2016年4月29日金曜日

NATOは単に「時代遅れ」になっただけではない。第三次世界大戦の導火線となるかも・・・



たとえば、ユーゴスラビア紛争におけるボスニア空爆(1995年)やコソボおよびセルビアに対する空爆(1999年)、シリア内戦(2011年―現在)、ウクライナ内戦(2014年ー現在)、等を見ると、さらには、すでに始まっている「新冷戦」を見ると、NATOの存在が世界の平和にとってはむしろ有害な存在となってしまったのではないかとの感がますます強まってくる。

米国では、今年は大統領選挙の年だ。民主党や共和党の大統領候補者の間で世界の平和に対する米国の役割がさまざまな形で議論されている。その中に「NATO不要論」がある。議論の中心は米軍を維持するための経済的な負担をどう考えるかといったものだ。そして、その議論がNATOにまで及んだ。米国は欧州諸国に対して軍事費をGDP2パーセントに引き上げるように要請しているが、欧州では英国を始めとして軍事費を引き下げる傾向にあり、歩調が合ってはいない。

本日はこの「NATO不要論」に触れてみる。最近の記事のひとつ [1] を仮訳して、皆さんと共有してみたい。


<引用開始>


Photo-1: [訳注:この写真には説明文が無いが、どこかの株式市場かも知れない。]

この記事は最初にAntiwar.comに掲載された。

多くのリバタリアンたち [訳注:自由主義者。この用語と下記に現れて来る「リベラル」とは異なることに注意されたい]とは違って、私は大統領選の季節が大好きだ。何故かと言うと、この時期がやって来ると、ワシントンの退屈な連中で構成された小さなグループの枠を越してしまうような一般的には無視されて来た政策課題が議論の対象となるからだ。そして、リバタリアンであれリベラル [訳注:進歩主義者] であれ、読者の皆さんにはご迷惑かも知れないが、それこそが私がドナルド・トランプのファンになってしまった理由でもある。この世界ではいったい誰が「米国の指導力」から最大の利益を得ているのか(そして、誰がそれを失うのか)に関して必要となる議論を彼が巻き起こしてくれている。彼が最近発した言葉の中でもっとも有用なのはNATOは「時代遅れだ」という言葉である。

その通りだ。ベルリンの壁が崩壊し、ソ連邦が解体した時、NATOの合目的性はそれらと共に崩れ去った。しかしながら、リバタリアンたちが十分に認識しているように、政府のプログラム(特に、産業界に利益をもたらすようなプログラム)は決して停止することがなく、徐々に消えて行くことなんてない。そういったプログラムは成長し続け、彼らの支持者は一大政治勢力となる。NATOの場合、この政治勢力は非常に大きい。

かってロナルド・リーガンがゴルバチョフに対して「ゴルバチョフさん、ベルリンの壁を取り壊したら?」と言っていたことをベルリンの市民が成し遂げた時、ソ連の指導者は西側と交渉する決意をした。そして、彼の考えでは、彼はワシントン政府と合意することに成功した。つまり、NATOが東方へ拡大しないことを条件にロシアはドイツが再統一することを容認したのである。

しかし、この約束は守られなかった。その代わり、外国ならびに国内のロビー団体はNATOをモスクワの玄関先にまで拡大するという一大キャンペーンに拍車をかけた。いみじくもウオールストリート・ジャーナルが文書で示しているように、これは儲けが非常に大きいビジネスなのである。これはロビー活動家にとっては割りのいい手数料となり、米国の企業にとっては影響力を拡大する好機であり、ジョージ・W・ブッシュ政権にとっては政治的な駆け引きの材料となるものだった。ブッシュ政権はワルシャワ条約機構の元メンバーであった東欧各国からイラク戦争に対する支援を取り付け、その代償としてこれらの国々がNATOへの加盟を要請する際には彼らを厚遇するというものであった。

NATO拡大委員会」は後に「NATOに関する米国委員会」と改名され、その中核にはイラクへの軍事的侵攻を扇動する上で有用な役割を担った「米国の新世紀を実現するためのビル・クリストルのプロジェクト」(PNAC)を創立したメンバーの多くが名を連ねていた。けれども、クリントンのような進歩主義者を除外するには失うものが余りにも大きく、ポール・ウルフリッツやロバート・ケイガン、スティーブン・ハドリーおよびリチャード・パールといったネオコンの連中を「進歩的政策研究所」のウィル・マーシャルやビル・クリントンの下で商務省の要職を務め、その後はロビー活動家になったサリー・ペインター、等と引き合わせた。これらの連中はNATOのメンバーになることに期待を寄せている国々や米国内の関連企業から何十万ドルにもなる契約をかき集めた。

NATO委員会の設立者であり、その会長を務めるのはブルース・ジャクソンであった。当時、彼はボブ・ドールの大統領選では資金調達を担当し、ドールが副大統領となってからは米国では最大の軍需企業であるロッキード社(今日のロッキード・マーチン社)で企画や戦略を担当していた。

