2017年12月27日水曜日

ふたつのウクライナ - 内戦で打ちひしがれたルガンスクと平和なキエフにおける医療サービスの実態



米国主導の下に親EUウクライナ政権が発足して4年になろうとしている。しかしながら、このウクライナ政府は内戦から和平に向かう具体的な動きをとらなかった。キエフ政府は東部のドネツクおよびルガンスク両州が中央政府に帰属することを求めている。それに対して、両州は最低でも自治権を許容する連邦制を主張し、可能な限りのウクライナ政府からの独立を模索している。

1212日、米国ではトランプ大統領がウクライナに対する35千万ドル相当の殺傷兵器の提供を含む2018年度国防授権法(NDAA)に署名をした。その翌日、カナダ政府は国内の企業がウクライナへ兵器を売却することを容認した。両国の動きはウクライナを巡る米ロ間の折衝が上手く進んではいないことを示すものだ(以上は「US, Canada to supply lethal weapons to Ukraine: By Mihai Turcanu, European Security Journal, Dec/14/2017」から引用)。

両国の姿勢はあくまでも軍産複合体が喜ぶような軍需品の調達を促進しようとするものだ。武器の売却による短期的な利益を目指したものであると言わざるを得ない。軍産複合体が関心を示す地域(アフガニスタン、イラク、シリア、イエメン、北朝鮮、等)においては、市民の安全や生活の向上は二の次なのである。

そして、キエフ政府は米国とカナダの対応を歓迎している。ここでも、一般市民の安全や福祉の向上は優先的な関心事項ではないかのような振る舞いである。

そうした政治的思考がまん延するウクライナの現状を伝える記事 [1] が最近登場した。1220日の報道である。

この記事は医療サービスに関して首都のキエフと中央政府からの独立を志向し、政府側と内戦状態にある東部のルガンスク州とを比べている。約4年前までは同一のウクライナ国家に属し、互いに同レベルの医療を享受していた訳ではあるが、今までの内戦の結果、両地域の医療サービスには驚くほどの違いが現れている。

日本もかって敗戦という極限状態を通過せざるを得ない経験をしたが、ひとたび政治が間違うと、一般市民は悲惨な結末に見舞われるのが常である。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>

これはふたつのウクライナの話である。しかし、クーデターの前後を比較して、疲れ果ててしまった典型的な姿を描写しようとするものではない。これは、201712月の今日、ふたつのウクライナがどのような状況にあるかのを横並べにして、観察してみようとするものである。このような形で眺めることによって、どちらのウクライナがテロリストであるのか、そして、ウクライナ市民の生活のためにはどちらのウクライナが安全で、好ましいものであるのかを皆さんご自身が決断しなければならない。

米国やヨーロッパ、ロシア、ならびに、それ以外の世界の各国にとってはどちらのウクライナが立派なパートナーであるのかについて私はをあなた方の考えを学びたい。果たしてどちらのウクライナがあなたの隣人になり、バーベキュー・パーテイーにやって来て欲しいとあなたは思うのだろうか。

どんな話であったとしても、話の根底には何らかの事実が存在しているのが普通だ。そうだろう?ところが、たくさんの事実がありながらも、あんた方や世間の一般市民は時には厳しい現実を無視して、この世の機能不全の怪物らとお近づきになろうとする。彼らに寄り添うだけではなく、彼らにもたれかかって、熱烈なキスをしようとさえする。さて、ここで、われらがウクライナを眺めてみようではないか。

ひとつのウクライナはキエフが中心だ。第二次世界大戦以降外国から攻められたことはない。IMFから何百億ドルもの融資や国際的な支援を受けながらも、浪費して来た。さらに核心に迫るとすれば、それらの何百億ドルもの支援は盗まれてしまって、返済が実行されることはない。この金が構造改革や経済再建に使われることはない。 

これらの融資が目的としていた改革を開始する代わりに、ウクライナのポロシェンコ大統領は恒常的に、しかも、執拗に自国の市民の生活水準を低下させてきた。今日、このウクライナは破綻国家であるソマリアでさえもが見下げるような国家に成り下がってしまった。 

