだ。私が思うに、パットン将軍はこう言うのではないだろうか?「戦場へ出かけて戦え。もしも君が戦死したとしても、それはそれでいい。君自身が長生きをするために無防備の婦人や子供たちならびに老人たちを殺害する気なんて毛頭ないぞ!」 

原爆投下を弁護する者たちは、日本が戦争を始めたのだから広島や長崎の日本人が原爆に見舞われたのは自業自得だと言う。しかし、自分の国が戦争を始めるかどうかについて個々の市民が自分たちの民意を反映させることがいったい何時から可能になったと言うのだろうか?米国の市民はジョージ・W・ブッシュの決断や米国の安全保障当局が決断したイラクやアフガニスタンに対する戦争に関して民意を反映させることが出来たとでも言うのだろうか?

故意に操作し、ある姿勢をとって、日本が米国を攻撃するように挑発したのはいったい誰だったのかを忘れずにいたいものだ。特に、日本に対して発動された原油の禁輸措置、日本の銀行口座の凍結、ならびに、日本の政府当局に故意に屈辱を与えるような調停条件、等々だ。米国の市民が第二次世界大戦への参戦に反対することを防ごうとして、真珠湾やフィリピンにおける米兵を敢えて犠牲にしたのはフランクリン・ルーズベルト大統領を除いては他には誰もいない。ある国が米国に対して開戦するように挑発し、その後、その国が戦争を開始したからと言って、戦争の終結を早めるためには同国の市民に向けて原爆を投下するということ程嫌らしいものはない。そもそも、米国に対して日本の開戦を導くような挑発を行わないでいることこそが最良の策であっただろうし、そうしてさえいたならば被害を最小限に抑えることが出来た筈だ。

また、原爆の投下を弁護する者たちはトルーマンにはふたつの選択肢しかなかったと言う。つまり、広島・長崎に原爆を投下すること、あるいは、日本が降伏するまで戦争を継続すること。しかし、端的に言って、それは本当の状況を語ってはいない。トルーマンにはもうひとつの選択肢があった。交渉による降伏である。しかしながら、たとえそうした降伏が今までにあったとしても、非常に馬鹿げた、かつ、破壊的でもある「無条件降伏」というトルーマン自身の確固たる主張の下で、交渉による降伏に関してはさらなる推進は拒否され、それに代わって、日本から「無条件降伏」を勝ち取ることを確かなものとするために何万人もの非戦闘員を殺害したのである。ところで、日本の降伏は、結局のところ、「無条件」ではなかった。日本は降伏の条件として天皇制を維持することが認められたのである。

多くの米国人は広島や長崎の市民に対する原爆投下は戦争犯罪であるという事実を依然として認めることが出来ないままでいる。何故かと言うと、本当の理由は自分たちの大統領や米軍を含めて、自分たちの政府が主として婦人や子供たちならびに老人たちから成る非戦闘員を故意に殺害するという深刻な戦争犯罪を犯すことができたという事実を認めることが出来ないでいる、あるいは、それを認めようとはしないからである。大多数の米国人の心中では、そういった事象は外国政府においては起こり得るけれども、自分たちの政府ではとても起こり得ないのである。

著者ジェイコブ・G・ホーンバーガーのプロフィール: 「自由の将来財団」(The Future of Freedom Foundation)の創立者かつ理事長。テキサス州のラレドに生まれ育ち、バージニア州立軍人養成大学で経済学の学士号を得て、テキサス大学で法学の学位を取得した。彼はテキサス州で12年間にわたって法廷弁護士を開業。また、ダラス大学で准教授を務め、法律や経済学で教鞭を取った。1987年、弁護士業を中断して、経済学教育財団にてプログラム担当の理事に就任した。ラジオでの全米規模の対談番組やフォックス・ニュースのニール・カヴァトおよびグレタ・ファン・サスターレンのショウでは彼は自由や自由市場を推進して来た。アンドリュー・ナポリターノ判事によるフリ-ダム・ウッチ・ショウにおいては常連の解説者でもある。彼とのインタビューについては、LewRockwell.comおよびFull Contextを参照されたい。彼のメールアドレスはemail