このNATO拡大プロジェクトはジャクソンの日頃の仕事にはぴったりだった。つまり、統一標準を満足するには、NATOへの加盟を希望する国々はすべてが自国の軍備を最新のものにしなければならなかったのだ。そして、これは軍産複合体にとっては棚から落ちて来たぼた餅同然であった。その一番先頭にはロッキードが控えていた。ロッキードとの繋がりは「委員会」の一員であり、オライオン・ストラテジーの社長でもあるランディ・ショイネマンによって強化された。このオライオン・ストラテジー社の顧客にはロッキードが含まれている。

クリントン政権はNATOの拡大を全面的に支援し、「委員会」の活動が多数の会議や会食および個人的な会合を通じてホワイトハウスの職員、両党からの国会議員、ならびに、ワシントンのロビー活動家や海外からの顧客を互いに引き合わせた。膨大な量のプロパガンダがマスメディアに向けて発せられ、さらには、両党の全米会議では大いに目につく存在にすることを含めて、政治家たちに向けても発せられた。

手短かに言うと、NATOの拡大は輸出入銀行のような無駄な仕事には批判的な「リバタリアン」的な批評家たちから申し分のない関心を得ることができるようなテーマではないけれども、当時も今も、これは縁故資本主義者たちにとっては大きな夢である。輸出入銀行はボーイング社は同行にとっては最大級の顧客であると何時も言っており、そのことを我々に思い起こさせていたものだ。NATOに新たな加盟国が加わり、軍備を近代化する度にボーイング(あるいは、ロッキード・マーチン、ジェネラル・ダイナミックス、等)が何十憶ドル も手にするという事実は忘れられたり、回避されたりした。

NATO拡大派がこの闘いに勝ったこうして、ポーランド、ハンガリーおよびチェコ共和国が1999年に加盟した。ブルガリア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ルーマニア、スロヴァキアおよびスロヴェニアは2004年に加盟。アルバニアとクロアチアは2006年に加盟した。もっとも最近の加盟申請国はユーゴスラヴィアの一員であった小国、モンテネグロだ。同国は多分この夏には加盟することだろう。さらには、ヨーロッパに位置しているわけではないが、ジョージアが依然として加盟に向けて奮闘している。しかし、ジョージアは同国からの分離を求める南オセチア共和国を巡って2008年にロシアとの戦争を引き起こしていることから、ジョージアの加盟はロシアに対して決闘を挑むようなものだと見なされよう。

NATOの拡大には本物の危険が横たわっている。事実、ソ連の崩壊の後30年間もこの軍事同盟は存続して来た。ロバート・A・タフト上院議員 [訳注: 1889年生まれ、1953年没] は米国がNATOの一員となることには反対していた。彼はこう述べた

「次の20年間、これら12カ国の何れかの国が武力侵攻を受けた場合、米国は何時でも参戦する義務がある。モンロー主義の下で我々は何時でも政策を変更することができよう。我々は何れかの国が攻撃を引き起こしたのかどうかを判断することができるだろう。モンロー主義にしたがって、議会だけが参戦を宣言することが可能だ。この新しい軍事同盟の下では、議会を抜きにして、大統領が戦争を開始することができる。しかし、結局のところ、この軍事同盟はロシアに対峙するこれらの加盟国のすべてに軍備を施すという実に壮大なプログラムの一部である・・・合同軍事プログラムがすでに作成されている・・・ したがって、この軍事同盟はロシアに対しては防衛的であると同時に攻撃的でもある。我々が持つべき対外政策はまず第一に安全保障と平和を目標としなければならないと私は信じている。しかし、この同盟は平和を築くよりもむしろ戦争を誘発することになると考える。三回目の世界大戦は世界がそれまでに経験する中ではもっとも悲惨な状況となろう。たとえ我々がその戦争で勝ったとしても、この戦いでは我々は恐らく甚大な被害を被るだろうし、経済は壊滅し、第二次世界大戦が欧州の自由主義システムを破壊したように我々は自分たちのさまざまな権利や自由主義システムを失うことだろう。第三次世界大戦は地球上の文明をいとも簡単に破壊してしまうかも知れない・・・

「また、別の考え方もある。ロシア周辺の国のすべてについて、北はノルウェーから南はトルコに至るまで、軍備を施すことを我々が約束し、ロシアが自分たちは北はノルウェーやデンマークから南はトルコやギリシャまでいわゆる自衛のための軍備で包囲されていると感じるとすれば、ロシアはまったく違う見解を持つかも知れない。たとえば、ロシアはこう結論するかも知れない。西ヨーロッパの軍備は、現時点での目的が何であったとしてもそれには関係なく、ロシアに対する攻撃であると見えることだろう。ロシアの見方は理に適ってはいないかも知れない。私も理に適ってはいないと思う。しかし、ロシア人の観点からは、その見方は理に適っているのかも知れない。もしも戦争が不可避であるならば、その戦争はヨーロッパの軍備が完了してからではなく、むしろ今その戦争が始まった方がいいと彼らはは考えるかも知れない・・・ 

「もしもロシアが我々の国境に接する国、たとえば、メキシコで軍備を整えることに着手した場合、我々はいったいどう感じるだろうか? 