ウクライナはある医療の分野では世界でも指導的な地位を築いていたものであるが、自国の医療サービスを低下させ、今や、第三世界の国々に匹敵する程に後退した。

もっと大きな驚きは、ウクライナの厚生大臣 [訳注:ウィキペデイアで見る限りでは、「厚生大臣」ではなく、「厚生大臣代行」である] を務めるウクライナ系米国人のウラナ・スプルンの監視下で、彼女はウクライナが臓器の売買を法的に認めるよう推進したことである。非合法的な臓器の売買では世界をリードして来たウクライナは今や臓器売買を合法化し、ウクライナ政府は何の承諾も得ずにあなたの家族の臓器を摘出することができる。 

医療行政における改革に関するスプルンの考え方は、生命に関わるような状況においてさえも治療を施さないことによって、心臓病患者に対する医療を破壊しつつある。キエフの心臓病研究所を率いるボリス・トドロフや心臓外科医はスプルンの怠慢を非難して、何千人もの患者に死をもたらしたと言った。「あなたの怠慢が最近の内戦によって失われたウクライナ人の数よりも多くの命を奪ってしまったと私は責任を持って宣言する(そして、裁判所においてもそう繰り返して主張したい)」とトドロフは述べている。

これと同様に、スプルンはウクライナの癌治療をも破壊した。彼女は癌や心臓病の治療に必要な医療品の調達を組織的に拒否することによって癌治療も破壊したのである。

子供たちに素晴らしい人生をスタートさせるという彼女の考えは何と子供たちが病気に罹らないために通常享受する筈のワクチンを調達しないという点にあった。いったいどの程度の話なのかとあなた方はここで質問したいところであろう。記録によると、2007年には96パーセントの子供たちがワクチンを接種していたが、2017年にはその数は20パーセントに低下した。 

米国市民であり活動家でもあるウラナ・スプルンがウクライナで犯している犯罪がどの程度のものであるのかを理解するには、2014年の2月までに遡らなければならない。ウクライナは米国によって友好的な国家であると見られていた。ウラナ・スプルンは、当時のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領を追い出すことに加担したことによって、中立法に違反した。この法律によって米国の市民が最後に起訴されたのは2016年のことである。訴追された者は25年の刑を喰らう。どうして彼女は起訴されないのであろうか?

下記のような死の哲学がウクライナへ持ち込まれている。これはいったい何を意味するのか?

アレクサンドル・チェルノフをご紹介しよう。オブザーバー紙は彼をウクライナのメンゲレと呼んだ。 西側諸国の医師の誰もがヒポクラテスの誓いに同意するように、ウクライナでもそうしていた。しかしながら、ウクライナの新しい国家主義的指導者がウクライナ社会に与えた歪は甚大で、かっては患者に害を与えないことを誓っていた医師が、今や、指導者らが敵と見なす市民に害を与え、身体障碍者に変え、殺害するまでになったのである。

チェルノフによると、「自分の身の安全を確かめた上で、一番優先順位が高い自分の使命は医療によって敵側の市民や敵兵に害を与えることだ」と言う。 

私の捉え方があたたかもナチズムがウクライナへ舞い戻って来たかのように聞こえるかも知れない。そうだとすれば、現実にその通りであるからだ。今日のウクライナの指導者らの親たちはほとんどがナチの兵士や将校であった。彼らはヒトラーのために戦い、第二次世界大戦後、国内で3万人ものウクライナの民間人を殺害した。

第二次世界大戦後、ソビエト政府にとってはOUNbUPA (大戦中のナチ組織)を根絶するのに5年も要した。ウラナ・スプルンに聞いてみたまえ。彼女の父親はナチの兵士だった。彼女がウクライナへやって来る前、彼女は「ウクライナ世界会議」(UWCUkrainian World Congress)に奉仕していた。 この組織は強制収容所で働き、亡くなったナチの武装親衛隊を今でも賞賛し、彼らの子供たちに第二次世界大戦で大量虐殺を行った彼らの行動を見習うように教えている。