<引用終了>


これで仮訳は終了した。

この著者の報告の中でもっとも興味深く思ったのは次のくだりだ。

ある国が米国に対して開戦するように挑発し、その後、その国が戦争を開始したからと言って、戦争の終結を早めるためには同国の市民に向けて原爆を投下するということ程嫌らしいものはない。そもそも、米国に対して日本が戦争を開始するような挑発を行わないことが最良の策であっただろうし、そうしてさえいたならば被害を最小限に抑えることが出来たのではないか?」

まず第一に、この著者の見解は日本人の気持ちを代弁してくれていると私は思う。少なくとも、私にはそのように感じられる。

一般的に用いられている「真珠湾の奇襲」という言葉がもたらすイメージはあたかも日本を挑発して、米国に対する戦争を開始させた諸々の要因を歴史から抹殺してしまった後でしか表現し得ない見方であると私には感じられる。この言葉は「悪いのは日本であって、俺たちは奇襲を受けたんだ」というプロパガンダである。これは、上記の引用記事の著者が述べているように、米国内の世論操作に用いられた壮大な道具の一部であった。そして、それは米国の第二次世界大戦への参戦に向けて米国の世論を誘導するには実によく効いたのである。こうして、日本に対する原油の禁輸措置から始まって原爆の投下に至るまでの諸々の歴史的な出来事は、当時も今も、米国政府にとっては非常に不都合な真実であるに相違ない。

多くの歴史家がいわゆる「真珠湾奇襲陰謀説」について本を著している。それぞれが膨大な量の情報を駆使して陰謀説の背景や根拠を示そうとしている。ウィキペデイアの記述を引用すると、下記のような具合だ:

歴史家のチャールズ・ピアードは戦争責任はルーズベルトにあるとして『ルーズベルトが引き起こした戦争1941』を発表し、日本でも大鷹正次郎の『第二次大戦責任論』がある。ロバート・セオボルド『真珠湾の審判』、ジェームス・バーンズ『ルーズベルト』、ロベルタ・ウォールステッター『パール・ハーバー』 が出版された。ジョン・トーランド『真珠湾攻撃』が大きな話題を呼び、ロバート・B・スティネット『真 珠湾の真実』が最近の書である。歴史家が真珠湾に関するもので比較的信頼されるものはゴードン・プランゲ『真珠湾は眠っていたか』である。20世紀末の 「機密文書情報公開法」で事前察知を記した公式文書が色々明らかになっているが、これには諸説あり、評価が定まっていない。『月刊現代』最終号の20091月号では、徳本栄一郎が「真珠湾攻撃「改竄された米公文書」バリー・プロジェクト」として、責任追及を恐れた政府幹部が外交文書の改竄に手を染めた件を詳述した

私が読んだのはジョン・トーランド著の「真珠湾攻撃」だ。

米国人の中にもこうした見解を率直に発言することが出来る人たちが数多く存在するという事実は日本人にとっては非常に心強いことであると思う。そして、歴史を正しく理解することは世界中の市民にとっても意義深いことである。原爆の投下を礼讃する人なんてこの世にいるのだろうか?

日本の社会では「空気を読む」とか言って、公の場では他の人たちとは異なる発言を避ける風潮がある。確かに、空気を読むことにはいい点もある。しかしながら、悪い点もある。この著者が示した客観的な態度、ならびに、発言をする勇気に私はむしろ好感を抱く方だ。


♞  ♞  ♞

戦争犯罪とはどういうものかを説明するために、上記の記事の著者は米陸軍のウィリアム・カリー少尉の戦争責任を引き合いに出している。カリー少尉は法廷では「自分は上司の命令を実行しただけだ」と主張していたが、数十年後、彼は自分自身が犯した戦争犯罪を認めたと報じられている。

そこで、彼自身が喋った内容に注目してみたいと思う。これは2009年の報道である [3]