「さらには、我々にはこの海外支援プロジェクトを遂行するだけの余裕があるだろうか?」 

以上の言葉は我々をトランプの持論に導いてくれる。彼はこう言っている。NATOは「悪い協定」だ。何故ならば、我々はそのコストを不当なまでに多く負担しているからだ。彼の根拠は実に正しいと思う。今日現在、NATO加盟国の中でGDP2パーセントに匹敵する国防費を払うという「要件」を満たしているのは米国とエストニアの2国だけだロバート・ゲイツ前国防長官は2011年のスピーチでこのことを指摘した。そのスピーチで彼はNATOの将来は「必ずしも惨憺たるものではないが、不鮮明極まりない」と予測した。我々の同盟国はやる気がなく、誰もが「欧州各国の国防予算の減少によって増えた負担分は米国の納税者が担ってくれることに期待している」と彼は言った。 

NATOの直接コストに加えて、ヨーロッパに6万人もの将兵を駐屯させるための費用、数多くの軍事基地のためのメンテナンス費用、ならびに、国内で建設的な用途に転用することが可能な機会費用、等もある。NATOを維持するためのコストは「計算不可能」となるに違いないというタフト上院議員は実に正しかったと言えよう。

さらには、もうひとつのコストが存在する。それは第三次世界大戦の危険に晒すことのコストである。

NATOの拡大はロシアに再軍備をもたらし、さらには、冷戦が終わる頃に交渉が行われていた戦力制限交渉は無になった 西側諸国はロシアにとっては戦争のリハーサルを行っているとしか見えないような挑発的な軍事訓練を開始した。これに対しては、ロシアは然るべく反応を示した。

この古臭いNATOを破棄して、ある種の多国的対テロ作戦に取って替えて、我々の「同盟国」にもその費用をちゃんと払って貰うとする計画あるいは意向を示して、トランプはかってボブ・タフト上院議員の時代以降はまったく陽の目を見ることがなかった課題を議論の正面に据えてくれたのである。共産主義者という悪党がいなくなった今、彼は大っぴらにウラジミール・プーチンとは仲良くやって行けると言い、筋金入りのネオコンたちからは厳しい非難を浴びた。

NATOがただ単に我々にはもはやその費用負担にはついて行けないような金のかかる贅沢品であるということではなく、NATOモルドバのような小国の国境紛争、カリーニングラード の地位 [訳注: カリー二ングラードは第二次世界大戦の終戦時、ポツダム宣言によって歴史的には何世紀もの間ドイツあるいはプロシア領であったが、ソ連に割譲された。面積は15,100平方キロ。現在の人口は94万人で、その0.8パーセントがドイツ人]、あるいは、もっとあり得そうな可能性としてはウクライナ紛争によって火がつく導火線となり得るのである。

我々はキエフの大金持ちを守ってやるために第三次世界大戦を開始するとでも言うのだろうか? 

私はそんなことはしたくはない。

大統領選におけるトランプの運命がどんな結果をもたらそうとも、これこそがこの死活問題を提言してくれたトランプに対して我々は全員が彼に借りを作ったのだと言える。そして、与党内においても決して借りが小さいわけではない。今まで、同党はNATO支持者やロシアに対する新冷戦の拠点でもあったのだから。 

<引用終了>


ウクライナがNATOに加盟した場合の最悪のシナリオを考えてみよう。

ヨーロッパ各国のロシアとの関係はこの2年間ロシアに対する経済制裁やヨーロッパ産農産物に対するロシアの輸入禁止措置によって大きく悪化した。経済的損失は非常に大きなものとなった。ロシアが被った損害よりもヨーロッパ各国が被った損害の方が深刻であるとも報道されている。そこへ、2015年の夏、中東からの大量の難民がヨーロッパを襲い、ヨーロッパの苦境は倍化した。この難民の流入は今年の夏も続くと予測されている。こうして、ヨーロッパは第二次世界大戦以降で最大級の難問に直面していると言われている。ロシアとの関係や難民問題ではEU諸国間で意見の食い違いが現れ、EUは内部から崩壊するのではないかという観測さえもが出ている。

ウクライナ国内の政治的対立がロシアとの直接的な軍事衝突に発展した場合、もしもウクライナがNATOのメンバーであった場合、NATOの集団防衛に関する第5条にしたがって他のヨーロッパ諸国もその戦争に参戦することになる。キエフ政府のためにだ。現状のキエフ政府の腐敗振りを考えると、このような状況を実際に自国が受け入れることができると考える国は恐らく皆無だ。それが現実である。 

米国も今までの考えを修正し始めた。ジョージアやウクライナのNATOへの加盟に関して、422日、ニューヨーク・タイムズは「NATOの拡大は今後何年もの間はあり得ない - 米国大使」という表題の記事を掲載した。EUの高官らも、ジョージアやウクライナの加盟は今後10~20年あり得ないと言い始めた。

こうして、ヨーロッパの防衛を目的として発足したNATOは、今や、その存在そのものが新たな国際問題を引き起こしているとして厳しい批判を受けている。NATOが絡んだロシアを相手にした武力抗争は第三次世界大戦となり、それだけではなく核戦争となる公算がすこぶる高い。そうなったら、好むと好まざるとにかかわらず、あなたも、私も、皆がこの世からはおさらばとなる。

米国の軍産複合体が後押しをするこのNATOの危険極まりない火遊びはもういい加減止めて欲しいものだ!