これらの問題についてはブルームバーグ・ニュースでさえもが「どうして西側はウクライナで間違った相手を支援したのか」とその理由を問うている程である。

もうひとつのウクライナはドンバス地域にあって、内戦の危機にありながらも、軍事的攻撃が続く中で市民の生活水準を引き上げようとして来た。

1991年に旧ソ連邦が崩壊するまでは、ウクライナはソ連では最高水準のいくつかの病院を自慢していたものである。これらの病院は肺の治療や癌治療の分野では世界でも最高水準の研究や教育、治療を行っていた。

20145月に実施されたウクライナ政府に対する連邦化の要求に関する住民投票の結果、ドンバス地域のふたつの州、ルガンスク州とドネツク州はキエフのウクライナ政府から独立することを宣言した。

ウクライナの国家主義的な有志(ネオナチ、国家主義者、ナチ)らがこれらの州を攻撃した。この武力攻撃(休戦の取り決めがあったにもかかわらず、中断することもなく4年も続いている)の結果、両州は「ルガンスク人民共和国」(LNR)ならびに「ドネツク人民共和国」(DNR)と称する共和国を形成した。

LNRにおいては、2014年以降、銀行業務や他の通常の公的サービスは全地域で中断された。医療分野では、医師や看護婦、外科医、管理事務、救急車の運転士、その他の医療サービス関係者は長い間無給で働いた。これらの専従者たちは病院を稼働させ、患者の治療を継続した。

2014年の最悪の戦闘が行われていた頃、病院の救急車の担当職員は前線へ出かけ、負傷した兵士だけではなく、今ではキエフ政府側のトレードマークと化した民間人の犠牲者たちを拾った。そうすることによって彼らが何らかの報酬を受けるという期待は全然なかったにもかかわらずである。

銀行が閉鎖され、キエフ政府は年金の支払いを中止したことから、庶民のほとんどは医薬品を買うことさえも出来なくなってしまった。

ルガンスク人民共和国(LNR)では、入院、治療および外科手術は無料のままである。病院内では医師や看護婦たちは必要な物を蓄え、共有したが、医薬品を新たに入手することはほとんど出来なくなってしまった。 

ロシアがLNRDNRに対して今では良く知られている人道支援の輸送を開始したのはこの頃であった。この救命支援によって、喉から手が出るほど求められていた医療設備や医薬品が両地域に運び込まれた。国際法が存在するにもかかわらず、キエフ政府は心臓病に対する医薬品やインシュリンがこれらの封鎖された地域に届くことを妨害していたのである。

病院側は患者に対しては無料で医薬品を投与する。処方された医薬品がロシアからもたらされている限り、それらは無料である。これだけでも、INRでは無数の命が救われた。ロシアは最先端技術の診断装置さえをも持ち込んで来た。

LNRでは正当な患者とはどういった人たちなのだろうか? キエフのウクライナでは、あなたがもしもドンバスからやって来たとするならば、あなたは差別され、あなたに対する治療は拒否される。 

LNRでは、あなたが病院を訪れると、病院は何の請求もせずに、あなたを治療してくれる。

あなたが何処からやって来たのかなんて問題ではないのだ。人々は治療や外科手術(ウクライナでは費用が高すぎて、もはや対応できないのだ)、あるいは、出産のためにウクライナとドンバス地域が接触する境界を横切ってやって来たし、今でもそうしている。20178月現在、ウクライナ政府がコントロールする地域からやって来た母親たちが135人の赤ちゃんをルガンスクの病院で出産した。

LNRの外科医は一般の患者を治療するのとまったく同様に搬送されて来たウクライナの兵士さえも治療する。何れの患者に対しても、施す治療には違いはない。ルガンスクの病院では西側の国の病院で受けるであろう治療とまったく同じレベルの治療が外国人に対しても施される。だが、ほとんどの場合、西側で入手可能な資源についても無制限に・・・という訳ではない。

ルガンスク人民共和国は国家が発足して3年目となるが、同共和国は国内に住む市民を殺害しようとする国家主義者らを排除するために戦争を行って来たが、国内では入院費用は国が支払っている。

病気になった人や、負傷した入院患者が治療を受けられるか、そして、その治療に最善を尽くしてくれるかどうかはあなたがどんな社会に住んでいるのかを示してくれる格好の指標である。他にも指標があり得るが、それらについては次の記事で議論をしたいと思う。