その記事の要点を下記に抜粋してみよう(斜体で示す)。

物静かに喋りながら、時には喋ろうとする努力を見せながらも、1968年にベトナムのマイライ村で起こった住民虐殺事件でひとりだけ有罪となった米陸軍少尉は、彼が軍事法廷で宣告を受けた基地の近くで小さなグループを前にして喋った際、ついに公に謝罪したのである。

「あの日マイライ村で起こったことに関して反省の念が浮かばない日なんて一日もなかった」と、ウィリアム・L・カリーはこの地域のキワニスクラブの会員の前で喋った。これはこの金曜日にコロンバス・レジャー・エンクワイアラーが報じたものである。「私は殺害されたベトナム人や彼らの家族、ならびに、この事件に関与した米軍の兵士たちや彼らの家族に対して反省している。誠に申し訳ない。」 

1971年に近くのフォート・べニングで開かれた軍事法廷で有罪となった当時、今では66歳となっているカリーはまだ若い陸軍少尉であった。彼はベトナムで500人もの男性、女性、子供らが虐殺された痛ましい事件において22人の一般市民を殺害した罪を問われたのである。

終身刑を宣告されたが、カリーはリチャード・ニクソン大統領による恩赦を受けて3年間の自宅監禁に減刑された。

・・・

度のきついメガネを掛け、紺のブレザーを着たカリーは毎週催される昼食会のために教会の会議室に集まった約50人程のキワニスクラブの会員の前で質問に答え、30分間ほど物静かに喋った。

「ピンが落下したらその音が聞こえて来る程だった」と、カリーとは約25年程前からの友人であり、彼をこの集まりに誘ってくれたアル・フレミングが言った。「彼の言葉を聞いて、皆は驚きのあまり顎が外れるかのような思いがした。何と言ってももうかれこれ40年にもなるんだから。」 

・・・

マイライ虐殺事件を担当した主任検察官のウィリアム・エクハートはカリ―は今までに謝罪を口にしたことは一度もないとこの金曜日に述べた。このニュースを初めて聞いた時には「私は身がすくむような感じがした」と言っている。

「これほど多くの人たちを殺害したことについて謝罪するのはなかなか難しいことだ」と、今はカンサス州のミズーリ大学で法学の教授を務めるエクハートは言う。

カリ―は1968316日に起こった虐殺事件に自分が関与したことを否定しようとはしなかったが、彼は上官であるアーネスト・メディナ大尉の命令に従ったまでだと主張した。しかし、この主張は当時の検察官であったエクハートによって拒否された。

メディナも1971年の軍事法廷で裁きを受けたが、彼はすべての罪状から放免された。

不道徳な命令に従ったことによって彼は罪を犯してしまったのかと質問されて、新聞の報道によると、カリーは「その通りだと思う」と答えている。

「命令を受けた時にいったいどうして私はその命令に抵抗しなかったのかというご質問ですが、私は上官から命令を受け取り、その命令に従う少尉に過ぎなかったと言う以外には答えようがない。馬鹿げたことだと思う」とカリーは述べた。

ピースが言うには、キワニスクラブはカリーが公の場にやって来ることについては沈黙を守り、外部からの関心を煽らないように努めたという。カリ―はグループの前で喋ることに困難を感じていたことは明らかではあったが、彼は質問のひとつひとつについて真正面から答えた。彼が話し終わった時、全員が立ち上がって彼に拍手を送った程であった。

「実際に起こったことについて彼は厳しい反省の念を覚えている様子が感じられた」とピースは言う。「彼はすごく静かに喋った。彼の話を聞き取るのはどちらかと言うとそう容易くはなかった。質問に答えるのに非常に努力を払っている風でさえあった。」 

・・・

マイライ大虐殺で戦争犯罪に問われて有罪となったカリー少尉は犠牲者に対して謝罪を言葉を述べた。しかし、自ら喋るまでに40年程を要した。思うに、たとえ彼の行動が軍隊という特殊な環境の中で上官からの命令を実行しただけに過ぎなかったとしても、22人もの無防備の非戦闘員の命を奪ったという事実を無視し続けることはもはや彼の良心が許さなくなったのではないだろうか。また、公の場で自分が犯した過ちや自分の責任について喋ることは大きな勇気を必要としたに違いない。