トランプ大統領候補は、427日、ワシントンDCのメ―フラワー・ホテルで広範な外交政策について演説を行った [2]。聴衆の中には最前列にセルゲイ・キスリャク駐米ロシア大使も座っていたという。彼は大統領になった時の外交政策は下記のようにしたいと述べた:

米国とロシアとの間には「深刻な相違点」が横たわっているが、もしもワシントン政府が「その強力な地位」に基づいて両国関係に取り組みさえすれば、モスクワ政府と共に現行の緊張関係を緩和することは「間違いなく可能だ。」

常識に照らして言えば、この敵意の悪循環は終わらせなければならない。理想としてはこの状況は直ぐにでも終わらせたい。

私が大統領に選出されたら、我々はNATOの古ぼけた目的や冷戦時代に増殖した機構を近代化し、難民問題やイスラム国のテロリズムといった共通の課題に取り組みたいと思う。 


上記の参照記事の著者が言っている通りだ。今、民主党候補の間ではクリントン候補がリードしている。彼女は軍産複合体やウールストリートを代表する。そして、共和党ではトランプがトップだ。トランプ共和党候補とクリントン民主党候補の競り合いは「米軍をどうするか」、「NATOをどうするか」という点では大きく異なる。そして、この相違点は人類の文明が生き延びるのか、それとも近い将来終焉するのかに関わって来るのである。

いよいよ、米大統領選の行方から目が離せなくなってきた!




参照:

1NATO Is Much More Than Just ‘Obsolete'. It’s also a tripwire that could set off World War III: By Justin Raimondo, Russia Insider, Apr/04/2016

2Trump Vows To Seek Better Relations With Russia If Elected: By Radio Free Europe, Apr/28/2016







2016年4月20日水曜日

ウクライナのヤツェニュク首相、ついに辞任



ヤツェニュ・ウクライナ首相がついに辞任した。さまざまな理由が考えられるが、何と言っても支持率の低下が一番大きな理由ではないだろうか。また、ウクライナ政府のトップにおける権力争いに敗れたとも受け取られている。新たに首相の座に就いたのはボロディミル・グロイスマン。彼はポロシェンコ大統領の側近の一人だという。

米国の調査報道に徹したジャーナリストの中では草分け的な存在であるロバート・パリーがヤツェニュ首相の辞任を機会にマイダン革命について今までの経緯を俯瞰している [1]

そこに収録されている情報は米国がウクライナで傀儡政権をどのようにして据えたのかを理解する上で貴重なものばっかりだ。ここで言う「貴重なもの」とは大手メディアからは得られないという意味においてだ。この著者はマイダン革命の深層を詳しく説明してくれていることから、この記事は誰にとってもウクライナの現状を理解する上で強力な手助けになると思う。同著者はニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった大手メディアとはまったく違った視点から現状を分析し、報告しようとしているからだ。要するに、入手可能な情報のすべてを歪曲せずにありのままに受け取って、現状分析を行っているのだ。この記事を読むことによって、米国の大手メディアが如何に政府がゴリ押ししたい筋書きに協力しているかが分かる。調査報道のジャーナリズム精神がここに実を結んでいると言えよう。

本日のブログではこの記事を仮訳して、みなさんと共有したい。すでに掲載している投稿と重複する部分が出て来ますが、ご容赦願います。


<引用開始>

独占記事: ウクライナでの2014年のクーデターの何週間か前に、米国のヌーランド国務次官補はすでにアルセニー・ヤツェニュを次期指導者として推薦していたが、今や、その「ヤッツ」はついに首相の座を辞任した、とロバート・パリーは記述している。

ロバート・パリー著

ウクライナ首相のアルセニー・ヤツェニュが首相を辞任したことを報道する際、米国の大手メディアはヴィクトリア・ヌーランドが「時期指導者にはヤッツが最適だ!」と口走った例の悪名高い盗聴された電話の内容をまったく無視するか、歪曲して報道した。

ヌーランドの電話内容はいみじくも無名の存在であったヤツェニュクを多くの米国人に紹介する結果にはなったが、そのタイミング(選挙で選出されていたウクライナのヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領を追い出す何週間か前だった)はウクライナ市民が自ら立ち上がって汚職にまみれた指導者を追い出したのだとして伝えたいワシントン政府の好みの筋書きにはまったく役に立たなかった。


Photo-1: ヨーロッパ担当国務次官補のヴィクトリア・ヌーランド。彼女はウクライナのクーデターを後押しし、次期指導者を推薦していた。

それに代わって、ヌーランドとジオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との間の電話での会話はあたかも古代ローマで二人の地方総督がウクライナの政治家の間ではいったい誰を次期政権の指導者に据えるべきかについて話し合っているかのように聞こえる。また、ヌーランドは積極さを示してはくれなかったEUを過小評価して、「EUのくそったれめ!」とけなした。 