あなたはいったいどちらのウクライナを相手にしたいのか、正直に言って貰いたい。市民が支持するのはどちらのウクライナか?あなたはどちらをバーベキュー・パーティーに招待したいか、その答えは、時には、えらく簡単なのだ。 

<引用終了>


これで、引用記事の全訳が終わった。

ウクライナの内戦のふたつの当事者がそれぞれの市民に対してどんな政治を行っているのかについては、その具体的な姿がはっきりと見えて来ることは必ずしも多くはない。この引用記事によって医療行政の違いを見せつけられた。一気に目が覚めたような感じがする。

この記事の著者に返事をしておこう。我が家の裏庭で行うバーベキュー・パーティーにはルガンスク人民共和国の人たちをご招待したいと思う。何の躊躇もない。

しかしながら、究極の私の答えはウクライナのどの地域から来た人であっても我が家のバーベキュー・パーティーに招待できるようなウクライナになって欲しいのだ。 一日でも早くそうなって欲しい。




参照:

1A Tale of two Ukraines - Health Care in War-Torn Lugansk and Peaceful Kiev: By GH Eliason, Saker Blog, Dec/20/2017






2017年12月20日水曜日

彼らはまたもや嘘をついた - 米国のパトリオット・ミサイルは1960年代のソ連製スカッド・ミサイルを撃ち落とせない


米軍はいつも嘘をつくと誰かが言っていた。

そう言ったのは確かジャーナリストであったから、彼自身の豊富な体験によって裏付けられた発言であったのだろうと私は推測する。そして、米軍は嘘をつくけれども、他の国の軍隊は嘘をつかないということではない。私が理解する限りでは、米国の軍事力が世界を席捲している今、米軍の嘘が殊更に目につくのが現状であるということだ。

軍隊が持つ使命を考えると、特に、広報担当の将校にとっては、嘘をつくことはその軍にとっては本当のことを言う以上に大事な仕事であって、それは職業軍人としての生活を続けるには疑う余地なんてこれっぽっちもない責務であるに違いない。

最近は情報戦争という言葉を頻繁に耳にする。要するに、これは情報の操作を通じて国内や国際的な世論を巧妙に誘導し、世論を味方につけて、敵国を出し抜く作業である。

嘘をつくことが日常化している米軍や軍産複合体に関して、最近、非常に興味深い記事 [1] が現れた。これは「彼らはまたもや嘘をついた - 米国のパトリオット・ミサイルは1960年代のソ連製スカッド・ミサイルを撃ち落とせない」と題されている。

よりによって、これはミサイル防衛用のパトリオット・ミサイルに関するものであり、しかも非常に最近の事例を論じたものである。

2017811日、産経ニュースは「PAC3展開作業を開始、空自岐阜基地から部隊出発」と題した記事を配信した。それによると、「政府は11日、北朝鮮が米領グアム沖に弾道ミサイルを発射する計画を表明したことを受け、ミサイルが上空を通過すると名指しされた島根、広島、高知の3県と愛媛県の陸上自衛隊駐屯地に、空自の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を展開する作業を開始した。12日朝には展開を終えたい考えで、部品の落下など不測の事態に備える・・・」としている。

これに続いて、各地でミサイルの発射訓練が行われた。横田と岩国(829日)、三沢(97日)、飯塚(1128日)、等。

日本の空自はパトリオット・ミサイルを運用している。それ故に、われわれ日本人は誰もがパトリオット・ミサイルについては少しでも正確な知識を持つことが求められる。

本日はこの記事 [1] を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>

単純に言って、ソ連製のロケットは的を外した。しかし、それはサウジがそのロケットを仰撃するために打ちあげた5基の米製パトリオット・ミサイルを出し抜いた後だった。
 














 
Photo-1: 湾岸戦争での大失態から25年、米製パトリオット・ミサイルは依然として1960年代のソ連製ミサイルを撃ち落とすことができない。

皆さんはこの話をご存じの筈だ。先月、イエメンのフーシ派武装組織がリヤド空港に向けて改良型のソ連製スカッド・ミサイルを撃ち込み、このロケットは飛行中にサウジ側の米国製パトリオット・ミサイルの仰撃を受けた(が、それを出し抜いた) [訳注:これは2017114日夜の出来事]