彼の勇気ある行動には拍手を送りたいと思う。


♞  ♞  ♞

戦争犯罪はいたる場所で起こっている。今も続いている。

非戦闘員の命を奪ったことに関しては謝罪をするという行為に関しては、今もなお決着がついてはいない戦争犯罪がある。それは冒頭に記載した米軍による広島・長崎への原爆投下のことである。

広島・長崎への原爆投下から70年余りとなっている。しかしながら、米国は非戦闘員に向けて投下した大量破壊兵器の使用に関して日本に対する、あるいは、被爆者に対する公式の謝罪は未だ行ってはいない。

今月末にはオバマ米大統領も伊勢志摩サミットへやって来る。その際に、オバマ大統領は広島を訪問すると報道されている。果たしてオバマ大統領は被ばく者と面会するのだろうか?あるいは、謝罪をするのだろうか?今、内外の注目を集めている。

広島・長崎の非戦闘員に対する原爆投下をカリー少尉が犯した戦争犯罪、ならびに、彼が犠牲者に対して謝罪した件と対比することによって、日米両国の政治的な環境や思惑が交錯する現実からは一歩も二歩も離れて、加害者と被害者との関係を単純化すると、この歴史的事実の本質により迫ることが可能となるのではないだろうか?

まず、広島・長崎への原爆投下は戦争犯罪となるのかどうか?これは非戦闘員に対する攻撃であったことから、国際法上は正真正銘の戦争犯罪であると言える。

では、この戦争犯罪に関して謝罪をするにはどういった行為が必要となるのだろうか?

オバマ大統領が広島の地を訪れるならば、被爆者と面会し、被爆者たちが生涯背負って来た苦悩を共有することに尽きるのではないかと思う。演説だけでは物足りない。広島を訪れながら他にどのような謝罪の仕方があるというのだろうか?被爆者たちを無視することなんて、米国政府として、米国の大統領として、ひとりの人間として果たして出来るのだろうか?

これはオバマ大統領が一個人として良心あるいは感性を持ち合わせているかどうかを試すことにもなろう。また、カリー少尉に勝るとも劣らない勇気を持っているかどうかを試すことにもつながる。

7年前の200945日、オバマ大統領はチェコ共和国の首都、プラハで一般市民を前にして演説をした。その演説の内容は核兵器の廃絶に関するオバマ大統領の見解である。東西間の冷戦は消滅したが、何千基もの核兵器がいまだ残されており、核の脅威は依然として存在する、核兵器を廃絶しなければならないといった趣旨である。聴衆は拍手喝采をして、彼が示した「核なき世界」を賞賛した。そして、この演説が評価されて、オバマ大統領は2009年のノーベル平和賞を受賞した。

しかしながら、歴史の皮肉はこのオバマ大統領にもやって来た。今や、多くの専門家が新冷戦はすでに始まっていると言う。米ロ間では核兵器の近代化計画が策定され、予算が講じられて、軍拡競争の呈を示しているのが現状である。

結局、オバマ大統領も前任者たちとまったく変わるところはなく、何の変哲もない、ごく普通の米国大統領として、G7の会議が終わった後に日本を去ることになるのかも知れない。オバマ大統領がプラハで演説をした時に示した我々の心を高揚させるような将来展望はいったい何処へ行ってしまったのであろうか?それとも、広島訪問の当日には我々には予想もつかないような「心地よい驚き」が用意されているのであろうか?



参照:

1Terrorists Commit War Crimes. U.S. State Department: "We continue to have dialogue with them.": By Moon Of Alabama, Information Clearance Center/Moon Of Alabama, May/13/2016

2Why Aren’t Hiroshima and Nagasaki War Crimes?: By Jacob G. Hornberger, Information Clearing House/FFF, May/13/2016

3Calley apologizes for role in My Lai massacre: By Associated Press, Aug/21/2009






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