さらに重要なことには、盗聴された電話内容は20142月の始めにはすでにYouTubeで公開されていたことから、これらの米国国務省の高官らは民主的に選出されていたウクライナ大統領に対してクーデターを画策していた、あるいは、少なくともそれに協力していたという強力な証拠を示唆していた。それ以降、米国政府と大手メディアは真相を顕わにしてしまうこの通話内容を「過去の記憶を抹消する偉大な装置」によって処分してしまおうとしてあれこれ画策した。

ヤツェニュクが日曜日(410日)に公表した辞任に関しては、さっそく月曜日(411日)にその報道が流されたが、その際、ワシントン・ポストとウオールストリート・ジャーナルはヌーランドとパイアットとの間で交わされた電話内容についてはまったく何も言及しなかったのである。

一方、ニューヨーク・タイムズはこの電話内容については言及したものの、電話のタイミングについては読者を誤導しようとした。電話のタイミングはクーデターの前ではなく、クーデターの後であったかのように見せかけたのである。そうすることによって、これら二人の米国政府高官らは政権転覆を画策したり、新政権を樹立しようとしていたのではなく、ウクライナの将来の指導者に関しては常日頃から評価を行っていたかのような印象を与えようとした。

アンドリュー・E・クレマ―によるタイムズの記事は次のように記している。2014年にヤツェニュク氏が首相に任命される前、米国務次官補のヴィクトリア・J・ヌーランドと駐ウクライナのジオフリー・R・パイアット米大使との間の電話の記録が漏えいし、この電話内容は西側が彼を支援していることを強調したようだ。「次期指導者にはヤッツが最適だ!」とヌーランドが言った。


Photo-2: ウクライナのアルセニー・ヤツェニュ首相(写真の提供者: Ybilyk

しかしながら、もしもあなたがこの会話は2014年の1月の終わりか2月の始めに成されていたということを知らなかったとすれば、あなたはこの会話が2014222日以前のものだったなんてことはまったく思い当たる由もないという点に気付くことだろう。せいぜい、これはヤツェニュクが就任する前の彼を支援するお喋りのひとつではないか、と感じる程度であろう。

さらに言えば、このヌーランドとパイアットとの電話内容の多くは二人が如何にして「このことを実現し」、「これを誕生させることに一役買う」かに集中されているが、これらの文言がまさに米国政府がロシアとの国境でウクライナにおいて「政権転覆」に関与していたことを示す確かな証拠になるなんて、あなたにとっては知る術もないであろう。

「革命はなかった」とする結論: 

しかし、クレイマーの記述内容にはこの電話については詳細なタイミングはなく、実質的な詳細に欠けているが、これはタイムズが長い間ウクライナ紛争の報道で見せて来た偏見のパターンとまったく軌を一にするものだ。米国政府が支援したクーデターから約1年後となる201514日、タイムズは「調査」記事を発刊し、クーデターはなかったと宣言した。あれは単にヤヌコヴィッチ大統領が政府の座から去って、もう戻っては来ないと決心したに過ぎないのだと。 

あの記事はクーデターの証拠を部分的に無視することによって到達し得たものである。たとえば、ヌーランドとパイアットとの間の電話である。同記事のストーリーはクレーマー他の共著であり、彼自身は「ヤッツが最適だ!」という文言を知ってはいたものの、この昨年の長い記事ではその文言が完全に無視されているということを考えると、実に興味深い。

代わりに、クレーマーとの共著者であるアンドリュー・ヒギンスはこの革命に関して実際にこれらの証拠に注目し、彼らの結論とは相容れない結論を導く者についてはことごとく嘲る始末であった。もしもあなたがそういった結論を導いたとしたら、あなたはロシアのプロパガンダに騙された田舎者だと彼らは決めつけることだろう。

ロシアはヤヌコヴィッチの更迭は暴力的な「ネオ・ナチ」によるクーデターによるものであって、これは西側が支援し、西側がその筋書きを書いたものではあったが、あたかも一般大衆が蜂起したかのごとくに偽装したものだとしているとヒギンスとクレーマーは書いた「ロシアのプロパガンダの枠外にいる者はクレムリンの筋書きなんて誰も真面目に受け取ろうとはしない。しかし、ヤヌコヴィッチ政権の崩壊後約1年となった今、あの政権がかくも急速に、そして、完全に崩壊してしまった理由はいったい何だったのだろうかという疑問が残っている。」 

タイムズの記事は「ヤヌコヴィッチは彼自身の同盟者たちによって放り出され、漂流をしたというわけではないと結論付け、西側の当局も皆と同じように例のメルトダウン振りにはすっかり驚かされたと結論付けている。彼の同盟者たちは戦線を離れて行ったが、これは一部には恐怖心によって火に油が注がれ、ウクライナ西部では貯蔵されていた大量の武器がデモ参加者によって押収され、これによってこの恐怖心はさらに加速されて行った。しかし、重要な点としては、最後の数時間を見ると、ヤヌコヴィッチが自ら和解を試みたことによって政府高官らの間にはパニックが広がって行った。」 