トランプ大統領は「われわれの仰撃システムは空中でミサイルを撃ち落とした。これはわれわれが如何に優秀であるかを示している。われわれが作り出す武器は誰にでも作れる訳ではなく、われわれはこのミサイルを世界中で売っている」と述べて、自慢した。サウジは空爆によってイエメンの民間人を大量虐殺したためイエメンからの報復攻撃を受けていたが、サウジはイエメンの封鎖をさらに拡大しようとしてミサイルを使用した。イエメンはすでにコレラの大流行や栄養失調に見舞われ、悲惨な状況であるが、この封鎖は全面的な飢餓をもたらすこととなった。




Photo-2: 想定される発射場所からリヤドまでの距離は610マイル、約976キロ

しかしながら、この話には完全に間違っている点が少なくともふたつある(ミサイルがイランから供給されたとする馬鹿げた言動を加えると3点となる)。そのひとつは、ミサイルはフーシ派が発射したものではない。この反政府武装勢力はそのような強力な兵器を所有してはいないのだ。実際には、サーレハ大統領に忠誠を誓っている勢力が発射したのである。つまり、この勢力はサーレハを支持する軍隊の一部であって、イエメンの反サウジ同盟の一勢力である。

さらには、米国製パトリオット・ミサイルはスカッド・ミサイルを撃ち落としてはいない。5基のミサイルがスカッドに向けて発射されたが、どれもが的を外した。スカッドはサウジのミサイル防衛施設の上空を飛行し続け、滑走路の先数百メートルの地点へ着弾した。これは、実際には、1960年代のミサイルにしてはそこそこの精度である。

















 

Photo-3: ミサイル本体と弾頭の推定飛行経路とミサイル防衛施設との位置関係

米国は19901991年のイラクに対する湾岸戦争で米国製パトリオット・ミサイルの成果に関してまったく同様の嘘をついた。パトリオット・ミサイルはイラクが発射したスカッド・ミサイルの大部分を仰撃したことになっていたが、それは完全に間違いであることが後に判明した。しばらくして、この嘘は受け入れられた。しかしながら、今回のストーリーは、1991年には的を外したが、その後は改良が施されたので、今は宣伝されている通りに機能するだろうという話に変わって行ったのである。

ところが、実態はそうではないのだ。米国製ミサイル防衛システムは今でも1960年代の古いソ連製地対空スカッド・ミサイルを仰撃できない(それらのミサイルは1944年にドイツが運用したV-2ロケットとは大違いであるという訳ではないのに)。

だからと言って、これは必ずしも米国の技術を槍玉に挙げるということではない。超音速で飛行するミサイルに他のミサイルを衝突させることは非常に難しい。そのようなことを高い信頼性をもって実行することは現在われわれが持っている技術レベルを超えているに違いない。しかしながら、これは米国の売り込みの姿勢を問うものである。機能しない武器システムを米国が褒めそやすことを止めるには、恐らく、今が絶好の機会である。

ニューヨークタイムズはサウジのストーリーの嘘を暴いた専門家から得た立派な報告書を掲載している:

ミサイル専門家のチームが解析の結果得た証拠によると、ミサイルの弾頭は何の制約も受けずにサウジの防衛施設の頭上を飛行し、その目標であるリヤド空港の近くに着弾した。弾頭が国内ターミナルの非常に近い場所で爆発したことから、椅子に座っていた人たちは皆椅子から跳び上がった程だった。



ルイス氏や他の解析の専門家らはほとんどがカリフォルニア州モンテレーにある国際問題研究所を本拠としているが、サウジアラビアがイエメンのスカッド・ミサイルを撃墜したという報道を耳にした時、彼らは懐疑的であった。

スカッド・ミサイルを相手にした場合も含めて、各国の政府は過去においてミサイル防衛システムの効用を過大評価して来た。第一次湾岸戦争の際には、米国はイラクの改良型スカッド・ミサイルをほぼ完全に仰撃したと主張した。しかし、後に行われた調査の結果、ほとんどすべての仰撃は失敗であったことが判明した。 

パトリオットはリヤドでも失敗したのだろうか?研究者らはソーシャルメディア上であの時間帯にあの地域に関して投稿された情報を隈なく洗って、何らかの切っ掛けを見い出そうとした。 


ミサイルの残骸:

リヤド市内に散らばったミサイルの残骸が描くパターンはミサイル防衛システムが毒にも薬にもならないミサイルの後部に衝突したのか、それとも、どの部分にもまったく衝突しなかったかのどちらかであることを示している。 

ちょうどサウジ側がミサイル防衛システムからの発射を行った頃、リヤドの繁華街には残骸が落下し始めた。ソーシャルメディアに投稿されたビデオはかなり大きな残骸を捉えている。この残骸はイブン・カールドウン学校の側の駐車場に落下した。

他のビデオは高速道路沿いの直径が約500ヤード程の地域に落下した幾つもの残骸を示している。





















Photo-4: 残骸


サウジの政府職員はこれらの残骸は撃墜されたブルカン―2の一部であるだろうと言い、仰撃が成功したことを示すと述べた。しかし、これらの残骸を良く調べてみた結果、爆発物を運ぶミサイルの弾頭部分は見つからなかったのである。 

弾頭が見つからないという事実は分析者たちにとっては重要なきっかけとなった。つまり、このミサイルの弾頭部分はサウジの仰撃システムを出し抜いたのかも知れないのだ。

ミサイルは約600マイルにもおよぶ飛行中のストレスに耐え、目的を達成するためには、ほとんど間違いなく、目標が近づいた時点でふたつに分割するように設計されている。弾道飛行中の大部分で推進力となっていた円筒部分は落下する。より小さく、仰撃ミサイルを激突させるにはより難しい弾頭部分は目標に向けて飛行を続ける。 

このことがリヤドの繁華街で見つかった残骸はどうして後部の円筒部分だけであったのかを説明してくれる。サウジはミサイルを仰撃することには失敗した、あるいは、ミサイルがふたつに分離した後に円筒部分に衝突し、その残骸を地上に落下させたことを物語っている。

米国政府のある人物はサウジがミサイルを撃ち落としたという証拠はないと言った。 それに代わって、残骸は飛行のストレスによって分解しただけだと述べている。サウジが成功裏にミサイルを仰撃したとして示した証拠は弾頭が設計通りに円筒部分から分離したということだけであるのかも知れない。











Photo-5:  ブルカン・ミサイル



爆発が起こった場所: 

12マイルも離れたリヤドの空港で起こった爆発は弾頭が目標に向けてそのまま飛行し続けたことを示している。

リヤドの繁華街で残骸が落下したのとほぼ同じ時刻、午後の9時頃、リヤドのキング・ハーリド国際空港では大きな爆発音が轟き、国内線ターミナルを揺るがした。

「空港で爆発が起こった」と、爆発直後に撮影されたビデオの中である男性が喋っている。彼や他の人たちは皆が窓際へ押し寄せ、ちょうど非常用車両が滑走路の方へ向かって行くのを認めた。

路上から撮影された他のビデオでは、非常用車両が滑走路の端に認められる。車両の向こう側には一筋の煙が立ち上がっており、そこで爆発が起こったことを示していた。そこが着弾場所であった。

フーシ派の広報担当者はこのミサイルは空港を狙ったものであると述べた。

スカッド・ミサイルはサウジの防衛施設の上空を通り越したと分析専門家らが考えるもうひとつの理由が存在するのだ。彼らはこのミサイルに向けて発射したパトリオット・ミサイル部隊の位置を割り出し、弾頭が仰撃ミサイルの遥か上空を飛来したことを突き止めたのである。 

サウジの政府高官は仰撃されたスカッド・ミサイルの残骸の一部が空港に落下したのであると言った。しかし、コースから逸脱した1個の残骸がどうやって他の残骸に比べて12マイルも先にまで飛来し得たのかを想像することは難しく、なぜその残骸が着地した際に爆発したのかを説明することはできない。


着弾の衝撃: 