Photo-3: 政権を追い出されたウクライナのヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領

けれども、タイムズにとってはクーデターとはいったいどのように見えるのかと誰もが不思議に思うかも知れない。事実、ウクライナのクーデターにはCIAが画策した1953年のイランでの政権転覆や1954年のガテマラでの政権転覆で代表される古典的な事例と共通する特徴が数多く見られる。

これらのクーデターが展開して行った様子は今や歴史的にも良く知られている。米国政府の秘密工作員たちが目標の指導者に関して悪質なプロパガンダを蒔き、政治的および経済的な混乱状態を引き起こし、ライバルの政治的指導者と共謀してよりひどい暴力が襲ってくるといった噂を広める。そして、政権が崩壊してからは、選挙によって正当に選出された指導者が政府官邸から大慌てに逃亡する様子を脇から眺めている。 

イランでは、クーデターによって専制君主のシャーが再び政権の座につき、それ以降4半世紀にわたって強権による締め付けを行使した。ガテマラでは、30年以上にもわたる残虐な軍事政権をもたらし、20万人以上ものガテマラ市民が殺害された。 

クーデターでは公共の広場を占拠する陸軍のタンクが介入しなければならないというわけではない。それはもうひとつ別のモデルであって、最初の段階においては同一のステップを踏むけれども、最後の段階になって軍が介入する。特に南米では、軍事クーデターは1960年代から1970年代にかけてはありふれた形態だった。 

「色の革命」:

しかし、より好まれる形態は最近は「色の革命」となっている。これは表向きは「平和的な」民衆の蜂起という形態をとり、目標とする主導者に対してはそのクーデターを中断させるには遅すぎる段階が来るまで国際的な圧力を掛けて、抑制策を示すよう要求する。抑制を示したとしても、指導者は依然として人権に対する違反について徹底的な批判を受ける。こうして、彼を排除することが正当化される。

後に、政権を追われた指導者はイメージ・チェンジに襲われるかも知れない。非情な嫌がらせに代わって、今度は、十分な解決策を示さなかった、あるいは、自分の支援基盤をメルトダウンさせたとして、彼はからかわれる。まさに、こういった状況がイランのモハンマド・モサッデグやガテマラのハコボ・アルベンスに起こったのである。

しかし、ウクライナでは何が起こったのかを理解することは決して難しいわけではなかった。また、実情を把握するのにいわゆる「ロシアのプロパガンダ」の内部に居る必要もなかった。世界中の諜報を扱う企業である「ストラトフォー」の創立者、ジョージ・フリードマンはヤヌコヴィッチの追放は「史上でもっとも見え透いたクーデター」であると言った程である。 

もしもあなたが証拠を吟味すれば、これこそが実際の姿であることがよく分かる。このプロセスの最初の段階では、ウクライナをロシアの経済圏から引き離し、ウクライナをEUの影響圏内へ取り込むという課題を中心にして緊張を高める。この計画は2013年に影響力のある米国のネオコンたちによって策定された。

2013926日、何年にもわたってネオコンに対して給与を支払う役割を演じて来た米国民主主義基金(NED)のカール・ガーシュマン総裁はネオコンの主要紙であるワシントンポストの論説(op-ed)ページに投稿し、ウクライナは「最大級の賞金」であると称して、同国はロシアのウラジミール・プーチンを政権の座から追放する当座の重要なステップであると説いた。

当時、ガーシュマンが舵取りをしていたNEDは米国議会から年に約1憶ドルの資金を得ていた。ウクライナでは彼は活動家を訓練し、ジャーナリストに対しても金を払い、ビジネス・グループを組織化するために数多くのプロジェクトに資金援助をしていた。

もっと大きな賞金、つまり、プーチンに関しては彼はこう書いている。「ウクライナがヨーロッパに加わるという選択肢はプーチンで代表されるロシアの帝国主義思想の崩壊を早めることだろう。さらには、ロシア人たちも選択をすることに追いやられ、プーチンはただ単に周辺の隣国においてばかりではなくロシア国内においてさえも自分が失速するのを目の当たりにすることだろう。」

あの当時、2013年の秋が深まり始めた頃、ウクライナのヤヌコヴィッチ大統領は連合協定によってヨーロッパへ接近するという考えを模索していた。しかし、2013年の11月、キエフの専門家たちからもしもウクライナがロシアやさらに東方の隣人ならびに主要な通商相手から切り離されると1,600憶ドルもの打撃を被るかも知れないと聞かされた時、彼はすっかりおじけづいてしまった。しかも、ウクライナはIMFが示す厳しい緊縮政策を受け入れなければならないと西側から要求されたのである。

ヤヌコヴィッチはEUとの交渉にはもっと時間が欲しかったが、彼の決定は自分たちの将来はロシアよりもヨーロッパにかかっていると見ていたウクライナ西部の住民の怒りを買った。何万人もの抗議集団がキエフのマイダン広場で居座りを開始し、ヤヌコヴィッチは警察には行動を控えるように命令を下した。