発煙や地上の損傷はスカッドの弾頭が空港の国内線ターミナルの近傍に着弾したことを示唆している。

緊急対応や立ち上る1条の煙が着弾の衝撃がどのようなものであったかを明らかにしている。
路上で他の地点から撮影された立ち上る煙の写真は同じ種類のミサイルによって生成される煙とほぼ同一に見え、この爆発はルートを外れて飛来した残骸によるものではなく、無関係の出来事によるものでもないことを示している。

写真やビデオに収められた建物の位置を特定して、ルイス氏のチームはこれらの映像が撮影された地点を割り出すことができた。こうして、煙が立ち上った場所を正確に割り出したのである。つまり、「33R滑走路」から23百ヤードの地点であり、人で込み合っている国内線ターミナルからは約1キロの距離であった。

爆発の規模は小さく、この爆発の前後に撮影された衛星写真からは衝撃の結果生成されたクレーターを識別することは出来なかった、と分析の専門家らは言う。
しかしながら、非常用車両から見た地上の損傷は爆発の衝撃を物語っており、弾頭が滑走路の脇に着弾したという事実を支えている。

















Photo-6: 俯瞰図

フーシ派武装勢力は目標を外したものの、彼らのミサイルは目標に到達し得ることを十分に示すだけの近傍に着弾し、サウジのミサイル防衛システムを出し抜くことさえもが可能であることを示した、とルイス氏は述べた。「1キロの外れはスカッド・ミサイルの場合は正常な誤差範囲だ」と、彼は言う。 

フーシ派は自分たちのミサイルの発射が成功であったとは考えてはいないかも知れない、とルイス氏は言った。空港に自分たちの情報源を持っていない限り、彼らは公式見解を疑う根拠は持ち合わせてはいないからだ。

「フーシ派はリヤド空港をほぼ叩きのめすところだった」と、彼は言った。 

「憂慮する科学者同盟」の一員であり、ミサイルの専門家でもあるローラ・グレゴはサウジのミサイル防衛部隊は飛来するミサイルに向けて5回も仰撃ミサイルを発射したことに警鐘を鳴らした。
「スカッド・ミサイルに向けて5回も仰撃ミサイルを発射したのに、皆外してしまったの?実に衝撃的だ」と彼女は言った。「この防衛システムはうまく稼働する筈なんだから。」 


<引用終了>



日本語版のウィキペディアによると、サウジアラビアは米国の他、日本を含めて、MIM-104 パトリオット防衛システムを運用する10か国以上の国々のひとつである。

サウジのパトリオット防衛システムにはPAC2が導入され、その一部は2014年にPAC3へとアップグレードされているとのことだ。今回の報道の対象となったリヤド国際空港の近傍に配置されているミサイル防衛部隊が用いたパトリオット・ミサイルは果たしてPAC2であったのか、それともPAC3であったのかは私には分からない。防衛予算に膨大な予算を割り当てているサウジアラビアのことであるから、首都の国際空港のミサイル防衛には新式のPAC3を配備していると考えるのが順当であろう。

パトリオット防衛システムが使用されていながら、襲来した弾道ミサイルを撃ち落とせなかったという現実に注目する必要があると思う。

ウィキペディアで詳細情報を調べてみよう。

スカッド・ミサイルはソ連で開発され、その最終型は「スカッドD」と称され、1989年に登場した。このD型の精度は大幅に改善され、半数が命中する半径は50メートルであるという。通常、高度100キロまで上昇し、その後は弾道を描いてマッハ4の速度で目標に突入する。

一方、パトリオット仰撃ミサイル(PAC3)は上昇限度が15キロ(PAC2の場合は24キロ)、対弾道弾射程距離が20キロ(PAC2の場合も同様)、そして、速度はマッハ4.1PAC2も同様)だという。

地表付近と成層圏下部との音速を比べてみると、温度や気圧が異なるので音速の値は異なる。地表付近で気温が15Cの場合はマッハ1とは秒速で340メートルであり、航空機が飛ぶ下層成層圏ではマッハ1とは秒速で約300メートル。話を簡単にするために仮にマッハ1を平均で毎秒320メートルとした場合、マッハ4.1の速度は秒速1,310メートルに相当する。パトリオット・ミサイルを垂直に打ちあげた場合、上昇限度である15キロには約11秒後に達する。この11秒間にミサイル自体の軌道を微調整して、目標に首尾よく衝突させなければならない。