そうこうしているうちに、ヤヌコヴィッチが150憶ドル以上もの気前のいい融資や天然ガスの値引きを提案して来たロシアの方へ再び歩み寄り始めたことから、彼は間もなく米国のネオコンやメディアの恰好の目標となり、彼らはウクライナ国内の政治的不安定さを残虐で腐敗したヤヌコヴィッチに対する清廉な民主主義的動きとして描写した。つまり、これは白と黒、あるいは、善と悪という構図である。

蜂起を応援: 

米国のネオコンがマイダン広場での蜂起を扇動した。扇動者にはヨーロッパ担当の米国務次官補も含まれていた。彼女はマイダンでデモの参加者たちにクッキーを配ったり、ウクライナの主導的なビジネスマンたちにはウクライナの「ヨーロッパに対する強い願望」のために米国は今までに50億ドルもの投資をしていることを想い起こさせようとした。



Photo-4: 米国務省のヨーロッパ担当のヴィクトリア・ヌーランド国務次官補の画面コピー。20131213日、彼女はシェブロン主催の会合でウクライナと米国のビジネスマンたちを前にスピーチを行った。ヌーランドの左側にはシェブロンのロゴマークが見られる。 

アリゾナ州選出の共和党員、ジョン・マケインも参加し、極右スヴォボダ党のメンバーと共に壇上に立ち、ウクライナ政府のための挑戦においては米国は皆さんと共にあると会合の参加者たちに向かって言った

冬が深まるにつれて、抗議集団はより暴力的になって行った。リヴィウや他の西部の都市からやって来たネオ・ナチや他の急進派たちが隊を組み到着し始め、十分に訓練を受けた100人もの街頭戦闘集団がやって来た。暴力的な抗議集団が政府の建物を押さえ、ナチの旗やアメリカ連合国の旗さえもが掲げられ、警官は火炎瓶やその他の武器による攻撃を受けた。

ヤヌコヴィッチは警官の行動を引き続き控えるように命令を下したが、米国の大手メディアでは彼は依然として自国の市民を無情に殺害する残虐な悪党として描かれていた。220日、狙撃者が不可解にも警官隊とデモ参加者の両者を殺害した時、無秩序状態はその極に達した。警官隊が後退すると、銃やさまざまな武器をこれ見よがしに振り回して武装集団が前進した。この衝突によって数多くの命が失われ、10人以上の警官を含めて約80人もの死者が出た。

その状況は今日に至っても依然として曖昧模糊としたままであるが、ある調査によると狙撃者の銃弾は極右派の活動家たちがコントロール下に収めていた建物から発射されたものであることを示唆している。それにもかかわらず、米国の外交官や大手メディアはすかさずこの狙撃兵による攻撃はヤヌコヴィッチ側の責任であると強弁した。

震えあがってしまったヤヌコヴィッチは、悪化する一方の暴力を静めるために、221日にEUが仲介する取引に署名した。この取引によって、彼は権限の縮小や選挙を早期に実施することを受け入れたのである。要するに、この選挙によって彼を追い出すという寸法だ。また、彼はジョー・バイデン米副大統領からの要求を受け入れて、警官隊を街頭から撤退させた。

大慌てで行われた警官隊の撤退はネオ・ナチや他の路上戦闘員に道を開けてやることとなり、彼らが大統領府を占拠したことから、ヤヌコヴィッチおよびその側近たちは命からがら逃亡した。新しい革命政府は「正当だ」とする米国務省の宣言が直ちに公表され、ヤヌコヴィッチに対しては殺人の容疑がかけられた。こうして、ヌーランドのお気に入りであるヤツェニュクが新首相に就任した。

この危機の最中米国のメディアはずっと「善良な反政府デモの参加者」対「悪党の大統領」という構図を力説し続けた。警官隊は無防備の「民主主義」の支持者に発砲する残虐な殺人者として描写された。善良な市民対悪党という筋書きは米国市民が大手メディアから聞いたことのすべてだったのである。

ニューヨーク・タイムズは殺害された警官に関する情報は報道から削除し、マイダンで死亡した人たちは警官が殺害したのだと簡単に報じている。201435日にタイムズが報じた内容はその典型だ。要約すると、そのストーリーの展開はこんな具合だった。「2月半ばには抗議行動が暴走し、80人以上のデモ参加者が警官によって銃殺された。」 

また、米国の大手メディアは憲法違反となるクーデターが実際に起こったという見え透いた事実を認める人物については誰でも信用できないと決めつけようとさえした。さらに、新しい筋書きも現れた。それは単に高貴で平和を愛好するマイダンの反政府抗議デモの圧力にヤヌコヴィッチが屈し、ついには政府を放棄したというものだ。

「革命」についての言及は如何なるものも「ロシアのプロパガンダである」として捨てられた。米メディアにはネオ・ナチの武装集団がヤヌコヴィッチを追放する上で重要な役割を演じていたという事実や、ウクライナ東部や南部における反クーデター行動に対してとられたその後の抑圧策を示唆する証拠はことごとく信頼できないとし、それらを徹底して無視しようとするもうひとつのあからさまな決意があった。少数派のロシア語を喋るウクライナ住民からの反対は単に「ロシアの侵略」と位置づけされたのである。