スカッド・ミサイル本体の直径は88センチである。単純化して言えば、この88センチという寸法はマッハ4.1で飛行するパトリオット・ミサイルにとっては0.0007秒の時間的な誤差によってさえも命中し損なうことを意味している。ましてや、ロケット本体から分離した弾頭部分に命中させようとすると、目標の寸法はさらに小さくなるから、さらに短時間の誤差でさえも失敗に繋がる可能性が高まる。さらには、目標の弾道ミサイルとパトリオット・ミサイルとの間の相対速度はお互いの進行方向が交わる角度によって異なってくる。真横から仰撃する場合は、上記の0.0007秒の時間的誤差はほぼそのまま適用できる。また、正面からやって来る目標に対して仰撃する場合、両ミサイル間の相対速度はマッハ4を越してさらに大きくなる。その場合は、この0.0007秒という時間枠はさらに短縮される。

1991226日、サウジアラビアのダーラム基地はイラクが発射したスカッド・ミサイルの直撃を受けて、28名の米兵が死亡した。この時、米国製のパトリオット・ミサイルは仰撃に失敗した。なぜ仰撃に失敗したのかについては、調査の結果、パトリオット防衛システムのコンピュータ・ソフトに問題があったことが1年後に判明した。2進法の数値の丸め方に問題があったのだ。

米会計検査院の報告によると下記のような具合だ。

パトリオット仰撃システムには内部時計をコントロールするソフトがある。このソフトは0.1秒毎に0.1秒を次のように





近似値に変換していた。このパトリオット仰撃システムはそれまでに100時間稼働していた。つまり、この間に、0.1秒毎に0.1秒という真の値とその近似値である分数との間の小さな誤差(約0.0001%)が蓄積し続けていたのである。その結果、





0.3433秒の合計誤差が蓄積され、パトリオット仰撃システムにとってはとんでもない結末を招くこととなった。スカッド・ミサイルの仰撃に失敗し、28人もの兵士を犠牲にしたのである。

これが1991年の出来事の要因であった。

あれから26年後の2017年の今、冒頭で示したように、イエメンから発射された改良型のスカッド・ミサイルはもっとも近代的な装備を運用している筈のサウジのパトリオット仰撃ミサイルを出し抜いてしまった。パトリオット仰撃システムに今度はどのような問題があったのか、現時点ではまったく報じられてはいない。

本日(1220日)の報道で気が付いたばかりではあるが、昨日、イエメンから2発目のスカッド・ミサイルがサウジのリヤドに向けて発射された。今回はサウジは仰撃に成功した模様だ。しかし、技術的な詳細はまだ報じられてはいない。これで、サウジの当面の仰撃成功率は1回目と合わせると50パーセントだ。

引用記事の著者は「機能しない武器システムを米国が褒めそやすことを止めるには、恐らく、今が絶好の機会である」と述べている。米国製の兵器を購入する側は冷静に性能を分析し、コスト対効果を評価しなければならないことを示したものであると言えよう。

私は過去の投稿で「米政府内の政府説明責任局や国防省の運用試験や評価を実施する部門がミサイル防衛システムの有効性を疑っているにもかかわらず、この防衛システムは修正を施されずに放置されて来た。」



換言すれば、技術開発ができないまま、今も改良型を配備できないままであると言うべきかも知れない」と書いた。(2017113日の投稿「米ミサイル防衛システムは詐欺行為だ。われわれは皆殺しにされるかも・・・」を参照されたい。) ミサイル防衛はイージス・システムとパトリオット防衛システムとの組み合わせての議論である。



総合的に見ると、弾道ミサイルを仰撃することは技術的にはかなり困難であるということに尽きるのではないか。もっとも先進的な英知を集約したとしてもだ。

本件については絶え間なく情報を集め、軍産複合体の宣伝には乗らないで、冷静な判断を下すことが求められる。




参照:

1: They Lied Again: US Patriot Missiles Still Can Not Take Down Soviet Scuds From the 1960s: By Marko Marjanovic, Dec/08/2017,  www.checkpointasia.net/.../they-lied-again-american-missile-d...