Photo-5: ウクライナの「アゾフ連隊」の隊員が用いるヘルメットに付けられたナチのシンボル。(これはノルウェーの報道班が撮影し、ドイツのテレビで放映されたもの。)

ナチの突撃隊員を第二次世界大戦後初めてヨーロッパの市民に向かって放すという実際には極めて顕著なストーリーは決して認めまいとするこの姿勢は、ついには、まったく馬鹿らしい程の水準に達した。ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストは、後知恵の産物であるかのように、ネオ・ナチに関する参照情報を一番最後に見えないように付け加えたのである。

ワシントン・ポストはさらに極端に走った。一人の武装勢力の指揮官の言葉を引用して、スワスティカやナチのシンボルを若者たちの「ロマンチックな」ジェスチャーとして正当化しようとした。[Consortiumnews.comに掲載されている「Ukraine’s ‘Romantic’ Neo-Nazi Storm Troopers」を参照されたい。]

しかし、米国やウクライナ当局が「尊厳の革命」と呼びたがっていた革命から2年を経た今、米国が後押しをするウクライナ政府は機能不全に陥り、IMFや西側諸国からの施しに頼っている始末だ。

そして、実質よりもむしろ象徴的な動きとして、ヤツェニュ首相が辞任する。ヤッツはもはや最適の人物ではないのである。

ロバート・パリーのプロフィール: 1980年代にはAPやニューズウィークのためにイラン・コントラについて数多くの報道に関与した。彼の近著「America’s Stolen Narrative」は印刷物としてはこちらから 、電子書籍としては Amazon および barnesandnoble.comからお求めになれます。

<引用終了>


これで仮訳が終了した。

米国のネオコンが画策し、ウクライナのキエフで実行された「マイダン革命」の詳細が見事に記述されている。これらの内容は大手メディアからは得られそうもないものばかりである。

特に注目したい点は、こういった米国主導の政府転覆劇はウクライナだけで起こったのではなく、半世紀以上も前にイランやガテマラでも起こった。それらの政府転覆の展開と相似する要素が多いと著者は言う。つまり、米国は同じ政府転覆の手法をそこいらじゅうで繰り返して用いているということだ。

また、最近繰り返して観察される「色の革命」と伝統的な「軍事クーデター」との相似性についても言及している。しかし、その本質には変わりがない。政府転覆である。

何よりも重要なことは、このマイダン革命に関して言えば、米国務省がもみ消してしまいたかった革命の実態が詳細に描写されていることである。さらには、情報を歪曲し、真の姿を一般大衆の目から隠そうとする巨大なマシーンの中で大手メディアが担う役割が見事に浮き彫りされている。内容を読めば読む程、米国務省が隠ぺいしたい理由が我々のような素人にも手に取るように理解することができる。調査報道に専念するジャーナリストの本当の価値を思い知らされる感じだ。

逆説的に言うと、ここに詳述されているマイダン革命の真相を示す数多くの情報は民主主義を公言し、一般大衆に民主主義という幻想を引き続き信じて貰いたい米国政府にとってはそれらのすべてを隠ぺいするしかないのだ。そのために大手メデイアを総動員して、巨大な情報制御マシーンを稼働させている。そのような実態がここにありありと描写されていると言えよう。


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翻って、日本の政治の現状との関連で見ると、どうであろうか?

米国にべったりと追従する日本政府の政策は政権を長期にわたって維持したい政府与党にとっては唯一の選択肢であるようだ。日本には、ここに描かれているような情報制御マシーンや政権転覆に用いられるNGO活動とそれを支える豊富な資金源に対応することができるような社会的・経済的基盤は存在しない。そういう基盤を構築しようともしない。追従するしかないのである。それは歴史が教えている。

しかし、この追従姿勢が日本の国益ならびに国民の福祉や環境に相反することがない限り、それも結構だ。

しかしながら、日本の国益と相反する状況が多くなってきている現状では、日本は自国の国益を米国のために、つまり、米国の多国籍企業の利潤のために諦めることを意味する。TPP条約がその好例である。こうして、米国が推進するネオ・リベラリズムやネオ・キャピタリズムによって日本は米国の多国籍企業に制覇され、その市場として植民地化して行く。この表現が悪いならば、言い換えよう。日本は米国のグローバル化にさらに順応して行く。結局、どのような文言を使ってみても、実質的には日本の主権は米国に追従することによって世界の歴史からは抹消されてしまうのも知れない。

このようなプロセスを早送りで見せてくれているのが最近のウクライナである。

遅かれ早かれ、日本は選択を余儀なくされることだろう。経済面では凋落しつつも依然として軍事力(核の傘)を誇示する米国に追従していくのか、それとも、今進行しつつある多極化の波に乗るのか、のどちらかである。あるいは、それらの中間として、200年、300年前の鎖国政策をとるのか・・・ しかし、この最後の選択肢の場合、江戸時代の人口3千万人と比べて4倍もある今の人口を支えることは並大抵ではない。



参照:

1‘Yats’ Is No Longer the Guy: By Robert Parry, Consortiumnews.com, Apr/11/2016, consortiumnews.com/2016/.../yats-is-no-longer-the-guy...